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いつものように旦那様が帰ってきたので、部屋で待っていられず慌てて玄関へと向かった。今日は嬉しい報告があるのだ。
家族が増える。
結婚して一年目の記念日前日。嬉しいことが重なって、私は浮かれていた。だから玄関正面の階段を上がってきた旦那様のただならぬ雰囲気に、気づくのが遅れてしまったのだ。
「旦那様、お帰りなさいませ」
いつものように旦那様に抱きつくのは、おなかの子供にもよくないと思い、十分に近づいてそっとお帰りのギュッとキスをしよう。
「ただいま、私の可愛い奥さん」と抱きしめてくれると思っていた。
艶のある美しい黒髪は腰まであり、目鼻立ちが整った顔立ちは凜として素敵だし、猛禽類のような金色の瞳だってとっても知的でしびれてしまう。元々は大鷲族で興奮すると背中から翼を出してしまうのだけれど、その羽根はとても軽くて柔らかい。
漆黒騎士団団長で、目で殺すことができるほど恐れられているらしいのだけれど、私の前だといつもにこにこで抱きしめてくれる。愛しの旦那様。最近では目付きが悪くならないようにと黒縁眼鏡をしているお洒落さん。
いつもと同じく、笑ってくれると思っていた。でも、彼は酷く困惑したような強張った顔で私を見返す。
「嘘だ、君は本当にナタリアなのか?」
「旦那様? はい、ナタリアですわ」
よく見れば顔が真っ青で、唇も紫色だわ。体が冷えてしまっているのか額から玉のような汗が噴き出している。
なんだか不思議な匂いがするわ。何かしら、アルコール? 甘い香り。
「──っ、ありえない。君が私の【運命のツガイ】でないなど──」
「旦那様、お加減が悪いのですか?」
そう思っていつものように、頬に手を伸ばそうとした。
「触れるなっ! ──あ」
「──っ」
旦那様にとっては、軽く手を振り払っただけだったのでしょう。でも、ただの人間である私にとっては体が軽く吹き飛ぶほどの力だった。もっとも私が小柄で女性だからというのもあったのだろう。
「ナタリア!」
「だんな──」
そして場所も良くなかった。
階段の上で話していたため、吹き飛ばされたのは階段の下──。旦那様もすぐに私が階段から落ちるのが視界に入ったのだろう。
一瞬、固まったのが分かった。
すぐに手を伸ばして、私の手を掴んで──くれようとしたけれど、かすかに指先が触れるだけで私はそのまま階段から落ちた。打ち所が悪かったのだろう、そこで私の意識はぷつりと途絶えた。
意識が遠のく中で、旦那様が半狂乱になって暴れている物音や声が耳に届く。
「ナタリア、ナタリア──っ、君がどうして──昨日までは、確かにあったのに」
「番紋もあるのに、どうして君を、ツガイとして認識できないんだ!?」
「あの女の言葉通り、【運命のツガイ】は君じゃないのか!?」
旦那様の声が胸に来る。やっぱり私が妻になったのは間違いだったのかしら……。
もしやり直せるのなら、旦那様が壊れてしまう前に──。
***
「──んん」
カーテンから差し込む日差しが眩しくて薄らと目を開けると、白いシャツに袖を通していた旦那様──イグナート様が視界に映った。
眼鏡をかけておらず、いつもの凜とした姿にウットリしてしまう。死ぬ瞬間は走馬灯なるものが見えるらしいと聞いたことがあったけれど、それなのかしら?
そんな風にボーッと、愛しの旦那様を見ていたら視線に気づいたのか、目が合った。カミソリのように鋭い目付きなのだけれど、見慣れると少し照れているのが分かる。
「起こしてしまったか、ナタリア」
「いいえ……。おはようございます……イグナート様」
素早く私の傍までやってきて、額や頬にキスをする。「今日も私の妻が可愛い」と、いつも通りの夫にようやく違和感を覚えた。走馬灯にしては現実味があるし、頬に触れる手の温もりも本物だ。バサバサと翼が揺れて、私を包み込む。ふわふわで心地いい。
夢じゃない? 走馬灯でもないとしたら?
「今日は珍しく名前で呼んでくれたね。それも新鮮ですごくいいな。いや旦那様というのも、私の妻感が感じられるので捨てがたい……」
「だ、イグナート旦那様」
「全取り、そう来たか。さすが私の妻は聡明で賢くて、惚れ直したよ」
朝から溺愛コースなので、頭の上にハテナが浮かび上がる。やっぱり夢じゃない。じゃあ、さっきの事故死は悪夢だった?
でもとってもリアルだったわ。もしかして……予知夢とか。それとも時が巻き戻った? でも四大公爵家の持つ魔導具だったらあり得るかしら?
「ナタリア?」
「……っ、あの」
「無理しないでいいから、ゆっくり起きるといい。私は仕事があるから先に食事を取っているよ」
チュッと唇にキスをする旦那様は、いつも通りだった。優しくて私がよく知っている旦那様だわ。頭が回らないのは空腹だからだと結論づける。
ふと窓の外には旦那様から贈られたダリアの花が咲いているのが目に留まった。白いダリアはとても美しくて、秋の季節が近づくたびに旦那様と一緒に散歩したわ。
あら? ちょっと待って。
ついさっきまで私は、結婚記念日の前日だと認識していたわ。私と旦那様の結婚記念日は11白銀乃月13日目。
悶々と考えている間に、侍女たちがやって来てきたので着替えることに。侍女の一人アンナに今日の日付を尋ねたら、不思議そうな顔をしつつも「霊星歴1879年10豊穣乃月12日ですわ」と答えてくれた。
あの未来の一ヵ月前だとしたら、私のお腹にはもう……。11白銀乃月12日目の昼間、主治医から「妊娠四ヵ月」だと教えてもらった。
とても幸せで早く旦那様にお伝えしたくて、それなのに旦那様はその日、私の手を払いのけた力が思ったよりも強くて、私は運悪く階段から落ちた──。
「──っ」
今更ながらに思い出して、ゾッとする。
あれは悪夢ではなく現実で、そしてどういうわけか過去に戻ってきた。どうして過去に戻ったのかは分からないけれど、あの事故が起こる一ヵ月前なら回避ができるのでは?
***
着替えが終わったので、旦那様が食事をしている部屋に急いだ。
冬の模様替え前の屋敷の廊下は落ち葉のカーテンレースが綺麗で、少しだけ気持ちが落ち着く。壁に飾ってある肖像画を通り、歴代公爵家の当主とその家族が視界に入る。
ラリオノフ公爵家では大鷲族の血を色濃く受け継ぎ、四大公爵家の一角を担っている。獅子のバロワン家、人魚族のメイザース家、竜族のワン家が存在し、人外の能力と魔法を操ることができる。そんな彼らのツガイは人族から選ばれることが多い。魔法も身体能力も彼らの足下にも及ばない人族。しかし感情豊かで、心を穏やかにする特徴を引き継いでいるため、ツガイを得ることで彼らの攻撃性が溺愛に変わるらしい。
それが彼らの言う【運命のツガイ】の最大の祝福らしい。ただこれは人である私にはピンとこないのだけれど、彼ら亜人族は匂いや見たら分かるという。晴れて【運命のツガイ】と結ばれると番紋が生じる。結婚の証のようなもので、双方が両思いにならないと番紋が現れない──と言うのが、この国での常識だったりする。
でも一ヵ月後にそれが覆るのだ。旦那様は私を【運命のツガイ】であることを急に否定した。亜人族のツガイ認定は、匂いや見た目つまりは本能的な感覚に近い。生物的な感覚なのだとしたら、旦那様の思い込みで私を【運命のツガイ】だと誤認していた?
あるいは本当の【運命のツガイ】に出会って、私が偽物だと思ったのかもしれない。だとしたらそれは悲劇だわ。あれだけ愛を注いでおきながら勘違いだなんて、悲しくもなる。それは私ではなく、私の纏っている匂いを見て選んだというのも大きいだろう。
でも商人の娘が公爵家に嫁ぐことを許可されたのも、その【運命のツガイ】の相手だったからであって、もし人同士であれば大貴族と商人の娘では周囲から大反対されていただろう。
旦那様の発言に、嘆いていても何も始まらないもの。
まず優先順位と最悪の未来を回避する、そう無理矢理気持ちを切り替えることで、決意を固める。元々商人の娘だから、引き際というのは弁えているつもりだ。
旦那様の居る部屋の前で深呼吸をした後、ゆっくりと扉を開けた。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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短編版から初連載に挑戦してみました。
続編希望のお声ありがとうございます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
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