インテリマフィアのオルゾさん少女を連れ帰る3
数段の階段を上がってオルゾ会計事務所の扉を開ける。機能的で清潔なイメージを与える受付は無人であったが、奥からすぐに溌剌とした女性の声がかかった。
「おかえりなさい、オルゾさん!」
茶色の長髪が揺れる。
仕事中であり、パソコンに向かっていた新入りの女性職員であるカンディータが立ち上がって、オルゾの帰還を出迎えたのだった。
「渋滞大丈夫でした?」
「ダメだ、引き返してきた」
オルゾは首を横に振った。
「わあ、お疲れ様です。エキーノさんとは会えましたか?」
「ああ、あいつは走ってこっちに戻ってきている」
「わあ……」
そしてカンディータの視線が横にずれる。びくりと驚いたようにその瞳が見開かれた。
ラファエラはオルゾに続いて扉をくぐり、彼の背後にいたために気づくのが遅れたのだろう。ラファエラが前に出てオルゾの横に立ったために視線が合ったのだ。
「オルゾさんが女の子を誘拐してきた……!」
「ブッ殺すぞ」
つい先ほども言ったような言葉を口にし、オルゾは奥の所長室へと向かう。そして振り返って言った。
「カンディータ、菓子でも出してやってくれるか」
「はい、少々お待ちくださいね」
「ああ、別に急ぎじゃあない」
カンディータは一旦、デスクに向かう。
オルゾは所長室へ入ると、応接用のソファーを指差して言った。
「そこに座って待ってろ」
そして上着を脱ぎながら奥へと向かう。ラファエラは問うた。
「あなたは……?」
彼は首元に指を差し込んでネクタイを下ろす。
「着替えてくるんだよ。お前に汚されたスーツをな」
ラファエラはこれ以上、藪蛇にならないよう口を噤んだ。
オルゾは部屋の奥にある扉を開けて中へと入っていった。私的なスペースがそちらにあるようだ。
ラファエラはソファーに腰を下ろす。思ったよりソファーが柔らかかったのか、ずるりと身が沈み、ころりと転ぶように背もたれに身を預けた。
「にゃ」
その動きに驚いたのか向かいのソファーの上に寝転がっていた灰銀色の塊が抗議の声を上げるかのように鳴いた。
それは一匹の猫であった。
「……猫ちゃん」
ちちち、と舌を鳴らしながら指で誘おうとするが、猫はそんなものには釣られませんよ、というようにぷいと顔を背ける。
ラファエラはぬぬぬと唸りながら身を乗り出し、ローテーブルに逆の手をついて伸ばした手で誘う。しかし猫は鬱陶しそうに尾で指を叩き落とした。
音を立てないようおもむろにソファーから身を起こすと、ローテーブルを回り込むように近づこうとする。
しかし猫は慌てる素振りもなく、近づかれたのと同じだけ距離をとった。
「ぬぬぬ」
レスリングのタックルのように中腰になり、これは勢いをつけて飛び掛かるべきかとラファエラが悩んでいると、奥の部屋の扉が開いた。
「うちのフラーゴラにちょっかいかけるんじゃない」
先ほどまではチャコールグレーのスーツに白のシャツ、メローラの青のネクタイと、割とかっちりとした着こなしであった。しかし今はライトグレーのスーツとロイヤルブルーのシャツに着替えてきたため、だいぶ印象が軽くなった。
彼はラファエラを座るよう促すと、猫をひょいと抱き上げてその向かいに座る。
「フラーゴラちゃん?」
ずいぶんと可愛らしい名前をつけたんだなとラファエラは思う。
「ああ。彼女にバカが感染ったら困るからな」
「感染らないわよ!」
「バカの方を否定しろよ」
ノックの音。扉の向こうで聞いていたのか、カンディータが笑いながら部屋に入ってくる。
手にした盆には湯気をたてる紅茶と色とりどりの……。
「アマレッティ?」
「マカロンですよ」
ラファエラが尋ね、カンディータが答えた。オルゾはそのやり取りに僅かに違和感を覚えた。
皿の上の小皿にはそれぞれ3つずつのマカロンが載っている。オルゾには色を見ただけで分かる。黄色とピンクと焦げ茶色なので、シトロンとフランボワーズとショコラだろう。ちなみに贔屓にしているダロワイヨのマカロンであれば、似たピンクでも日本のあまおうとフランボワーズの色の違いや、緑なら抹茶とピスタチオ味の違いですら分かるものだ。
そこまでは別としても、これをアマレッティだと?
「ふむ……。カンディータ。お前も幾つか持っていって休憩を入れると良い」
「ありがとうございます」
オルゾは話しながら考える。
アマレッティはマカロンの原型ともなったと言われるイタリアの伝統菓子で、確かにどちらも卵白と砂糖とアーモンドが原材料ではあるし、その形もよく似てはいる。
ただ、表面が滑らかで柔らかく、中にクリームを挟んだもの、それもカラフルなものは一般的にマカロンと判断するものではないか?
「フラーゴラも預かっていてくれ」
「はい」
「お仕事の邪魔をしないように行きましょうねー」
「なー」
オルゾの隣から灰銀色の毛の塊の下に手を差し込み、難なく持ち上げて部屋から出ていくカンディータの姿を、ラファエラはどこか羨ましそうに見送った。
「まあ、話の前に食えよ」
オルゾはラファエラに机の上の菓子を指し示したのだった。