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20天地明察

 20



 二年生進級時、自分は文系に進んだ。だから自分の所属するクラスは文系クラスである。そのせいかは知らないが、クラスの男女比は二対三くらいで女子の方が多い。まあそれは余談として横に置いておくが、文系理系としてクラスが分かれ、授業がより専門的になった結果、二年生は一年生に比べて移動教室が多くなる。月曜日の四時間目もそんな移動教室の一コマであった。日本史は社会科準備室、つまりは社会科の教師達の職員室の隣にある社会科教室というもので行われる。自分のクラスで履修している者はいないが地理もこの教室で行われているらしい。社会でいえば、世界史はどのクラスもホームルーム教室で行う。公民系の科目は二年生では習わない。

 社会科教室は東館三階にあり、西館からは渡り廊下でつながっている。また、東館のゴミ置き場の方の入り口から出ると部室棟が近いため、クラブの昼練がある生徒などは己の弁当を片手に教室を移動したりもする。

 日本史の席順は自由。生徒はどの席に座っても良いことになっている。自分はそれをいいことに、最後列の先生の死角となるスペースに身を滑り込ませていた。


 本を読むためである。


 不真面目かもしれないが、日本史を三年生に上がるときに継続して履修するつもりはない、すなわち受験に使わないのだ。定期テストで赤点さえ取らなければそれで構わないし、そもそも授業が教科書に書いてあることを先生が説明し、それをノートに写すだけの「作業」でしかないので、正直独学でもそこそこの点数は取れる。テストは問題が簡単なことでも有名なのであった。それなら真面目に授業を聞いている「フリ」をするよりかは本でも読んでいる方がいくらか有意義だと言えた。それに、読む本だって授業とはまったく関係のない本というわけでもない。今日はたまたま冲方丁の「天地明察」を持ってきていた。まだ一度もページを開いていないので楽しみである。


 そして授業は、生徒が聞いていようがいまいが時間が来たのでいつも通り終了し、昼休みがやってきた。なんのつもりかは知らないが、いつもは窓際最後列あたりに座っている篠目が自分の左隣にいたので、彼女が片手に小さな弁当箱を持っているのを目聡く見つけてしまった。彼女は昼を食べないのではなかったか? ……いや、考えてみれば月曜日の昼休みはいつも教室にいない気がする。もしかすると月曜日の昼休みだけはなんらかの理由があって昼を食べられるのかもしれなかった。赤沢と芳賀山も弁当を手にして出て行ってしまったし、山根ももうすでにどこかへ姿を消してしまっている。彼女たち三人は、特に篠目に何かを命令するでもなく、普通に教室を出て行ってしまった後だったのだ。

 しかしそこで考えるのをやめた。だから、どうした。これ以上、彼女たちについて考察してどうする――


「一体、何の用だ」


 もう篠目がどうなろうが知ったことではないし、打ち明けた話いじめなんて面倒なことに首を突っ込むのは馬鹿のやることだと、声を大にして主張できるのが今の自分のスタンスであったはずだ。

 それが一体どうして、こうして、篠目に呼び止められる羽目になるのか。まあ彼女が失語症であることは周知の事実なので今更訂正するまでもないが、実際は呼び止められたのではなく前に立ち塞がられたわけなのだが、それはさておき。

 彼女への不介入、いじめへの無関心を決めた金曜日の放課後から、土日を挟んで月曜日。日数にしてわずかに三日、時間にして七二時間も経過していないというのに、一体どういう理由を持って篠目からのアプローチを受けねばならないというのだろうか。声を持たない彼女とのコミュニケーション手段など、自分にはないというのに。あるのは一方通行の「会話」だけだ。会話をキャッチボールに例えるのなら、決して相手が投げ返してくることのないキャッチボール。球はこちらしか持っていなくて、相手はそのボールが飛んで来るまま投げ返してこない。バッティングセンターなんかによくあるストラックアウトみたいなものだ。

 しかし意外にも、彼女はコミュニケーションの手段を持ち歩いていた。


『お話があります。』


 何の変哲もない大学ノートの一行目、丁寧に整った字が控えめに突き出された。表紙を開いて一ページ目である。わざわざこの為に新しいノートを持ってきたというのだろうか。こちらが黙り込んでいると、返事に窮したと思ったか、彼女は簡素な筆箱から出したこれまたシンプルなシャープペンシルで文字を書き足した。


『赤沢さんと芳賀山さんは月曜日は昼練があります。山根さんは月曜昼休みのこの時間は大体彼氏さんと一緒にお昼を食べます。だからわたしもお昼ご飯が食べられます。』


 赤沢、芳賀山、山根。その文字だけはひどく歪んでいる。この歪みは怒りだろうか、恐怖だろうか、悲しみだろうか、それともそれ以外の何かによるものなのだろうか。


『先週の金曜日、図書室でお会いしたとき、私はドグラ・マグラの上巻を落としてしまいました。初めはどこで紛失してしまったのかわからず焦りましたが、今日学校に来てみると机の中に入っていました。そのことについて少しお礼が言いたいと思いました。』


 なんだ、饒舌じゃないか――とか、そんなことを思った。

 幼稚園だか小学校高学年だかの時の事故が原因で言葉を発することができなくなってしまったという彼女の舌の代わりに、シャーペンは言葉を躍らせた。自分の方がまだ寡黙なくらいである。


『ここじゃあなんですし、文芸部の部室まで行きましょう。鍵はわたしが持っています。』


 自前の小さな弁当箱を持ち上げて見せた篠目。昼を一緒に、ということか? いや、自分は生憎教室に弁当を置いてきてしまっているのだが……


『それじゃあ一緒に取りに行きましょう。大丈夫ですよ。わたしは唯一の文芸部員なので。』


 唯一の部分だけ、やたらと筆圧の強い濃い文字。口ぶり(筆ぶり……むしろペンぶりか?)から察するに、他の部員は文芸部員であると認めたくないとか、そういう感じだろうか? まさか、今夜一人を強調するみたいなニュアンスではないだろう。

 書いてた時点(高2の冬)では次に読もうと思って準備してたんですけどねぇ、天地明察。

 冲方丁先生の作品は「マルドゥック・スクランブル」と「ばいばい、アース」が好きです。

 大學生協の本屋の冲方丁コーナーに新装版、完全版、ヴェロシティが置いてあったので今度買おうと思います。天地明察も読みます……!

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