インテリマフィアのオルゾさん少女を拾う1
本日オープニングの2話更新、以後毎日更新予定です。
文字数は8万〜10万くらいで収まるはずっていうか収めます。
「……ちっ」
アルファロメオ4C Spider、オープンカーの運転席にて、高級仕立服のチャコールグレーのスーツに身を包んだ男が舌打ちを一つ打った。
男は前に止まる車のテールライトの赤い光を睨みながら、指は苛々とハンドルを叩く。
彼の名はオルゾ、海に面したこの町を縄張りとするマフィア、オロトゥーリア組の若き幹部である。
オルゾという男はオロトゥーリア組に入るや否や、めきめきと頭角を現した男であり、まだ30代でありながら組の幹部として会計を任される組織のナンバースリーである。
海際の街で構成員には漁師も多く、腕っ節の太い男達による組織において、なぜこのような地方の組にいるのか分からないと言われる細身のインテリ。
嘘か真かボローニャ大で経済学を専攻する首席であったとも噂され、事実、彼が会計を任されてからの数年で、組の資金は違法行為をすることもなく10倍になったという。
すらっとした鼻梁に乗せられた銀縁眼鏡の裏には切れ長の眦、碧の視線は鋭く、酒場にでも行けば女たちから常に婀っぽい視線を向けられる。
だが一方で彼の配下たる構成員たちは彼の視線をこそ大いに畏れているのだ。
「何だってんだ……」
彼は不機嫌そうに呟いた。
渋滞である。
オルゾにとってここは地元の町だ。この時間帯、この道路で渋滞に巻き込まれた記憶はない。それも全く動かないことを考えれば、これは事故か何か前の方でトラブルが発生していると考えるのが自然だろう。
ふと、胸元で振動。
オルゾはポケットからスマートフォンを取り出すとそれを耳に当てた。
「オルゾさん、お疲れ様です。今渋滞ですか」
電話はエキーノからであった。オルゾの鞄持ちであり、彼の忠実な腹心である。
「ああ、そうだな」
「前は動かなそうです。良ければ俺が車、代わりましょうか?」
「代わるってお前、どこにいるんだよ」
コンコン、と扉が叩かれる。
そちらを向いたオルゾの前で茶色の髪が揺れる。片手でスマートフォンを持って軽く頭を下げたエキーノの姿がそこにはあった。オルゾは通話を切ると懐にしまう。
オルゾは薄い唇を歪めるように笑った。
「なんだよ、走ってきたのか」
エキーノの頬は普段より上気している。秋だというのに首筋に薄らと汗が滲んでいた。
「いえ、駅の方ででかい事故あったってニュースがちょうど入ってきたんで。巻き込まれちゃいないか確認に」
「悪いな。頼めるか」
「うす」
車の扉が開き、オルゾが外に、エキーノが中に。
オルゾは軽く片手を上げて車から離れる。中のエキーノは深く頭を下げて彼を見送った。車から出てきた男はそれだけで周囲の注目を集める。
銀の髪に怜悧な印象の銀縁眼鏡、碧の瞳。整った、いや整いすぎた容貌は美しさを感じさせると共に冷たい印象を覚えさせる。
すらりと長い四肢。止まっている車列の間でフェラガモの革靴がアスファルトを叩き、車中で苛々していた男も女も思わず彼に見とれた。
「イケメン!」
八百屋の店先で、トマトを手にしていた若い女性が思わず感嘆の声を上げてオルゾに手を振った。生憎、オルゾは愛想よく応えてやるようなタイプではない。だが単にそちらに視線をやっただけで、その女は満足そうに身をくねらせていた。そしてそばに居た店主に注意され、顔を青褪めさせている。
「別に取って食いやしないんだがな」
オルゾは苦笑する。
おそらくは今の女は観光客だったのだろう。小さな港町ではあるがローマから近いこともあり、そういった者たちがやってくることもあるのだ。
そして地元民にとってはオルゾ会計事務所の所長であるオルゾという男はこの町の誰もが知る顔である。
港町には似合わぬ会計士という職業とその美貌で。そしてマフィアの顔役、若き幹部として。
マフィアとは秘密組織である。通常、ある男がマフィアの構成員であるのかどうかというのは外部の者には極めて分かりづらい。場合によっては同じ組の者であっても、互いがそうであると分からない場合すらある。
だが、オルゾという男は良くも悪くも目を惹く男であった。
明らかに鋭い視線、一目見て高級仕立服であろうと分かるスーツ、左腕に光るパテックフィリップの時計。誰が見ても明らかに堅気ではないと分かる姿であった。
「……どうしたことだ」
オルゾの歩みが一瞬止まる。彼の眉間には困惑と不快の皺が寄った。
彼は眼鏡のブリッジを持ち上げると、正面の街並みの向こうを見通そうとするかのように睨みつけて呟く。
「鉄火場の匂いがしやがる」
それは鋼の、血潮の、そして硝煙の匂いである。そして何より空気に混じる殺気と怒り、恐怖の感情であった。
オルゾは舌打ちを一つ。
オロトゥーリア組の引き起こした事件ではあり得ない。もしそうならその幹部であるオルゾが知らないはずがないからだ。
近隣の他組織の動向も常に調べてはいるが、ここで事件を起こすような兆候はなかった。
つまり、偶発的な事件ということになる。計算され、管理された状況を好むオルゾの嫌う状況である。
オルゾは市街地の中心に向かいつつ、中心街から一本外れて裏通りへと向かった。
それは表通りを歩いて目立つのを避けたという意味である。そして、この町の裏通りにはオロトゥーリア組の構成員が経営している酒場もあれば、懇意にしている情報屋もいる。何があったのか情報を得ようという目的もあった。
「––!」
若い女性の悲鳴のような音がオルゾの鼓膜を揺らした。
……結果的に見れば、オルゾという男はトラブルに愛されているのである。オルゾが渋滞に巻き込まれて待ちぼうけしていたのをエキーノが助けにいかなければ、あるいはオルゾがここで裏道へと入らなければこの事件には巻き込まれなかったのだ。
逃げる者もまた、多くは裏道へと逃げるのである。
「きゃぁ! 助けっ……!」
言葉は言い切られることなく途切れた。どういう逃走経路を選んだのか、建物の屋上や屋根の上を走っていた女が落ちてきたのだ。
それは物語のように誰かが受け止めてくれることはなく、だが幸運なことに、彼女はオルゾの側にあった、まだ収集されていないゴミ集積場の上に落下した。
「クソがっ」
オルゾは悪態をつく。ゴミがスーツのズボンに跳ねてきたのだ。
彼の刺し殺すような視線が女に向いた。
そこにはゴミの山の中に尻が刺さって、じたばたともがいている少女がいた。
歳の頃は十代半ばか。少女の髪は長く艶やかな黒髪で、その肌は抜けるように白かった。
「もうっ、最悪!」
身体の上にのったゴミ袋を投げ捨てながら、少女も悪態をついたのだった。
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