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邂逅

 パイプオルガンの荘厳なる旋律と、重なり合う男女の調べ。

 上階から聞こえてくるそれらに、私はうなされていたようだった。汗ばんだ体、荒い呼吸。視界には、暗闇だけが広がっていた。だが、それは単純な暗闇などではない。光すらも、この忌まわしき呪いを恐れて姿を隠した、そんな闇。

 その先で燃え滾る、暗黒色のなにか。


「――おはようさん。気分はどうだ?」


 暗闇の向こうで、靴を鳴らす甲高く歳の頃は、そのせいか若くも老いたようにも思えた。耳障りな音が響いた。呪詛にも似た聖歌に交じって聞こえてきたのは、雑音の走ったような男の声。

 徐々に眠りから覚醒した肢体に感じる、じりじりと、神経が端から焼かれていくような痛み。私は膝立ちに、鎖によって腕を挙上されているようだった。


「なんのつもりだ……!」

「血気盛んなこったなぁ、今置かれている状態が知りたいとは思わないのか?」


 飄々とした態度に乾いて血が滲んだ唇を噛みしめる。その様子にか、男は呆れたように肩を竦めて答えた。


「世界を呪った王子様。その果てに世界を守る英雄となりましたとさ、ちゃんちゃん」

「だからなんだ……!」


 そんなことはとうに理解していた。私が呪いをはき捨てたことも、その呪いが叶わなかったことも、そして捕らえられ、世界の均衡を守るための人柱となったことも。

 思い出すだけで、はらわたが煮えくり返るようだ。だが、その怒りがこの空間を灼熱に変えることはない。どれもこれも、この首にはめられた、忌々しい封呪の首輪のせいだ。


「で、どうだ? とびきり濃い四大の味はよ」


 ん? と首を傾げる男に飛びかかろうとしたが、それは叶わなかった。冷たい鉄屑が全身を蝕む。乾いた皮膚が割れて血が滲むと同時に、血が針に変わったような痛みを伴った。

 葉脈状のくぼみが彫られた枷は、対象に四大を流し込む。人には多すぎると毒となる四大を、人が生きていく適量に保つため。死ぬことがない私は、いわば世界維持のための生贄だった。


「……この焼け付くような苦しみも知らず、救世主だと祀り上げる。貴様ら……かくも愚かになれるものなのだな」


 聞こえてくる聖歌に、目の前に立つこの男に、私は呪いを吐き捨てたかった。叶わず飛び出した咳は、地にぴちゃりと音を立てて弾ける。途端、手首足首が焼け付くように痛んだ。神経が分断されるような激痛。濃く錆びついた臭いが鼻をついた。

 なぜ、本来は等しく人間が受けねばならないこの罪を、私一人が全て背負わなければならないのだろう。

 なぜ、私が犠牲にならねばならないのだろう。

 そんな疑問も、この憎しみや苦しみと共に、永遠に檻の中だ。


「まぁまぁ、そう怖い顔しなさんなって。じきにここともオサラバできる可能性を、お前は握ってるんだからな」

「……どういうことだ」


 その口調はどこか冗談めいていたが、引き込まれるような魅力があった。その可能性。たとえそれが嘘であっても、今ならなににでも縋ることができた。それほどに、判断力はこの鎖にやられていたのだろう。

 フードの中の暗闇の先に、赤い光がふたつ走ったような気がした。


「簡単な提案さ、どうだろう。俺はお前をここから出し、お前に手を貸してやる。その代わり、お前も俺に協力する。どうだ、悪くはない提案だろう?」


 彼にどういった目的があるのかは分からないが、等価交換にしては悪くはない。私が彼に協力したところで、どうせ私を裏切る腹だろうが、ここから出られるならば、そうであっても構わないだろう。裏切られる前に、裏切ればいいだけの話だ。

 お前は、と彼は私の顔を覗き込んだ。ゆらり揺らぐ炎に照らされるが、フードの先はまるで闇を詰め込んだだけの空洞のようであった。

 ――いや、そこに、なにかが見えた。

 赤い光が、ふたつ。

 その先に、闇よりも暗いなにかが燃えた。


「復讐したいとは思わないか? 本来なら幸せに暮らせていた……そのはずが、神殺しを強要され、その体は兵器へと変容させられ、結果招かれた世界の不均衡、その罪を彼の民の代わりに引き受けさせられる。それを赦せるのか? お前はそんな愚かな民と、国のために、その永遠の時を苦しみ続けるのか?」

「なんだ……それは悪魔の囁きか?」

「どう取ってくれたって構わないさ。俺が聞きたいのは、お前の意思だ」


 口は達者なようだ。現に、私は乗せられてしまっている。私の意思は、すでに決まっていたのだ。

 私は長く息を吐き出し、この身に流れる呪いを恨んだ。


「……もう、うんざりなのだ。くだらん使命も、神の血を求めることも」


 神を狩り、その血を集めて。神の力をもって、世界の四大の調整を図る犠牲者となることも。

 なぜ、私でなければならない。誰が野心を抱き、世界を手中に収めようとしても構わぬ。神の力を得るのも、世界の均衡を保つことも、また結構なことだ。だが、それを背負わされたのが、なぜ私なのだ。

 その疑問を、苦しみを、憎しみを、すべてを解決できるというのなら。


「現れたのがたとえ悪魔であっても構わぬ。このとめどない怒りを解き放つことができるというのなら……その悪魔の契約、ぜひ交わそうではないか」


 私は、この愚かなる民の国を滅ぼそう。

 なにが愉快であるのか、彼の笑い声は一帯に響き渡る。その声に交じって、微かに石壁の脆く鳴く音が聞こえてきた。


「その契約、偽りはねぇな?」


 あぁ。頷いた、その時だった。

 ぶわりと、全身を駆け抜けた衝撃。がしゃんと、なにかが崩れるような音。肌を掠めたなにかは、傷を残して弾けた。肌を垂れるなにかは、私の血なのだろうか。

 甲高く鈍い音が聞こえてきたと思ったのも束の間、砂礫が舞い上がるのと同時にふっと体は支えを失った。崩れ落ちる、その手を、なにかが掴む。

 肌がぶわりと鳥肌立った。破壊衝動に燃える炎のようなものが、全身を覆ったような感覚。そして、すぐ前に光る、真っ赤なふたつの光。


「お前さん、名前は?」


 なにかが、私にそう問うた。その幻惑的な眼に、私は口を開く。


「……エルヴィアだ。エルでいい」


 上の方から、いくつもの足音が聞こえてくる。四大の動きを感じた。炎が揺らいでいるようだった。


「貴公は、なんという?」


 両手両足、そして首に感じていた冷たく不快なものが消え去る。その身に宿る呪いがその勢いを宿し始めるのを感じた。

 怯え切った人間の呼吸。その中で、なにかは嗤っているような気がした。


「――見捨てられた人の子、エインだ」


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