第三十七話 剣聖の気持ち
Szene-01 レアルプドルフ、ダン家
ダンとヘルマが防衛戦へと出かけた後のダン家では、ヨハナの家事をする音だけが響いていた。
「一人だけになるとやることが減っちゃうのよね。まだ時間はあるでしょうから、エール様とティベルダのベッドシーツを新しくしましょうか」
ヨハナは暖炉前へと向かおうとして玄関前で足を止め、扉へと振り返る。
「ヘルマ、今はダン様だけでなく、エール様もいるから大丈夫よね。あなたは寂しがりやだから、一緒にいてあげたい。けど、私はアウフ様の従者なので主人をお守りしないといけないから。今まで通り、場数を踏んだ経験で切り抜けるのよ。対スクリアニア戦は一度切り抜けているのだから、自信を持って。帰ったらたっぷりお話しましょうね」
ヨハナは軽く息を吐いてからふと天井を見上げる。
「アウフ様の周りもきれいにしておこうかな」
ベッドシーツの件を後回しにしたヨハナは、アウフリーゲンの墓へ向かう準備をするために踵を返して自室へと向かった。
Szene-02 レアルプドルフ、ブーズ町壁東側森中
部隊を前進させたスクリアニア軍は、ブーズを囲む町壁が目視できる場所に到着した。
壁役の剣士が盾を構えるのに合わせて、後方の弓隊も弓に矢を番えて町壁へと向ける。
小隊の足並みが揃ったところで、大隊長からの指示が小隊長へと波の様に伝わり、各所で矢が放たれる。
「持っている矢が無くなるまでひたすら射るのだ! 矢が無くなった者は手を挙げて待て」
Szene-03 レアルプドルフ、ブーズ町壁頂部
ブーズの民が築きあげた町壁には、雨の様に矢が降り注ぐ。矢による攻撃に備えて増築された壁の頂部では、矢が入り込まないように剣士たちが狭間を盾で塞いでいた。
「ちっ、あっという間に矢だらけになっちまう」
あちこちで剣士のぼやきが聞こえる中、ダンとヘルマは指示を出しつつ様子を見ていた。
弓矢の危険がありつつも、指示を出す者は壁の頂部で指揮を執ることが一般的な形。
ダンは多くの剣士に止められたが構わず、弓隊と剣士がごった返す中に混ざって声を掛け続けた。
「敵から放り込まれる矢はこちらへの補給と思えばいい。きれいに盾で受け止めて弓隊に渡せば、こちらからの矢が途切れることは無い。ありがたいだろ?」
「少々荒い渡し方だけど、それぐらいはスクリアニアのやることだから大目にみてやるか!」
剣士たちは盾で狭間の隙間を必死に塞ぎながらも笑い合う。
「あいつらに感謝する時が来るなんてな。それにしてもいつまで渡す気だよ、結構命がけで受け止めているから休まらねえ」
「盾の補給もしてくれると助かるんだが、欲張りってものか。おーい、新しい盾をありったけ持ってきてくれ」
ダンとヘルマは、盾に刺さった矢を抜く剣士を見ながら話している。
「少しは気が楽になっているといいが」
「ダン様が前線にいらっしゃるだけで士気は上がっています。もっと胸を張ってください。主人が堂々としていないと私ががっかりしてしまうじゃないですか」
「お、おう。いやな、エールの負傷が尾を引いてしまって、どうも無難な選択をするようになっている。剣士としてはよろしくない流れだ」
ヘルマはダンの話に耳を傾けつつ、目の合う剣士たちに向けて小さく会釈をしながら答えた。
「悪くはないでしょう。娘が大けがをしたのに気にしないような方なら、私は従者であることが苦痛になってしまいます。エール様のことをきっかけに部隊の被害を最小限にとどめようとするダン様は、紛うこと無き剣聖なのですよ」
ヘルマの話を聞いていたダンの目が、僅かな光を察知した。
「ふっ! 危なかった。怪我は無いか?」
剣士が狭間の隙間を失くすために盾で代わる代わる塞いでいるが、交代する際の一瞬を突いた矢が入り込んだ。
ダンはすり抜ける矢に気付き、自身の背中を盾にしてヘルマを両手で抱え込んだ。
「ダン様!?」
「どうした、どこかに当たったか?」
「いいえ、私は無事です……こうして守られているのですから。それよりダン様ですよ! 今背中に当たりませんでした?」
「お? 無傷だぞ、防具に当てたからな。それぐらいは俺にも出来る」
ヘルマはダンの胸板に拳を軽く当てて言った。
「従者の仕事を取らないでください。主人を助けるのが私の仕事なのに……剣聖に何かあったら私がみなさんに白い目で見られてしまうじゃないですか。ほんとに……もう」
ダンは頭の防具を叩いてから言う。
「怒られてもなあ、ヘルマに何かあると俺も白い目で見られるんだが」
忙しなく動く剣士たちは、ダンたちのやり取りをちらちらと気にしつつ聞き耳を立てて任務をこなす。
「剣聖は剣士の憧れであり、レアルプドルフにとって欠かせない存在。ヘルマさんも剣士にとって欠かせない存在なので、お互いに守り合っていてください! 英雄はすでにいらっしゃるので、お二人はとにかくご無事で!」
一人の矢を受け止める剣士から言葉を投げられたダンがヘルマに言う。
「なあヘルマ、アウフが英雄ならば俺も同じく英雄でありたいと思うんだが」
「剣聖が必要だと言われたではないですか。英雄の方はアウフ様に任せておいて、剣士様が安心できるように、ダン様は剣聖を続けていればよいかと。剣聖であることに不満を漏らしたら、みなさんに寝首をかかれますよ」
「おいおい、怖い事を言うなよ。ゆっくり眠れなくなるだろ」
「ではゆっくり眠ることができるようにしましょ、ダン剣聖様」
ヘルマはにこりと笑い、わざと可愛らしい声でダンに言った。
ヘルマの声を聞いた剣士と弓兵が一斉に二人へ目をやる。一瞬、飛んでくる矢すら止まったかと錯覚するほどの静寂が訪れたが、町壁の頂部は矢が盾に当たる音を機に元の忙しない空間へと戻った。
皆が感じた一瞬の静寂に気づかないダンは、微笑むヘルマを見つめて言った。
「ヨハナも待っていることだしな。よし! やはり皆の無事を優先する」
ダンは出来るだけ遠くへ聞こえるように声を張り上げる。
「いいか、自分の力だけでは辛いと感じたらすぐに助けを求めよ。複数人でも対応できないことがあれば俺に伝えてくれ、すぐに解決してやる」
「おおおお」
あちこちから感嘆の声が発せられ、部隊の動きに拍車がかかった。
「ヘルマ、これでいいか?」
「はい、みなさんの動きが明らかに変わったではないですか。これがダン様の影響力なのですよ。さあ、無事な立ち回りをしましょう」
ダンはヘルマの両肩を軽く掴んで言う。
「ふむ、ヘルマが納得したのなら良い。壁での防衛は何とかなりそうだが、壁の外にいるエールたちが心配だな」
「何かあればアムレットかヴォルフが走ってきますよ。たぶん何かある前に獣たちが助けてくれるでしょう」
「そういや魔獣も連れていたな。前回は魔獣の気に障ったことで思わぬ助っ人になったが今回は味方として戦いに混ざるのだから、世の中何が起こるかわからんものだな」
ダンとヘルマの脳裏に前回の戦いが過る中、町壁の頂部にはスクリアニアからの矢が積み上げられていった。
お読みいただきありがとうございます。
再び起きてしまったレアルプドルフの防衛戦。
見守っていただけたら幸いです。




