1−3: 戦争: ある大学課長の手記
戦争が始まった。避難所に来たが、状況は放送で把握している。持っていると噂されていた国が、私たちの国に核攻撃を行なったとのことだ。原子炉を持っていたのだから、当然想定されるべき事態だ。原子炉など持っているなら、核燃料はそのまま核弾頭に使える。それほど明らかなことを目の前にしながら、大国はいったいなにをやっていたのか。
あるいはその国がミサイルを打ち上げた時、いったい大国はなにをやっていたのか。
なにもしなかった。
結局、なにが正しいのかの判断などできなかったということだ。
大学に長年勤め、学位持ちどもから――こういう言いかたは癪だが――、多くを学んだ。連中の知識も、組織の運営も。
だが気にいらないことがある。連中の、言うなら、余裕だ。見下したような、少なくとも対等に見ていないその目。連中のある研究を勉強してみたことがある。人を小馬鹿にしたような言葉を並べ、煙にまくような本だった。それでも私の忍耐を生かし読み終えた。その後で連中に話しかけたときの目と笑い。
そういう連中が結局はこの状況を作り出した。原子炉があるから攻撃できない。ミサイルがあるから攻撃できない。政治は結局科学技術によって足枷をかけられていた。
ならばどうするべきか。厳格な秩序によってこそ人々の安寧を守るべきた。科学すらもその下に置く、厳格な秩序によってこそ。
私は避難所の中を歩いた。若い男が本を読んでいた。私はそれを掴み上げた。それは「ファイネマン物理学」という本だった。
この状況においてまで物理学か。科学を目指す者は、その精神の根底からおかしいのだ。
私は声をあげた。避難所の荷物の箱に乗り、肘を張り、右手の人差し指で避難所にいる連中を左から右へと指差しながら。
「科学を目指す者! 科学に携わる者! 本を持っているなら、それを出せ」
それに応じ何人かが本を持ってきた。
組織の運営に重要なのは、自分が優位に立つことだ。そうでなければ他人に影響を与えることはできない。
私は集まった十数冊の本をかかえ、避難所のすぐ近くにそれらを置いた。すこしばかり離れたところにあった新聞紙や週刊誌を取り、それらから、集めた本に火を移した。
燃える本の前に立ち、それを見ながら思った。
根拠が足りない。
いかに体を大きく見せ、優位に立とうとしても、それの根拠となるものがない。
それでは混乱となるだろう。だが、私が求めるものは秩序だ。秩序の根拠となるなにかが必要だ。
また避難所を監督して周っていたときのことだった。まだ若者と言えるだろう一人が一冊の本を読んでいた。
「お前! 何をしている!」
私はその男の前に立ち、声を荒げた。その男は、私が考えたとおり本から目を上げた。
だが、その目が気に入らない。この目だ。連中の目だ。
「本を読んでいるな? 何者だ!?」
また荒げた声で問い質した。
男は脇の鞄から名刺を取り出し、私に向けた。
「法務博士? 博士か……」
そう言うと、私はその名刺を破り捨てた。この連中が、こういう連中が……
「お前らがもたらしたのがコレだ!」
私は右手で周りを、その向こうを指差した。
「違う! いや、確かにそうとも言えるか……」
なにを違うと言うつもりないのか。
「私は法律の専門家だ。科学も法律の下に管理されていたならば、こんなことは起きなかった」
男は開いていた本を閉じ、私に見せた。それには律法全書と表題があった。
「それとも、これも焼くか?」
私が拠って立つ根拠を見付けたと思った。私は腰をおろしその男から本を取り、広げた。
「わからんな」
チラチラと見た程度ではあるが、正直わからなかった。
「わからないとしても、それが人間の英知の結晶だ。人々に安寧をもたらす秩序だ」
「安寧か……」
私はページをめくりながら言った。
「もし、すべてを石器時代に戻そうとする動きがあったとしたらどうする?」
「それは…… また極端だな」
「あぁ、極端だ。私は今使える科学技術は使ってもいいと思う。だが、そのためにはまさに法が必要だ」
「私は今の科学技術は捨てるべきだろうと思う。法による安寧、秩序、それだけが人間のあるべき姿だと思う」
私はまたページをめくった。
「法。そこにおいては私たちは一致する。そうだね?」
「あぁ」
「だが使い方を間違えなければ、科学技術も便利なものだよ?」
「だろうな。使い方を間違えなければ。それを確保するのが法だ」
私は本を閉じ、男に返し、立ち上がった。
「その一点の一致で充分だろう。この世界を救おう」
そう言い、私は右手を差し出した。その男はその右手を掴んだ。