第48話 誰のために
ルーペアトとウィノラが部屋を出て行った後、客室は異様な空気が流れていた。
それはこの三人で会話をするのが初めてというのもあるが、何よりこれから話す内容が重要なことだからだ。
「…じゃあ黒幕は誰だった?」
「ヴィズィオネアのミラン皇太子殿下だ」
「それはかなり困ったね」
ティハルトは黒幕がミランだと知ってかなり困ってしまう。この問題を解決するにあたって、同等かそれ以上に交渉出来るのはティハルトしかいないからだ。
元々はリヴェスはミランと同じ身分になるわけだが、皇族出身というのは隠しているし、身分も公爵になっている。
「ノーヴァは知ってたのか?」
「知ってたよ。英雄を探すように依頼して来たのは彼だから」
「それはいつだ」
「英雄が誕生した三年前だよ。英雄の存在をハインツに広めると同時に、探すことを依頼されたのでね」
三年前から探していたのに今見つかったということは、やはりルーペアトがロダリオ公爵夫人になってしまったからなのか。
この契約結婚を提案したのはルーペアトだが、その時はこうなると全く考えていなかったはずだ。自分が英雄だと言われていることに気づいたのも、リヴェスと結婚してからだった。
「報酬が良かったからすぐに探していたけど、簡単には見つからなかったよ。彼に英雄は赤髪じゃなく金髪だって言われなかったからね」
「そうか」
ルーペアトがハインツの端で暮らしていたからというのもあるだろう。ルーペアトが成人になるまで夜会にも出席させなかったわけだし、尚更見つけることは困難だった。
「ならミラン皇太子は英雄が彼女だと始めは気づいていなかったのかな?本当に探したいなら赤髪だと言わないだろうから」
「その可能性もあるが、皇族だと知られたくなかったのかもしれない。ルーが英雄で皇族だと知られると、ミラン皇太子殿下の立場が悪くなるからな」
「国民の支持が英雄に行ってしまうからだね」
ミランのルーペアトに対する態度が最悪なものだった。人を道具の様に考える人間が皇太子として過ごし、次期皇帝になるとは信じられない。
ヴィズィオネアの環境は一体どれだけ悪いのだろうか。
国を治める者は国民が安全に暮らせることを最優先に考えなければならない。そうでないと国民が何かを作ることも出来ず、経済も回らなくなり餓死する者も増え、国民は減る一方だ。
それなのに、ヴィズィオネアでは女を治療所で働かせ、男を戦場に行かせる。そして他国で物を奪い皇族は私腹を肥やしていた。
そんなやり方は間違っている、あってはならないことだ。
「ヴィズィオネアに人を送る。それで暫くは様子を見よう」
「何かあった時のために最低限は準備しておかないとね」
リヴェスは部下に情報収集をしてもらうことにした。ヴィズィオネアにリヴェスの知り合いが居るし、何かしらの情報を得られるのは確実だ。
その間にヴィズィオネアがハインツに攻撃を仕掛けて来ることがあれば、被害を出さないよう抑えられる準備だけはしておいた方が良いだろう。
出入国管理ももっと厳重にして、警備の人員も増やす。
「後、ノーヴァも気づいていると思うが、ルーはヴィズィオネアの皇族だ。このことは絶対に他言しないでくれ」
「言われなくてもそのつもりだよ」
「お前は…リオポルダ男爵令嬢のためなら何でも聞くんだな」
「どうだろうね。それならリヴェスも彼女のためなら何でも聞くんじゃないの?」
「それは…そうだな。俺が言えることじゃなかった、悪い」
リヴェスとノーヴァの会話がぎこちなく、気まずい空気になってしまった。
そのためティハルトは手を軽く叩いて場を収める。
「会議は終わり!君は帰るのかい?夜も遅いし部屋は用意出来るけど…」
「僕は帰らせて頂きますよ。ウィノラは泊まるでしょうから、朝に迎えに来ます」
「わかった、気をつけてね」
「では失礼」
ノーヴァは話が終わってすぐに部屋を出て行った。
その後ろ姿を見ていたリヴェスは、聞きたいことがあって後を追い掛ける。
「ちょっと行って来る」
「うん、…え?」
ティハルトは部屋に一人残されてしまった。この後リヴェスにはルーペアトに剣を授けた理由を自分からも説明しようとしていたのだが。
弟の珍しい姿が見られたから良いかと、今日話した内容を紙に纏め始めた。
ノーヴァの後を追ったリヴェスは声を掛けて引き止める。
「ノーヴァ」
「何で追い駆けて来たんです?」
「聞きたいことがあるんだ」
声を掛けるも、ノーヴァはリヴェスを見ることなく答えた。
リヴェスは息を整え、ノーヴァの背中真っ直ぐ見据えて口を開く。
「ルーの正体を黙っていたのは本当にリオポルダ男爵令嬢のためなのか?」
「そうだよ」
「俺のことが嫌いなら、ルーのことを公にした方がお前にとって得だっただろう」
ノーヴァは振り向かないまま、少しの沈黙の後静かに口を開いた。
「…じゃあどうして僕がリヴェスの正体を明かしてないと思ってるんです?」
「……わからない」
「前皇后が愛想を尽かして夫を殺し、その後自害した。この記事を書いたのは僕ですよ」
それは八年も経って初めて聞く。ティハルトに両親の死因はそういうことにして、記事を書いてもらったと言っていた。
その相手がノーヴァだったとは。
「そうだったのか…」
「僕がリヴェスの正体を明かしてない理由は、よく考えてみることですね」
衝撃の事実にリヴェスは呆然と立ち尽くしてしまう。
ノーヴァは一度もリヴェスの方を見ることなく、その場を去って行った。
皇宮を出て自分の愛馬に跨ったノーヴァは、八年前にティハルトと交わした会話を思い出しながら走り出した。
ノーヴァが仕事をしていれば、ティハルトが自ら商会へとやって来たのだ。
『この内容で記事を書いて欲しい』
『どうして僕なんです?ここは新聞屋じゃありませんよ』
『でも君なら書いてくれるだろう?それに、君はこのことを他言しない、違うかい?』
ノーヴァはティハルトの言葉が本心を知られているようで、少し怖かったのを覚えている。
『……そうだと思ってもう記事は書いておきましたよ』
頼まれるまでもなく、最初からノーヴァはそのつもりだった。しかも、死因は全く同じ理由で。
皇宮での事情を知っていたノーヴァは、この理由で亡くなったことにするだろうとわかっていたのだ。
書かれた記事を読んだティハルトは頷いてノーヴァに微笑む。
『さすがだね。君は本当にリヴェスが…――』
ノーヴァは馬を止めて後ろを向き、もう見えなくなった皇宮に呟いた。
「…リヴェスは何もわかってない」
そう呟きながら悲し気な表情を浮かべた後、すぐに馬を走らせ商会へと帰って行った。
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次回は火曜7時となります。