不穏な噂
あれから一か月後、今では彼はすっかり冒険者達の人気者になっていた。
冒険者というのは元々が地位の低い者が多いため、自分より優れている、立場が上である者に対して嫉妬よりも先に尊敬、称賛の感情が出る。
冒険者が実力主義だといわれる所以はこれだな、最近入って一気に活躍している新人が素直に凄いと称賛を受けている。
他の職ならこうはいかないだろう。一回大きく活躍した新人が調子乗ってるだのなんだの言われて自殺まで追い込まれた話はよくある話だ。
まあそんなどうでもいいことは置いておいて、今回彼に与えられた依頼は洞窟内の鬼蝙蝠の群れの退治だ。
この一か月、多少危険な依頼もあったが全て何とかなっている。
まだ一か月しか過ごしていないのもあって大したハプニングが起こってないのも一因だが、やはり彼の魔法が強力なのが大きな理由だろう。
単純に元の世界での教育を活かすだけでなく、魔力の制御も上手い。
最高とまでは言わないがこの世界でも上位に入る魔法使いと言えるだろう。
という訳で私の彼の魔法技術への信頼はある程度厚い。少なくとも危険な状態でも心配して慌て過ぎず冷静に行動するようになれたぐらいにはね。
まあ鬼蝙蝠程度なら彼なら大丈夫だろう、相性は悪くないし別に大して強いわけでもない。いざとなったら逃げられるでしょ。
『おい、聞いたか。この近くによ、なんかヤベェ奴がいるって噂』
件の洞窟までの馬車の中、相乗りした冒険者が彼にそんな事を話しかけていた。
『ヤベェ奴って、どんなのですか?』
『それがよ、よく分かんねえんだ。この近くを通った何人かは行方不明になるらしくてな?それで多少戦闘もできる冒険者が調査の依頼を受けたんだが、そいつも行方不明なんだとさ』
『何ですかそれこっわ。幽霊的なモノじゃないですよね』
『さあな、今んとこ無事な奴は何も見てない奴だけだ。正体が分かるだけで結構な金になるかもな』
ふむ、そういう噂話には大抵尾びれがつくものだが……。念のため確認しておくか、先に何を鑑定するか分かっていればどういった情報を送るのか準備しておけるからな。
「――ッ!」
どうしてこんなのがこんなところにいるんだ。
噂の地帯の世界記憶を調べてみたところ、いちゃいけない存在が確認できた。
なるほど、こいつがいるのなら噂は一切の尾ひれなく事実だろう。寧ろ被害がその程度で済んでいることが奇跡に近い。
これは、日影青年には厳しいかもしれないな。単純に強いっていうのもあるが彼とは相性が悪い。
流石に本来の力よりはだいぶ弱くなっているがそれでも人間一人を死体を残さず蒸発させられる程度には力は残っている。
逃げるのも難しいな、機動力は高いし一度見つかったらずっと追ってくる。体力ない彼じゃ戦闘は免れないだろう。
彼が遭遇しないことを祈るしかできないが、まあ十中八九遭遇するだろうな。
日影青年は人間の中では強い方だ、ただでさえ人間なのに強いときたら見逃されるハズがない。
しっかしどうするか……。鑑定で送る情報を厳選しようにもなんか弱点の一つでもあったっけ?厄介なところなら腐るほどあるんだが。
もう少し彼の肉体が強靭になってくれれば鑑定で送れる情報の量も増えそうなものだが、魔法にしか頼っていないからな。
そうして私は彼にこの先待ち受けているであろう脅威のために世界記憶をあさり始めた。
数時間後、気づくと彼は目的の洞窟にたどり着いていた。
そこまで大きくはないが連なる鍾乳石と僅かに差し込む陽の光によって中々に美しい景色を作り上げていた。
中はそこまで入り組んでおらず、直ぐに標的が彼の前に現れた。
「鬼蝙蝠」
「顎の力が強く、人間なども襲う凶暴な肉食のコウモリ」
「魔法は使わないがそのスピードで獲物に近づき獲物の肉を齧り取っていく」
「一匹一匹は大したことないが厄介なのはその数である。一つの群れに多ければ千匹を超える個体が存在する」
大きさは普通のコウモリより僅かに大きい程度だが鬼蝙蝠の特徴は大きさではなくその牙だ。
異常に発達した二本の牙は顎まで届いていて少々不気味さ漂う外見をしていた、そんなのが数百匹も逆さになっている。
普通ならかなり手強い相手だ。かなりの数がいるのに居場所は洞窟、落盤の危険があるので広範囲の魔法は使えない。攻撃力もスピードもあるのでちまちま削るのも難しい。
だが、日影青年の前ではただのカモとなる。
『生命無き領域』
いつの間にか変な名前がついていたが、まあ要するに彼がこの世界にきて初めて作った一酸化炭素を生み出す魔法だ。
デカい相手なら反撃される可能性もあるのだが、鬼蝙蝠のように小さく数が多い相手には相性がいい。
小さければその分吸う一酸化炭素も少なくても死ぬ、いくら数が多くても気体の拡散範囲から逃れるのは不可能。
付け加えると、一酸化炭素はわずかだが上にたまりやすい。上で吊り下がっているコウモリはより吸い込みやすい。
相性が馬鹿みたいに良いんだよな、体が小さい魔物相手に。数がほとんど関係ないとかとてつもない性能だ。
今彼はほんの数十秒で鬼蝙蝠は全滅していたので、『アイテムボックス』に死体を放り込んでいる。
大勢の前で使っているのを見せるのはまずいが、街の近くに戻ったら別の袋か何かに移し替えればいいという判断のようだ。
鬼蝙蝠の牙は高値で売れる、あれだけの量があればかなりの額になるだろうな。
洞窟から街まで数十キロはある。歩いて帰れないわけではないが、彼の体力では街に着くのは真夜中になってしまう。そのため今は街道沿いで馬車を待っているところだ。
冒険者のギルドがある街は良質な素材が集まることが多いのでかなり商業が発展しやすい、元々ギルドは人の集まりやすい大都市に建てられることが多いので一時間もすれば馬車の一台も通るだろう。
『おう、あんたも終わったのか』
待つこと数分、行きの馬車で相乗りした男が日影青年に近づいてきた。
『いやしかし運が良かったな俺ら』
『?何のことですか?』
『おいおい、朝話しただろ。忘れちまったのか?噂だよ噂。正直な話怖かったんだよ、ここら辺の依頼受けるのさ。まあ金ねえから受けるしかねえんだが』
『ああ、なるほど。案外そこまでビビることなかったのかもしれないですよ?デマだったりして』
『あん?なんだよ、俺の話を信じてなかったのか?コノヤロー』
『ははは、すいません。じゃあまあこれも何かの縁てことで帰ったらお祝いしますか、おごりますよ?』
『お、マジで?サンキュー。約束したからn』
次の瞬間、彼はこの世界からいなくなっていた。
存在を証明するものは一つも残っておらず、完全にチリと化している。
ああ、唯一彼が夢幻の類ではない事を証明できるものがあった。
彼の背後の破壊の後が、圧倒的な力で彼を消し飛ばしてしまったことの証だろう。
『え?え??』
日影青年は困惑しながら周囲を見渡すが、何も見当たらない。
『キキッ』
否、それは彼の頭上にいて笑っていた。人間を一匹殺せたことを喜び笑っていたのだ。
何となく予想はしていたが、残念なことに来てしまったか。
はぁ、まったく。数百年前の遺物がしゃしゃり出てきやがって。