インテリマフィアのオルゾさん少女を拾う2
オルゾの着ているスーツは厳密には高級仕立服ではない。オート・クチュールとはサンディカと呼ばれるパリのクチュール組合の加盟店であるシャネルやクリスチャン・ディオールにおいて職人が手作業で作りあげた最高級品のことを示す。
よって定義的には彼の服は注文服というのが正しい。
だが、彼が注文しているのはそのサンディカ加盟店であるジバンシィにかつて所属していたイタリア人の職人の手によるものである。
今から30年ほど前にジバンシィ本人が引退し、20年ほど前には同社の男性向け筆頭デザイナーも変更した。件の職人、フェリーチェはそれを機にイタリアに戻り、店を構えたのである。
オルゾの着るスーツはフェリーチェの手による一張羅であった。故に高級仕立服と言っても差し支えない品であろう。
ちなみに気分屋の職人をその気にさせるのに店に通うこと数ヶ月、制作にはおよそ半年以上かかり、オルゾ本人は金に換えられるようなものではないと考えているが、払った金額はおよそ四万ユーロである。
さて、そのスーツのズボンにゴミが掛かった。
「てめぇ、このクソ女……!」
フェラガモの靴が転がってきたゴミ袋の1つを蹴り上げ、少女の顔へと向かう。
「きゃっ!」
少女は手にしていた別のゴミ袋で飛来してきたそれを弾く。それは偶然か、あるいはなかなかの運動神経によるものか。
しかしその間にオルゾは少女へと詰め寄り、彼女の胸ぐらを掴み上げた。ゴミの山から少女が引き摺り出される。
「おう、嬢ちゃん。随分と舐めた真似してくれるじゃねえか」
「ひっ」
少女は悲鳴を上げる。
「てめえ、俺の一張羅を汚しておいてどう落とし前つける気だ!?」
しかしオルゾはその手を離した。
少女は再びゴミの上に尻もちをつく。オルゾは舌打ちを一つ。彼の眉間には深い皺。
少女は混乱していた。だがとりあえず頭を下げる。
「えっと、あの……ごめん、なさい」
「臭え」
えぇー……。
少女は愕然とする。確かに運良くゴミの上に落ちて無事ではあったが、そのせいで何やらよくわからない液体が袋から漏れてきているのは間違いない。ただそれでも男性に臭いと言われるのは辛いところであった。
一方のオルゾも少女を観察していた。女性の、それも10代の服装など詳しくはないが、それにしても決して裕福ではないと分かる服装。しかし一方で長く艶やかな黒髪に整った容貌、色白で日焼けしていない肌は貧民らしくない。
「お前……」
しかし問おうとしたオルゾの言葉は野卑な大声に遮られた。
「おう、いたぞ!」
「こっちだ!」
どう見てもチンピラと分かる風情の男たちである。しかし見覚えはない者たちだ。
また逆に、彼らもオルゾを知らないようだった。どう見ても不機嫌そうであるオルゾを見て、踵を返すこともないのだから。
男たちは言う。
「随分と手間かけさせてくれるじゃねえか」
「こっちに来な」
オルゾの怒りの矛先は、少女からチンピラたちに向かった。
彼らがナイフや銃をその手にして走ってきたからだ。
首領の愛するこの町で、武器を見せびらかしながら走ってきただと? 到底許せるものではなかった。
「おい、三下ども……」
オルゾは普段よりさらに低い声を放ちながら男たちの方を向く。
少女はガタガタとその身を震わせた。だが男たちは危機感なく言う。
「おいおい、色男。ヒーロー気取りか?」
「痛い目にあいたいってのか?」
どこかの組織が誘拐にでも手を染め、そしてここで逃げ出されるという間抜けを晒したということか? まあこんな間抜け面どもなら逃げられるのも仕方ねえな。とオルゾは思う。
「てめえら、どこの組のもんだ」
だが男たちは空惚けて言った。
「はあ? 違えよ、娘が反抗期で逃げ出しただけだよ」
「そうそう、ちょっと躾けてやんねえとな」
オルゾはほう、と納得したように頷く。
「てめえらがこの女の保護者だって言うんだな?」
「ああ、そう、そうだよ。へへ」
「ってことはよ。今こいつにズボン汚されたんだが、その責任はてめえらが取ってくれるって事だよなぁ!?」
「うるせえよ、くたばれ!」
銃を持つ男がオルゾに銃口を突きつけ、銃声が響いた。
「はっ?」
「あ、兄貴、右手が……」
男の右手はひしゃげ、吹き飛んでいた。裏通りのバルコニーで新聞を読んでいた老爺の手に煙を吐く銃があった。
「よいしょ」
もう一人の男の背後に忍び寄っていたパン屋の女将が、麺棒を男の後頭部に振り下ろした。
オルゾはその隙にナイフを蹴り飛ばし、的確に一撃ずつ顎を殴って男たちを道路に沈めた。
「まあまあ! 見事なものねぇ」
パン屋のおかみがおっとりと言う。
その後ろからは先ほどすれ違った八百屋がロープを持ってやってきていた。
「協力、感謝します」
「いいのよう、オロトゥーリア組の皆さんにはお世話になっているんだから」
この町はオロトゥーリア組が牛耳っている。だが決して住民と敵対関係にある訳ではない。友好的にしていればこうして善意の協力もあるのだ。
「後でパンや野菜と一緒にこいつら届けて貰えますか?」
「ええ、主人に届けさせるわ」
オルゾは頷くと、少女に向き直った。
「助けて……くれたんですか?」
彼女は問い、オルゾは酷薄そうな笑みを浮かべることで答える。
「助けた、だと? 違うな、落とし前をつけさせるためだ」
だが、背後から女将の声がかかる。
「まあまあ、オルゾちゃん。女の子には優しくしてあげてね」
オルゾは苛立たしげに頭を掻いた。
「……おい、小娘」
「は、はいっ」
「名前は」
「あっ、アっ……ラファエラです」
「そうか、じゃあついてこい、ラファエラ。こいつらの仲間に捕まりたくなきゃあな」
オープニングフェイズ終了って感じ。