10.出会い編3
「それはイグナート様の気持ちが一方的でも幸福で、私が居るだけで満足と言うことでしょうか?」
思わず口をついて出た言葉に、イグナート様の眉がピクリと動いた。怒っただろうか。それともこんなネガティブな考えをするのが【運命のツガイ】だと呆れて、幻滅したかしら?
「今は一方的でも、これから先ナタリア嬢の気持ちが……私に向いて貰えるよう努力していきたい。傍に居るだけで今はきっと飛び上がるほど嬉しいだろう。でもきっとナタリア嬢を知っていけばいくほど、好きになって『もっと』を望むだろうし、君に触れたい、気持ちが欲しいとも。でも今それを君に求めるのは強制になりかねないし、身分や階級などでそれをするつもりもない……。こ、婚約の申し込みは手を尽くすけれど」
最後の「婚約者」になるつもり満々な宣言は、なんだか可愛く思えてしまった。公爵家の令息様ならどうとでもできるのに、商人の娘である私に選択の余地を残してくれている。もっとも【運命のツガイ】という事実がある以上、結婚は避けられないのだろうけれど。
「正直、私は人族で、商人の娘です。【運命のツガイ】だという実感もありません」
「うん……」
「イグナート様と出会ったのは今日が初めてで、どんな方なのか、何が好きで、どんな考えなのか分かりません」
「うん」
「傍に居るだけなら【白い結婚】という形だけの関係もできますけど、イグナート様のお望みというのは、それとは違うのでしょう?」
「違う。私はナタリア嬢が好きで、愛おしくて、大切で堪らないから、体裁の関係は好きじゃないし、それはとても寂しい。……でも、君の気持ちが固まるまでなら【白い結婚】でも構わない」
わずかに金色の瞳が揺らいだ。ああ、この人は本当に優しい人なのだろう。そして私の話をちゃんと聞いてくれる。商人の娘だから、人族だから、そういう関係を取っ払って、私という一個人を見て、対等に扱おうとするのが分かるわ。
普通はそんな風に考えない。
種族の違い、身分の違い、価値観や倫理観の違い。様々な問題を覆すことができる【運命のツガイ】は、何も持たない弱者にとってそれだけで、幸運なのかもしれない。交渉をするのなら、最大限自分の利益を追求して利用するだけすることだってできる。商人として目敏く賢い選択をして、公爵家から資金援助や他の貴族とのパイプを結ぶことはできるし、私たちの商会を潰そうとした貴族を叩き潰すことだって……。
そこまで考えて、どれだけ公爵家から搾り取れるか、利益を最大限引き出せるか計算する。千載一遇のチャンスだと、商人の血がそう告げている。
でも。
だけど。
今、私と話をしてくださっているイグナート様は、イグナート様として私に、ただのナタリアに声をかけてくださっている。
だとしたら私もこの奇跡的な関係を維持したい。
「イグナート様。私は形だけの【白い結婚】よりも、好き同士が一緒になる恋愛結婚が良いです。この世界で政略結婚も多い中、私は両親のような好きになって結婚するあり方を選びたい」
「うん」
「だからイグナート様。まずは友達から、お互いを知るところから始めませんか? 私が貴方を好きになれるよう、一緒に愛を育んでいけるよう、その時間をくださいませんか?」
ガゼボに風が舞う。木々がざわつき、木漏れ日が揺れ動いた。微かにダリアの花の香りが届く。イグナート様の口角がわずかに緩んだ。
「幾らでも。君が前向きに私と向き合って、私を見て、私の隣にいてくれるのなら、喜んで」
この時のイグナート様の言葉を私はよく理解していなかった。彼の前に立って、目と目を合わせて会話すること、隣に立つことがどれだけ希有なことなのかまったく分かっていなかったのだから。
そしてこの日を境に、私の環境はめまぐるしく変わっていく。
***
「おはようございます。ナタリア嬢」
「おはよう……ございます」
朝ご飯を食べている余裕がなくて、王国魔導学院に向かう途中に干し葡萄と木の実を食べようと思っていた私の計画は一瞬で頓挫する。
公爵家の紋章入り馬車で出迎えるイグナート様は騎士服姿で、今日も眼光が鋭い。
普通なら心臓が飛び出るほど威圧感を感じるらしいのだけれど、私には何も感じない。瞳が少し揺らいでいるので、強引に押しかけて嫌われないか不安がっているのが見え隠れしている。そんな姿が可愛いと思う。
私とイグナート様は出会ったその日に婚約を済ませて、晴れて婚約者となった。その翌日、夕方に騎士団施設を訪ねようかと思ったのだけれど、それよりも先にイグナート様は行動を起こしたのだ。思ったよりもフットワークが軽いらしい。
「少しでも一緒に居たくて、馬車で押しかけてしまった。このまま学院まで乗っていくのはどうだろうか?」
「よいのですか? イグナート様の出勤時間は?」
「問題ない。団長に時間調整の申請手続きは済んでいる」
「ふふっ。そのあたりはしっかりしているのですね」
イグナート様は「呆れたりしないのか?」と聞いてきたので、首を横に振った。
「いいえ。まったく。私のために時間を作ってくださって嬉しいですわ。イグナート様、馬車で移動するのなら五分、いえ三分ほど少しだけ待っていただけませんか?」
「ん? ああ。それは問題ないが」
言質を取った私は急いで台所に向かい、昨日作っておいたフィナンシェが入ったラッピング袋を手にして馬車に戻る。そのままイグナート様に手を取ってもらい、馬車の中に。
貴族様のそれも公爵家の馬車の中は思ったよりも広くて、クッション持ついてソファのように体がふわふわに沈む。
「凄いですわ。こんな素敵な馬車に乗るのは初めてです」
「そうか。それで……その手に持っているのは、学院の誰かに送る物なのか?」
目敏く指摘するイグナート様に、私は袋を手渡した。受け取った彼はなぜか固まっている。
「昨日、甘い物はお嫌いじゃないって言っていたので、その作ってみたのです。ああ、もちろん貴族様が食べる菓子のほうが、断然美味しいと思うのですが」
「これを私に?」
「はい。その……お嫌でなければ。昨日はたくさん、美味しいものを食べさせてもらっていましたし……お返しというような物とも釣り合わないですが」
「そんなことない」
イグナート様は目を輝かせて私をまっすぐに見返す。
「ナタリア嬢が私のために、私を思って作ってくれる物は、どんなに財を投下しても得られる物じゃない。それにこんなに嬉しい贈り物は初めてだよ」
「お、大げさです。食べてみて期待外れだったとかあるかもしれないので、あまり期待値を上げないでください」
「もう遅い。……しかし食べるのが勿体ないな。どうにかして永久保管を……」
「しないでください。また作りますから」
「またがあるんだな」
「それは……婚約者……ですし」
照れくさいけれど私とイグナート様との書類上の関係は、間違いなく婚約者だ。私の両親との挨拶は昨日のうちに終わっているし、イグナート様のご両親も快諾したとかで、顔合わせはまた後日となっている。
ここまでトントン拍子に進むのは、【運命のツガイ】だからなのだろう。巷の恋愛小説だと身分差による周囲の反対が強いのに、それを「【運命のツガイ】だから」の一言で黙らせるだから凄い効果だ。
終始上機嫌なイグナート様は、私のために朝食用のキッシュを用意してくださっていた。お互いにお互いのことを考えて行動する。それがなんだかくすぐったくて、私は浮かれていた。
どうして婚約の翌日にイグナート様が私を学院に送り届けようと、わざわざ公爵家の馬車で迎えに来てくれたのか。その理由は学院に着いて思いしるのだった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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短編の時、ずっと「旦那様」とナタリアが言っていたので、たまに出会い編でも「旦那様」って台詞を書いては消してます……。まだ旦那じゃない(゜▽゜*)