第32話 ハインツに潜む影
飲み物を取りに行っていたリヴェスは、元の場所にルーペアトが居ないことに気づき辺りを見渡す。
誰かに連れて行かれたのかと心配になったが、幸いなことにルーペアトはそれほど離れてはおらず、すぐに見つけることが出来た。
(…良かった)
しかし、どうやら令嬢と揉めているようで、ルーペアトが庇っているのは平民出身のリオポルダ男爵令嬢だ。
リヴェスは状況をすぐに理解した。令嬢が平民出身だから悪く言われていたのをルーペアトが助けに入ったのだと。
(相変わらず正義感が強いな)
街で少女が誘拐されそうになった時もそうだったが、ルーペアトは悪事に厳しいなとリヴェスは思った。
正義感をただ持っているだけでは出来ることが少ないが、ルーペアトは人も自分も守れる力があるからこそ、多くの人を救うことが出来るだろう。
治安を維持するのが仕事であるロダリオ家にとって、ルーペアトの存在はとても大きく必要不可欠だ。
だがそれも期間限定なもの。いつかはルーペアトと離婚し、新たな相手を見つけなければならない。そうしなければ、他に治安を維持出来る家門がいないからだ。
皇宮騎士団とは別に騎士部隊を持つのはリヴェスだけである。そのためロダリオ家はなくしてはならなかった。
(ずっと居て欲しいが契約だからな…。それに、ルーは自由に生きる方が向いてそうだ)
元々は平民で貴族という身分にも囚われることなく生きていたのだから、今の貴族の生活が堅苦しいに違いない。
一人で問題なく生きていけるのに、街には一人で出歩けないし、たまには社交界にも出なければいけないのは辛いだろう。
こんな生活から解放してあげるために、ルーペアトの資金が出来るだけ早く貯まるように手を貸してあげたい。
例えどんなに惜しくても。
(助けに行かないとな)
うっかり勇敢なルーペアトの姿に見惚れながら考え事をしていたら、助けに入るのを忘れてしまっていた。
傍に行こうと歩き出したところで、令嬢がルーペアトに向かってワインを掛ける勢いだ。
(早く行かないとドレスに掛かりそうだ)
ルーペアトは今回のドレスをとても気に入っている様子だった。ワインが掛かっても目立たない色のドレスではあるが、汚れてしまったら相当なショックを受けるはずだ。
そう思って歩く速度を上げたが、心配は杞憂に終わった。
ルーペアトに向かって掛けられたワインは、いとも簡単にルーペアトの手によって弾き返されたのだ。
その動きはとても素早く、並大抵の人間が出来る動きじゃない。
(一体どんな訓練を受けたんだ?)
驚きもしたが、驚くよりさすがだなと称賛の気持ちが先行し、笑みが溢れた。
ルーペアトが平民育ちなのは知っているが、どうして剣を扱えるのかは知らない。父親に教えてもらったのか、または別の理由があったのか。どちらにしろ相当な鍛錬をしていたことは間違いない。
「剣に付いた血を振り払う様な手捌きだったな」
「はは…見られてたんですね」
ルーペアトは目を逸らして気まずそうにしていた。剣の腕前についてもルーペアトはあまり話してはくれないが、一体どれほどの腕前なのか気になった。
前にジェイがルーペアトと手合わせしてみたいと言っていた理由がわかった気がする。
肝心な令嬢はというと、リヴェスの顔を見るや否やすぐに立ち去って行った。あの令嬢は前から高慢な態度が問題視されている令嬢だ。
何度か両親に忠告はしていたが、まだ直っていないところを見るに未だ甘やかされているのだろう。
今回のことで懲りて落ち着いてくれると良いのだか。
(さすがに次また何かあれば、何もしないわけにはいかないな)
また何かあった時は、それ相応の処罰は受けてもらわなければならない。
リオポルダ男爵令嬢もルーペアトも、もう全く令嬢のことを気にしていない様子だったが。
何ならリオポルダ男爵令嬢はルーペアトに夢中だ。目を輝かせてルーペアトを見ているのが、リヴェスにもわかる。
(貴族の友人を作る良い機会か…?)
ルーペアトが友達を欲しいと思っているかはわからない。ルーペアトの元々の侍女に対してそうだったように、人をあまり信用しない人だ。
すぐに信用は出来ないかもしれないが、リオポルダ男爵令嬢なら同じ元平民同士で話も合うだろうし、心配はない。
リヴェスはリオポルダ男爵令嬢とは少しだけ交流が過去にあり、恩人を簡単に裏切ったりしないことはわかっていた。
だから、ルーペアトの最初の友達にはうってつけというわけだ。
そうしてルーペアトにリオポルダ男爵令嬢と話すことを勧め、リヴェスはティハルトの元へ向かった。
「……兄上、お疲れ」
ルーペアトにティハルトを愛称で呼ぶのを尽力すると言ったものの、迷った結果出たのはいつも通りの呼び方だった。
「あれ?今日は来ないと思ってたのに」
「ルーはリオポルダ男爵令嬢と話してる。友達が出来ればと思って」
「そっか。二人とも元平民だからだね」
ティハルトは夜会など、社交の場が苦手なわけではないが、皇帝が居れば皆の気が休まらないだろうからと、すぐに会場から去ってしまう。
その後、大抵は客室で政務をしている。
「丁度良かった。リヴェスに調べて欲しいことがあるんだ」
「何かあったのか?」
リヴェスはティハルトの向かいの席に腰を下ろしながら話に耳を傾ける。
「最近ヴィズィオネアの商人が来る人数も頻度も増えて来ているんだ。それがただ物を売り買いに来ているだけなら良いんだけどね…」
「中に商人ではない者が紛れて、ハインツで何かしようと企んでいるかもしれないな」
「そう。だから入国体制を厳重にして、出来たら商人の行方や目的も調べて欲しい」
「わかった」
こうしてティハルトに仕事を頼まれることはよくある。人の行方を調べたりするのは皇室の影であるリヴェスの役目だ。
皇宮騎士団を使うのは危険なため、リヴェスの部下を使う。
リヴェスの部下には貴族だけではなく、平民も何人か居るため、街について詳しい者が多い。
気づかれにくいという点もあり、人を探したり調べるのに良い人材なのだ。
「僕の方でも少し探ってみるよ」
「…兄上…は―」
「さっきから呼び方どうしたの?」
呼び方を気にし過ぎたせいで不自然になってしまい、ティハルトに不審がられてしまった。
悩んだ末、リヴェスはルーペアトに言われたことを話す。
「…実はルーに兄上を愛称で呼んであげて欲しいとお願いされた」
「おお!それは遠慮せず呼んで欲しいな」
「それが…中々呼べないんだ」
「砕けた口調で話せるのに?」
「それは…まあ…」
敬語だとティハルトが遠い存在の様に感じるから、少しでも近く感じられる様に砕けた口調で話すようになった。
しかし矛盾しているが、それでも敬愛を示す相手だからこそそんな風に接してはいけないとも思っている。
ずっとそう思っていたが、ルーペアトに愛称で呼んであげられるのはリヴェスだけだと言われ、納得した自分がいた。
ハルトと呼んで欲しいというティハルトの願いを叶えられるのはリヴェスだけなのに、呼んであげなくて良いのかと。
自分しか居ないなら呼んであげるべきだ。
「ほら、早く早く」
ティハルトはとても楽しそうだった。
でも急かされれば何だが呼びづらいし、呼びたくなくなりそうだ。
「……ハルト」
「ああっ!リヴェスが!初めて僕の名前を…!」
「賑やかな…」
思わず立ち上がったティハルトはとても嬉しそうだ。
その姿を見れてリヴェスも嬉しいが、とにかく恥ずかしい。
「もう一回言って!」
「今は言わない」
「リヴェス顔赤い、照れてる?」
「……帰る」
「ごめん!からかい過ぎたよ、嬉しくてつい…」
ティハルトがこんなに騒ぐのは珍しい。それほど嬉しかったということなのだろうが。
謝られたとはいえ、またからかわれるような気がする。
(もっと早く呼んであげるべきだったんだろうな…)
自分の名前を考えてもらった時に呼び方を変えていれば、今こんなに恥ずかしくなることもなかっただろう。
あの時はまだ子供だったというのもあるし。
「結構時間経っちゃったね。リヴェスはもう戻らないとか」
「ああ、もう行くよ。何かわかったことがあったらまた来る」
「よろしくね」
それからリヴェスはルーペアトを迎えに行くため、客室を後にした。
ティハルトを愛称で呼べたものの、心臓が驚くほど速く動いている。
(心臓に悪いな…)
だからといって愛称で呼ぶのを辞めることは出来ないが。一度呼べたのだから、次からは楽に呼べると信じたい。
(ルーは仲良くなれただろうか)
二人がたくさん話せるように、リヴェスは少し歩く速度を落としてゆっくりと向かった。
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次回は日曜7時となります。




