初夜に自白剤を盛るとは何事か! 悪役令嬢は、洗いざらいすべてをぶちまけた ※長編版書籍・コミカライズ化
「なんじゃこりゃあぁぁあぁッ!」
とあるのどかな昼下がり、野太い叫び声が邸内に響き渡る。
午睡でも貪ろうかと伸びをしていたファゴル大公国の第二公女ミランダは、何事かしらと溜息をつき、物憂げに自室の扉へと目を向けた。
廊下の奥からドタドタと重い足音が近付いたかと思うと、次の瞬間勢いよく扉が開き、ファゴル大公が飛びこんでくる。
「ミランダ! ミ、ミミ、ミランダァァァーー!」
「お父様、うるさ……せめてノックくらいしてくださいな。着替えていたらどうするおつもりですか?」
溜息交じりの小言は、まるで聞こえていないらしい。
ファゴル大公はそのまま大股で近づくや否や、ミランダの左腕をガッシリと掴んだ。
過去二回程、振り切って逃走に成功しているため、同じ轍は踏まないぞと目が語っている。
「おおおまえ、親に向かってうるさいって……まぁいい、今はそんな話をしている場合ではない。いいか? お、落ち着いて聞け。いや、まずこれを見てほしい」
まずはお前が落ち着けと言いたいが、一目で分かる上質な紙に嫌な予感しかしないミランダは、無言で封書を受け取った。
赤い蝋に押された紋章は、グランガルド王国のもの。
従属国であるファゴル大公国へ宛てられた、宗主国グランガルドからの封書である。
「お父様、もしや貢納品を横領してバレたとか……」
「馬鹿者! そんなわけがあるか!」
あらぬ疑いをかけられ、ファゴル大公が気色ばむ。
それもそのはず、宗主国への貢納品横領は即死罪である。
うっかり有罪にでもなろうものなら、一両日中に首と胴が離れること間違いなしだ。
「貢納品と引換えに守護してもらっているのですよ? ゆめゆめ、お忘れなきよう」
「分かっとるわ! 本当に口の減らない……」
なおもブツブツと文句を言うのでミランダがひと睨みすると、腰が退けたのか、ヒュッと言葉を吞み込んだ。
敗戦によって従属協定を結んだ国は、毎年自国の歳入額から二割を、グランガルドに納める取り決めとなっており、従属国であるファゴル大公国もまた然りである。
上納時に上乗せされる輸送代や人件費もまた財政を圧迫し、従属国を苦しめていたため、よもやと思ったがそこまで落ちぶれてはいないようだ。
現在大陸に在する四つの大国は、200年以上前に大帝国アルイーダが内紛により滅びた際、碁盤目のように十字に引かれた国境線によって大きく分断し、四つの独立国となったことが始まりである。
そのうちの一つ、南東に位置するグランガルド王国は、度重なる戦争により、いびつに歪んだ国境線に押される形で領土が狭まり、東側以外の三方を、他の三大国に囲まれるまでに追い込まれ、侵略の憂き目にさらされていた。
だが10年前、第四王子クラウスが国境東部の軍務につくや否や、状況は一変する。
三大国に接していない、複数の小国や部族が連なる東側へ進攻を繰り返し、属国として取り込む過程で領土を拡大し、グランガルドを瞬く間に強国へと押し上げていったのである。
「先触れなく届いたのを見るに、正式な発布ではないのでは? この封蝋印だけでも不吉な予感しかしないのですが」
ミランダはそう言うと、訝しげに封書を裏返した。
そもそもグランガルドは先日王が身罷り、代替わりをしたばかり。
激しい後継者争いの末、新王として即位したクラウスの戴冠式にはファゴル大公国からの使節団も参列し、遅滞なく祝辞を述べたはずである。
にも関わらず突然届いた謎の封書。
心当たりもない上に、ファゴル大公の反応をみる限り、吉報でないことは明らかである。
(うう、読みたくない……叶うならグランガルドからの使者ともども葬り去り、無かったことに)
封を開けるのを躊躇われ、汚いものをつまむように、二本の指で端を持つ。
顔の前でピラピラと左右に振りながら、ミランダは希望的観測を口にした。
「そうだわ! きっと偽物よ! お父様、燃やしてなかったことにしましょう!」
「……残念ながら、もう遅い。先程、畏まって拝受した上、受取サイン済だ。急ぎ国へ帰った後だから、無かったことにもできないぞ。まったくお前はなんて事を言うのだ! 御託はいいから早く読め」
急かされると余計に読む気がなくなるが、これ以上粘ると機嫌を損ねるため、仕方なく封を開ける。
最初はふむふむと呼んでいたミランダだったが、しばらくして中盤の一文に釘付けになった。
『これより三年に渡り、倍の貢納品を納めること』
「……は?」
ファゴル大公国のみならず、どこの従属国も財政ギリギリの状態で貢納品を納めている。そのような状態で、一方的にこのような触れを出したら最後、各国で武装蜂起が起こるのでは?
思わず顔を上げ、ファゴル大公と視線を交わすと、早く続きを読んでみろと顎で促された。
『但し、王位継承権を持つ未婚の子女を無期限で居留させる場合は』
ん?
王位継承権を持つ、未婚の子女?
嫌な予感に汗をにじませながら、さらに読み進め、但し書きに差し掛かったあたりで再度目を留める。
『これを特免し、これより三年に渡り貢納品は不要とする』
「……はぁ?」
目をむいて倒れそうになるミランダを見下ろしながら、ファゴル大公は顎をしゃくり、さらに続きを促す。
『なお、身柄の引渡し後は貴人に係るすべての権利を放棄し、またその処遇について、以降の国家関係に影響を及ぼさないものとする』
つまり、人質……というよりは戦争捕虜に近い扱いとなり、誰に下賜されようが、はたまた傷つこうが死のうが、文句をいう権利はない、ということだ。
さらにいうと、どんな扱いを受けても今までどおりの関係を維持し続けてね、破ったらどうなるか分かるよね?という強者目線の脅し文句である。
あまりに理不尽な要求に、ミランダは目をむいて絶叫した。
「なんじゃこりゃあぁぁあぁッ!」
とあるのどかな昼下がり、邸内に響きわたるミランダの絶叫。
ファゴル大公は愛娘の反応に、そうだろう、そうなるだろうと、満足げに頷く。
ミランダはひとしきり叫んだ後、ふと我に返り、そして父娘はしばし見つめ合った。
で、誰が行くの?
……私でしょ!!
***
それから数日後。
グランガルドの宰相ザハド侯爵は、報告書をテーブルに叩きつけ、頭を抱えていた。
「うぐぐ……噂には聞いていたが、まさかこれほどとは」
姉妹への虐待に加え、実姉の輿入れ先であるアルディリア国王との醜聞、侵略戦争の発起人に、大公夫妻の殺人未遂。
挙げれば枚挙にいとまがない。
だが彼の主君であるグランガルドの王、クラウスが、先日の謁見でいたく興味を持ってしまったようだ。
身辺調査を命ぜられてからたったの半日で、ちょっとした本になるくらい厚い報告書があがってきた。
「ファゴル大公国、第二大公女のミランダ・ファゴルが、陛下に拝謁いたします」
従属国から招集した人質達が「謁見の間」に集められ、国境を越えて轟く悪女の名に相応しく、傲慢で醜悪なその姿を一目見てやろうと息巻いていた列席者達は、口上を述べ終わったミランダが顔を上げた瞬間、その美しさに思わずポカンと口を開けた。
つんと澄ました表情が気位の高さを窺わすが、真っ直ぐにクラウスを見つめ、花開くようにふわりと微笑むと一転、春の陽射しのような暖かさが彼女を包み込む。
女神と見まごうばかりの美貌に、諸侯から衛兵に至るまで、その場にいた皆が一同に息を呑んだ。
これはまずいと思い横目でクラウスを見ると、やはり食い入るように、ミランダに目を奪われている。
今回は体よく人質を招集し、武装蜂起を企てる属国を炙り出すことが目的だったはずなのに、これまで正妃どころか側妃すら拒んでいた国王クラウスが、「謁見の間」から戻るなり、突然ミランダの身辺調査を命じたのである。
ザハドは再度、調査報告書を手に取ったが、何度見ても、どう贔屓目に見ても、卑劣・残虐・強欲、犯罪のオンパレードである。
(もう駄目だ、私にはどうすることもできない。やはりそのまま陛下に報告しよう)
幼少の頃から支え続けたクラウスが、初めて女性に興味を示したということもあり、必要であれば後見になることも考えていたが、この相手ではさすがに承服しかねる。
(こんな悪女がグランガルドの王妃になった日には、国が亡びてしまう)
緊張でカラカラになった喉を潤すため、珍しく気を利かせた侍従から果実水を受け取り一気に飲み干すと、決意を新たに、クラウスのいる執務室へと急いだ。
入室を許可され、報告書を手渡すと、クラウスは静かに目を通す。
「ふむ」
一通り読み終えると、普段表情を変えないクラウスの頬がわずかに緩んだ。
「……水晶宮を与え、側妃として召し上げるつもりだが、お前はどう思う」
突然の問いに、ザハドは言葉を失う。
いつだって忠を尽くし、主君の命令を是としてきたザハドだが、今回ばかりはどう応えれば良いか判断がつかなかった。
「陛下のご命令であれば……ん?んん、ん」
やはり陛下にはお心のままに行動していただき、陰ながらお支えすることにしよう。
あの悪女には自分が絶えず目を光らせておけば、きっと何とかなるだろうと口を開くが、なぜだか急に喉がつまったように声がでなくなる。
ごほ、ごほっと二回咳ばらいをし、少し喉のとおりが良くなったところで、ザハドは言葉を続けた。
「……いや、あの悪女めは我が国に相応しくありません。見た目は女神のようですが、調査報告にございますとおり、危険すぎます。下手をすれば国が傾くというのに、承服しかね……! う、うわ、わわ、わ……」
違うことを伝えたいのに、どうしたことか、考えていることがすべて口から出てきてしまう。
今までにない経験に、ザハドは慌てて両手で自分の口を押えた。
「そうか。今夜、早速『初夜の儀』を迎えるつもりだが、報告書についても、その時に問いただすとしよう」
クラウスは面白そうに目を細め、青ざめるザハドに目を向ける。
「……先程、侍従から飲み物を受け取らなかったか?」
先程飲み干した果実水のことだろうか。
なおも青ざめるザハドに、机の上に置かれた黒い小瓶を振ってみせた。
「先月アルディリア王国の高官として潜んでいた諜報員が、王妃の宝石箱からくすねた自白剤だ。効果は今、お前をもって立証済だ」
(そんな怪しい薬を、飲ませたのか……!)
絶句するザハドへ、さらに追い打ちをかけるように、クラウスは続ける。
「この薬をあの大公女に使ったらどうなるか、興味深くはないか? 水晶宮は外部からの襲撃に備えるため、寝室の隣に護衛騎士が隠れるための小部屋がある。中の声もよく通り、覗き穴もあるから、執務が終わり次第移動し、朝までそこに隠れていろ」
分かったらもう出ていけ。
虫をはらうように追い出され、何が起きたのか理解できず、半ば放心状態で自分の執務室へと戻ったザハドは、先程のやり取りを反芻する。
え?
今、陛下がお渡りする水晶宮の寝室に、朝まで隠れていろとおっしゃった?
ちょ、待て待て、私は朝まで何を見聞きさせられるんだ!?
先程の薬がまだ残っているのか、調子のすぐれない喉を押さえながら、ザハドは課せられた夜のミッションに思いを馳せる。
(なぜ、宰相まで上り詰めたこの私が、出歯亀よろしく覗かなければならないんだ……!)
ザハドは絶望のあまり、執務室に入るなり、膝から崩れ落ちた。
***
湯浴みを終え、長旅で疲労した身体を丹念にほぐされる。
皮膚の表面をすべらすよう香油を塗りたくる侍女達にげんなりしながら、ミランダは本日三回目の溜息をついた。
従属国からの人質として、グランガルド王国に向け出発したのは十日も前のこと。途中の街々に立ち寄り停泊する以外は、ほぼずっと馬車の中で過ごし、今朝方やっと到着したところである。
これでやっと落ち着いて休めるかと思いきや、自国から連れてきた侍女や護衛と引き離され、同様に集められた他国の王女達と面通し後、追い立てられるように謁見の間に引き立てられた。残忍で強権的な『狂王』の名を冠するグランガルド国王は、想像していたよりも大きく威圧的で、その圧倒的な存在感に恐怖し、気を失った者もいたほどだ。
そんな中、可もなく不可もなく、滞りなく挨拶を終えたミランダは、他の姫達同様、今宵は居留地の一角をあてがわれ、のんびりと過ごすはずだったのに。
ただの人質のはずが何故か離宮を与えられ、側妃に召し上げられ、国王の『お渡り』を待つこの状況に、ミランダは発狂しそうだった。
「もう十分だから、下がりなさい。陛下がお渡りになるまで、少し休みたいの」
ミランダが軽く手を振ると、侍女たちは無言で一礼し部屋を後にする。果実のような甘い芳醇とスモーキーな香りが入り混じり、先程香油を塗られた自分の腕から、ほのかに乳香の香りが漂った。
「望んだ状況でもないのに、ただおとなしく待っているのも癪よね」
水魔法だろうか、氷で満たされたワインクーラーを手元に引き寄せ、ボトルのコルク栓を抜こうと周囲を見回すが、刃物の類は一切なく、卓上にはフルーツがあるもののフォークすらない。
ミランダは小さく舌打ちをすると、持参した宝石箱から、サファイアを飾り玉にあしらった銀製の玉簪を取り出し、コルク栓に向かって斜めに突き立てた。
そのままゆっくり引くと、ポンッと軽快な音を立てて、コルク栓が抜ける。
「ベスキューエ産20年モノの白ワイン」
まろやかな香りと果実味の強いフルーティーな名ワインには、このグラスでしょう!
精緻な彫りが施された飾り棚を開け、ボウル内の表面積が、大きめのグラスを手に取る。鼻歌交じりで注ぎクルリと回すと、空気との接触面から香りが拡がり、ミランダの鼻腔をくすぐった。
すっかり機嫌も直り、グラスを持ったまま立ち上がると腰に手を当て、ミランダは一気にグラスを煽る。元気いっぱい銭湯の牛乳の如く、喉奥に贅沢なワインを流し込みご満悦のミランダだったが、扉をノックする音でふと我に返った。
これからのことを思い、楽しかった気持ちが途端にしぼむ。
しゅんとして座ると、クラウスに続いてひとりの侍女が入室し、空のグラスを回収された。
(私のグラス!)
ムッとして睨むと、クラウスは面白そうに目を細め、付き従っている侍女の盆からグラスを取り、ミランダに手渡した。
グラスには既に液体が注がれており、それとは別に新しいグラスがふたつ、クラウスの前に置かれる。
「……これは?」
ミランダが口を開いたのが合図だったのだろうか。
一礼し、侍女が部屋を後にする。
謎の液体が入ったグラスをゆっくりと回し、恐る恐る顔を近づけ——覚えのある香りに思わず顔を顰めた。
「どうした、飲まないのか?」
(ちょ、この男、なんてモノを私に飲ませるつもりよ!)
平然とのたまう目の前の不遜な男をギリリと睨んで、ミランダはヤケクソ気味に喉奥へ流し込む。
果実水のような清涼感のある香りに混じり、微かに……知っている人間でなければ気が付かないような青臭い薬草の香りがする。
(お姉さまがアルディリアに嫁ぐ時、保険として渡した自白剤が、なんでココにあるのよ! しかもよりによって、なぜこの男が)
そもそも酒には強くない。
駆けつけ一杯のワインも良い感じに回り、ほわほわ顔が熱くなってきたところに自白剤が効いてしまったようで、喉が詰まり、頭が回らなくなってくる。
クラウスはミランダが飲み干したのを確認すると、新しいグラスに自らワインを注いだ。
自白剤が入っていたグラスと交換に、ミランダへと手渡す。
酩酊状態なのか視界までぼんやり霞んできてしまい、訳が分からないまま乾杯をして、またまた喉に流し込む。ミランダの頭が小さく揺れてきたところで、クラウスは、机の上にちょんと置かれた彼女の小さい手をそっと持ち上げた。
日焼けした剣ダコだらけの手を差しこみ、すくい上げるような形でミランダの手を下から包み込む。
慣れない男性の熱を感じ、恥ずかしくなって手を引こうとするが、柔らかく包む大きな手は力強く、離れることを許してはくれない。
「アルディリア国王を手玉に取ったという話だったが、これではどう頑張っても……あれは偽りだろう?」
三杯目のワインを手酌で煽った後、あまりに男慣れしていないミランダの様子を見て、呆れたようにクラウスが問う。自白剤のせいかいつもの虚勢が張れず、無言で頷くミランダに、小さく息を吐き……ふと、テーブルの上に転がる玉簪に目を向けた。
「なんだ、私を相手にこんなもので身を守るつも……いや、違うな。まさか簪で開けたのか…?」
思いもよらぬ用途に驚いたのか、つないでいた手を解き、机上の簪を手に取る。
突然失われた熱の名残惜しさに、思わず「あ」と小さい声が漏れたが、クラウスは気付いていないようだった。
「黄金に輝くお前の髪には、海のような深青のサファイアがよく似合う」
クラウスは立ち上がると、テーブル越しに身体を近づける。
柔らかく結われた髪をくずさないよう銀の玉簪を差し込むと、もうひとつ、髪を結いあげるための木の簪に気付き、すっと引き抜いた。
ミランダの髪が一瞬ふわりと広がり、一筋、また一筋とほどけ落ちる。香木の簪から漂う白檀のような香りが、先程の乳香と混じり、ふわりと拡がった。
薄ぼんやりした蝋燭の灯りと、後ろ窓から差し込む月の灯りに照らされて、金の髪が幻想的に輝き、ミランダの輪郭をぼやけさせる。
少しの静寂の後、クラウスは何かを言いかけて……頭を一振りし、ミランダの膝へ右手を差し込むと、腕の中に閉じ込めるように肩を抱き、軽々と持ちあげた。
厚い胸元へ、頬が触れる。
誰かに抱きしめられるなど幼子の時以来だろうか。
ミランダはそっと目を閉じ、すり、と甘えるように頬ずりした。
上目遣いに見上げると、昼間拝謁した時とはまるで別人のように、優し気な眼差しをした男の口付けが落ちてくる。
触れた体温は暖かく、ドクドクと脈打つ音が溶け合って、心地よく脳を揺らす。
いつ移動したのだろうか、ギシリと何かがきしみ、すぐ近くにクラウスの息遣いが聞こえる。知らぬ間に閉じていた瞼をゆっくり持ち上げると、欲情を孕んで燃えるように赤く染まった瞳がミランダを捉えた。
「……何か、言いたいことはあるか?」
優しく問われ、相変わらず回らない頭でミランダは考える。
何か、なにか……なにか言わなければならないことがあったような……。
「あッ」
「!?」
と、先程の自白剤のことを思い出し、ミランダは飛び起きた。
すぐ近くにあったクラウスと頭がぶつかり、お互い声にならない声をあげる。
「突然どうした!」
一瞬で雰囲気を壊され、不機嫌な声が降ってくる。
「先程の…!」
「?」
「先程飲んだのは自白剤ですよね……?」
ミランダが発した、『自白剤』という単語にギョッとしたのか、クラウスが目を瞠る。
「なっ、なんのことだ!?」
「とぼけようったってダメです。確かに私が作った自白剤『ペンタル』の香りがしました!」
「え? 私が作った……?」
「そうです!あれは私がお姉さまのために、アルディリア国王なんぞに嫁ぐことになった大好きなお姉さまのために、昼夜研究に研究を重ね開発したもの!」
「は? 待て待て、それではお前が姉妹を虐待していたという噂はなんだ」
「そんなもの、お姉さまの味方を増やすための方便ですわ。あの自白剤は、いざという時にアルディリア国王の弱みを握り、脅すために使って欲しいと私が直接手渡したものです!」
はぁはぁと息を荒げ、まくしたてられ、訳が分からないクラウスはまだ自白剤が絶賛稼働中のミランダを呆然と見つめた。
先程とは違う理由で顔を真っ赤にしながら、『ムードクラッシャー』ミランダはなおも続ける。
だが仕方ない、すべては自白剤のせいなのだ。
「ついでに言うと、ちょっと具合が悪くなるといいなと思って、自白剤の中にこっそり毒草を混ぜたのです!」
「は? ……はぁあ!? おっ、お前、先程から何を言っているんだ。有毒なのが分かっていながら何故飲んだ!」
よもや毒を盛ってしまったのかと慌てるクラウスに、ミランダは高笑する。『毒草』のあたりで、なにやら動く音がしたが、小部屋に潜ませたザハドのことなどクラウスの頭からは消え去っている。
「ご安心ください。腹をくだす程度のものなので命に別状はありません」
ニッコリと微笑む姿は相も変わらず美しく、だが、薬のせいか微妙に焦点があっていない。
「お前は大丈夫なのか!? その、腹がくだるとのことだが」
「はい、大丈夫です! 私に毒は効きません」
とんでもないことを言い始めたミランダを落ち着かせようと、ガシリと肩を掴むが、虚ろな目で見つめられビクリと揺れる。
「毒が効かないとは…?」
「ああ、私加護持ちなんです。まぁ大した加護ではないので、戦争で役立つようなものではないんですが」
『加護持ち』のあたりで、またしてもガタガタと何かが動く音がしたが、最早それどころではない。グランガルドほどの大国でも、女神の加護持ちなど、ここ何十年もお目にかかっていないほど稀少なのだ。
加護の内容は各々異なり、一つとして同じものはないが、それ故貴重であり、加護持ちをめぐって戦争になった国もあったほどだ。
「なぜファゴル大公国は、貴重な加護持ちを手放したんだ!?」
「ん-、お父様は欲のない方だから。あってもなくてもどちらでもいいと、常々申しておりました」
「……」
「特に私の加護は、自分への毒を無効化したり、ちょっとした怪我や病気を治す程度のものですから、あまり役には立ちません」
少しの静寂。
本当は他に聞きたい事が色々あったのだが、あまりの情報過多に疲労感を隠せず、長い長い溜息の後でクラウスは口を開いた。
「今日はやめだ! 自白剤が抜けてから、仕切り直してやる」
不貞腐れたように呟くと、そのまま勢いよく寝台に倒れこむ。
が、思いついたようにミランダを引き寄せると、すっぽりと包むように腕の中へと閉じこめた。
急に身動きが取れなくなり抜け出そうともがくと、クッと喉の奥で笑う音が聞こえ、クラウスと視線が交差する。
「もう眠れ」
額に口づけを落とされミランダの顔が一瞬熱くなるが、すぐに聞こえたクラウスの寝息と鼓動につられ、瞼が徐々に重くなり、いつしか眠ってしまった。
そして陽が昇り、熟睡のあまり政務に遅れそうなクラウスを呼びに、侍女が部屋をノックする。
返事がないことを心配し、すわ緊急事態かとおそるおそる扉を開けると、自白剤の副作用に一晩中苦しんだのか、トイレを我慢して真っ白になったザハドが床に転がっていた。
彼女の悲鳴は王宮じゅうに響きわたり、騎士達が慌てて部屋になだれ込む。
忠臣達が見守る中、乱れた着衣で姿を現したクラウスが発した、「ザハド、まだいたのか」の一言が引き金となり、『陛下だけでは飽き足らず、宰相までもを毒牙にかけた傾国の美姫』という大変ありがたくない二つ名が、ミランダに追加されたのだった。
(完)
お読みいただき、ありがとうございました。
2000字を超える短編は初めてですが、楽しんでくださる方がいれば幸いです。
お気に召しましたら、ブックマーク及び下部の☆☆☆☆☆で応援いただけると嬉しいです。
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※【連載版】を始めました!
こちらの短編に加筆があるのは、二話目以降です。
短編で書ききれなかった部分も沢山ありますので、遊びにきてくださると嬉しいです。
URL : https://ncode.syosetu.com/n2873ii/
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また、誤字報告をしてくださった方、ありがとうございました。昨夜までに頂いた分は、全て反映いたしました。二重敬語も……「おっしゃられた→おっしゃった」今まで間違えて使っていました(←これはすごく恥ずかしかった)