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知性がなしたものを見よ  作者: 宮沢弘
第一章: 神ハ裁キシ悪魔ノ成シタルモノヲ
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1−4: 戦争: ある教父の手記

 この避難所に来て何日経っただろう。

 不安。それが、それだけがここにある。

 医師とも協力し、カウンセリングを行なっている。簡単なものではあるが、医師のための診察室、そして私や臨床心理士のためのカウンセリング用の部屋をそれぞれいくつか用意してもらった。

 医師は薬品などの心配をしていたが、軍からの支給もあり、節約を前提としてではあるもののひとまずはどうにかなるようだ。

 対して、私と一人いた臨床心理士は急がしいことになっている。

 臨床心理士とのミーティングで、おかしな話が出た。本を焼いている者がいるという。誰かが見たわけではない。私も臨床心理士もそれを見たわけではない。私も臨床心理士も、避難所を周るときと寝るとき以外は用意された部屋に詰めている。

 だが、話しに来た人から、そういう話を聞いた。

 どういうつもりなのか。

 状況はどうあれ、言い方はともかく、ここでは時間をつぶす方法が必要だ。

 そして、大学院生がやって来た。メモが書き込んであった「ファイネマン物理学」の一冊が取り上げられ、燃やされたという。その大学院生は不安などを訴えるわけではなく、ただ不満を述べていた。さらには、それを主導している男に追従する人も増えてきているという。

 その院生も正確に聞いたわけではないようだが、その男はつい最近では「科学技術は法によって律されるべきだ」と述べているという。そしてその横には律法全書を携えた男も一人いるらしい。

 律法全書は厚かろうと思い、またどうやってそれを確認できたのかをその院生に聞いた。答は単純なものだった。「律法全書」というタイトルが見えるように体の前に抱えていたという。そうやって歩いているという。


 どういうことなのか、臨床心理士と話してみたが、出てくるのはありきたりのものでしかなかった。そのありきたりのものに該当するのか、それ以外のものなのか。その結論は出なかった。

 集団においてリーダーシップを発揮しようという人はいる。それがいい方向であれ、そうでない方向であれ。そしてどちらにせよこのような状況においては、それは自然でもあり、また必要でもある。だが、いわゆるガキ大将とは違うようにも思える。

 その男についてもっと知らなければ、対応のしようがない。

 私と臨床心理士は、すこし時間をとり、話を聞けそうな人を探した。これまでも様子を見て周ってはいたが、加えて探す人の像が見えていた。


 その人には、明らかに鬱の症状が見てとれた。そこまでが、そしてこの後のカウンセリングは私と臨床心理士の仕事だろう。だが、それでは済まない。薬剤の備蓄に不安はあるものの医師の診断と加療が必要だ。私たちにもそれがわかるほどだった。

 ひとまず私の部屋に来てもらい、話を聞いた。

 戦争がはっきりした原因ではなかった。避難所生活そのものもはっきりした原因ではなかった。今、彼の心を占めているのは、一つには練り歩いている二人であり、そしてこれからのことだった。これからの十年、百年のことだった。

「もし、」

 その男は言った。

「あの男が言うように、科学が支配されたらどうなるだろう?」

「どうと言うと?」

「あの男は科学を制御可能な範囲に制限するつもりだ。実際この戦争が終ったら、資源の採掘に使える技術はかなり退行したものになるだろう。そこからまたはじめるなら、まだいい。だが制御下に置かれたら」

「復興はできないと?」

 男はうなずいた。

「それだけで済めばいい。奴が連れているもう一人は、中世のいわゆる暗黒時代を目指すと言っている」

 それは私にとって少しばかり耳が痛い言葉でもあった。

「その時代を地球規模で再現することで、持続可能な社会を作るという」

「中世ですか」

 正直に言えば、それを考えたことがないわけではない。持続可能な社会として行き着くのは、やはりそこだ。

「律法こそ絶対のものとしてだそうだ」

 私としても教院としても、それは認められない。科学との折り合いについてのすべての教父以上が参加した会議において、それ以外の結論は出なかった。科学を教院が認めるという段階はとうに過ぎているという結論であり、それでも助けを求める人々に寄り添う。そういう結論だった。教院はいずれ消えゆくかもしれない。だが、それは人間がホモ・サピエンスではなくなった時だろう。それまでは、すくなくともそれまでは教院は存続する。はじまりがあったのだ終りがない道理があるだろうか。

 だが科学は。科学にははじまりはなかった。もしかしたらホモ・サピエンス以前から、人類とともにあった。はじまりがないものに、終りはあるだろうか。

 それが、終ろうとしているのかもしれない。それは一時の停滞であるのかもしれない。だが、それは停滞で済むのだろうか。

 教えの書トリロジーでも抑えつけられなかった。何千年の英知である教えの書トリロジーでさえ。そこから私たちは学んだ。科学とは人そのものだ。科学こそ人の存在理由だ。なんのために科学を行なうのではない。人だからこそせざるをえない。

 それを強いた者の立場から思う。科学は人類とともにある。どれほど抑えつけられようと、人とともにあるものを制御できるだろうか。科学は人そのものだ。それを抑えつけるというなら、まさに再現だろう。もしかしたら、再現ではすまないかもしれない。あの時代においてさえ、一部の人々は科学を追い求めた。それが後に科学とは認められなかったとしても。

 私が、あるいは私たちがともにあるのはどちらか。答えは考える必要すらなく出ている。生めよ増やせよ。その言葉は人間そのものである科学をも含んでいる。


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