18ドグラマグラ
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どうして自分はこうもじゃんけんに弱いのだろうかと思う。いや、弱いのはじゃんけんではない。運が悪いだけだ。じゃんけんはいつも意識して同じ手ばかりに偏らないようにしているので、これはもう完全に運が悪いのだ。中学校のいつごろからだったか、本当についていない。第一志望校にムラマサとともに無事合格できた時についてるなと思って以来一度も自分の幸運を感じたことは無かった。
またしてもじゃんけんに負けてゴミ捨てである。三週連続だ。去年の最高記録は六週連続なので、もうそろそろ折り返しである。
今週はさらに悪いことに、ゴミ袋のストックが切れていた。事務室まで行って取って来なければならない。部活に所属していない身ではあるのでいくら時間はあるといえど、しかし本屋にいられる時間が減るのには変わりない。あるいは本屋に行かずとも、アクション多めの漫画くらいなら一冊くらい読み終えられそうだ。
自分に負けず劣らず運の悪いムラマサは、今日はゴミ捨て当番ではないらしい。彼と同じクラスの女子生徒がゴミを捨てていくのがちらっと見えた。名も知らぬその女子生徒とすれ違い、ゴミ置き場にゴミ袋を放り込んだ。まあそれが当たり前なのだが、中にはゴミ袋以外のものは無い。
もともと焼却所であったがために重いゴミ置き場の戸を閉め、東館へと足を向けた。東館は特殊教室棟というかなんというか、戦前この学校がまだ中学校であった時に無かった教室をすべてまとめて設置した教室棟であるため、中学校でも使う化学室音楽室美術室以外の思いつく限りの大体の特殊教室は入っている。事務室もその中の一つであった。事務室だけは無かったものを新しく新設したのではなく、東館ができた時に鍵等の管理の利便性を鑑みて移動させたらしい。
入り口は二か所。学校の正門に程近い図書室がある方と、そして今自分が入ってきたゴミ置き場がある方。建物自体は五階建てであり、屋上には園芸部の畑があるらしいが一般生徒は立ち入り禁止だ。
「失礼します――」
ノックが二回なのはトイレ、三回は家族や友人恋人など、親しい相手で、四回が初めて訪れた場所や礼儀の必要な相手だ。ビジネスにおいては三回に省略することも認められているらしいが、高校生にビジネスはまだ早いだろう。四回でいい。
事務の先生にゴミ袋をもらい、教室を後にする。ゴミ置き場を経由するなら裏の入り口から入った方が近いが、いったんゴミ袋を置きにホームルーム教室へ戻るのなら、正門側から出た方が近い。東館から出て正門の前を通り、正面西館三階に自分の教室はあるのだ。
事務室を出て、図書室を横目に通り過ぎる。本は読むのも好きだがそれ以上に集める方も好きなので、図書室に行こうとは思わない。借りるなら買う。将来的には本の重みで床が抜けてほしい。死ぬときは本に埋もれてがいい。まあ今すぐ死ぬ気もないが。本はこうしている今の間にも発行され続けているのだ。ダンタリアンの書架でも欲しいものだ。三雲岳人の著書「ダンタリアンの書架」に出てくる、要するにドラえもんの四次元ポケットみたいな無限図書館である。実際は普通の本を収めるための本棚ってわけでもないのだが、それはさておき。
普段は何気なく通り過ぎる図書室。の、扉の隅の方に、文芸部員募集の張り紙を見つけ、なんとなく足を止めた。一体いつ張られたものか、見当もつかないくらい日に焼けて色褪せている。文芸部……去年のクラブ紹介ではそんな部活あったろうか? 記憶にはない。もしかするとこの張り紙が貼られて以降に無くなって、しかし誰も剥がす者がないまま張り紙だけが残ってしまっているのかもしれない。
ちょうどその時である。
その張り紙が図書室のドアに貼られていることをすっかり失念していた自分が完全に悪いわけだが、ドアが開いたのだ。図書室から出る者の手によって。すると向こうからしたらどうだろうか、図書室から出ようと思ったら目の前に人間がいたのだ。止まりきれずにぶつかるか、その場で硬直するかのどちらかだろう。果たして「彼女」は、後者のようであった。
篠目千日紅と二人、たっぷり数秒硬直したまま見つめあう。偶然にも文芸部員募集の張り紙がしてあった高さと篠目の目の高さは同じくらいであったのだ。
「……あっ、ごめ、ん」
硬直が先に融けたのはこちらの方であった。なんとか謝ってから、ドアの前を退く。篠目は伏し目のままに軽い会釈をして、逃げるように走り去っていってしまった。珍しい。いつもいじめグループの中に埋没している彼女が一人であることは本当に珍しい。
ドアが開けっぱなしだったので閉める。その時、本が落ちていることに気付いた。篠目が先程抱えていた本が、驚いた拍子に落ちてしまったのだろう。しゃがんで手に取った。
「へえ……」
思わずひとりでに声が出てしまう。今日は珍しいこと尽くしだ。篠目は結構本を読む人間らしい。落ちていたのは、夢野久作著、ドギツイ表紙の「ドグラ・マグラ」であった。日本三大奇書の一つに数えられる小説である。自分も去年読んでみたのだが、正直ほとんど意味が分からなかった。背伸びするには高すぎるハードルである。それにしても、まさかこの表紙をそのままで図書室に置いてあるとは思わなかった。げに侮りがたし図書室である。拾った「ドグラ・マグラ」の上巻を手に持ち、表紙が外から見えないように若干の気を配りつつ、教室へと戻った。
これは篠目が借りた本である。もしも教室で待っていて返ってくるのならその時に、もうすでに彼女が帰った後であれば明日にでも渡してしまえば問題ないだろう。なぜなら彼女は、自分の目の前の席に座っているのだから。
――――脳髄はまず人間のためにアラユル武器を考え出して殺し合いを容易にしてやった。




