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夏休み その3 真夏の神宮決戦➀ ~ノースリーブと野球帽~

 8月7日、未だ醒めない興奮を残した陸上全国大会の取材を昨日終えたばかりの二郎は訳あって千駄ヶ谷の駅前にいた。


 連日の猛暑で体が慣れているとはいえ正午12時過ぎの気温は34度以上となるコンクリートジャングルの中、改札を出たところで二郎は汗を拭ったタオルを頭の上に乗せ、この炎天下の中で周囲を見渡していた。 


 そこで改札前の周辺案内地図を見つけた二郎は目的地までの道順を確かめると、迷いようもない単純なルートに一安心して目的地を目指し歩き始めた。駅から見て左手にある国立競技場に沿って南に歩いていき競技場の敷地の終わりを左折すると徐々に目的地である巨大な施設が姿を現した。そこから青々と茂る街路樹が立ち並ぶ施設沿いの道を反時計回りに4分の1周回ったところで二郎は施設の入り口を見つけた。


 二郎がその正面の【7入口】とある標識から目線を上げると【明治神宮球場】と大きな看板がそこにはあった。


 そう二郎はこの日、野球を見るために野球の聖地の一つである神宮球場を訪れていた。


 二郎は携帯を取り出し、つい最近登録したばかりのアドレスに球場に着いた旨のメールを送り、改めて目の前にそびえ立つ球場の壁を見上げながら二日前のやり取りを思い出していた。




 時は8月5日。相変わらず暇を持て余していた二郎は午後からのバスケ部に参加した後、その帰りがけに四葉のバイト先である「焼きたてパン工房 佐藤さん」に久しぶりに訪れていた。時間は午後6時を回るところだった。


 店の数メートル手間から漂う芳ばしいパンの香りが、程よい運動後の疲労感と共に空腹感を呼び起こし二郎の足取りを速めさせた。二郎はドアについたベルを「チャリン」と鳴らし店へ入った。すっかり常連となった二郎はいつものように数多くのパンが陳列された棚をゆっくりと見渡しその流れでレジカウンターの方に目をやると白い調理服と調理帽を身につけて、爽やかな笑顔で接客をする中年の男性がそこにはいた。


「いらっしゃいませ」


「ど、どうも」


 キレのある出迎えの言葉に全くキレのない返事を返した二郎は店内を再び見渡した後でレジの男性に続けて話しかけた。


「あの・・今日は四葉さんはお休ですか?」


「あれ、君、四葉ちゃんの友達かな。もしかしてここのところ良く夕方に来ていた同級生君だったかな」


 男性は二郎の制服姿を見ながらどこか確信したように答えた。


「えっと、多分そうかなと思います。四葉さんの同級生で春ぐらいからちょくちょく買いに来ている者です」


「やっぱりそうですか。いつもありがとうございます。私はこの店のオーナーの佐藤です。四葉ちゃんならそろそろ来るはずだけど、何か用だったかな」


「いや、特に用があるわけじゃないので大丈夫です」


 二郎は少し残念そうに話すと、慣れたようにプレートとトングを持ってパン選びを始めた。いつもどおり4品ほどパンを選びレジに行こうとしたとき、ドアが開き慌てて一人の女子が入ってきた。


「すみません春樹さん、遅くなりました」


 その子は太ももを露わにしたデニムのショートパンツに群青色の涼しげなノースリーブとこれまた夏にぴったりの白サンダルを履き、どこかのスポーツチームのキャップを被り少し大きめのトートバッグを持った四葉だった。普段のメガネとマスクの四葉からは想像しがたい格好であり、どちらかというと三佳の私服に近いその姿に二郎は目を大きく見開き驚きながら声を掛けた。


「えっと、四葉さんだよな」


「あれ・・二郎君・・はー、来てくれたんだ。・・ふー、ありがとうね」


 四葉が息を切らせながらゆっくりと答えていると、店長の春樹が四葉に話しかけた。


「四葉ちゃん、やったね。大樹の奴、大活躍だったじゃん。ラジオでずっと聞いてたよ。ついに決勝戦だな」


「春樹さん、ありがとうございます。終わった後すぐにこっちに来るつもりだったんですけど、つい興奮して忘れてまして、ごめんなさい」


「そんなこと気にしないで大丈夫だって、こんな機会は滅多にないし、大樹は俺の子供みたいなもんだしな。決勝は明後日だよね。楽しみだな。店を休んで俺も応援に行こうかな」


 二人が興奮を抑えきれないと言った様子で話しているところを二郎が話しの切れ間を見計らって問いかけた。


「なんか、スゴイ盛り上がってますけど、何かあったんですか」


 二郎の問いに春樹が興奮しながら答えた。


「実は四葉ちゃんの弟が甲子園の予選で決勝戦に進んだんだよ。今さっき準決勝の試合が終わって、その応援に四葉ちゃんは行ってたんですよ」


「そのおかげでバイトに遅れちゃったんだけどね」


「そういうことですか。でもスゴイね。強豪校が多い東京で決勝まで行くなんて相当凄いことだよ。弟君はどこの高校に行っているの」


「ちょっとここからは遠いんだけど、あきる野市にある東海大菅生高校って所だけど知ってる、二郎君」


「え、マジで、弟君、菅生行ってるの!そこ俺の地元のすぐ隣だし、俺が普段使ってる最寄り駅は菅生行きのバスが出てるところだよ」


 二郎は近所の見知った高校の名前を聞き急に親近感を感じつつ驚いたように答えた。


「嘘、二郎君の地元ってあきる野なの」


「いや、あきる野じゃなくて地元は青梅市なんだよ。それにバスが出てる駅は羽村市にある小作って駅だよ。特に何も無い駅だけど、菅生の学生は朝夕とわんさか溢れているよ。でも随分遠くまで通っているんだね。四葉さんの家ってどこだっけ」


「私はすぐそこの分倍河原だよ。でもそれを言うなら二郎君だって青梅から府中に通学してるなら同じくらい遠いじゃない」


「まぁ確かに人のことは言えないか」


 二人は友人関係になったとは言え、まだまだお互いに知らないことだらけだなと改めて実感していた。


「ところで二郎君だったかな、君は四葉ちゃんとはどういう関係なのかな。健全な交際なら何も言うことはないけど、変な事を考えているなら夏美さんから四葉ちゃんを任されている以上黙っている訳にはいかないな」


 春樹は二人の会話をほぼ無視した状態で本気かどうかよく分からない口調で二郎に問い質した。


「はぁ、関係ですか」


 二郎が突然の問いかけに一瞬動きを止めているところで四葉が慌てたように春樹に言い返した。


「いきなり何を言っているんですか、春樹さん!関係も何もただの友達ですよ。今さっき初めて二郎君の住んでいる場所を知ったくらいだし、変なこといきなり言わないで下さいよ、もう恥ずかしい」


「恥ずかしいって言ったって、四葉ちゃんがいつも二郎君と今日話したとか、今日は店に来ないとか話しているから、てっきりそう言う間柄と思っただけなんだが」


「わーわーわー、何言っているか分からないです。あー私着替えてこなきゃいけないので、それじゃ」


 四葉は春樹の話しを遮るようにわめき散らしながら店の奥へ逃げ込んで行った。


 その様子にしばし呆気に取られていた二人は会計を済まし世間話をし始めた。


「ところで店長さんと四葉さんは古くからの知り合いとかなんですか。差し支えなければ聞いても良いですか」


「まぁそうだね、彼女の両親と俺は学生時代の親友でね、生まれた頃から知っている仲なんだ。君は彼女のお父さんの事は聞いているかい」


「はい、少しだけ。もう亡くなっているんですよね」


「そうだ、四葉ちゃんが小学5年の10才の時だった。弟君もまだ9才で、まだまだ子供だけど、状況を理解できる位の年齢だったから、色々難しい時でな。四葉ちゃんはしっかりしていたから家事の手伝いとか、弟の世話とかずっとやっていて、高校に入ってからも高校生らしいこともせずに、ウチで毎日のようにバイトしているんだわ。本当にたいしたもんだよ」

 

 二郎は春樹の話を言葉もなく頷きながら聞いていた。


「俺としてはそんな親友が残した子供達の保護者に勝手になったつもりで、これまで見守ってきたんだ」


 春樹は二郎の様子を見て、そのまま話し続けた。


「そんな四葉ちゃんの唯一の楽しみが弟の大樹の野球の応援なんだよ。四葉ちゃんの親父の秋人が野球好きの奴で、大樹が小さい頃から良くキャッチボールもしていたし、その影響なのか四葉ちゃんもかなりの野球好きみたいでな。甲子園を毎年欠かさず見るのが楽しみらしい」


 春樹は古い記憶を思い出しながら優しい笑みを浮かべながら言った。


「だから、いつも以上に楽しそうでテンションが高い感じだったんですね」


「あぁそうなんだけどな、そんな四葉ちゃんがなんだか最近楽しそうに野球以外の事を話してるんだわ。聞いてみると学校で放課後に校舎をうろついてる変な男子がいて、そいつに急に話し掛けられたとか。それでその男子が最近よく店に来る人だと気づいてびっくりしたとか。なかなか声を掛けてこないとか、そう思っていたら色々助けてもらったとか。ペンギンランドで出くわしたとか。なんだか楽しそうに話してるんだ」

 

 春樹は本当の娘に向けるような複雑な感情を持て余すような表情で二郎を真っ直ぐ見つめて言った。


「そんなことまで話してるんですか」


 二郎は二郎で驚きと恥ずかしさが見え隠れするようななんとも言えない様子で答えた。


「まぁそんな様子を見ていたら、気が気じゃなくてな。それでさっき変なことを聞いてしまったんだ。だからその、済まなかった」


 春樹は申し訳なさそうに二郎に頭を下げて謝った。これまで長々と四葉の過去と二人の関係を話していたのは、どうやらお客である二郎に対して失礼をしたことに申し訳なく思う一方で、娘のようにかわいがっている四葉を取られて悔しがる父親の嫉妬心が葛藤しており、その折り合いを付けるための時間がほしいためであったように二郎は理解した。


「いえ、そんな、頭を上げて下さい。自分は全く気にしていません。むしろ四葉さんを大事に思っている事がよく分かりましたし、もしも同じ立場ならきっと自分も同じ事してますよ。自分の娘によって来る虫を警戒するのは父親としては当然の行為かと思います」


「そうか、わかってくれるか。まだ若いのにたいしたものだよ」


「まぁ先日自分もその虫を追っ払ってきた所です。自分としてもあんな真面目で純粋な四葉さんに毒牙を向ける奴はどうしても許せなかったモノですから、思わず成敗してしまいました」


 二郎は春樹の気持ちに理解を示し、先日自分が五十嵐に対して行った行為を正当化するように言った。


「本当か、よくやってくれたな。ありがとう」


「いえ、当然のことです。それが自分の仕事みたいなモノですから」


「君なら娘を安心して預けられるかもしれないな」


「いえいえ、ある意味で自己満足みたいなモノですから」


 春樹は四葉の操を守るため、二郎は放課後の平和を守るためという異なる正義を胸に、謎のハイテンションで意気投合していた二人の前に、いつものバイト姿になった四葉が姿を現した。


「あれ、二郎君、まだ居たんだ。春樹さんと何を話していたのよ」


「たいしたことないよ、ただの世間話さ」


「そうなんだ、春樹さんまた変なこと言ってないよね」


「なにも無いから安心しなよ」


 二人がそんなやり取りをしていると春樹が何かを思いついたように提案した。


「ところで二郎君は明後日の8月7日は忙しいかな」


「いえ、何もありませんよ。明日、ちょっと用事で遠出するので、7日はゆっくり休もうと思っているところですけど、何か」


「そうか、つまり暇と言うことだね」


「え、いやまぁそうですが」


「それじゃ、私の代わりに四葉ちゃんと野球の応援に行ってくれないか」


「なんですって」


 二郎は思わず普段言わないような口調で春樹の言葉の真意を求めた。


「だから、明後日やる高校野球の西東京予選の決勝戦に応援しに行ってほしいんだよ。本当は私が店を休んで一緒に行こうかと思っていたけど、君が一緒に行ってくれれば安心だ。彼女に寄ってくる虫をしっかり払ってくれると安心して店番が出来るよ」


「虫がどうしたの、春樹さん」


 突然浮いて出た話しに混乱しながらも春樹の言った意味不明の言葉に四葉がツッコミをいれた。


「いや、これは私と二郎君の男の話しだから気にしないでほしい」


「そうなんですか、まぁそれよりも急に誘っても二郎君が困っちゃいますよ。ゴメンね、急に変なこと言って」


「いやそんなことないさ。確かに俺は野球には詳しくないけど、昔から知ってる近所の高校が甲子園を賭けた試合するってなら是非見に行きたいよ。四葉さんが嫌じゃなければ一緒に行っても良いかな」


「え、本当に。大丈夫、この炎天下の中で2時間も3時間も外にいるのは大変だよ」


「まぁなんとかなるでしょ。俺も一応運動部に入っているし、こんな機会そうはないだろうから、せっかくなら野球の試合を現地で見るのも悪くないと思うからさ」


「二郎君がそう言うなら私はかまわないけど」


 二人が観戦に行くことが決まった事を嬉しそうに見ていた春樹が最後に言った。


「二郎君、俺は信じているぞ、頼むな」


「は、はい。頼まれました」


 春樹の圧力に飲まれながらも二郎はしっかりと返事をした。

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