3話
これが俗に言う金縛りなのだとノーグルスタチカは理解した。
そして、彼女は察した。
身体が動かせないこと、自分のことを見える見えないと言う怪しげな老人がいることから、彼が霊的な存在ではないかと考えた。
相手が幽霊だとした場合、何をされるか分からなかった。魂を抜かれるのか、呪いをかけられるのか、それとも取り憑いてしまうのか。
何れにせよ、良い結果には結びつきそうにないと判断した彼女は、力一杯身体を動かそうとした。
身体を起こして、一刻も早くこの場から逃げようとした。
得体の知れない老人を前にして、彼女は恐怖で身体中から一気に汗が吹き出るが、中々ベッドから身体を起こせない。
それでも、目を血走らせて歯を食いしばり、今までの人生で出したことのない渾身の力で踏ん張ると、漸く身体を起こすことができた。
身体を起こして、掛け布団代わりのシーツを足元に追いやった時に、彼女はニコを見てしまった。
ノーグルスタチカに覆いかぶさる形で、下着姿のニコが荒い息を立てて彼女を凝視しているのだ。
ノーグルスタチカの着衣は乱れており、晒された素肌は生暖かい湿り気で満たされていた。
金縛りではなく、生きた人が動きを封じ込めていたのだと気付いた彼女は、更にパニックに陥る。
余りに衝撃的な光景を目の当たりにして彼女は、一瞬身体を硬直させてしまう。
その間にシーツをはがされていることに気付いたニコが、慌てて顔を上げると同時に、丁度ノーグルスタチカと目が合ってしまう。
「ぎゃあああ!!」
「きゃあああ!!」
「おわあああ!!」
教会が揺れる程の大声が、部屋を木霊した。
「ちょ、何してんの!?」
「こ、これには深い訳が……!!」
「どんな訳があるのよ!!」
ノーグルスタチカは自分の身体に何が起きているのか、手で探りながら確認する。
ニコは彼女に対して距離を近付けようとするが、彼女は一定の距離を保とうと、ドタドタとベッドから床にはい降りて逃げる。
「なぜ孫がここに!?」
「孫ぉ!?」
「え? え?」
老人がニコを孫と指して驚くと、ノーグルスタチカも同様に驚愕する。
ニコはノーグルスタチカの声しか聞こえないため、ノーグルスタチカの口から出た突拍子もない単語は、彼女を混乱させた。
「いや、孫がどうとかの前に、ニコ。貴方はここで何をしていたの!?」
「こら、ニコ! お前、何をやっておる!」
「孫って何の話ですか?」
「だー!! うるさいうるさい! ちょっとアンタは少し黙っていて!!」
「ご、ごめんなさい!」
「いや、ニコ。貴方のことではないの!」
「ニコ、もしかして儂が見えていないのか!」
「ぐ、ぬぬ……」
いつまで経っても状況が飲み込めないノーグルスタチカが、遂に弾ける。
「ええい! 静かにしなさい!!」
ノーグルスタチカが立ち上がり、できる限り眉間に皺を寄せて怒ってみせると、しんと静まり返った。
怒り慣れていない彼女の声は上擦っていたが、それでも一定の効果はあった。彼女自身もそれを感じて、ほっとひと息をつく。
そうして彼女は2人を床に正座させた。
「ニコ、貴方は一体ここで何をしていたの?」
「……ノグチさんには、言えません」
「え、言いなさいよ。言えないで済むと思ったら大間違いよ」
「言ったら嫌われます!」
「言わなかったら余計に嫌うわよ!」
ノーグルスタチカが詰めるとニコは怯えた表情を彼女に見せるが、それでも彼女には絶対口を割らなかった。
強い意志で理由を噤み続けるニコに、ノーグルスタチカは業を煮やして、老人に語りかけた。
「貴方はニコのお爺ちゃんなんだっけ?」
「クリフじゃ」
「そう。クリフ、ニコは夜這いの趣味でもあるの?」
「分からん!!」
「分からんのかい!! まあ、普通分からないわよね」
こめかみを押さえて溜め息が止まらなくなるノーグルスタチカに対して、ニコが恐る恐る手を上げて、彼女に会話の許可を求めた。
「あの、ノグチさんは、誰とお話しているのですか?」
「誰? 誰って……貴方のすぐ横にお爺ちゃんがいるのだけれど……」
ニコは首を左右に動かして、ノーグルスタチカの言う老人を探したが、何度見直してもこの部屋には、2人以外に人の存在を確認できなかった。
ニコは一層怯えた表情になり、震える声で彼女に訴えかける。
「こ、怖いことを言うのは止めてください……!」
「いや、結構光って見やすいと思うけれど。すごく体調の悪そうな老人が貴方のことをじっと見つめて――」
「ぴっっ!!」
ニコは目にも止まらぬ速さでノーグルスタチカの足元に擦り寄り、彼女の足にしがみついて涙を流した。
ニコは生まれてこの方幽霊を見たことはないが、幽霊の存在は信じていて、恐怖の対象としている。
彼女の怖がる反応が見たくて、村人たちに揶揄われて嘘の幽霊話を頻繁にされた経験から、彼女の中の幽霊像は、人生で最も恐怖する対象へと完成されてしまっている。
他人の話を信じ込みやすい彼女だからこそこの感性は成り立つため、ノーグルスタチカは彼女の反応を見て、内心では鼻で笑って彼女のことを馬鹿にしていた。
しかし、ノーグルスタチカはこの状況を、ニコから真実を聞き出す絶好の機会だと考えた。
幽霊話で脅して話を聞き出そうと試みた。
「言わないなら、貴方の横にいる老人のことをもっと話すわよ?」
「ひいいぃぃ! で、でも、言えません!!」
「……強情ね。それなら、なぜ私の身体が湿っているのかぐらい説明してよ……。教えてくれたら他のことは聞かないから」
勿論、嘘である。
これは、ノーグルスタチカが段階的に情報を聞き出すための策の1つであり、ニコが現在の彼女の質問に答えたとしても、引き下がる気はさらさらない。
ニコは少しばかり逡巡しながら口をもごつかせていたが、やがて観念した。
ノーグルスタチカは、ニコの表情を読み取って、勝ったと思った。
だが、次にニコの口から放たれた言葉は、彼女の顔を正座する老人と同じぐらい青ざめさせる。
「ノグチさんの匂いが、甘くて果物みたいで、美味しそうだったので、その、舐めたり噛んだりして、いました……」
ノーグルスタチカはすがりつくニコを振り払い、窓に向かって一気に走り込み、窓を突き破った。
「ノグチさん!?」
ニコの言葉の一節すら理解できないと考えた彼女は、命の危機を感じた。部屋が2階にあることを忘れさせる程の恐怖は、彼女に衝突の痛みを忘れさせる。
庭の地面に叩きつけられてもすぐ様起き上がり、彼女は教会の表門に回って、村の誰かに助けを求めた。
「助けてえ!! 犯されるう! 変態に犯されるううぅ!!」
迫真の叫び声に、小さな村は一気に騒がしくなった。