2−5: 知性革命と教院
処方れている薬が安定してきたのだろうか。すこし楽になってきたように思う。それも思い込みかもしれない。確かにまだ体は重く、頭にはモヤがかかっている。
今日もまた、教父がやって来た。うながされ、共に軍のテントの一つへと向かう。プロジェクト・エム。ここ最近の話題はそれだった。
教父が状況の説明をはじめた。
「状況はよくありません」
はじまったばかりであるにもかかわらず、もうそういう状況になったのかと思う。
「予想していなかったわけではありませんが。それにしても早い」
教父は自分の端末を取り出し、メッセージを表示した。そこには、「確保」、「移送」などの連絡に混じり、「攻撃」、「放棄」、「火災」などの連絡もあった。それらを読むと、汚染地域であっても短時間の滞在で、火をつけているという。効果的な先手を打っているとは言えるのかもしれない。
「この、攻撃や放棄というのは?」
それらの言葉には、おそらく略号と思われるものがついていた。
「教院内部で使っている、個々の教院の略称です。空港を示す略号と同じと思っていただければ」
「そこで一つの問題があります」
兵が口を開いた。
「火災は、単純な先手なのかもしれません。ですが、攻撃となると、エムを知っていての上なのか、それとも原理主義ゆえなのか」
「そこにあった本やデータは?」
「移送できたものもあれば、失なわれたものも」
教父が端末をつつき、一つのメッセージを表示した。そこには、「すべて消失」とあった。
だが一つの疑問があった。
「原理主義者は、そんなに多いのか?」
「わかりません、」
教父は首を横に振った。
「これまでの傾向から考えると、これだけの規模を実行できるとは考えにくいのですが」
「連中が言っていた知性革命ですが、その中核が原理主義者に移っているにせよ、そうでないにせよ、賛同者が共働しているのだろうと思います」
「汚染地域にまで、ただの賛同者が行くとも考えにくいが」
「普通ならそうでしょう」
「普通ではないか」
教父の言葉に、そう答えた。
「えぇ。彼らには大義があります。そういう大義がどう機能するのか。教院は歴史と経験から知っています」
「エムの参加者を見た。それは教院に運びこまれていた。そして大義がある」
「そういうことかもしれません。むしろ現在の教院への反発であってくれればとすら思いますが」
「打てる手はないのか?」
私は教父と兵を見た。
「結局のところ、ありません。軍には装備がありますが、これだけ地理的に広範な状況には対処できません。戦略兵器という方法はありますが、それはこの状況やエムの目的を考えると使えるものでは」
「そこで教院はエムの2nd Phaseをはじめることにしました」
「第2段階?」
「はい。『プロジェクト・リーボウィッツ』と呼んでいます」
「エムの次がエルなのか?」
私は教父を見た。
「えぇ。ミラー Jrの作中の人物であり団体の名前です」
「それは?」
教父はまた端末を操作し、概略を表示した。
「つまり、分散し、隠します。蒐集は続けますが、現物の保存が第一の目的になり、プリントアウトや転記は第二の目的になります。保存と転記に優先順位を着けたと思っていただければいいでしょう。そして、それは教院そのものからは分離します」
「分離するとして、それに携わる人は信頼できるのか?」
教父と兵は互いを見た。
「残念ながら、そこは信頼するしか。教院の人間を各所の中核にはしますが」
私はしばらく考えた。教父も兵も私の言葉を待ってくれた。それとも、出てくる言葉は、もうわかっていたのかもしれない。
「復活は遠退きそうだな」
「そうかもしれません。もしかしたら目的すら忘れられるほどに」
そう言い、教父はポケットから一冊の本を出し、テーブルに置いた。
「これが両方のプロジェクトの名称の元になっている本です。先生、よければ読んでみてください」
私はテーブルに置かれた本を見ながら考えた。
「あるいは、」
そう、あるいは。
「軍がその役を担うことは?」
「もちろん、参加します」
兵が答えた。
「参加しますが、各国の軍の思惑は、教院ほどにすら統一されていません。しかも、標的になりやすいでしょう。実際のところ、最終的には保管庫を提供するのが精一杯になるかもしれません」
「そうか」
「先生の状態がそういう状況を見越したことから来ていることはわかっています。ですが、おそらくは先生が思い描いたものよりも状況は悪いと言わざるを得ません」
教父は私の手を握った。
「ですから、先生にできることを、先生が今やっていることを続けていただきたい」
「本やデータが残っても、それがただの神話のようなものになってしまったのでは意味がない」
兵もテーブルの向こうから言った。
「私は…… 私はなにもしていないよ。やっているのはあの若者だ」
「それで充分です。先生が機会を作った。それで充分です。それを続けていただきたい。いつか、エルと先生のなさっていることが結びつくはずです」
教父は強く私の手を握った。
それはいつのことなのだろう。何世代後のことなのだろう。
知性革命は、その至るところがどこであれ、人々に受け入れられている。受け入れられはじめている。これは続くのだろうか。大学課長が言った「単純」はどこに至るのだろう。単純人間が人間に置き換わるのだろうか。それとも、人間が単純人間でなかったことはあったのだろうか。
「私にできることを」
そう言い、教父の手を握り返した。




