1−1: 戦争: ある科学者の手記
この戦争は、それとわかるはじまりの前から始まっていたのだろう。言うとするなら、追い詰めたことが、追い詰めはじめたことがはじまりだったのだろう。
戦争の始まりそのものは――それが戦争だとしてだが――、ある国が小さな海を越えたこの国に攻撃を行なったことだった。用いることが可能な弾頭の威力は、充分なものを作れたはずだった。だが用いたのは、ただの放射性物質を詰めただけの弾頭だった。
なんのために? 言うならそれはウォー・ゲームにおける勝利条件に過ぎなかったのだろう。そして、それで充分だった。それを見た小国やテロリストはその真似を始めた。「何を持って勝利とするのか」、その条件をその小国は書き換えた。
放射能に汚染された土地は、いわば負傷兵だ。あるいは前線の歩兵の1/3が負傷したら、それは負けたのと同じだという。その1/3を後に送るため、あるいは警護に残りのほぼ全てが運用されるという。
だとしても、その陣の当たる人員が交代できるなら、まだその陣は維持できるのかもしれない。だがこの国には、どこから後衛が前に来るわけではない。それはどの国も同じだ。各国の人も経済も、汚染地域とそこに住んでいた人々のために使われた。その点では、攻撃をはじめた国はその攻撃対象をよく選んでいた。主要工業都市、そして農地を的確に狙っていた。回復に必要な体力となる箇所が確実に汚染されていた。人と経済をどれほどつぎ込もうとも、その回復は容易ではない。
もちろん、その国は報復によって消えた。それではあっても、その国は勝った。その後の混乱を待つまでもなく勝った。ミサイルを発射した時点で、もう勝利条件を満たしていた。その国の勝利条件を満たしただけでなく、他の小国に、そしてテロリストにその方法を示したことによって、その国が目指していたであろう勝利条件以上の成果をあげた。
それを受け各国にいたテロリストはおのおの活動をはじめた。各国にいたそれらのテロリストは、わかりやすい標的だった。軍が警察が、そして市民がテロリストを撃ち殺した。そしていくつもの小国は報復によって消えた。だが、テロリストをすべて排除するのは困難だった。
巧みに姿を消していた幹部に近いテロリストがいた。あるいは、正確に言うなら、排除されたテロリストは末端であり、あるいはかぶれただけの者だった。そして、彼らが残っているかぎり、脅威は消えなかった。
脅威が消えないまま、人々の憎悪はテロリストからずれていった。放射性物質さえなけば、ミサイル/ロケット技術がなければ、それらの誘導技術がなければ。テロリストによる扇動もあったのだろう。だが人々はそう叫んだ。そう叫び、そう行動することが正しいこととなった。
目につく自動車がまず破壊の対象となった。誰もが持っているスマートフォンが廃棄と破壊の対象となった。電車が破壊の対象となった。鉄道などの変電設備が破壊の対象となった。計算機が廃棄と破壊の対象となった。
そのすべてではなかった。そこには、意思、あるいは意図があったように思う。すべてを破壊することはテロリスト自身にとっても不利にしかならない。
この戦争は、そういう戦争だった。それが戦争と呼べるのなら。
それは、教えの書トリロジーへの回帰でもあった。はじめた小国の意図はわからない。だが、その後はテロリストの思想はそういうものだった。あるいは、テロリストの思惑が回りはじめた当初は、そうだった。
テロリストの思惑から人々の動きがはずれはじめたころ、人々は三派にわかれようとしていた。テロリストの思想である原理主義派は紀元前後の科学技術を目指すものだった。生活に最低限必要な技術は残す。そういう一派だった。対して、産業革命後から比較的最近までの技術を残すという一派があった。これまでの科学技術を捨てさるのは現実的ではない。ただ人間に制御できる範囲においてのみそれらを認めるという一派だった。ただし、中世暗黒時代にいたったとしてもそれも容認するという話もあった。そしてもう一つ、すべての技術を破棄すべきという一派もあった。すこしでも認めるなら、結局人間は止まれないという一派だった。
私はこれまで制御可能な科学技術は残そうという一派に囚われ、なにを残し、なにを捨てるのかについての顧問をやってきた。その仕事も一先ず終ろうとしている。そろそろ、というところだろう。
私にわかるのはここまでだ。このメモをどう残すかも問題だが、取れる手段はない。ベッドのマットの下に置いておくのが精一杯だろう。物好きが、残りの無記入のページとボールペンを使えないかと持っていってもらうことを期待するのが精一杯だろう。
さて、連中が来た。