インテリマフィアのオルゾさん、兄貴を買収する2
オルゾは愛車の助手席にカンディータを乗せ、再び町の中心街へと向かい坂を登る。
オルゾは進行方向から目を外すことなく呟くように言った。
「死ぬような怪我じゃあなさそうだった。声は元気そうだったしな」
オルゾがそう言えば、俯いて両手を組んでいたカンディータがぱっと身を起こしてオルゾに振り向いた。
オルゾもエキーノも、マフィアとしての仕事は決して口にしない。
それ故に何も教えてくれないだろうと彼女は思っていたために黙っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだった。
「なぜ、エキーノさんが怪我を……」
「あいつにはステラマリナとラファエラの護衛を頼んでいた。護衛ってことは、荒事に巻き込まれることもあるということだ」
カンディータは再び俯く。
「カンディータ。お前に頼みがある」
オルゾは彼女の上司であり大の恩人である。彼の言葉は大半が仕事に関わる命令であり、たまに頼みごとをされることもあるが、それも大したことではない。それこそ仕事関係か、猫の世話だったり来客の対応でお茶を淹れたりという程度の、断るようなこともないことばかりだ。
だが今の言葉には、真摯な響きがあった。まるで祈りの言葉であるかのように。
「……なんでしょう」
「エキーノを責めないでやってくれ」
「ええっと、はい」
カンディータは困惑した。怪我人を責める筈はない。オルゾさんは何を当たり前のことを頼むのかと。
「どうしてそんな危険な真似を」
オルゾは言い、カンディータははっとした。たしかに、怪我をしたと聞いてそう思ったのは間違いなかった。
オルゾの碧の視線は前に据えられたまま。カンディータの顔を見ることなく言葉を続ける。
「お前さ、エキーノと仲良くしてるだろ」
「んっ……はい」
カンディータは思わず咽せかけた。
「いいんだよ。別に友人だろうと恋人だろうと構いはしない。ただ、あいつは名誉ある男、マフィアの一員なんだ」
「はい」
「今日みたいに危険な目に遭うことも続くし、怪我だってするさ。警察沙汰になることもあれば死ぬことさえあるかもしれん」
「……はい」
カンディータは絞り出すようにそう言った。
「だがな、恨むなら俺にしておけ。それを命じるのは俺なんだ。あいつには恨み言を向けないでおいてくれるか」
「っ……はいっ」
これがオルゾの不器用な優しさであるとカンディータには分かった。
車は町の中心部、商業施設や駅を少し過ぎて一件の病院の前に停まる。夕闇の中、外壁に『ノッテ医院』と書かれているのがかろうじて読めた。
「ここだ」
カンディータは澱みない動きでシートベルトを外し、扉を開ける。
「オルゾさん、送っていただきありがとうございました」
その声に迷いはなかった。
「おう。後で連絡する」
オルゾがそう言うと、彼女は踵を返し、パンプスを地面と打ち鳴らしながら病院の玄関へと歩み去った。
オルゾは僅かに口元を歪めると、アクセルを踏んだ。
オルゾのスマートフォンにはステラマリナから連絡がきている。商業施設の一番上のレストランエリア。そこの中華料理屋にいると。
オルゾの記憶では一人数十ユーロ程度で、まあ食えなくはない料理を出す店だった筈である。街中にはもうちょっとマシな店もあるが、ラファエラの護衛を考えれば動かないのが得策。確か個室もあるはずなので悪い選択肢ではないだろうと考えた。
商業施設の地下駐車場に4C Spiderを停めると、エレベーターで最上階へと向かう。
平日の夜である。仕事帰りのスーツ姿の男がいないわけではない。だが子供連れやベビーカーを押す女性たちの中に混ざるには、彼の服や時計、あるいは纏う雰囲気は明らかに場違い過ぎた。
エレベーターが各階で停まり、新たな人が入ってくるたびに彼らがぎょっとした顔を見せるのである。
オルゾは最上階に着くと、小さく溜息をついた。
「オルゾ様でしょうか」
そこに声がかけられる。ウェイター姿の男であった。オルゾが「ああ」と短く声を返すと、彼は続ける。
「奥様のお席にご案内します」
中華料理屋のスタッフであるようだった。
彼に案内されていったのはフロアの奥まった位置にある中華料理屋。暗いわけではないが僅かに照明が落とされ、床も白く光を反射する通路から光を吸収する絨毯に。値段が少し他の店舗よりは割高と言うのもあるだろう。客はそこそこ入っているが、少し年齢層が高く、若者や小さな子連れはいない。落ち着いた雰囲気を作っていた。
オルゾはそのさらに突き当たりの個室へと通される。
円卓につく三人の姿があった。
中央に回転機構のついたレイジースーザンと呼ばれる円卓だ。古くからある機構だが、中華料理用のテーブルとして広めたのは日本のホテル雅叙苑であるという。
すでに注文された料理の大皿が並んでいた。
「あ、来た」
手前、部屋の入り口側に座っていたラファエラが振り向いて言った。着ている服がパーカーではなくなっている。途中で買った服に着替えたのであろう。
左手側にはステラマリナが座っている。
「はぁい」
彼女は軽く手を振り、オルゾは頷きを返した。
右手側の席は空いていて、ここに座れということだろう。奥にはアキッレーオが座っていた。
普通であれば夫婦は並んで座るものだが、この配置にしたのはアキッレーオと護衛対象であるラファエラを対角に置き、遠ざけるためか。
「いよう、オルゾ」
「おう、兄貴」
アキッレーオが軽く手を挙げてオルゾの名を呼び、オルゾはそれに答えながら席に向かう。手にしていた鞄をウェイターの引いた椅子の上に載せて、そのまま奥へ。
オルゾはアキッレーオの隣に立つと、無言で彼に蹴りを入れた。




