閑話
エキーノはチリエージョを引き剥がしつつ、怒るカンディータをなんとか引き留めて病室に向かう。
通された部屋はベッドと移動式の机が一つずつと、パイプ椅子があるだけの清潔で殺風景な個室であった。
チリエージョの口からカンディータに向けてエキーノの状態と、エキーノに向けてナースコールなどの説明がされる。そしてチリエージョは離席し、パイプ椅子に座っていたカンディータはベッドに腰掛けていたエキーノを見て溜息を一つついた。
「お怪我されたと聞きましたが、まずはひどくはないようで良かったです」
エキーノは包帯の巻かれた腕を掲げてみせる。
「心配いらないさ。このくらいなら慣れている」
その言葉にカンディータは顔を軽くしかめて黙りこんだ。
「オルゾさんに何か言われた?」
「……なんでですか?」
エキーノは問い、それには質問で返された。彼は笑って言う。
「何か言いたそうにしている」
カンディータは少し寂しそうに笑みを浮かべる。
「わかっちゃうんですね。ええ、オルゾさんが言ったんです。エキーノさんを責めないでくれって」
「……まったく、あの人は」
エキーノの口調には苦笑が混じった。カンディータは続ける。
「それで、恨みごとは俺に言えなんて」
「オルゾさんらしい。でもさ、その言葉を思い出したってことは俺を責めたいってことだろ?」
カンディータは頷く。
「今も、怪我には慣れてるなんて言うんだもの。慣れてなんて欲しくはないわ」
エキーノは頭を掻いた。
「悪かった。でも実際、俺の身体とか傷だらけでさ」
「そうなのかもしれないわ、それでも貴方の傷がこれ以上増えて欲しくはないと思う人間がここにいるの。それだけ覚えておいて」
強い意志の秘められた瞳が、エキーノの瞳と絡み合った。
「カンディータ……」
「エキーノさん……」
二人の顔が近づいていき、扉が音を立てて開かれた。
「はーい、お二人さん失礼しますよー」
チリエージョであった。
「お着替えと身体を拭く介助に来たのだけど、彼女さんがやる?」
彼女が押してきたカートには布や、湯気の立つ桶などが置かれている。
「え、えっ?」
カンディータは困惑しているうちに寝巻きとタオルとお湯の入った桶を持たされた。
「そうねー、彼氏の身体気になるものねー」
「ち、違っ!」
「はーい、よろしくねー」
チリエージョは手をひらひらとさせて病室から出ていった。
エキーノは笑った。
「大丈夫だよ。自分でやるから」
「い、いえ! やります!」
「そう? 無理しないでいいよ」
エキーノはシャツに手をかけ、器用に片手でボタンを外していった。
カンディータはタオルを持ってエキーノの背中を前に固まった。
ジャケットを羽織っていても彼の身体が鍛えているであろうことは容易に分かる。だがそれは分かった気になっていただけだとカンディータは思った。
分厚い肉の質感、筋肉の隆起とくびれ、筋肉同士の接合。彫刻のようなという表現があるが、彼の身体はそれだ。だがここには彫刻にはない生々しさと、そして無数の傷が走っていた。
「タオル冷めちゃう」
エキーノが笑いながら言うと、カンディータは慌ててその肉体に布を当てて拭き始めた。
しかしその手はすぐに止まる。
「カンディータ?」
カンディータはエキーノの背に額を預けた。
「えっと、カンディータちゃん!?」
「本当に、傷だらけなんですね」
カンディータはエキーノの脇にある古い傷跡に触った。エキーノの身がびくりと揺れる。
「これは、オルゾさんを守るためについた傷なんですか?」
エキーノは頷く。その傷がいつの時のものだかは覚えてないが、それは間違いないことだろう。
「……羨ましいなあ」
小さくそう言葉が漏れた。どういう意味なのか、口にした彼女自身もまだ分かっていない言葉だった。
エキーノは振り返り、カンディータの両肩に手を置いた。
「カンディータ……」
「エキーノさん……」
二人の顔が近づいていき、その時、扉が勢いよく開いた。
「いよう、元気そう……もといお盛んなようでなによりだな」
オルゾである。外の寒さ故か酒が入っている故か。珍しく頬を少し赤くしていた。
「どこから聞いてたんですか?」
カンディータが叫ぶ。
「『エキーノさん、お盛ん……もといお元気なようでなによりですね?』からだな」
「最初っからじゃないですか! ……え、いませんでしたよね?」
オルゾは頷く。当然である。その時間だとオルゾは中華料理屋についてアキッレーオらと会ったかどうかという頃合いだ。
「じゃあなんで」
カンディータが問うが、それにはエキーノが答えた。
「盗聴器だよ」
オルゾは再び頷き、うわぁ……とカンディータの口が動く。
オルゾはカンディータの着るジャケットのポケットを指差した。彼女がそこに手を入れれば、見覚えのないUSBのようなものがそこにあったのだ。
カンディータが問う。
「……来るときに階段で転びかけた時ですか」
オルゾは頷く。車に乗る前に腕を掴んだ際、こっそり仕込んだのであった。
「マフィアの男と付き合うならよ。それも、俺の側近であるこいつと付き合うならな。それくらい警戒しろってことさ」
カンディータはしばし黙ってオルゾを睨むようにみつめていたが、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。ご指導ありがとうございます」
オルゾは満足げに笑みを浮かべて言った。
「良い女じゃないか。なあ、エキーノ」
 




