第3話 異人様
アディの家は入り口からほど近い村はずれにあった。
普通の一戸建てより一回りほど小さい。ログハウス風お洒落ハウスだ。
「どうぞ、入ってください。」
わざわざ扉を開けてもらって恐縮だが、俺の中で嫌な思い出が蘇る。
アディの家は、中へ入るところが1段高くなっている。…さて靴はどうする。よくあるぞこの感じ。
子供の頃にラーメン屋で靴を脱ぎかけて、店主に笑われたことを思い出す。
1段上がってたら脱がなきゃいけない気がするだろ。くそ。今でも思い出すとハズカシイ。
なかなか入らない俺に何故とでも問いたげな表情をするアディ。もう無理。素直に聞こうと思います。
「靴は、その。」
「なんです?」
「いやその、靴って脱いだほうが良いですか。」
「………。」
アディはポカンとした顔をしていた。
…どっちだ!どっちの顔だそれ!は!?靴脱がないとか行儀悪すぎだろヒャハー!!なのか、オマエ靴脱ぐの?えっ?なのかハッキリしろアディ。
「どっちでもいいですよ?」
「へい。」
………………。
そうきたかー。
楽なので土足で入るとアディも土足で来た。なんなんだ。客に合わせるスタイルか。無駄に紳士だな。
居間らしいところへ通されて椅子をすすめられた。ほんと新しい場所行った時の立ち振る舞いって困る。いつになっても右往左往する。くそめ。
見た目に反してチキンハートな俺だ。椅子に腰掛けてしばらくすると、アディが香ばしい香りの飲み物を持ってきた。
「これ、なんですか。」
「チャカです。ご存知ありませんか。」
首を振る。香りからするとお茶っぽい気がする。いただきますと言ってから一口飲んでみる。
「どうです。口に合いますか。」
「むむっ…!」
香ばしさの中に苦味、ほのかな甘み。飲みやすく親しみやすい風味。くどくなく爽やか。好ましい。実に好ましい。
結論から言うと。
んー、お茶。
「故郷の飲み物と似ています。美味しいですね。」
感想を述べるとアディが輝く笑顔で頷いた。お茶を褒められたのがそんなに嬉しいか。
「ところで。」
アディが切り出した。
「どちらの出身ですか。」
「えっ?あー…。」
もちろん俺の出身国は日本だ。ついでに言えば神奈川県で、横浜市だ。身なりも平々凡々。畑仕事して昼寝したらすぐ帰る予定だったために軽装。
ダル着パーカーと灰色スウェットの下。持ち物らしい持ち物は首にかけた汗くさタオルと捨て忘れた紙ゴミのみ。
スマホすら持たない俺、文明に逆らってるカッケーとか思ってた。ばか。俺のバカ。大切な連絡手段だよ馬鹿。
嘘ついても良かったが、うまい嘘が見つからない。正直に答えよう。
「日本って国なんですけど。」
「ニホン?」
「知らないですよね。」
「ちょっと待っててください。」
何を待てと言うのか。言われた通り大人しくしてると、アディが一冊の手作り感溢れる本を持ってきた。
やたら達筆な字だ。日本語に見えなくもない。本の表紙には著者と題名が書かれているようだ。
「読めますか。」
「著:はかかま。異世界手引…?」
「よかった。やっぱりそうでしたか。」
「いや読み方あってるか分からんですよ。ミミズみたいな文字だし。」
俺の言葉など耳に入っていない。アディは手を合わせて祈ったりどこか虚空を見つめて感謝の呪文を唱えている。
「で、その。これなんなんですか。」
「え、ああ…うちに代々受け継がれているものです。60だか70年前に異人様が納めてくださった物らしくて。」
「60や70年で代々?それに異人って…?」
「我らエルグモ族はもともと寿命が20年ほどですから。エルフ族やヒト族と比べれば短命ですね。それも近年、内地の生活水準が飛躍的に上がったおかげで、寿命も伸びてきていますが。」
なるほど。ガッテン。
エルフ族。ファンタジーな種族だ。美男美女で、耳が長くて、空が飛べるとかそんな感じのイメージだ。
対して短命のエルグモ族。うん。ファンタジー。名前だけで幻想的。
俺はヒト族に分類されるのかな。
というか内地ってなんだろ。
「異人というのは100年に一度、突然内地に現れる存在のことです。一節によると創造主であるとか。天使であるとか悪魔であるとか。」
「あやふやですね。」
「ええまあ。珍しい着衣でしたので、もしやと思いましたが…ユーイチ様、その文字が読めるということはやはり異人なのですね。」
「異人…ですか。」
「あ、その楽に話していただけますか。異人様に気を遣わせるのはおそれ多くて…。」
「え、えっと。」
「気安くアディとお呼びください。」
うん。心の中では呼んでた。
「あ、アディ…。その、それならアディも気楽にしてくれないか?」
アディは静かに首を振るのみ。こら、返事はしなさい。なにカッコつけてんだ。
異人がどうとかってのは正直分からん。アディが言うならそうなのかもしれないが、俺はそんなに偉いわけじゃないし気まずい。
この空気から逃げるようにチャカをひとくち啜り、異世界手引と書かれた本をめくる。
達筆すぎて(もしくは字が汚すぎて)ほとんど読めん。意味ねぇじゃねぇか楷書で書けよ。
「それで、その本にはどんなことが書かれているのですか。」
興味津々のアディ。面倒だな。あんまり読めないし、目についた単語を適当に繋げてみることにする。
「花嫁が奪って…世界戦争?してて、地震が起こるから、止めろ的な…。」
「…意味がさっぱりです。」
「俺もだ。」
本の中には先ほど聞いた「内地」という単語が頻出している。
「そういえば、内地ってなんだ?」
「内地は、名前の通り僕たちが立っているこの地面のことですよ。」
「空にある大地も“内地”なのか?」
「いいえ。あれは“外地”です。」
「ふぅん。」
「他に何か書いてありますか?」
「いや。」
読めないもんはほっとこう。俺はアディに本を返した。
「ユーイチ様?」
「ほとんど読めないし、しまってこい。」
「はあ…。」
渡された本を困ったように眺めてから、アディは言われた通りに本をしまった。
「いいんですか?過去の異人様の残したものですよ?」
「いらん。読めんし。」
そういうものですかねぇと言いながらチャカを飲むアディ。不意に立ち上がり、俺に食べたいものはないかと尋ねてきた。
…だから俺はこう答えてやった。
「ラーメンセット。」
「はい?」
「ラーメンセットだ。」
「なんですかそれ?」
「………。」
やはり、ないらしい。
仕方がないのでお手紙…ではなくてヤギと言ってみた。「ちょっと待っててくださいね。」と奥へ引っ込むアディ。これはあるらしい。アディが早速ヤギ肉を焼き始める。…今さらジョークとは言えない。
ジュウゥと肉の焼ける音がやかましい。負けじと声を張り上げてアディに声をかける。
「なあ。ヤギってうまいのか?」
「ええ!美味しいですよ!」
ヤギ肉なら業務スーパーでパック詰めされたものを見たことがある。
うちの母さんは鶏肉派だったため、とうとう食べることはなかったが、まさかこんな所で食べられるとは。
立ち込める油の香り。
腹がどんどん引っ込む。しんぼうたまらん。アディは鼻歌なんて歌いながら塩らしきものをパラパラふりかけていた。
やがて運ばれてきた皿には、ワイルドな具合に分厚い肉が乗っていた。動物的な香りはするものの、そんなことは問題にならない。
滴る肉汁。ナイフで切り取った箇所の赤く柔らかな弾力に食欲は刺激されるばかりだ。
期待を込めて一口。ぱくりと口に含めば…。
くっさ。
動物臭がやばい。
肉そのものはこの上なく美味なのに香りのせいで台無しである。血抜きしろ。
「さあ、どんどん食べてくださいね!」
アディは全く気にしていないようだ。
結局なんやかんやで腹が減っていた俺はヤギ肉のステーキをなんなく完食し、ベッドで寝た。
アディが提供してくれたベッドは木造で、敷布団が薄く固いが贅沢は言えない。
むしろ固い寝床には慣れていた。先祖代々布団派だぜ。アディはアディでまだベッドを所有してるらしいので、家主を床で寝かせる心配はなかった。
そして布団をかぶりながら天井を見つめた。知らない天井ゴッコなどではない。明日はどうしようか考えているのだ。
空想を膨らませながら、俺は少し感傷的な気分にもなった。ホームシックなどではない。ただ、やっと現実感が沸いてきた。
俺は、この世界を知りたい。