2−3: 大学課長と科学者
昨夜は眠れたからだろうか、幾分ではあっても体が動くように思う。医師から聞いているところだと、かなり強い睡眠導入剤を処方しているという。それも数剤のカクテル剤とのことだ。それでも眠れるかどうかは、その時しだいというところだが。
「普通なら、別の薬をもう一つくらいは出せるんですが」
医師はそう言っていた
それでも今日は座って若者の人々に向けての話を聞いていられる。
「さて、いいかげんあなたがたの本も処分したいのですが」
その声に私は顔を上げた。二人組ととりまきが話を聞いている人々の向こうに立っていた。
「ちょっと中断しよう」
そう言い、私は若者から本を取り上げ、またノートも拾い、鞄に押し込んだ。
二人ととりまきが話を聞いていた人々を蹴りながら近付いてくる。私は鞄に覆い被さった。
「いいかげん、渡してくれませんか?」
大学課長という男の声が聞こえた。
「そうでないと、力に訴えることになりますが?」
その声が終るかどうかのうちに、左の脇腹に痛みを感じた。背中にも。
「それがあんたの言う秩序か?」
どうにかそれだけを言った。
「過渡期、ですね。そのあとには律法により正しい世界が来る」
打ち据えられながらも、その声は聞こえた。
ふいに背中に重みがかかり、打ち据えられ蹴られる痛みがなくなった。代わりに、あの若者と思える呻き声が聞こえる。
「どきなさい。君が殴られる理由はない」
「先生のお世話をすると決めたのですから」
そう答えながらも呻き声が漏れた。
「もういい」
さっきの男の声が聞こえた。
「どうだ! これが知識を狂信する連中だ! ニュースを見てみろ! 掲示板を見てみろ! 知識を狂信する連中がもたらしたことだ!」
その男はそこで笑った。
「自分たちの頭で考えるんだ!! 自分たちの頭で!! 私たちは知性による革命を行なう! こいつらが盲信する知識などではなく! 知性の結晶たる律法による! 正しい世界を作る!」
いくつもの足音が聞こえた。早足の、重い足音が。
「世界はそんなに単純なものではないぞ!?」
やっと、私は大きな声で言えた。
「人類の英知たる律法が単純だと? あぁ、そう言いたければ言えばいい。私たちは単純だとも。そうだ、私たちは単純だ! それの何が悪い!」
「そこ! 離れなさい!」
別の声が響いた
いくつかの足音が離れていった。覆い被さっていた若者も離れた。
「先生、大丈夫ですか?」
若者とは違う声が聞こえ、顔のすぐ横に手が差し延べられた。
「いや、私は先生ではないよ」
そう答えながら、手を取った。その手は力強く、私の上半身を引き起こした。
「まぁ、お会いしたことはありませんでしたから。先生の小説、記事、啓蒙書のファンです」
「そうか。ありがとう」
「護衛をつけましょうか?」
私は周囲を見た。おそらくは好奇の目で、人々は眺めていた。
「いや、それはやめておこう。何を言われるかわかったもんじゃない」
「確かに。ですが周りから見ているようにはしましょう」
私はうなずいた。
「それと君」
兵は若者を見た。
「無茶をするんじゃない」
「だけど……」
「あぁ、確かに『だけど』だ。だがな、君も連中の明らかな標的になったのかもしれないんだぞ」
若者は私と兵の顔を見た。
「先生から連中の注意が逸れるなら」
「ちがう、ちがう」
私は若者に言った。
「君も標的になったかもしれないということだ」
兵は私の言ったことにうなずいていた。
若者は言葉を探していたようだが、見付かった言葉はないようだった。
「いいか? これから話をするときには、まず軍の人間に一言言いなさい。誰か一人はいつも近くにいるようにしておくから」
兵は若者の左肩を右手で叩いた。
若者はそれにうなずいて答えた。
「私たちは単純だ」のあたりは「黙示録3174年」より。