4 朧月
[ヒント:妊娠中]
[完全に托卵です]
[いい加減DNA鑑定義務化しろよもう]
[バレて●したか]
[いくら美人でも嫁ガチャハズレだった旦那]
[隠し切れないメンヘラ臭]
[なぜか地雷女には美人が多い]
[まあ一番の被害者は子供]
「…………。」
見なきゃいいのにといつも後悔する。
段ボールだらけの薄暗い部屋の中、パソコン画面に煌々と映し出されるどす黒い好奇の数々を、あたしはスクロールし続けた。
殺人犯、名塚月乃へ対する低俗な憶測や、不謹慎な考察、下衆の勘繰り。
[第一発見者も妊婦だったらしい]
[これマ?]
[まじ。たしか親族]
[トラウマ不可避]
[可哀想な子供がまた一人]
[巻き込まれすぎだろ子供]
[子供は親を選べない]
時折混じる、真実の欠片と、歪な正義。
[殺人現場に妊婦×2とかすごい話]
[マジで子供たちかわいそすぎ]
[可哀想]
[可哀想]
[被害者]
[可哀想]
[子供は被害者]
[可哀想。犯罪者の身内なんて]
「…………。」
結局また、今日も、こうして後悔する。
何度過ちを繰り返すのだろう、あたしは。自戒の念をこめて、段ボールだらけの質素な部屋をぐるりと見渡してから、さいごにベビーベッドをみつめた。息子は今日も健やかに、よく眠っていてくれる。
もうすぐ、もうすぐだからね。
いらない家具なら大方処理した。荷造りもぼちぼち完了。もうすぐ、あたしと、息子と、夫の三人だけの、静かな生活が始まる。
「あいしてる…………愛しているわ、旭。」
今日もあたしは、無理やりな母性を浸み込ませる。
懲りない後悔を薄めるために、迷いを断ち切るみたいに、
自戒の念をこめて、
「……あいしてる。」
その口癖を、唱える。
「これこれっ。陽ちゃんに絶対似合うっ。」
花柄の夏物オールインワンをあてがいながら、月乃ちゃんははしゃいだ。水色とパステルピンクが入り混じる生地と、両肩の露出した大胆なデザインに、あたしは少々戸惑った。
「ちょ……ちょっと肌、出しすぎじゃないかしら。」
「もー。陽ちゃん、まだ若いんだよー? 冒険しなきゃ!」
よく見ると腿あたりから足首まで、脚が透けるタイプの割とセクシーな服だ。それでも月乃ちゃんは絶対に似合うはずだと、試着だけでもと勧めてくる。
正直、可愛いとは思った。素直に、すてきな服だと。
「か、可愛いとは思うの……ただ、」
「ただ?」
「その……可愛すぎ……る、かな、って……」
あたしには勿体ない。そんな卑屈さが勝っていたのだ。
むしろ月乃ちゃんにこそ着てもらいたいとさえ思った。このオールインワンに限らず、店に入った時から、あたしはどんな素敵な服を見つけても、隣に並ぶ月乃ちゃんに似合いそうだな……と、無意識に考えていたものだった。
言い訳を終えるあたりで、月乃ちゃんのきょとんとした顔に気づく。
「? 陽ちゃんが着たらもっと可愛いよ?
ねっ。お義兄さん、びっくりさせちゃおうよ。」
あたしの卑屈さになんてまるで気づかずに、平然と恥ずかしいことを言う。でも、ばかにされている感じはしない。馴れ馴れしいくせに不快にさせないんだから、すごいなあこの人は。
あたしは言い包められたも同然に、気づけばショップ袋を肩にかけていた。
嫁いだばかりの頃、月乃ちゃんはよくこうして、あたしを街に連れ出してくれた。
お互いまだまだ遊んでいてもいい年齢なんだからと、身の程を弁えない主張を、可愛く唱えるものだった。
二人で目一杯おしゃれもお化粧もして、出掛けた。
一日中ショッピングモールをふらふら歩いたり、可愛い服を選び合ったり、雑貨屋であれこれ手に取ったり、おなかが空けばカフェに入って、いっぱいお喋りだってした。
それはどれもこれも、いつかのあたしが望んだ夢で、逃してしまった青春をようやく謳歌できたみたいで、嬉しかった。
あたしの虚無みたいな二十年間を、月乃ちゃんは優しく、あたたかく、埋めてくれた。
「あたし、実はこういうの、月乃ちゃんとが初めてで、」
弾むお喋りの延長で、ある日、打ち明けた。
「こういうの?」
小首を傾げる月乃ちゃんへあたしは正直に、今まで女友達の一人も居なかったこと、こんな楽しいお出掛けも未経験だったという事実を話した。
「だからね、毎日、すごく楽しくて……」
たのしくて、に続く言葉を、ちょっぴり躊躇う。……これを言ってもいいのだろうか。脳内で巡る自問に迷いつつも、やがてあたしは決断した。
「あたしは、すごく光栄なんだけど、その、月乃ちゃんは、あたしとばかり遊んでていいのかしらって思うの。……ときどき。」
あたしも存外面倒くさい。いいや、こよなく面倒くさい女だ。
素直に毎日楽しい、で済ませればいいだけなのに、どうしても余念をいだいてしまう。未だ友達という関係性に慣れていないというか、そういった相手の取り扱い方を理解していないのか、気の遣い方があまりにも下手っぴ過ぎる故か、兎にも角にもあたしという異質な女はこよなく面倒くさかった。
変な奴だと思われたらどうしよう。発言をしたあとに不安と後悔が過る。
「つ、月乃ちゃんって可愛いし明るいから、交友間関係とか広そうだし、その、ちょっと、申し訳なくて……」
言い訳みたいなフォローも、我ながらぎこちなかった。
ふと月乃ちゃんは真顔になった。
折り曲げた人差し指を唇に当てて、何かを考えている。効果音をつけるのなら、「ふむ」とか「うーむ」とか「むう」が合いそうなそのしぐさは、決してふざけてはいないのだけれど、思い煩うとも違っていた。
「いなくなっちゃったの。」
やがて顔をあげて、ぱっと言った。
「お友達も、家族も、好きだった人も、みんないなくなっちゃった。今は暁くんだけ。」
いつもと同じ、透明色のきれいな顔で無邪気に言う。甘い声には沈鬱も悲愴も一欠片さえ無くて、内容と言いぐさの不一致さにあたしは朦朧とした。
「わたしには、暁くん以外いないの。」
気を確かに持ち直しても、彼女の告げる不一致は、まがい物なんかじゃなかった。
ほんとうに、ほんとうなの? 月乃ちゃん。
胸中にて呟くばかりで黙るあたしに、はっとした月乃ちゃんが両掌を向けて小刻みに振る。
「ごめんうそうそ! 今は陽ちゃんもいるもん。
えっと、つまり、わたしもおんなじ。こうやって遊んでくれるのは、陽ちゃんだけだよ。」
冗談交じりに和む彼女に、あたしは律義に同調して、笑い合った。
あのときの月乃ちゃんに、嘘は無かったと確信している。
その確信が、どんな箇所のどんな部分でどんな真実を指すのか、説明するにはきりがないけれど、ただ一つ、声を大にして言えるのは、
月乃ちゃんが夫を、暁さんを、深く深く愛していたということだ。
きっと今、日本中で誰もが勘ぐっている、察している、不名誉な疑惑を、あたしは大声で否定してやりたい。そんな機会も勇気も無いけれど、せめてあたしはあたしにだけでも、自己満足に宣言する。心だけで叫ぶ。
あれは、あの事件は、
夫婦喧嘩の延長なんかじゃない。不仲が招いた結果なんかじゃない。
托卵だなんて……赤ちゃんが別の男との子だなんて、もってのほかだ。
あたしは月乃ちゃんを知っている。誰よりも解っている。
月乃ちゃんは暁さんを愛していた。
誰よりも何よりも、
最優先に、大好きだったんだ。
あたしは だれよりも
月乃ちゃんを しっている
…………ほんとうに?
「――――ッ…………――」
[なんでころしたしwww]
「…………。」
[ころすか普通]
[知るか殺人犯の頭なんざ]
[こいつおなかの子のこと考えなかったの?]
「…………。」
[殺人犯の子とか人生超絶ハードモード]
[身内もいい迷惑だろ]
[名塚月乃のせいで人生めちゃくちゃ]
……ああ、また。まただ。
止まらない後悔とあやまちを繰り返す。
どこの誰がどんな顔で書き込んだのかもわからないネットの世界を、あたしは覗き続ける。悪意まみれの好奇が具現化された文字を、追い続ける。
ここには悪意と好奇、軽蔑と罵倒、そして容赦ない真実があって、あたしを離さない。
「…………」
無意識な指がキーボードに触れる。
無機質なタイピング音と一緒に、
[でも おまえら]
あたしは、この下卑た世界へ、
[正直嫌いじゃないだろ 名塚月乃]
飛び込んだ。
[まあ
カワイイよねw]
[それ]
[ほんこれ]
[(でなきゃこんな事件興味)ないです]
[殺人系美女おいしい]
[しかも妊婦]
[控えめにいって最高]
[見てる分には大好き]
[え?だから?]
[ぶっちゃけすぎ]
[流れwww]
[むしろ托卵でも許すわ]
下卑た世界の下衆な反応は、正直すぎるほどに即答で、潔いくらいに狂っていた。
一つめの反応を皮切りに、連なるように押し寄せだした幾多の本音にいよいよ眩暈がして、あたしはようやくパソコンを閉じた。
ベビーベッドの隣に敷かれた薄っぺらい布団に潜り込んで、息子の寝息を聞きながら、眠くなるまで、月乃ちゃんとの思い出を探した。
……愛してたもん。月乃ちゃんは、暁さんを愛してたもん。
確信するための記憶を探した。
犯した罪とか、殺した理由とか、どうでもよくないものがどうでもよくなっていた。
あたしの知っている月乃ちゃんだけを求めた。
「この子は、暁くんに、似てくれるかな、」
記憶はすぐにみつかった。
たしかこれは、月乃ちゃんが安定期を迎えた頃だったと、思う。
「? なあに、突然、」
珍しく物憂げな声を落とす彼女に、あたしは、マタニティブルーの延長なんだろうな程度に、わざと気さくに笑って聞き返したんだ。
「あまり、わたしに、似ないでほしい、な。」
月乃ちゃんはあたしを見ずに答えた。膨らみかけの胎に手を添えて、ものさみしく、願うように呟いた。
「……。おかしなこと言うのね。あなた似で産まれたら、きっと、すごいイケメンくんになると思うわよ?」
「陽ちゃん、」
これもまたらしくなく、月乃ちゃんはあたしの言葉を遮るように声をかぶせた。たぶん、あたしはほんのちょっと、どきりとしたのだと思う。たぶん、ほんのちょっと緊張しながら、彼女の次の言葉を待ったのだと思う。
「わたしね、」
でも結局、杞憂だったんだ。
あたしを見つめる大きくて愛らしい瞳は、いつもどおり透明色に艶めいていて、甘くて、可愛くて、美しくて、きれいできれいできれいに、微笑んでいたんだ。
「暁くんのこと、大好きなの。」
ほおら、ね。
あたしは安心して眠りに落ちた。
『速報です。』
『I市会社員刺殺事件で身柄拘束中の名塚月乃容疑者が、提携先の産院で死亡しました。
繰り返します。I市会社員刺殺事件で身柄拘束中の名塚月乃容疑者、提携先の産院で死亡を確認。自殺とみられています。月乃容疑者は直前に出産しており、助産師が分娩台で首から血を流している月乃容疑者を発見したとのことです。自殺、とみられています。』