インテリマフィアのオルゾさん、夜を過ごす。
深夜。オルゾは暗い部屋の中、一人キーボードの上で指を滑らせ続ける。普段の彼の指遣いとは違う、タイピングの音がしないような動きである。
寝室の片隅に置かれたアルネ・ヤコブソンの意匠によるエッグチェア。そこに腰を落ち着け、フットレストに長い脚を投げ出す。その太腿の上にノートパソコンを置いて今日の分、それと明日以降の分の仕事を済ませているのだ。
この件がいつどういった形で決着が着くかは不明だが、面会が必要な仕事は全て後にずらした。会計士事務所の業務でカンディータに回していたものをチェックし、問題がなかったことは確認が取れた。
資産運用はちょうど東京証券取引所の立会時間が始まったところである。いくつかの銘柄を購入し、また頃合いのいくつかを売り捌いて利確とした。明日以降、株に触れる時間が取れるとは限らないためだ。
「はっ」
オルゾの口から笑みが漏れる。
さきほど、会食の後のことだ。ステラマリナがオルゾに耳打ちしたのは。
「お兄さんにそんなにお金払っても大丈夫なの?」
と。当然ながら、確かにそれ単体として見ればダメだ。身代金絡みの話にオロトゥーリア組がちょいと噛みしたとして、アキッレーオにあれだけ金を渡してしまえばオルゾの利益が、取り分がなくなる。
彼女はそれを気にしたのだろう。だが、オルゾに言わせれば変な話、あれも一種の資金洗浄なのだ。
アキッレーオはその金を即座に使う。つまり町に金が落ちるということである。町に金が入ると言うことは地域が、ひいては組が豊かになると言うことである。
そもそもである。そんな端金は正直どうだって良いのだ。それこそ、オルゾが今少しの間指を動かしただけで利確させたのは一億八千万円、つまり1000万ユーロ超であった。無論、これが利潤ではないとはいえ、彼にとって金などいくらでも稼げるものだ。だがその仕事は彼にとって平易すぎた。
それに対して組のために働くことは彼の心を動かすのだ。結局のところなぜオルゾという男がオロトゥーリア組の首領に忠誠を誓っているかといえば、その理由はそこに帰着するのかも知れなかった。
「……とりあえずはこんなものか」
仕事など完璧を目指してやり始めればキリがない。ほどほどにしておかねば潰れてしまう。
オルゾとしては無理しているつもりはないのだが、それでもエキーノやステラマリナはもっと休むよう言ってくる。エキーノは部下なので、彼の意見などはねつけることができるが、ステラマリナは妻である。実際のところ彼女と結婚してからオルゾの休みは増え、周囲の者はそれに安堵している。
オルゾはベッドの上のステラマリナとラファエラに視線をやった。二人はクイーンサイズのベッドの上で仲睦まじそうに手を繋いで寝ていたが、今は寝返りを打ったのか互いに背を向けている。ラファエラの寝顔が闇の中、PCの光を受けて僅かに浮かび上がる。
安らかそうであったその顔が歪んだ。
「パパ……ママ……」
オルゾは小さく舌打ちを一つ。
オルゾには分かっている。この少女が何らかの問題を抱えていると。彼女はなにかが不自然ではある。それが何に起因するのかまでは不明だが、それはオルゾの考えるべき仕事ではない。
ステラマリナなどは彼女と必要以上に仲良くなっているが、本来のところ、あまり事情に深入りすべきではないのだ。
情が入れば判断が鈍る。
たまたま彼女の身柄を預かっているとはいえ、その処遇がどうなるかはまだ分からないのだ。
つまり彼女はロッセリーニ家から拐われた者であり、ヴィテッロ組からの逃亡者でもあるということである。そしてオロトゥーリア組がどちらに立場が近いかといえば、当然ヴィテッロ組なのである。
「はぁ……」
オルゾは溜息を一つ。PCをシャットダウンし、机の上に置いたミネラルウォーターを一口。
例えば、ヴィテッロ組がオロトゥーリア組に、こちらの縄張りで騒動を起こした詫びを入れて、彼女の身柄の引き渡しを求めることもあるだろう。
そこに対価がしっかりと払われるのであればオルゾとしてはそれを止める合理的な理由はない。
たとえ、逃亡の見せしめに指の一本や二本が切り取られてロッセリーニ家に送られるとしてもだ。
「助けてよ……」
ラファエラがそう呟いた。それは誰かに向けての言葉ではない。寝言なのか、あるいは口癖になっていてそれが漏れているのか。
オルゾは自嘲する。わざわざこんなことを考えているあたり、すでに自分にも情が入っていることは間違いない。不思議なのは本来なら幸せで裕福な人生を送ってきたはずの少女に、なぜ自分が情を覚えるのかではある。
オルゾはベッドに腰掛けて、布団からはみ出した彼女の手を取った。
強張っていた指からゆっくりと力が抜けていき、苦しげであった顔が柔らかい表情へと変わっていく。
オルゾは呟いた。
「お願いってのはよ。口にしてもらわなきゃ分からないんだぜ」
答えはない。そして部屋は暗闇に包まれた。




