表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/31

14itと呼ばれた子

 14



 先生に呼び出された。

 先日の「傷害事件」のことで話があるらしい。

 一体どういうわけだか知らないが、まあそりゃあ校外でトラブルを起こしたわけだから呼び出されはするだろう。「ハイスクール・パニック」や「it(それ)と呼ばれた子」では、主人公たちはよく職員室やら校長室やらに呼び出されていたようだが、自分はふざけたり調子に乗ったりはするものの、中学二年生に至るまでに教職員に呼び出されるようなことをしでかしたことは無かった。だから、こうして先生に呼び出されるということに不安を覚えずにはいられなかったのである。

 言ってしまえばクラスメイトを校外の悪漢から救い出したわけなので、どう考えても自分が怒られたりだとか、そういう心配はしても無駄だとは思うのだが、それでも校外でトラブルを起こしたこと自体について怒られるかもしれない。今まで怒られるという経験がほとんどと言っていい程なかったので、ひたすら気が重かった。

 It(それ)と呼ばれた子、デイビッド・ペルザーが校長室に呼び出されたとき、待っていたのは担任のジーグラー先生、算数のモス先生、看護婦さん、校長のハンセン先生と、そしてお巡りさんだった。デイビッドは開口一番「ぼく、何も盗んでません……今日はまだ」と言い訳するわけだが、自分もそうするべきだろうか。なにもしていません。これだと何か心当たりがあるみたいだ。いや、実際あるわけだが。というかお巡りさんがまさかいるはずもないし、そもそも呼び出されたのも校長室ではなく生徒指導室であり、そこで待ち構えているはずの先生は自分のクラスの担任の先生だけなはずである。

 道すがら、自分に問いかける。

 悪いことはしたか?

 ノーだ。

 自分は外部の人間に攫われようとした(ように見えたし、実際そうだったはずだ)現場に介入し、結果的にそれを防ぐことに成功したのだ。話があるとしか言われていないし、もしかしたらそのことについて褒められるかもしれないとまでは言えないまでも、まあ簡単な事情聴取くらいで終わるだろうとあたりをつける。今日はたまたま偶然クラブの練習がなかったムラマサやそのほか数名の友人たちと、これまた偶然部活動が休みだった自分は遊ぶ約束をしているのだ。待たせてしまっては悪い、できるものなら早く終わらせたい。

 そういった思考の推移を経て、恐らく一生入ることはないだろうなと信じ、入らないようにしたいものだと思っていた生徒指導室に到着する。ノックを四回打ち、失礼しますの声とともに中に入った。

 待っていたのは当然校長でも看護婦でもましてやお巡りさんでもなく、ある種当たり前なのだが担任の先生であった。平江という名を持つその先生は、三十代前半の髭面の教師であり、その体格と振る舞いから、教師よりも違う職業が似合う先生ランキング一位(新聞部が勝手に進呈した称号)を頂戴するほどだ。ちなみに教師よりも何が似合うのかと言えば「チンピラ」らしいが、それは新聞部の友人が直々に教えてくれた情報であり、その記事が載った新聞が発行される際には校閲で「レスラー」に変えられてしまったらしいがそれはさておき。

 つまるところ平江という教師を端的に表すことのできる言葉はといえば、「チンピラ」なのであった。自分が担当している理科のテスト問題を金で生徒に横流ししたことがあるというような噂が出回っているが、実際その程度のことくらいならやっていてもおかしくないような男、それがこの教師なのである。貴志祐介の小説、「悪の教典」に出てくるチンピラ教師こと芝原に似ている。容姿の面でいえば漫画版「悪の教典」の芝原にも少し似ていると思ったこともあった。

 そして、自分を待っていたのは、平江だけではなかった。長方形の生徒指導室、入り口のある辺が短い方。その向かい側の辺に大きな窓があり、そこから差し込む光を背中に受けて、平江は椅子に座っていた。自分と平江の間には濃灰色のワークデスク。

 そのデスクの前に置かれたガラスのローテーブル、それを挟んで向かい合う形で置かれた革のソファにはすでにムラマサが座っていた。平江が左手でそのソファを示す。座れ、ということらしい。対面に来る気もないらしい、自分はムラマサの正面に腰を下ろした。

 むっつりと押し黙ったような表情の平江の右手側には芳賀山が立っている。全部で四人。この部屋には今、四人の人間がいた。


「この前の異文化交流遠足の時だ。お前たち二人は芳賀山を路地裏に連れ込んで乱暴しようとし、それを止めに入った一般人二人に暴行した。その場に居合わせた生徒たちからそう聞いたが、間違いはあるか」


 思わずムラマサと顔を見合わせた。開いた口が塞がらないとはまさしくこのことである。

 こいつは何を言っている?

 あまりに事実と乖離した物言いに一瞬何と言っていいかわからなくなる。口にしたことがまるで事実と一片も違わないのだというような態度の平江のせいで、事実は実際そうであったのではないかと一瞬だけ勘違いしてしまったのだ。当たり前のことを当たり前のように口にする。たとえば「人間は息をすることができる」と言われて、うんそうだねと頷いたときのような、そんな感覚だ。それくらい平江は、自分が口にしたことが誤っているなど微塵も考えていないようだった。


「全然違います」


 ムラマサが言った。


「本当に違うのか? 被害者である芳賀山がそう言ったんだぞ」


 平江が返し、再びその内容を理解するのに幾らかの時間を要することになった。数秒間、ムラマサと二人して静止、平江に言われたことを反芻。


「……芳賀山」


 俯いたままこちらを見ようとしない芳賀山に呼びかける。前髪で隠れた芳賀山の顔は、一体どんな表情を浮かべているのだろう。噛みしめられて変色した下唇が痛々しい。


「俺たちはそんなことをしていません!」


 いくらチンピラといえど、腐っても教師だ。真摯に訴えれば届くはず。「sickened 母に病気にされ続けたジェリー」という本で主人公のジュリーが医者に己の病状を訴え続けたように、子細に、その日あったことを話す。すなわち異文化交流遠足において、芳賀山がクラスの○○(例によって名前は覚えていない)達に裏路地に連れ込まれ、見るからにガラの悪い男二人組に連れ去られそうになったから介入したことを、だ。


「あいつらにももう話は聞いたぞ。知り合いだって言うからお前たちの被害者である二人にも電話をかけてもらって話を聞いた。先生が聞いたところによると、お前たちの話と芳賀山たちとの話は全然違うようだぞ?」


 左手で顎をさすりながら、平江はそう言った。一体いつから、先生が生徒の話を聞いてくれないようになったのだろうか。これ以上は埒が明かないし、第一、この様子だとなんらかの手段によって平江は買収されているみたいである、こちらの話などそもそも聞く気がないのだろう。どうせ芳賀山をいじめているグループが、目障りな自分とムラマサ(芳賀山のいじめを邪魔する「主犯格」二人である)を排除しようとした結果であろう。

 整理するとだ。

 自分とムラマサは、傷害事件を起こした。

 そういうことになりましたよ、と、そのことをわざわざ連絡するためだけに呼び出されたのだ。


「向こうはお前たちが反省しているのなら警察に言うつもりはないそうだ。まずは芳賀山に謝れ。な?」


 ニヤニヤと脂ぎった笑みを浮かべ、左手で自分たちを指さす平江。冤罪、濡れ衣である。当然こちらは無罪を主張する。この場で、今、このタイミングで頭を下げるということは、すなわち己の罪を認めるということになるので――もちろんそんなことが、できようはずもなかった。

 付き合っていられない――ムラマサを促し、立ち上がって出て行こうとする。こちらには誰が何と言おうと非は無いのだ。それはいちばん自分が良く知っている。それなら、断固として無実を主張し続ければいい。悪には屈しない。思い出すだに、この時中学二年生の秋は、まだ自分の心の中には正義の炎が燃えていたらしい。


「おい、待てよ。出て行くつもりか」

「当然です。俺たちはそんなことはしていませんし――先生が俺たちの話を聞く気がないというのなら、校長先生を呼びに行きます」

「まあ待てって。先生が悪かったよ。お前たちの話もちゃんと聞く。だから、いいから、座れ(・・)


 理解のある先生を「演じ」、平江は優しく諭すように語りかけてきた。しかしその言葉の中に優しさなど欠片もなく、実際は暴力で相手を抑えつけようとする暴君の話術であることは、この場にいるだれもが暗黙の了解としてわかっていた。


「今ここでお前たちが反省して、自分の罪を認めて、芳賀山に謝るなら、芳賀山も許してくれるってよ。俺も学校も、お前たちを許す。内申点にも響かないし、そんな事件があったことも俺が何とかして揉み消してやる。お前らは勉強はできるから、そこそこの高校狙ってんだろ? 事件なんか起こしたらまず合格できないぞ? 前科持ちだからな」


 脅しだ。

 卑怯なやり口に、逆に胃のあたりがスッと冷え、怒りに脳がスパークする。


「ムラマサ、手は出すなよ」


 思わず平江のムカつく顔面を殴りそうになったので、先にムラマサを制する。お前もな、と返ってきて、彼も同様に平江への怒りが溜まっていることを確認した。ふざけるのも大概にしろよ、である。

 こちらが中々頭を下げないことにまったく業を煮やした様子もなく、先生は左手でペンを持ち、デスクに広げた手帳に何事か書き込んだ。そしてそのページを器用にも左手一本で切り離し、こちらに見せる。


「読めません」


 悪口とか悪態とか雑言とかそんな下等なものではなく、ただ純粋に、事実だけを述べた。字が汚すぎて、解読ができない。それこそ利き手じゃない方の手で書いたみたいな、むしろ描いたみたいな、その複雑な図形は果たして文字なのか? 十くらいの塊に分けられそうだ。

 いや――


「先生、右手は怪我でもされた――怪我でもしているんですか」


 ムラマサがわざわざ尊敬語を訂正して平江に問うた。質問の意味を測り損ねてムラマサの方を見ると、彼は自分のためにも追加で説明してくれる。


「先生は右利きなんだよ。バスケ部の顧問もやってるから、見たことがある」


 平江の授業はプロジェクターを使用して行われる。だから先生がペンを持ったりだとか、箸を持ったりだとかするシーンに遭遇したことはそういえば一度もなかった。だが、先生が右利きであったことが、一体なんだっていうのだ。ムラマサは、何を言いたい?


「別に怪我なんてしてないけどな、今右手は忙しいんだ。だから左手で勘弁してくれな、どうにか読み解いてくれ。これは要するにあれだ、ばらまかれたらお前らが困るんじゃないかなーっていう」


 目を細めて、ミミズがのた打ち回ったような文字を追う。要約するに、自分とムラマサが芳賀山に乱暴しようとしたことが書いてあるようだ。


「どういうことですか! 俺たちはやってないって――」


 ムラマサの言葉は、それ以上、耳に入ってこなかった。

 時が止まったようだった。音が消えた無音の世界にふと迷いこんでしまった。ムラマサが反駁する。平江が何事か言い返す。自分を置いて、二人の会話は一方的にヒートアップしていった。ムラマサだけがどんどん加熱されていくが、平江は冷たいままだ。こちらに半分も意識を向けてはいない。

 何故?

 先生の右手は忙しい――何に? 思った自分の目は先生の右手の伸びる先を追い。退室しようと立ち上がったことで、ソファに座ったままだと見えなかった角度から、その光景は見えた。見えてしまった。ムラマサからだとちょうど芳賀山の体に隠れて先生の右肩から先は見えないだろうが、自分のいる先生の左手側からだと良く見える。

 いくら適当な先生でもどれだけチンピラな先生でも、先生である以上、生徒に悪意を持って危害を加えることがあるのだろうとは考えたこともなかった。先生は生徒の味方であり続けるのだろうと、無条件にそう信じていた。しかし先生も人間なのだと、自分にそう教える出来事であった。

 平江の右手は、確かに、忙しいようであった。肘から先が、芳賀山のスカートの中に消えていたのだ。


「おい、沙前、村江。お前ら、芳賀山に謝れよ。な? そうしたら、全部、丸く収まる(・・・・・)んだから(・・・・)


 芳賀山は体を売った。彼女をいじめていた女生徒たちは芳賀山を売った。


「……ムラマサ」


 顔を見合わせる。握りしめた拳が震えていた。怒りの炎を背負うムラマサの目が口ほどにものを言う――曰く、ヤるか、と。自分はそれに対し、首を振った。


「芳賀山、悪かった」


 この小説、高校二年生の冬(2014~2015)の年末年始にかけて書いたんですけど、そういえば「itと呼ばれた子」の一巻だけ読んで忘れてたのを思い出しました。四巻まであるので読まねば。

 ちなみにこの「itと呼ばれた子」は実話だそうです。虐待児童の話。

 「sickened 母に病気にされ続けたジェリー」は、《代理によるミュンヒハウゼン症候群》の母親に虐待され続けた女性の半生を綴ったノンフィクションですね。お医者様がちやほやしてくれるから病院に行って、病気に罹った演技をする《ミュンヒハウゼン症候群》、その亜種(?)である親が子供などに病気のふりをさせて必要もない投薬や治療を受けさせ続け、最悪本当に健康を損ない死に至る《代理によるミュンヒハウゼン症候群》のお話。著者がその被害女性に取材した回想録的なものです。

 ちょっと病気の解釈間違えて覚えてるかもしれませんので、気になった方は改めて調べなおしてください、すみません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ