311震災や安倍元首相殺害事件が社会へ及ぼす影響
安倍元首相の殺害事件が及ぼす社会的影響について書かれたヤマダ氏のエッセイについて読んでみて思うところがあったので本作を記すものです。本作においても安倍元首相への評価、事件に対する周囲の反応への評価については一切示さず事件の大きさが社会へ及ぼす影響のみに絞ります。
ヤマダ氏のエッセイでは、今回の事件で戦後から続いていた「普通」(おそらく常識とか社会規範のようなものを言っていると解される)が無くなった、無効になったと指摘されています。実は私も311東北震災の時に全く同じ事を思っていました。
津波で何千人もの命が失われ衝撃を受けたかと思えば、今度は原子炉がメルトダウンするかもしれないという。チェルノブイリの再来なら関東圏はだめかもしれない。少なくとも事後処理にかかる費用で経済は破綻する。日本国がなくなってしまうかもしれないと思った人は少なからずいるはずと思います。そのような大衝撃を受ければ日常は急に色褪せ音を立てて崩れてしまいます。今日にも自分が働いているビルが崩壊して生き埋めになるかもしれないと思うと、仕事をするのも馬鹿らしくなりました。最初の一番大きい震度の発生時に居た陸橋が恐ろしく揺れたので崩落してちぬと思った経験で余計にそう思うようになったのかもしれないです。
恐ろしい事に週が明けて何事も無かったかのように、ほとんどの日本国民は普通にオフィスなどの仕事場で働き始めます。何度も大きな余震が続いてもです。当時は正直な事を言うとこいつら正気なのかと思いました。何事もなかったのように(或いは臭いものにふたをして)日常と同じ行動をするという行為はある意味『 日常が続くこと 』を信じているという事です。
『日常が続く事』とはそれまでの常識、社会規範などが機能し社会活動が行われ、家族や会社や国といった帰属団体が維持されているということです。当たり前の日常は延々と繰り返されいつまでも続くという錯覚を生みます。ほとんどの日本人が日常が当たり前に続くと信じた信仰心が神に届いたためか、原子炉の現場スタッフの超人的努力のせいか、それとも単に運がよかったせいか日常はかろうじて守られました。
だいぶ前にテレビで見た内容の受け売りですが、ホモサピエンスが存続しネアンデルタール人が滅んだ最大の要因は、ホモサピエンスの『 実際にないものを頭で想像し共有できるという能力 』であるらしいです。例えば実際にはいない神という存在を頭で想像し他人と共有することにより宗教を発達させ集団への帰属意識を強化したり、ただの紙切れを価値があると人々が信じることにより紙幣による信用創造機能で経済規模を拡大したりです。実際にはニクソンショック以来米ドルは紙屑に近づきつつあるのですけど。
神であれお金であれ国家であれ人々がそれを信ずる限り存在が維持されます。311震災や今回の安倍元首相の事件のような大きな衝撃的事件は人々の信仰心を一時的には大きく揺るがせます。俗に言えば社会の不安化です。もし原子炉崩壊で甚大すぎる被害が出ていれば人々の信仰心は著しく低下し、日本人らしからぬ暴動や凶悪犯罪が行われていた事でしょう。
それと比較すると今回の事件はかなり軽度な衝撃のような気がします。おそらく1年もすれば日常的には語られることはなくなる気がします。同様の事件が続発しないかぎりは。それほど日本人の日常への信仰心は強固なフレームだと考えます。言い換えれば戦後レジュームなのかもしれません。だいぶ金属疲労しだしており深刻な問題を引き起こしているものの、人々がこの日常が刷新されることを望んでいるとは思えません。
勿論個人によっては異なるでしょう。安倍元首相を神格化するほど信奉している人や、逆に強く憎んでいるような人にとっては社会への信仰心を著しく低下させているかもしれません。