2話
ニコはひと言でいうなら馬鹿である。
交渉事で駆け引きするような考えはできないし、悪巧みもできない。
思いついたことをすぐに口に出したり行動に起こしたりしてしまう。
しかし、彼女は馬鹿であっても悪人ではない。
物事に一生懸命取り組み、他人を想い、誰かの役に立ちたくて動こうとする人間である。
だが、彼女の努力はこれまで実を結んだことはなかった。
持って生まれた要領の悪さは、いくら注意しても治らなかった。
両親は彼女に熱心に勉強を学ばせていたが、中々彼女の身に入ることはなかった。
徐々に娘の教育に熱が冷めていく両親を見て、彼女は落ち込み、自らの物覚えの悪さや要領の悪さに悲観していた。
それでも周囲の役に立とうと、笑顔の仮面を被り続けて、今を生きている。
「あー、えーっと。私はニコって言います! よろしくお願いします!」
「え? ああ。私はノーグルスタチカ、よろしくー」
一間の沈黙がノーグルスタチカとニコの間に渡る。
「ノ、のーぐる……」
「ノーグルスタチカ。あ、ノグチで良いわ。この長い名前で呼ばれるのは私も好きじゃないから」
「ノグチ……はい、ノグチさん!」
「……で、ニコさん。何の用?」
「えっと、ノグチさんは今日ここにいらしたばかりですよね? 私、村長、お父さんに、村で採れた食料のお裾分けと、後、良ければ食事を作ってあげなさいって言われて……」
「良いね。食べる。是非。作って。正面に回って来て」
「は、はい!」
ノーグルスタチカは歓喜した。
この村は自動で食料を届けてくれるだけでなく、食事まで作ってくれるのかと喜んだ。
顔に出して喜べば卑しい女だと思われかねないと、彼女は真顔で接した。
そして、ニコが教会の正面口に回る様子を見届けてから、一気に加速した。
彼女は部屋を飛び出て、礼拝堂に出る階段を一段とばしで駆け下り、着崩した服を直しながら、扉を開けたニコを出迎える。
色とりどりの野菜や肉が入った荷車を引いたニコは、教会の貯蔵庫の場所を知っているため、勝手に届けてくれた。
自分の手間が省けたことにノーグルスタチカは更に心を喜ばせた。ニコという女は、自分にとって都合の良い女にできるのではないか。彼女の悪知恵は軽やかに踊り出していた。
「食料はここに入れておきますね。それと、各部屋の案内は必要だったりしますか?」
「……ニコ。貴方、手が空いているなら私と一緒にここで働かない?」
「え……えっ!?」
既に彼女の魔の手がニコに迫っていた。
彼女はニコを自分の手駒にしようと甘い声で囁き始めた。
そして、ニコの手を取り、偽の笑顔を作って彼女に良い印象を与えようとした。
「ひと目見てビビッと来たの。ニコが私の手伝いをしてくれたら、きっと私はぐうたら……いえ、教会がすぐに元通りにできるって思ったの」
「え、でも、私、お父さんの手伝いが」
「勿論、無理にとは言わないから。でも、これだけは知っておいて。女一人でこの建物を管理するには、寂しいってことを。1人は心細くて……私……ぐすっ」
「ええ!? 泣かないでください、ノグチさん!」
手で顔を覆い隠したノーグルスタチカの下には、悪魔のような笑顔が浮かべられていた。
村長の娘なら金は持っていそうだし、それなりに裕福な家庭だろうと察した彼女は、ニコと仲良くしない手はないと考えた。
彼女は顔立ちは整っている上に、髪は毎日手入れしていることが分かるぐらい綺麗な金髪であった。
服装に関しては、ここが辺境の村であることを加味すると、致し方ない見た目かもしれない。それでも白っぽい上服の袖口に、あえて膨らみをつけるようなひと手間や、素材がしっかりとしていそうな張りのある青いスカートは、決して格安で買えるものではないことは分かるだろう。
自分のより良い怠惰暮らしのために、彼女と絶対仲良くする必要が出てきて、ノーグルスタチカは俄然やる気が出た。
だが、上昇し続けた彼女の気分は、食事をする頃には大分下がってしまっていた。
ニコは包丁の一刀目から指を切ってしまい、食料が血で塗れてしまう。
スープを作るのにも、熱い鍋に素手で触り火傷をしてしまう。
見かねたノーグルスタチカが、ニコの代わりに料理をする羽目になった。彼女は料理などしたことがないため、最悪の結果を想像したが、ニコの指示のもと何とか作り上げることができた。
当然、味も見た目も微妙な出来だった。
「す、すみません」
「良いのよ。それより怪我は平気?」
「はい、怪我はしょっちゅうしますから大丈夫です」
「それは平気とは言わないでしょ……」
両者とも暗い雰囲気を払拭するために、話題を切り替えようと躍起になった。
ノーグルスタチカの場を読む会話と、ニコの明るさで案外簡単に会話は弾んだ。
「ノグチさんの料理、美味しいです!」
「ふっふっふっ、私の手にかかればこれぐらいどうってことは……いや、結構大変だったかも」
「ふふ、ノグチさんって面白い方ですね」
「はー良く言われる」
外はすっかり暗くなり、蝋に灯した明かりが食堂を照らしていた。
2人の会話はしばし続き、互いの素性を詳しく知ることになる。
ノーグルスタチカの髪色は父親譲りの黒で、この地域では珍しい髪色である。
背は18歳の女性にしては高めであり、スタイルは良く見えるはずだが、どうしてか覇気がない。
当然、彼女は本心を明かすことはせずに、あくまで建前は教会の再建のためだと述べている。
ニコの年齢は16歳であり、生まれも育ちもイシズ村である。
何をしても上手くいかないニコが、唯一自信を持って自慢できるとこは占いであった。
当然ノーグルスタチカは気になって、ニコに自分を占うように言った。
何か大層な道具でも出てくるのかと彼女は期待していたが、ニコは懐やポケットから何も出すことはなく、手のひらを彼女の胸辺りにかざしてじっと見つめ始めた。
「まじまじと見られると恥ずかしいわね」
「んー、分かりました!」
「え、嘘くさっ」
「え?」
「い、いや、何でもないわよ! 続きを教えて」
「近い内に災難に遭うかもしれません! あ……すみません……悪い占い結果なのに……」
ニコは占いの結果を楽しげに語ってしまい、途中で我に返る。
一方ノーグルスタチカは、ニコの占いを全く信じる気にはならなかった。
手をかざして顔を見るという方法だけで、しかも即座に占いの結果が出てくるとなれば、信じろという方が無理な話である。
それでもこの会話が後味の悪い終わりにならないように、彼女は占いの結果にあえて食いついた。
「悪い事が起きるって分かっているなら、対策はできないの?」
「できません!」
「できないのかい! ていうことは、私はただ怯えて凶事を待つだけしかないのね……」
「すみません……」
ノーグルスタチカは、ニコの、会話をするたびに一々謝る行為が気に障った。正確には、ニコが謝るたびに申し訳なさそうにしている様子を見るのが嫌だった。
まるで自分が叱っているような気分にさせられるのが、彼女には苦痛だった。
故に彼女はニコに言い放った。
「ニコ。貴方、これから謝るのは禁止」
「ええっ」
「とにかく、これから私に謝ることは禁止よ。良い?」
「わ、分かりました」
こうして、中々話が盛り上がらないまま、2人の食事は終わってしまった。
ニコと分かれたノーグルスタチカは、微妙な雰囲気のまま眠りに就くことになる。
1人になれば、せめて眠りぐらいは安らかに就けるだろうと信じて、彼女は寝室の灯りを消して、目蓋を閉じた。
しかし、眠りが深くなって、せっかく自重で閉じられた彼女の目蓋は、すぐに他者によってこじ開けられた。
「……」
「……あの」
ノーグルスタチカは、突然身体に重さと息苦しさを感じた。まるで誰かにのしかかられているような感覚は、彼女の身動きを鈍くさせた。
苦しいのに身体が動かせないもどかしさにどうにか対抗しようと、彼女は必死に目蓋を開けようと、意識で身体の覚醒を促そうとした。
そして、ようやく開けられた目で見えた天井の景色には、人が紛れ込んでいた。
見知らぬ老人が、1人の女の部屋で彼女を見下ろしている。その事実は、彼女の意識を一気に覚醒させるには十分であった。
「ひえっ」
「やっぱり、儂が見えているのか。ああ、怖がらんで欲しい。驚かせるつもりは決してないぞ」
怖がらない方が無理な状況にそのようなことを言われては、彼女はツッコミを入れざるを得なかった。
しかし、胸元が重くてどうしても声を出すことができなかった。