ハッピーエンド?
なぜか行われた記念撮影の後、トランクはその場で開けられて爆発物が入っていないことが確認された。
中には拐われた時に着ていたであろう衣服や鞄、財布などの一式が揃っている。
「ラファエラ、無くなっているものはないか」
オルゾが尋ねるが、ラファエラは緩く首を傾げた。
「……多分。ちょっと拐われたのが急な出来事すぎて、その時に何を持っていたか全部は思い出せないけど、あると思う」
然もありなん。例えば財布の中にカードが何枚入っているかなど覚えている人間はおるまい。
「じゃあいいだろう。行くぞ」
五人はポモドーロと別れ、リムジンに戻った。
ここからナポリまでは30km、一時間もせずに着く距離である。
「できれば全部買い換えろよ。スマートフォンなんかの電子機器もな」
車中でオルゾはトランクを指差して言う。
「盗聴器?」
ラファエラが答え、オルゾは肯定に頷いた。
「だがそれだけじゃない。今はそういうのにウィルスやらアプリやら仕込むこともできるからな」
「わかったわ」
「まあ、なんだ。頑張ったな」
オルゾは労いの言葉をかけた。
ラファエラははにかんで微笑み、残り三対の瞳が大きく見開かれてオルゾに向けられた。
「……何だよ」
「まさかそんな優しい態度をとられるとは」
「オルゾにも人を労る気持ちがあったのねぇ」
「お兄ちゃんも労ってくれない?」
「てめえらブッ殺すぞ」
ラファエラは声を出して笑った。
「まあそれはさておき、だ」
オルゾは言葉を続ける。
「お前の父親に連絡を取るぞ」
「うん」
ラファエラはもう動揺や緊張を見せることはなかったし、だが喜びを露わとすることもなかった。
オルゾは首領からの連絡に記されていたラファエラの父の連絡先に電話をかける。
「こんにちは、初めまして。こちらオルゾ、オロトゥーリア組のオルゾです。あなたがブルーノ・ロッセリーニ?」
電話には秘書ではなく、ラファエラの父本人が出たようである。
ラファエラの祖父がパオロ・ロッセリーニ。もう老いて屋敷に籠り切りではあるというが、ロッセリーニ侯爵にあたる人物である。その長男であり、ロッセリーニを継ぐ立場にあるのがブルーノ・ロッセリーニ。ナポリの財界の顔とも称される人物であり、それがラファエラの父であるのだ。
「ええ、成り行きではありましたがお嬢様を私が保護いたしまして。もちろん我々は彼女に一切の危害を加えていませんよ。それはお嬢様よりご確認いただければと思います。ええ、ええ……」
オルゾはしばらくの間ブルーノと話していたが、ラファエラの方に視線をやってスマートフォンを耳から離した。電話での愛想の良さそうな態度とは違い、仏頂面で彼女にスマートフォンを差し出す。
「お前の親父さんが声を聞きたいそうだ」
映画やドラマみたいなことってやっぱりあるんだなと思いながらラファエラはオルゾのスマートフォンを耳に当てる。
「パパ……?」
緊張ゆえか、少し掠れたような声が出た。彼女は軽く咳払いして再び声を放つ。
「パパ……、うん、ラファエラよ。わたしは無事。オルゾさんたちに助けられて、もうすぐナポリに着くわ。あと……」
アキッレーオが手で三と〇を示す。
「あと30分でナポリに着くわ。そうしたらもうすぐでしょう? うん、うん……ママは?」
その後、母親とも数分話し、電話はオルゾに戻された。
「はい、オルゾです。無事を確認いただけたなら幸いです。それではもうすぐお連れいたしますので。それでは失礼します。……ってことだ」
最後の言葉は電話を切った後に車内に向けられた言葉だ。
「良かったわね、ラファエラ」
ステラマリナがそう言い、ラファエラとハグを交わした。
「ステラマリナさん、エキーノさん、アキッレーオさん、それにオルゾ。みんなありがとう」
皆の顔には笑みがあった。
誰もが湿っぽい別れは好まないのだ。
車がナポリに入る頃、リムジンの側に警察車両が寄ってきた。それは一台、また一台と増えていき、リムジンの周りを取り囲むように並走を始める。
「ふん、とんだ護衛だな」
彼らから指示があるわけではない。ただ、真っ直ぐにブルーノの待つサン・カルロ劇場に向かえと言っているだけだろう。
車は法定速度を守りながら、サン・カルロ劇場の前に停まった。
ナポリの誰もが知る歴史ある劇場の前、警察車両に囲まれてリムジンが停まる様は、どう見てもマフィアではなくVIPかスターであることだろう。
実際、オルゾがその容貌を晒した時、周囲から黄色い歓声が起きた。
「大人気ね」
オルゾに右手を預けたラファエラがそう言う。
周囲ではカメラやスマートフォンを向ける者も多い。
彼らはオルゾたちが通り過ぎた後に言うのだろう。
「イケメン!」
「本当ね! ところで今の誰?」
劇場の正面には支配人が立ち、オルゾらに頭を下げる。そして貴賓室にロッセリーニ夫妻が待っていると告げた。
彼の案内に従ってオルゾ達は劇場内を歩く。
「良くご無事で」
などという支配人の言葉に「え、お陰様で」などとすまし顔で言うラファエラに、オルゾは笑いを噛み殺した。
貴賓室はもうすぐだ。
ラファエラの両親は部屋の中では待ちきれなかったのだろう。
40代と思しき上品な服装の夫婦が部屋の前に立って待っていた。
ラファエラがオルゾの肘を引く。
「何だ?」
腰をかがめるオルゾの耳元に手を当てて、ラファエラはそっと耳打ちした。
「オルゾ、ローマの休日が終わるのではないわ。シンデレラが始まるのよ」
「ふむ?」
ローマの休日は現代を舞台としたシンデレラ的なストーリーとして良く表現される作品であるが、ラファエラは何を意図してオルゾにそう言ったのか。
彼女にとってその二作品に明確な違いがあるという言い方であるが、どのような意図があるのか。
だがオルゾにそれを考える暇は与えられなかった。
ラファエラは口元を手で隠したまま、オルゾの頬に唇を寄せる。
「ありがと、オルゾ」
そう短く言葉を放ち、彼女はオルゾから身を離して駆け出した。
「パパ! ママ!」
両親の元へと。
「ラファエラ!」
「ラファエラちゃん!」
華やかなるサン・カルロ劇場の回廊で、三人は一つの塊のように抱き合った。




