脱洗脳カウンセリング
「最近は、気分はいかがですか?」
「最近も、実家に篭って、携帯電話でゲームばかりしています。
気分は、良くないですね。両親と言い争うこともあります」
「なぜ、ゲームばかりしているのですか?」
「この町の、何もかもに馴染めなくて。
帰ってこなければよかったなんて、昨日母には言ってしまいました」
「拉致されて、ISにいた頃のことを考えることはありますか?」
「あります。
尊敬していた上官のこと。
死んでいった仲間達のこと。
仲間達の無念を思うと、どうしようもなく涙があふれます。
でも、上官のもとで戦いつづけたかった。
上官のもとにいた頃、僕は今よりも満たされていました」
「今でも当時の上官を尊敬しているのですね?」
「はい、しています」
「なぜ、彼のどこを、尊敬しているのですか?」
「僕達少年兵は、彼のもとに家族のようなものでした。
そこには家族愛のようなものがあって、だから愛着しています。
そしてまた、彼の人間性をも尊敬しています。
人間性とはつまり、彼の精神性は、ISの理想に通じていました。
ISの理想は、イスラームの理想であったと思います。
神の愛と正義のために、自己犠牲や献身を厭わない態度。それが彼にはあって、僕は今もそれを尊敬しているのでしょう」
「ISでは、上官などから、ひどいこともされたでしょう?」
「はい。
訓練はとにかく厳しくて。
朝から晩まで走らされたり、遅れると、銃で足元を撃って脅されたり、怖かったです。
でも訓練以外では、彼は優しかった。
今も、僕の心は彼のもとにあります」
「戦闘は、嫌だったでしょう?」
「はい。
次々に皆が死んでいって、とても怖かったです。
同じ訓練を経た、同じ年頃の少年兵が多くいました。生活の全てを共にして、本当に、家族みたいでした。
でも、ほとんどが死んでいきました。残酷な姿で。
彼らが死ぬなんて間違っています。いい奴らだった」
「この町の、何に馴染めないんですか?」
「くだらないですよ、全てが。……そう感じます。
この町には、クズしかいません。だから、馴染めないし、馴染みたくない。馴染むべきだとも思わない。
死んでいった友達や、上官のほうが、よっぽど人間性に魅力があります。
だって彼らはクズじゃなかった。
そりゃ、たくさん人を殺してしまったかもしれないけど、クズ共と戦ってクズを殺したんですよ。悪人じゃありません」
「この町にクズしかいないって思うんだね?
なぜそう思うの?」
「見るからにそうです。
誰もイスラームの話なんてしていません。みんな金の話ばかりしてる。
恥ずかしいと思わないんですかね? 思わないんでしょうけど。
彼らには、理想がない。
理想がないなんてもんじゃない、理想の「り」の字も、理想という概念すらがそもそも存在しないんでしょう。
彼らには、神への信仰がない。私利私欲だけで生きています。
だから、善悪を言う時だって、常に偽善で。ISを平然と罵倒します。自分達に正義があるとは説明できない頭のくせして。
彼らは、僕がISに所属していた少年兵だったことを嘲ります。でも僕は、ISにいたことを内心は誇りに思っている。僕こそ、彼らを蔑んでいる。
彼らには理想がありません。理想がないと人間はクズになるんですよ」
「君の言う『理想』について、もう少し詳しく説明できるかな?」
「全ては、聖なるコーランにおいて明示されてます。
コーランを勉強したことはありますか? ろくにないでしょう。
僕の実家にも子供の頃からコーランはあるけど、両親がまともに読んでいるのを見たことがない。
ISでは神の教えについて教えてくれました。
いいですか先生? アッラーのご意思とは、共存共栄ですよ。
弱い者を見れば助け合う、互助の哲学です。
欧米を通じて、ユダヤの金儲けの哲学が入ってきて、僕達の祖国をめちゃくちゃにしてしまいました。イスラームに則って千四百年生きてきたのに、風景以上に精神こそボロボロになった。
自分さえ良ければ人がどんなに苦しんでてもいい。そんな金儲けの哲学は、神の意思に反しています。やがては怒りを受ける。
ISはね、先生、互助の哲学、共存共栄の哲学に基づく共同体を実現しようとしたにすぎない。だから既存の、金儲けの哲学と衝突したんです。
ISは暴力を用いたから悪いなんて言われるけど。殺した数より、殺された数のほうがずっと多いです」
「ISだけがイスラームではないでしょう。ISはむしろ、イスラームの特殊な表現でしかないでしょう。
イスラームは、平和主義の哲学ですよ。ISは、ならず者の集まりであったにすぎない」
「ならず者は、先生達ではないのですか?
ならず者はむしろ、イスラエルとアメリカなのではないですか?
なぜ、僕達の土地から産出する石油が、欧米資本のもとに隷属させられているのですか?
逆にISが、経済的な動機を主に行動したと言うことこそ無理がある。
もしもISが金儲けの哲学を動機とする運動なら、かくまでイスラームを謳う動機とてありえなかった。
先生達のおっしゃることは、全てが議論の捻じ曲げだし、恣意的ですよ。理屈じゃない。
『平和主義』はご立派かもしれないけど、結果として金儲けの哲学に与しているなら、ただの惰弱じゃないですか。
僕の友達は無残な姿で死にましたよ? 先生の友達もたくさん死にましたか? あなた達のほうが楽をしている。
イスラームを守るためには、臆病と保身に生きるよりも勇敢に戦えと、コーランには書いてある。
ISはイスラームに則っています。クズが安易に侮辱していいものじゃない」
「しかし、ISはすでに滅びましたね?」
「……。
そうかもしれません。
しかし、どういう意味ですか?
時にISの不当性を主張し、論破できなきゃ力の議論に舞い戻ってマウントを取る。
恥ずかしくないんですか? 恥ずかしいとすらわからないほど馬鹿なんでしょうね。
ISが勝っていたらISに正義があるんですか? 善悪の話と力の話を区別できない奴は馬鹿だ」
「勘違いしないでください。
私は、君の人生の幸せのためを思って言っています。
ISはすでに敗退した。だから君は、ISに属して、ISにすがって生きつづけることはできません。
これからどう生きていこうと思っているのですか?
そこに助言するのが、私の役割です」
「ISは滅びましたよ。だから僕はこの町に帰ってくることになったんです。
最初は嬉しかった。両親とも会えたし、両親も涙を流して喜んでくれました。
でも僕は、この町には馴染めない。馴染めないという思いは、日増しに高まってきました。
どうにかしたいけど、どうにもできない。
だから、面白くもないゲームなんてやってるんです。
ゲームをしながら、ずっと考えてますよ。どうしたらいいのか。
どうしようもないです。
この町には、私利私欲のクズしかいない。
ISの上官達には、理想がありました。そして仲間達はあなたがたに殺されていった。僕は、仲間達を裏切ることはできない」
「君は、そもそも、拉致されたんです。
君のその仲間達もそうです。
ISは多くの町から少年達を連れ去った。兵士として利用するために。
そして、自分達に都合のよい考え方を刷り込んだ。洗脳です。
君の仲間達だって、ISによって殺されたと言える。
君の人生まで台無しになってしまうことのないよう、私達は今、このように努力しています。
ISに属して生きて、多くの苦労を重ねてきた、その数年間の人生を、自ら否定することは辛いかもしれない。しかしそれを乗り越えていくのでなければ、君は幸せには生きられない」
「わかりますよ。
この町に戻って、尊敬できる大人達に出会ったならば、それも可能だったかもしれません。
でも、そうはならなかった。
僕は、軽蔑すべき人々から嫌なことをたくさんされたし、だから僕の中で、当時の上官こそは、最も尊敬すべき大人でありつづけている。
僕のことなんて僕はどうでもいいんですよ。
この町がどうしてこんなことになってしまったのかって、僕はそれが疑問なんです。私利私欲のクズばかりの町。ISの教えが全て正しかったって、毎日言われているような印象すら受けます。
臆病者から死んでいく戦場で、僕は恐怖心なんて捨ててしまったんです。だから僕はもう、私利私欲に生きることなんてできません。死んだ仲間達に軽蔑される生き方はしない」
「なるほど。
君が今だに、ISに受けた教えを固く信じているということはわかった。
君はISで様々な経験をして、様々な思いがあることだろう。その感情を、言葉で急いで覆すべきでもないだろう。
しかし、割り切って考えてはほしくない。多くの感情的葛藤は、時間が少しずつ解決していくものです。
だから、思いつめるようなことは避けてほしい。自暴自棄になったり、犯罪者になったりしないでください。
平和な行いの中においても、イスラームを実践することはできるはずです。
今日はここまでにしましょう。二週間後、必ずまた顔を見せてください」
「はい。失礼します。
ありがとうございました」
(NHK国際報道2018 2018-07-23『IS元戦闘員だった子どもたちは今』を参考に大幅に脚色しました。)