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知性がなしたものを見よ  作者: 宮沢弘
第三章: 知ハ悪魔ノ誘惑ナリ
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3−1: 若者と科学者

 今日もまた、若者が話をした。ゆっくりと、ゆっくりと。話を聞いてくれる人を見ながら。日に2ページ、3ページという緩やかな歩みだ。それでもファイネマン物理学だけでは足りないことがある。若者は自分の、あるは私が持っている数学書からそこを埋めた。あるいは、若者の記憶、あるいは私の記憶からそこを埋めた。ファイネマン物理学における歩みは遅くとも、そこに書かれている以上のものが人々に伝わっている。ファイネマンにとってはそれは前提ですらなかったのかもしれない。だが、そこも含めて伝わっている。

 教父が貸してくれた本を上着のポケットから取り出し、つけながらではあるが読み進めた。もし、どれほど緩やかであろうと、このように伝えていけたなら。この本のようなことは起こらないのではないか。そうも思えた。だが、そうではない。教院はプロジェクト・エムをはじめたというし、それはあっという間に破綻したという。そしてその2nd Phaseであるプロジェクト・リーボウィッツがはじまっているという。本をなんとか読みながら思った。教院はこのあとにもプロジェクトを用意しているのだろうか。プロジェクト・フランシスというような。あるいは、さらにその後も。たとえば、プロジェクト・タデオというような。そこまではあったとしよう。では、そのさらにあとは?

「先生」

 その声に、前を見た。若者がまた食事を持ってきてくれていた。

「ありがとう」

 そう言い、受け取った。

「その本ですが、」

 若者は自分も食事を摂りながら話しだした。

「読んだことがありますよ」

「そうなのか、」

 私は食事を飲み込み、訊ねた。

「どう思う?」

 若者はまた二口ほど食べた。

「もしかしたらと思います」

「もしかしたら?」

「もしかしたら、そうなるのかもと。ただ実際に考えると、もっと状況は悪いんでしょうね」

 また若者は一口食べた。

「教父さまから聞いてます」

「なにを?」

「いろいろと。それで、てっきり先生はその本をもう読んでいたのかと」

 私は本を閉じ、表紙を見た。

「いや、教父から借りて、はじめて読んでるよ」

 若者は私と本を見た。

「教父から聞いているというと。鬱になったのも、現実と虚構の区別がつかなくなったと心配していたのかな?」

 一口飲み物を飲んでから、若者は答えた。

「そういうのとは違いますね。先生が書いた記事とかも読んだことがありますし」

 若者はもう一口飲んだ。

「先生の記事なんかにあったじゃないですか。文明はやりなおせるのかとか」

 そんな記事も書いたかと思う。一語一語は思い出せないが。

「だから、その本をもう読んでいたのかと」

「それで、もっと状況は悪いとはどういう意味なのかな?」

 若者は周囲を見回した。

「その本には、テロリストはいません」

 若者はもう一度周囲を見回した。

「それに、あぁいう連中も。似たことは書いてありますが。ですが、テロリスト、それとも原理主義者かな、そういうのとあぁいう連中が組むなんて最悪にもほどがある」

 私は前書きに目を落とした。

「最悪だろうか。無秩序な運動より最悪だと?」

「でしょうね」

 若者はまた、誰からを目で追った。

「組織になってしまうでしょうから。現に教院は、」

「ちょっと待ってくれ。今、『現に教院は』と言ったな?」

 私は本をポケットに戻した。

「なにを聞いている? どこまで聞いている?」

「まぁ、そこそこ」

 若者は笑みを浮かべた。

「1st Phaseはもう追い付かなくなったこと。2nd Phaseに入ったこと」

「全部のようなものじゃないか」

「先生が聞いている全部より多いかもしれません」

 また若者は誰かを目で追った。

「3rd Phaseがあるそうですよ」

「プロジェクト・フランシスか」

 若者は目を開いて私を見た。

「知っていたんですか?」

「いや、これっぽちも。読んでいて想像しただけだ」

「まだそれをはじめるわけじゃないらしいですが。保存すら脇に置いて、隠すことが第一の目的になるそうです」

 やはりあったのかと思う。だが、それがあるなら。

「4th Phaseは? たとえばプロジェクト・タデオというような」

「復活ですね」

 そこで若者はうつむき、首を横に振った。

「復活そのものについては、プロジェクトはなにも存在しないそうです。プロジェクト・フランシスでは隠すことが第一であり、そして隠されていることがどうにかわかる。それだけだそうです。それこそ伝承にたよるか、それとも特殊な修道会を作るか」

 本を押し込んだポケットを、若者は指差した。

「ただ、思うんですが。プロジェクト・リーボウィッツにしても、プロジェクト・フランシスにしても、教院はとりあえず頼れるかも。あっちには科学が持っていない経験がありますから」

 それはそうだろうと思う。千年の間保存した経験がある。その経験は隠すだけだとしても役に立つだろう。

 だが、復活は? 復活はどうする? この若者が人々に話しをしているようなことだけを期待しているわけでもなかろう。教父は「信仰を失なわない科学者も珍しくありませんから」と言っていた。そういうことなのだろうか。プロジェクト・タデオは、もしかしたらプロジェクト・エムより先にはじまっていたのだろうか。

 もし、もしだが。そうであるならとも思う。


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