1−2: 戦争: ある法務博士の手記
戦争が始まった。これが戦争ならだが。ある国がこの国に放射性物質を降らせた。工業地帯、農業地帯に。ニュースで見る限り、他の国でもおなじようだ。その国が攻撃したわけではない。ただそれで充分だということを知らしめただけで充分だった。放射性物質があれば、あとはミサイルがあればよかった。中距離、短距離のものである必要さえなかった。ただ対戦車ミサイルであれば、不可能ではなかった。
ある国は即座に報復を受け、地上から消えた。だが、その方法があるということを示したのは大きかった。
あきらかな破壊はもたらさない。目に見える破壊が第一だったテロリストにとっては盲点だったのか、入手経路がなかっただけなのか、それともテロリストにも唯一取ってはいけない方法だったのか。
復興の前に――復興が可能だとして――、国々が行なわなければならないことがあった。それは報復だった。軍が、攻撃を行なった国々に報復した。警察が、そして人々がテロリストを炙り出し、撃ち殺した。
こんなものは人間の世界ではない。
私はそう思った。
では、これをもたらしたものはなんなのか?
それは科学である。さらに言うなら、人間の知性である。
そこで思いおこすことがある。比較的最近の人類史において、二回の暗黒時代があった。一度は紀元前1,000年ごろ。鉄器がもたらしたとも考えられている。もう一回は西暦1,000年前後。教院と、そして蛮族の武力によってたらされたと考えられている。
鉄器という素朴な科学技術、武力、そして教えの書トリロジーあるいは宗教。これらがすべてのおおもとだ。
だが、とも思う。中世の暗黒時代は天国ではなかったか。教えの書トリロジーに支配されていたとはいえ、法による秩序が守られたいた。戦争はあった。それは人間の性なのだろう。だが、ルールに則った戦争であり、そこにすら秩序があった。
私はキャンプの中にある荷物に腰掛けて思った。人間は秩序に従うべきだ。人間の英知たる秩序に。そして、その英知がここにある。
私は鞄の中を見た。そこには律法全書が收まっている。
教えの書トリロジーなどという曖昧模糊としていたり、神という曖昧模糊としたような、その基盤すらあやうい律法ではない。人間の英知が生み出した律法がここにある。
「お前! 何をしている!」
その声に私は律法全書から目を上げた。
仕立てのよかったであろうスーツを着た男が目の前に立っていた。
「本を読んでいるな? 何者だ!?」
私は鞄から名刺を取り出し、渡した。
「法務博士? 博士か……」
そう言うと、その男は名刺を破り捨てた。
「お前らがもたらしたのがコレだ!」
「違う! いや、確かにそうとも言えるか……」
私は捨てられた名刺を拾いながら言った。法務博士であっても、その肩書は有効なのだろうか。称号ではない専門職学位であっても、法学修士ですらないとしても。もし博士という肩書が有効なら、それを使うことになんの誤りがあろう。
「私は法律の専門家だ。科学も法律の下に管理されていたならば、こんなことは起きなかった」
膝の上に開いてあった律法全書を閉じ、表紙を男に見せた。
「それとも、これも焼くか?」
男は目の前に腰をおろすと、私の手から本を取り、広げた。
「わからんな」
「わからないとしても、それが人間の英知の結晶だ。人々に安寧をもたらす秩序だ」
「安寧か……」
男はページをめくりながら言った。
「もし、すべてを石器時代に戻そうとする動きがあったとしたらどうする?」
「それは…… また極端だな」
「あぁ、極端だ。私は今使える科学技術は使ってもいいと思う。だが、そのためにはまさに法が必要だ」
「私は今の科学技術は捨てるべきだろうと思う。法による安寧、秩序、それだけが人間のあるべき姿だと思う」
男はまたページをめくった。
「法。そこにおいては私たちは一致する。そうだね?」
「あぁ」
「だが使い方を間違えなければ、科学技術も便利なものだよ?」
「だろうな。使い方を間違えなければ。それを確保するのが法だ」
男は律法全書を私に返し、立ち上がった。
「その一点の一致で充分だろう。この世界を救おう」
そう言い、右手を差し出してきた。私はその右手を掴んだ。