別天神から神代七代まで
別天神から神代七代まで
この世界が存在している空間はいつからそこにあったのだろうか。遠い遠い昔、ただ無限に広がる空間だけがあった頃のことをどう表現すればよいだろうか。
そこには人の姿はなく、あらゆる生命もなく、水もなく、天も地もない。しかし無から有が生まれたのでなければ、そこには今ある全てがすでにあったのだ。
人間が思う姿とは異なる形で人の元、生命の元、水の元、天地の元は空間に存在していたのだろう。それらは渾然一体となって見た目にはどこからどこまでが何なのか、全く区別のつかない一つの空間となって存在していた。
そんな漠然とした空間に、試しに一つ点を打ってみたらどうなるだろう。無限に広がる格子状の図の、一つの交点に点を打つように。するとそこが何となく全ての中心のように見えてくる。今まで何もかもがわからなかった空間内の動きも、少なくとも点から遠ざかるものと、点に近づくものの二つがあることに気づく。空間内は二つの運動によってかき混ぜられている。
この何か一つを基準にして物事を二つに分けるということは人間の考え方の根本でもある。
空間内で動きが活発なところがあればそれは「生きている」と表現されるし、逆にほとんど動きが見られないところは「死んでいる」と表現される。
高い方にどこまでも行けばその果てが「天」で、逆にどこまでも低い場所が「地」になる。
活発に動くものたちはやがて、それぞれの果てに少しずつ溜まるようになる。どうも下るよりは上る方がエネルギーを多く必要するようで、「地」にはどんどんと活発なものが溜まり続けるのに対して、「天」に届くものは少ないようだ。それでも地からだいぶ遠く上ってきたものはむくむくと膨らんで雲になった。雲はいつまでもその姿をたもつことはできずにやがては雨になって地に下りていく。
ここからはしばらくずっと「地」の話となるので、それまでの「中心」、二つの運動、「活発」、「天」の五つはひとまず遠く離れた天の要素ということになる。
地ではたまっていたものと下りてきたものが混ざって、いくつかのものが生まれたようだ。
雨に多く溶かされたものは泥となり、それほど雨に溶かされなかったものは砂となった。
泥と砂との上にやがて最初の命の芽が出た。生き生きと育つそれはまだ一つで、今の生物とは異なるものだ。一つの命が、二つ三つと分裂していく。それがまた、また、分裂を繰り返していく。ここでまたそれらは、固いものと柔らかいもの、重いものと軽いもの、大きいものと小さいものがあるように見えた。
これらの特徴は命にとってどちらも重要なことに思えたので、命はそれぞれに特徴を伸ばすようになった。
やがて完全に二つの姿にわかれた命は今度は分裂を止めて、再び合体するようになった。するとまた新たな全く新しい命が生まれた。
これでようやく今、地に多く生きている生物と同じような形となったのだ。
ここまでが地に起きた今までの出来事で、振り返るとまず「地」ができて、雲ができて雨を降らし、泥と砂ができて、命の芽が生まれ、それらは二種にわかれて、やがてその姿は完成して、また合わさって命を生むようになった。ここまでの要素が七つで「七代」とということになる。




