オルゾさんの鞄持ちのエキーノ、襲撃を受ける2
アキッレーオという男はオルゾの兄である。そしてフリーの殺し屋、それも一流の腕前の殺し屋として名が知られている。名が知れているということは恨みを買っているということであり、それ故に旅に出て、ほとぼりを冷ましていたのが、最近この町に戻ってきたのだ。
「しっ!」
鋭い呼気と共にアキッレーオの少し草臥れた、だが物は良い革靴がエキーノの側頭部に迫る。
エキーノは回避を諦めた。今、互いの腕は絡んでいる。互いが互いを捕まえているといっても良い。アキッレーオの方が速いのだ。ここで手を離して自由にするのは避けたかった。
ゴッ、と鈍い音が響く。
ひゅう、と感嘆の口笛が鳴った。アキッレーオのものだ。
蹴りが直撃してなおエキーノが意識を飛ばさず、またその目から戦意が失われていないことに対する感嘆である。
アキッレーオには見えていた。エキーノが引くのではなく前に出る、自ら当たりにくることで僅かに間合いを外し、耐えて見せたのだと。
アキッレーオは言う。
「……引く気はないかい? オルゾの部下を殺したくはないんだ」
『兄貴は社会不適合者なんだよ』かつてエキーノはオルゾからそう語られていたことを思い出す。
エキーノはオルゾのことを天才だと思っている。だがその彼が自分を超える天才であったというのだ。しかし致命的な欠陥があったと。
アキッレーノの心には価値という概念がなく、金も、人の命もあらゆるものに重きを置かない。それ故に殺し屋なのである。
彼が唯一大切に思っているものは肉親であるオルゾのみ。エキーノはアキッレーオと話をしたこともあるし酒席を共にしたこともあるが、それでもこれである。
オルゾの部下であるから少しは配慮されていても、いきなり斬りかかってくるような人物なのだ。
「オルゾさんの命令で護衛やってんだ。尻込みする訳にゃあいかんのですよ」
エキーノは答えた。アキッレーオの気配が悍ましく変化していく。
「残念だ」
それは殺気である。アキッレーオにとっての目的はラファエラであり、エキーノはそれの側にいる障害物にすぎなかった。だがアキッレーオは今、全力で目の前の男を殺そうと意識を変えたのである。
「クソ兄貴!」
しかしその刹那、駐車場にオルゾの声が大きく響いた。殺気は霧散し、陽気な声で返事が返る。
「何だい? 弟よ」
……
時間わずかに戻ってオルゾであるが、事務所の所長室で一人仕事に励んでいた。
今日の昼の分の遅れを取り戻すように、そしてこの先もラファエラの件でばたばたとするのは目に見えている。先の分まで仕事を消化しておこうという判断である。鬼気迫る集中力で仕事に向かっていた。
途中、一度カンディータが紅茶を淹れにきて、次に彼女が仕事の質問があって入室した時にやっと冷めた茶に気づかれたほどであった。
しかしその集中も夕刻、胸元のスマートフォンが鋭く鳴ったことにより中断させられるのである。
「ちっ」
それはただの電話ではなかった。緊急連絡用のコールである。
オルゾは直ちに立ち上がり、ジャケットを羽織りながら通話に出る。
「オルゾっ!」
聞こえてきたのは悲鳴のようなステラマリナの声であった。
「どうした」
「貴方のお兄さんがエキーノと戦って!」
オルゾは天を仰いだ。
彼は自らの見通しの甘さというか、見落としに気づいたのだ。確かにヴィテッロ組の連中がこの町で動くことはできない。それは正しい判断である。
だがフリーランスへの依頼はできるのだ。一般的にフリーの荒事屋など碌なものはいない。エキーノらで十分対応できるものでオルゾの意識から外れていたが、今この町にはアキッレーオという鬼札がいるではないか。
「ステラマリナ、急いでこの通話をスピーカーに」
「ええ」
アキッレーオはオルゾの兄としてオルゾのことを大切に思ってくれている。だが彼は決してオロトゥーリア組の味方ではない。
「クソ兄貴!」
オルゾは全力で声を張り上げた。
「なんだい? 弟よ」
気の抜けた声での返答が聞こえてくる。
「お前の目的はそこのラファエラという小娘を拐うことか!?」
「守秘義務ってものがあるんだけどね」
「対象がステラマリナであるのに仕事を受けたというなら許さんぞ」
さすがにオルゾの妻と知っていてそれに手を出すなら許されないが、ラファエラをオルゾが匿っているとは彼は知らないのである。つまりこれならば交渉のしようがあるということだ。
「大丈夫だ、それはない」
実質的な答えであった。
さて、アキッレーオは最悪の鬼札である。だが切り札とはなり得ない。それは信用がならないからだ。
それは味方である場合に不利となるが、敵である場合には対処のしようがあるということでもある。
「アキッレーオ、おまえヴィテッロ組にいくらで雇われた。倍払おうじゃないか。兄貴、あんたを買収しよう」




