1話
「ノグチさーん! これは誤解です! 誤解なんですう!!」
「誤解な訳あるか変態!」
下着姿のニコは布を頭から被らされ、両手を紐で縛られて自警団に連行されて行った。夜中であることを考えると、より一層彼女の不審者感が増して見えるだろう。
「いつかやると思ったよ……」
「詰所で理由を聞くから、さっさと来い!」
「ノグチさーん!! ノグヂざーん!!」
生きた人間の方が怖いと思う時が来ようとは、ノーグルスタチカでも予想はできなかった。
「すまんのう。まさか儂の孫がああまで頭がおかしいとは思わんかった……」
連行されるニコを見送る間に、声をかけてきたのはノーグルスタチカの隣にいるニコの祖父、クリフだ。
自分が話しかけられているのであれば、ひと言でも返しておかないと、故意に無視されたと思われて気まずい雰囲気になる可能性はあったが、今の彼女は周囲に人がいる状況でクリフに返事ができなかった。
もし、返事をすれば周囲の人が彼女に対して、奇異に思う視線を浴びせるからだ。
なぜならクリフは既に死んでいる。彼女はこの村に来て最初に、村を訪れるように招待してくれた村長のクリフが病で死んでしまったことを、新しい村長に教えてもらったからだ。
彼の肌は青白く、身体は透けて見えていて、ほんの僅かだが発光している。
声の聞こえも明瞭で、透けていることを除けばギリギリ生きている者だと思い込むことができてしまう。それ程彼の姿形は、はっきりと彼女に見えているのだ。
ノーグルスタチカはこの男が幽霊であると確信していた。そして、幽霊が見えるようになったのは、ニコが関わっているとも考えていた。
ことは5時間前に遡る。
「ふっふっふっ、ちょろいわね」
ノーグルスタチカは辺境の村イシズでの教会で、一国一城の主となったことに喜びを噛み締めていた。
神に祈りを捧げる場でもあるに関わらず、彼女は足を投げ出しながら長椅子に座って天井を見上げてほくそ笑んでいた。
「適当に働いていてもお金が貰えるなら、私の人生は安泰よ。せっかく成人になったことだし、祝杯でもあげようかしら」
ノーグルスタチカは小賢しい女である。
どれだけ人生を楽に生きられるかに情熱を燃やし、強い者には媚びへつらうことを良しとする。
彼女には弟と妹がいる。
弟妹は彼女の堕落した姿を見て反面教師にしていた。おかげで2人は立派に育とうとしている。
家はさほど裕福ではないため、弟が学校に行き、学んだ内容を妹に教えることをしているが、2人とも熱心に勉強していた。姉のようになってはいけないという思いが2人を強く育てさせた。
良くできた弟と妹の姿を目にして、彼女は腕を組み頷き、自分の将来は今後安泰であると安心していた。
ノーグルスタチカが18歳になった時のことだ。誕生日と共に彼女は父に引導を渡された。
「アッシュとステラは既に将来を考えて熱心に学んでいるというのに、お前は18になっても家で寝転がっているばかりじゃないか! 外に出て働け! 仕事が見つかるまで帰ってくるな!!」
彼女は焦った。
突然、盤石安定の居城で反乱が起きて、都落ちした感覚に陥った。
父と弟と、どこかに嫁ぐであろう妹の食い扶持を当てにしていた未来の彼女の財産が、突然無に帰してしまったのだ。
家からつまみ出された彼女は、一度も受けたことがなかった対応に、父が本気であることを悟った。
仕方なく彼女は考えて考えて考え抜いた。
家を追い出された以上、生きるためにすぐにでも金は必要だ。
最も早く楽に暮らせる手段は、金のある家に邪魔をさせてもらうことだ。
しかし、残念ながら彼女には、裕福な家の伝手はない。
高家に見初められる程飛び抜けて美しくもなかったため、ハニートラップやナンパ紛いのことをしても、簡単に事は運べないだろうと考えた。
そこで彼女は、貧しい者の味方である教会に転がり込むことにした。
彼女は信心深い訳ではないが、時間を持て余していたが故に、よく教会を訪れており神父とは仲が良い。
しかし、その交流のおかげで彼女の内面を良く知っている神父は、悪魔にも似た怠惰で邪悪な娘を教会に置いておきたくないと考えていた。できるなら即座に追い払いたいと思っている程だ。
しかし、教義を守り、救いを求められたら応えるべき立場にいる彼が、正道に反することを堂々とできる訳がなかった。
幾ら心が腐っている娘でも、救いの手を求められたら差し伸べるべきである。それが神に仕える者としての責務であり、人として行うべき義務であると、彼は信じていた。
そこで神父は彼女に1つの提案を行った。
「イシズという村の教会には今、管理者が誰もおらんのだ。良かったら、君が管理してみないか? そこで善き行いをして、村民の信頼が得られて評判が良くなれば、正式に聖職者の道へ歩めるかもしれん」
建前上は、次の司祭が決まるまでの一時的な教会の管理人という話であったが、ノーグルスタチカは快諾した。
ではなく、建物を維持する管理人であるため、正式に給金が出るという話は彼女にとって願ってもない事だったからだ。
彼女は神職を楽な仕事だと思っていた。
もし自分が聖職者になったとしても、祈りを捧げる以外はほとんど暇でやることがないだろうし、信仰者の懺悔を聞くにしても適当に相槌を打っていれば、どうにかなると思っていた。
彼女にとって、断る理由が一つもなかった。
神父は、ノーグルスタチカが女であることを伏せつつ管理者の提案について、上級の司祭たちに一筆したためた。
意外にも事は早く進み、あれよあれよという間に彼女が教会の管理者となることが決まった。
新たな神父がイシズ村を訪れないことには理由があるのだが、それを神父が彼女に打ち明けることはない。彼女を早く追っ払いたかったからである。
「埃くっさ」
教会の奥には神父が生活する部屋がある。
そのうちの寝室は大変質素であった。衣服を収納する二段チェストと小さな机、後は小さめのベッドが一台あるだけだ。
彼女が机をなぞるだけで、溜まった埃が指に付着して机に模様ができる。
ベッドも同じような状況であることはすぐに察せられたので、彼女はすぐに一つだけある窓を開き、ベッドのシーツを外ではたいた。
その間、彼女は妙な気配を感じた。誰かに見られているかのような気配である。
部屋の掃除を止めて周囲を確認するが、視線のもとを発見することはできなかった。
「んー……ま、気のせいか」
彼女は楽天家である。
幼い頃に、子ども特有の可愛げを活用して、近所のおばさんおじさんかお菓子や玩具を貰った経験は、彼女を能天気な性格へと誘った。
甘い成功体験をもとに、更に甘さを求めて研究を重ねた結果彼女は、時と場面と人、それらの条件を見極め、状況に合う言葉で頼めば、望むものを与えられると思うようになった。
以来彼女は、危険に対する反応が鈍くなってしまった。
意外と物事は簡単に動くと思い込んでしまったからである。
18歳になっても無事で生きていられるのは、彼女が天性の人たらしであることが寄与している。
能天気かつ愛想を振り撒く性格は、本来なら敵を作りやすいが、彼女は幼い頃のものねだり研究のおかげで、人を見て自分を演じ分ける能力を身につけている。
程々に埃を外に出したノーグルスタチカは、早速昼の惰眠を貪ろうとした。
ベッドは元の使用者の香りが若干感じられる。彼女はその匂いを嗅ぎ取り、所有感を刺激させた。自分の部屋になるのに、自分以外の匂いがあることを気にしたのだ。
彼女は、後で村の誰かに頼んで、新しい寝具一式を用意させてやろうと企みながら目を閉じた。
「あのー」
せっかく昼寝ができると思っていた彼女に、開きっぱなしの窓の外から声がかかった。
その声の主が、ニコという名の少女であった。