閑話:ヴィテッロ組の終焉
「クソ、クソ、クソがっ!」
「ボス、落ち着いてください……」
黒塗りの車が走る車列。その中央の車の後部座席で老爺が叫んでいた。運転手の男はそれを落ち着かせようと声を発した。
「ポモドーロ! 応答しろ!」
ヴィテッロ組の首領、メルクリオである。
ナポリに派遣した腹心との連絡が取れない。また市内各所の部下たちも襲撃を受けていた。
襲撃者たちは恐るべき手際で、それも乱暴な手腕で捕らえていたロッセリーニの孫娘、ラファエラを奪還したかと思うと、メルクリオが反撃の指示を出す頃には海上に逃げ出していた。
追撃のしようもなかった。逆にまだ敵の雇われが市外に潜んでいるために逃走せねばならぬ有様だ。
「オロトゥーリア組のオルゾといったか。この借りは忘れんぞ……」
彼は今や手足を捥がれた虫同然であった。
だがこの街の裏を何十年も支配してきたのだ。このくらいの危機はあったし、隠した財産もある。隠れ家へと向かい、捲土重来を図ればいい。
だが、再び力を蓄えるまで老いた身が保つのかという不安と、そもそも復讐の成就直前で横槍が入ったことに怒りが収まらぬのだ。
車は郊外の山荘へと向かう。ここまで来れば安全である。ポモドーロが、暗殺者に仕立て上げた小娘がどうなったのか確認せねば。
しかし車から降りた彼を出迎えたのはゆっくりと落ち着いた、だが冷たき声であった。
「よう、ヴィテッロの」
「お前……オロトゥーリア組の!」
オロトゥーリア組の首領は、まるでここが自分の庭であるかのように悠然とそこに立っていた。
いっそ優雅にも見える所作で被っていた帽子のくぼみに手を当て、それを脱いだ。
それが合図であったのだろう。轟音が響いた。隠れていたのであろう彼の配下が銃火器を一斉にぶっ放したのだ。
それはメルクリオには一発も掠めることすらなかった。だが彼の乗っていた車は、そして彼の部下たちは反撃する暇も与えられず沈黙することとなった。
斉射が終わり、鼓膜の震えが終わった頃、いつの間にかオロトゥーリア組の首領の横には巨漢の男が跪いていた。
首領は今の惨劇が何もなかったかのような所作で帽子を跪いた男に預け、メルクリオに話しかける。
「ここがヴィテッロ組の終焉の地だ」
メルクリオには反論もできなかった。市内のヴィテッロ組の拠点や人員はオルゾという男の部下におおいに荒らされ、ポモドーロとナポリに送った人員も殺られたかそれに近い状態だろう。
そして今、メルクリオの傍に控えていた部下たちも失ったのだ。
「オロトゥーリアの。貴様……何の恨みがあって俺の邪魔を!」
老爺は叫ぶ。復讐のため何年もかけて仕込みをした。なぜそれが最後に覆されねばならないのか。
「恨みなどない」
オロトゥーリア組の首領は端的に答える。メルクリオの叫びは続く。
「マフィアってのは復讐するものじゃねえのか! 何が悪いってんだよ!」
「復讐か……」
首領は呟きを返す。
13世紀にシチリアの晩祷という事件があった。シチリア島パレルモで、当時シチリア島を支配していたのはフランス王族であり、その兵がシチリアの女性に暴行を働いたのだ。これに怒りを覚えたシチリアの住民が暴動を起こし、フランス系住民を虐殺したというものだ。
この時の暴動のスローガンが「フランス人に死を、これがイタリアの叫びだ!」であり、その頭文字を繋いだMAFIAがマフィアという組織の語源であるという説がある。
これは後世の創作であろうと言われているが、幾多の支配者に抑圧されたシチリアの住民たちにとって復讐とはその魂に刻まれているものなのだ。
「なるほど、マフィアとは復讐するものだ。それは間違いない」
「そうだろう! オロトゥーリアの!」
オロトゥーリア組の首領は重々しく頷く。
「メルクリオ、若きお前がナポリに進出しようとしてカモッラと手を組み、だがロッセリーニ卿に邪魔されたのは三十年以上昔のことだったな。その復讐の本懐を遂げんとするお前は、二十三年の月日をかけて復讐を遂げた巌窟王もかくやというものだ」
「そうだ、ならなぜ邪魔をした!」
オロトゥーリア組の首領はその表情に憐憫を浮かべる。
「なにが悪かったかがわからぬなら、やはりお前はマフィアではない」
そして手を横に差し出した。控えていた巨漢が恭しくその手の上に、黒光りする拳銃を置いた。
首領は銃口をメルクリオに向ける。
「やめろ! オロトゥーリアの!」
「罪なき女子供を復讐の手駒に仕立て上げたお前は名誉ある男ではないし、巌窟王には程遠いということだ」
「クソがっ!」
メルクリオは銃を抜こうと懐に手を入れた。無駄な動きとわかっていながら。
「さらばだ」
乾いた衝撃音が一つ。
首領の拳銃が煙を吐き出し、メルクリオの胸に赤い染みが広がった。老爺は膝をつき、そして地に臥せ物言わぬ骸となった。
オロトゥーリア組の首領は拳銃を男に返すと、代わりに帽子を受け取る。
そして岩陰や別荘の陰に隠れている部下たちに振り向きながら帽子を被った。
「さあ、愛しの我が町へ戻ろう。そして我が子を出迎えてやろう」
そして彼らは山荘を後にしたのだった。




