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知性がなしたものを見よ  作者: 宮沢弘
第一章: 神ハ裁キシ悪魔ノ成シタルモノヲ
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1−5: 戦争: ある科学者の手記

 教父と話した。教父はどう思っただろう。教父自身はどう思うにせよ、教院はどう考えるだろう。

 二回めの暗黒時代において、教院は勢力を維持し、あるいは拡大した。それが教院だとするなら、教父にこの不安を話したことは適切だったのだろうか。

 だが、おそらく信頼できる。根拠はない。ただ、話していたときの教父の様子。それだけが信頼できると訴えている。


 この状況においてなにもしないことに罪はないのか。ある。教父から、臨床心理士から無理をしないようにと言われ、また医師から薬も処方されている。だが、それがなにもしないことを正当化するだろうか。


 私は鞄から一冊の本を取り出した。「ファイネマン物理学」。五冊シーズの第一巻。そしてノートも取り出した。

「おもしろい話をしよう」

 私は荷物に腰をおろし、本を手に、ノートを床に置き、周りに声をかけた。

 それは著者自身の、そして読者に向けた姿勢と譬え話からはじまり、そして古い原子論から始まっていた。それに私が書き加えていたメモを加え、集まった人々に話した。ときにノートに絵を描きながら。

 話している最中にも離れていく人もいた。それでも、残ってくれている人に話し続けた。残ってくれている人にできるだけ集中しようとした。

 うまく言葉にならないこともある。もっとうまく言えるはずなのにと思うこともある。それに、体力がもたないこともある。医師が重度の鬱だと言っていた。体力が落ちるのもそのためだとも。本来なら入院が必要な状態だとも。


 その日も同じように話していた。

「先生、つらそうですが……」

 その声に本と床から顔を上げた。若い、二十代半ばと見える若者が立っていた。

「私は先生じゃないよ」

 笑顔で答えたつもりだった。

 若者はしゃがみこみ、私の顔を見た。

「先生、そこなら僕にもお手伝いができます。もっとも私の本は燃やされましたが」

 私はその若者を見た。この若者はなにを考えているのだろう。なにを見据えているのだろう。

「君は…… この本を連中に渡さないと約束できるかい?」

 若者は軽い笑みを浮かべた。

「今の先生よりはマシだと思いますよ」

「そうか…… そうだな」

 話を聞いてくれていた人々に言った。

「すこし交代するよ」

 そう言い、若者と交代した。

 若者の話は快活だった。それゆえか、指導を入れる必要もないように思えた。

 そうしてその日の話は終った。

「先生、どうでしたか?」

 私は身を起こし、若者の目を見た。

「そうだな。ゆっくりと、それを心掛けるくらいかな。聞いてくれている人を見て、ゆっくりと」

「なるほど。これから心掛けます」

 そう言って、若者は立ち去って行った。そう思った。だが、その若者は食べ物と飲み物を持って戻って来た。

「先生にも元気になってもらわないと。それには食べるものを食べないと」

「あぁ、ありがとう。だが、そういう問題でもないらしいんだ」

「だとしても、食べて飲まないと体がもちません」

「そうだな」

 若者から受け取り、食べはじめた。


 そうやってさらに二、三日が過ぎた。若者は、私の代わりに話すだけでなく、私の世話までしていた。

「老人というわけじゃないんだ」

「わかってます。ですが、調子が悪いときは人に頼ってもいいんじゃないですか?」

 若者はそう言い、私のそばから離れようとしなかった。


 その日の話の時間になった。人々が集まり、私が話しはじめたときだった。

「お前ら、なにをしている!」

 その声に、私は顔を上げた。一人は肘を張り、もう一人は律法全書を抱えていた。

「古典力学の話さ」

 私は本の表紙を見せた。

「あんたがたにとってもこれくらいは必要だとおもうが?」

「必要ない! 必要なのは律法だ!」

 律法全書を抱えた男が答えた。

「そうかね? あんたがたが軍の通信業務に割り込んだのを見たことがあるが。それを維持するにはもうすこし先まで必要なんじゃないかね?」

「不要だと言っているんだ!」

 やはりその男が答えた。

「そっちのあんたはどうおもってるんだい?」

 肘を張っている男を見た。

「使える間は使うさ。ある物を使わないなど、馬鹿にもほどがある」

「なら壊れたあとは?」

「壊れたらそれまでだ。いいか、教えてやろう。人間はそんなものなしで何万年もやってきたんだ。つまりそんなものはいらないんだ」

「君たちは、どういう考えなんだ? 使えるものは維持しようという考えかと思っていたが」

「そんな物はなしでやっていける時代に戻ればいいだけだ」

 肘を張っていた男が右腕を腰から離し、もう一人を制しながら答えた。

「それは産業革命前後かな? それとも、」

 私はもう一人に目を移して続けた。

「いわゆる暗黒時代かな?」

「それは問題じゃない。必要なら暗黒時代も受け入れよう」

 肘を張っていた男が答え、続けた。

「必要なのは、律法による秩序だ」

 私は隣りで立ち上がっていた若者を制した。

「この状況を見ろ! 科学? 科学が何をもたらした!?」

 その男は集まっていた人々を見下ろした。

「さっさと散れ! くだらん話を聞いている暇があるなら、律法をこそ学べ!」

 そう言って、二人は去って行った。

「興が削がれたね。今日はここまでにしておこうか」

 集まっていた人々は互いに顔を見て、そして立ち上がっていった。

「おじさん、明日も来るよ!」

 そう言ってくれた子供もいた。

 若者は、まだ隣りで苛立っているようだった。

「無茶はするなよ。未来を決めるのは君たちだし、さっきの子のような子供たちだ」

「はい」

 そう答え、若者はまた食べ物と飲み物を取りに行った。だが、その足取りからも苛立ちが收まっていないことはわかった。

 長い忍耐の時代がやってくるだろう。とても長い忍耐の時代が。


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