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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赤い絵の具で雨を描いてみた。

作者: 茶間 たたみ

 ぱらぱら、ぱらぱらと。


 季節外れの雨音が酷くうるさい真夜中のことでした。


 町外れのトタン屋根は叩きつける雨粒と風に文句を言うように軋んで、逃げ込んできた彼の迷惑なんて知りません。

 蝶番のいかれた扉は、開け放ってしまったそのあとから風でぱたぱたと鳴りやまず、まるで自らの役目を放棄したようです。


 雨の木立を抜けてきた旅の絵描きは、暫く軒下に立ち尽くした後、仕事鞄から雫を落としながらその先客に尋ねました。


「貴方はどちらさまで?」


 果ての見えないほど暗い小屋の中で、雨音に混じった声が湿った空気に滲むように響きました。


 もぞり、と黒々とした暗闇の一部が動きました。

 見上げる二つの目と、滴る雫。

 遠くにいるのか、近くにいるのか、この暗闇ではそれさえも怪しいものです。


 とても奇妙な先客でした。

 入ってきた絵描きにはちらりと目を向けた限りでそれきりに、手にしたなにかを熱心に口に運んでいるようです。


 うずくまっていたのか、胡座をかいていたのか。彼が待ち続けると、その先客はやっと顔を上げました。

 雨漏りが酷いのか、変に濡れた床の上で赤いビー玉のような目玉が二つ光ります。


「きみ。」


 何か柔らかい物を()みつつ、少々むっとした声音が応えます。


「挨拶を知らないのは、ケダモノも同じだとは?」

「……これは、大変失礼しました。」


 自己紹介も忘れていた絵描きは、それではっとしたように姿勢を正しました。

 暗がりで真っ黒な影にしか見えない彼に、絵描きは丁寧に頭を下げて侘びます。

 向こうにはこちらの姿がきちんと見えているのか、「ふむ」と小さく聞こえました。

 すっかりびしょ濡れになってしまった帽子を胸元に抱え、絵描きは物腰低く


「私は商売で一人旅をしている者です。今夜中にでも町につくつもりが、この雨に降られまして。よければ一晩、この屋根を貸しては頂けませんか?」


 その旨を伝えました。

 すると、暗がりの彼は機嫌を治したようで「くくく」と笑いました。

 胸に抱えるようにしたそれをまた口元に運びつつ、彼は言います。


「それならいっこうに構わない。そもそも僕の屋根などではないのだから、どうぞお隣でも隅っこでも。」

「では、お言葉に甘えて。」


 絵描きは帽子を引っ掻けた鞄を大事に抱えながら、その場に腰を下ろしました。

 早速幾つもの水溜まりを踏んづけてすっかり重くなってしまった靴を脱ぎ、靴下を絞ります。


 冷たいようで生暖かい嫌な雫が、床にびとびとと落ちていきます。


「ところできみ。この町にはお仕事で?」


 唐突に話しかけてきた彼に、絵描きは靴下を手放しました。


「はい。」

「そうかい。ここには初めてなのだろう?」

「ええ……どうしてそれを?」


 まるで珍妙な手品でも披露されたような絵描きに彼はまた「くくく」と笑いました。

 それがまるでいたずら好きの子供のようで、絵描きは口をつぐみかけます。

 昔から、子供はどうしても苦手です。


 そんなことなど知る義もない彼は、自慢気に種を明かしにきます。


「きみからは絵の具のにおいがする。絵描きかなにかなのだろう?

 だけれども……この町は他にない独特な宗教の色が強くてね。絵描きの描く絵画なんかに興味を抱くのは少ないから、その手の人間は近付かない。

 それでも来たということは、きっと知らなかったものなのだろう。」

「はあ、そうでしたか。ええ、その通り……全く知りませんでした。」


 絵描きは湿った髪の毛をごそごそ掻きました。

 どうやら、ここでの稼ぎは期待できそうにありません。

 足賃を心配していると、彼は未だ何かを口に含みながら言いました。


「そこまで心配をすることもないよ。ここの宗教は来客には暖かい。住人は皆幼子みたいに信心深いから、教会にでも行けば何か恵んでもらえるはずさ。」

「そうだと助かるのですが……。」


 細くなる語尾は少々不満そうです。

 それもその筈、この近くには他に大きく裕福な町などはなく、ここ最近ではほぼあがったりだったのです。


「まあまあ、振っておいてなんだが、お仕事の話もこの辺に。肩が凝るだろう。

 それよりも、ねえきみ。恩を着せるようで悪いのだけれども、良ければ僕の話し相手になってはくれないかい?」


 絵描きは、暗がりの中で姿のぼやける彼に目を向けます。

 彼はその視線を問いと受けたのか、鼻から息を抜くように言います。


「どうにも、僕は友人を持つには『協調性』というものに欠けるから。世間話をする相手さえそうそうありはしないのだよ。」


 自嘲の念がこもった笑みが、湿った空気とは不釣り合いに響いていました。


「そう……ですか。」


 やけに饒舌な彼に、絵描きは数秒黙りました。

 仕事柄、人との会話は多いものですが、生まれてこの方筆を舌の代わりとしてきた身で、世間話には慣れないのです。

 ですが、一晩の屋根を借りる身ですから相手の気を悪くさせる訳にもいきません。

 嫌な顔はせずに、絵描きはすぐに頷きました。


「ええ、お話ぐらいならいくらでも。基、面白味のある話題には乏しい私なのですが……。」

「いやいや、そんなことはない。きみという人間は面白味に溢れているさ。」


 子供一人分はありそうな何かを抱えながら嬉しそうに身を乗り出した彼は、まるで人形を抱いて喜ぶ女の子のようでした。


 それが更に絵描きの顔を苦らせるとは、彼も気付いていないようです。


「ところできみ。早速だけども、噂というものは好きかい?」


 赤い目玉をくりくりさせながら、彼は尋ねてきました。

 絵描きは首を斜めにします。


「まあ、人並みに。」

「そうかい。なら、こんな話は知っているだろうか。」


 先程から口元に運んでいたそれを傍らに置きますと、彼は近くに寄るようにと小さく手招きをしました。

 絵描きが心持ちそちらへ身を傾けると、彼は口の端に手を添えながら、少しばかり絞った声で言いました。


「この辺りに伝わる怪談の類いさ。」

「怪談、ですか。」


 酷く暗い上に、冷たく湿った大雨の夜。

 こんな時に随分な人だと眉を潜めそうになりますが、そんなことで相手の機嫌を害う理由はありません。

 絵描きが頷くと、彼は特徴的な赤い目を爛々と光らせながら語り始めました。


「何でも、冬の頭に近づく頃。満月の夜になると、決まって人が五人いなくなるらしい。まるでぱっと消えるみたいに。

 人々は何時からかこれを『人を喰う鬼の仕業だ』と言うようになったのだけれども……実際のところ未だ犯人が何なのかは影も形も掴めていない。

 だから、この近くに住む人は冬が近付くと、夜中は家に隠って堅く戸を閉じる。ネズミの一匹潜り込めやしないほど、入念に戸締まりをするのさ。

 ……ふむ、この町で宗教が建ち上がったのも、きっとその為だろうね。相手が"鬼"ともなれば、神にでもすがりたくなるさ。」

「それは……」


 季節は秋の終わり。

 呟くように口にした絵描きは背筋をぶるりと震わせました。

 こんな気味の悪い夜更けに、とても冗談になるような話ではありません。

 青ざめた顔に気が付いたのか、心持ち声を低くしていた彼は口元に手を当てました。


「おっと、申し訳ない。この手の話は苦手だっただろうか?」


 言葉通り表情を伺って言う彼に、絵描きは両手の指先をつつき合わせつつ視線を落としました。


「……どうも、昔から『おばけ』の類いには弱いもので……こんな夜更けに出られようものなら……想像しただけで震えが止まらなくなってしまいます。

 お恥ずかしい話ですが。」

「いいや、気にすることはないさ。」


 今までの空気を払うように、彼は明るく首を振ります。


「『おばけ』は何時の誰だって怖いものなんだ。だから『おばけ』と呼ばれるのだから。」

「……。」


 これは、少しからかわれているのでしょうか。

 絵描きは暫しの沈黙でそれに応えました。


 雨は弱まる素振りさえ見せてくれません。

 それどころか、何処か天井に隙間でもあるらしく、ぴちゃぴちゃと雨漏りのような音まで聞こえてきます。


「やれやれ、今夜のお空は酷く機嫌が悪い。」

「全くです。」


 相槌を打ちながら、絵描きはもう一足の靴下をぎゅっと絞りました。


「ところで、きみ。

 きみはどうして絵描きになんかなったんだい?」


 彼の質問はとても唐突でした。

 絵描きがまばたきをすると、彼は少しだけ肩をすくめて見せます。


「いいや、少し話題を切り替えようと思ったのさ。

 怪談はどうも盛り上がりに欠けるからね。」

「気を遣っていただいたようですが……私が絵描きになった理由ですか?」

「そう、こちらが話してばかりでもつまらないだろう。

 どうか、きみの話も聞かせて欲しい。」


 絵描きは抱いた鞄を一目見下ろし、そしてまた彼を見ました。

 赤いビー玉は好奇心にも似た興味に光っていて、まるで絵の具に塗られて行くキャンバスを横から覗き込む少年のようでした。

 絵描きは自信なさげに頬を掻きます。


「あまり、面白い事は言えないのですけれど……」

「いいや、面白いかどうかなんて聞き手次第さ。

 元より、きみ自身が面白くないと言ってしまえばそれきりなのだけど。 」


 絵描きは暫く話の構図を練るように黙ります。


 今までも何度か数えるほど聞かれたことですが、上手く答えられた試しがありません。


 どうも、いつも描いている絵の様に上手くいかないものなのです。

 苦労して『下書き』を終えると、絵描きはやっと口を開きました。


「命を描いてみたかったんです。」

「命、かい?」

「はい……こんな言い方をすれば大した事に聞こえてしまうのですが……まあ、つまり、人を、動物を、草花を、建物を、その中にある美しさの……根元的なものを描き出してみいと思ったのです」


 終始口ごもりながら、絵描きが言い終えると彼も黙ってうんうんと頷き始めました。

 暫くそうやってなにも言わない彼に、絵描きは居心地の悪さを感じ自嘲の苦笑いを浮かべました。


「すみません、どこにでも転がっているようなふらついた理由しか出せなくて。」

「いいや」


 すると、意外にも彼は遮るようにして口にしました。


「そんなことはない。

 確かに、珍しい話ではないかもしれないが。

 そもそも、珍しいかと立派かとでは全く話が違うだろう。

 どうか、もっと詳しく聞かせてはくれないだろうか?僕はきみという人間に興味が湧いてきた。」


 闇の中から、そのからだが少しにじり寄ってきました。

 ここまで言われてしまっては、渋るのも憚られます。

 絵描きはもぞもぞと居住まいを直し、たっぷり息を吸ってからやっと口を動かしました。


「……私の故郷は、ここよりも四季に恵まれた土地でした。

 春には花が咲いて、夏には緑が生い茂り、秋はそれが赤く染まって実が実る。冬でさえも真っ白な雪景色が、今まで廻ってきた何処よりも綺麗でした。」


 古巣を立って早いこと、もう三年と少しになりますが、あの素晴らしい光景の数々は未だ褪せることなく目の奥にあります。

 これが彼の原点であり、同時に目標なのです。

 彼も、熱心な絵描きの口から語られる故郷の風景に思いを馳せる様に首を斜め上に傾げていました。


「それは素敵な場所だね。年中ぬかるみと干上がりを繰り返してるこことは偉い違いだ。羨ましい限りだよ。」

「ええ、とても素晴らしい場所でした。ですが……」


 そこまで語ると、急に絵描きの言葉から熱が冷めていきました。


「嘆かわしいことに、故郷では誰もその事を『素晴らしい』とは言いませんでした。それどころか、誰もその事に目を向けたりはしなかったんです。」

「うん?」


 痩せた土地しか知らない彼には、その事が酷く不可解に思えたのでしょう。

 話を遮ってしまうことも忘れ、声に出して疑問符を投げ掛けました。


「それはどういう謂れだい?僕にはてんで理解できないね。」


 憤りにも似た色を混ぜた口調を聞くと、絵描きは顔を伏せるように頷きました。


「全くです。旅先でこの話をするたびに、みんながみんなそういいましたし……他でもない私自身も、故郷では常にそう思っていました。」


 ですが、と絵描きは言葉を続けます。


「どんなに私がそのことを言っても、誰も耳を貸してはくれません、その美しさに目を向けてはくれませんでした。

 代わりに、彼らは花の咲く丘を削って、森の木々を倒して、そこに新たな石畳を敷きました。

 もっと広く、もっと便利に、と。

 お陰で……私の故郷はとても窮屈になりました。」

「重々……嘆かわしい限りだね。」

「ええ、だから私は絵を描こうと思ったんです。幸い、道具を揃えるだけ余裕も……心得も少しばかり持ち合わせていましたので。

 どれだけ開拓を主張した人々でも、私の描いた絵にはきちんと目を向けてくれたんです。その時だけは、たしかにその美しさを理解してくれたんです。

 だから、少しでも……ほんの少しでも思い止まってくれればと、そう思って……。」


 言いかけた言葉はだんだんと細くなって、そして語尾を見失いました。


 暫く、更に強くなった気がする雨の音を二人は深く聞いていました。

 絵描きはやっと続く言葉を選びます。


「それから暫くして、私は故郷を立つ決心を固めました。

 一度失ってしまった物に、いつまでもすがり付いているわけにはいきませんから。……いえ、というよりも、変わり果ててしまった故郷から逃げ出したかったのかもしれません。

 それに、もしかしたら私の絵で出来ることがあるのかもしれない。あの時守れなかった風景を……それには及ばずとも、誰か一人でもその……『大事なもの』に気がついてくれたらと」

「それで、君は旅を?」

「ええ……まあ、今ではこの通り、ただの雨に濡れた貧乏鴉ですが。」


 今さら気恥ずかしくなったのか、得意ではない冗談で、彼は話を閉じました。


「すると、君は……」


 すると間を置かずに、聞き入っていた彼が口を開きました。


「案外、『()()』と根は同じなのかもしれないね。」


 唐突に溢れたその『やつ』という三人称に、絵描きは首をかしげつました。


「やつ?」

「そう、さっきの怪談に出てきたものだよ。」


『鬼』


 その名称が、絵描きの頭に浮かびました。


 まさか、そんなはずがありません。

 いったい、何をどうすれば、私が鬼になるのでしょう。


 困惑する絵描きの顔を見ながら、彼はくすくすと笑いました。


「いやいや、別に君を人殺しなんて言うつもりはないさ。

 大事なのはその道筋ではなくて、向かっている場所さ。」

「私にはさっぱり……なぞなぞはあまり得意ではありませんよ。」

「そうだね、まだなぞなぞにしか聞こえないね。

 では聞いてみようか。」


 困った、というより少々気味悪がるような顔をした絵描きに彼は訪ねました。


「鬼はなぜ人を食うのだろう?

 毎年決まった時期の、決まった時間に、決まった範囲から、決まった人数を。

 ある種、儀式めいているとは思わないかい?

 いや、儀式というよりも……作法。」


 答えを出せない絵描きに、彼は更に重ねます。


「では二択にしようか」


 ふと、彼が何かを取り出して絵描きの目の前の床まで指で押し進めました。

 それはそれを見下ろし、まばたきをしました。

 暗くてよく見えませんが、服などに着いている飾りボタンのようです。


 彼はそれをきちんと確認させると、それぞれを指しつついいました。


「青い花は開拓者、赤い花は絵描き。

 さあ、鬼はいったいどちらに立っているだろう?」


 やはりなぞなぞめいています。

 しかし、きっと意味はあります。

 なにより、こちらを興味深げに見つめている目が、それを示しています。


 絵描きは床に手を伸ばし、ボタンの一つに指を当てました。

 彼の方へと押し示されたのは、青いボタン。


「鬼は、開拓者です。」

「ほう、なぜ?」


 絵描きは指にボタンを触れたまま答えました。


「鬼が、人を食う為に拐って、命を奪っているのなら、それは私にとっての『開拓者』の行いです。

 命を奪うことは残忍なことで、それを行うのは、その価値を知らないということです。」


 それで間違いはない、と。そう思って絵描きはきっぱりといいました。

 すると、やはりと言うか、それを聞いた彼は楽しげに笑い始めたのです。


「そうだろう。いや、そう見えて当たり前だろう。

 だけどね」


 彼の骨ばった指が動いて、赤いボタンをつまみ上げました。


「僕は、『やつ』のことを『絵描き』だと思っているよ。」

「それはいったい……」


 言いかけて絵描きは口をつぐみました。

 もしかすると、彼は頭がおかしいのではないか、とそれを危惧したからです。

『殺人』を美徳とする、そんな精神異常者を、彼は少なからず道中で目にしています。


 それを見抜いたのか、赤いボタンを弄っていた彼は手を振りました。


「おいおい、そんな目を向けないでおくれ。僕は別に好き好んで人を八つ裂きにする人殺しなんて、そんなものを尊敬している訳じゃないんだ。

 むしろ軽蔑している、憎んでいる、それを悪だときちんと認識している。」

「では、何故?」

「まあ、落ち着いて。言葉の表面だけを見つめているようじゃ、本当の意味は見えないよ。」


 一旦話を切り替えるように、彼は心持ち大きく咳をして見せました。


「たとえば、こんな話がある。

 この土地が酷く荒れているのは見ての通りで、昔ここに住んでいた人々は常に僅かな実りを巡って争っていたそうだ。いいや、実りだけではない。他所から子供を拐う、女を拐うは勿論、遂には働き手になる男を殺してしまうなんてことも」

「なんでそんなことまで?食料を奪うならまだしも、人を殺したりするなんて、そんなことに意味があるとは……」

「きっと、意味なんて無かったよ。ただ怨めしかっただけだろうさ。自分より多く持つ者がね。

 貧困は人を愚かにする。例え命を繋げても、物を考える頭を駄目にして、世界を見る目を曇らせる。いや、貧困がそうさせるというよりも、きっとこの一連の現象を人は『貧困』だなんて呼ぶんだろう。」


 その時、絵描きは見ました。

 赤いビー玉の目が悲しげに遠くを見ています。

 まるで、故郷の最後を語る自分を見ているようでした。


 ですが、ふとその目が絵描きを見上げた瞬間に、彼は言い様のない凄みを感じました。


「けど、『やつ』が現れた時に、それが変わったんだ。」

「初めて鬼が人を拐った時ですか?」

「そうさ。初めは、ひとつの村の中で犯人探しが始まって、けれども見つからない。

 また隣の村まで探し始めたその時に、二人目が拐われて、そして三人目、四人目が消えて気がついた。

『ああ、これは人の仕業には剰る』ってね。」


 ビー玉の目が、暗闇の中で興奮した光を宿していました。


「それからみんなは変わった。

 周りを疑うときりがない事に気がついたのかもしれない。

 そんなことをしているうちに、次は自分が消えるかもしれないと恐怖したのかもしれない。

 つまらない争いなんて止めたよ。奪うことも止めて、変わりに自ら工夫することを思い付いた。他所を羨む暇があったら必死で自分の為に頭を働かせた。

 そして、救いを求めるために団結することを知った。『宗教』という形でね。

 ある意味、目の前に突き付けられたのだろう。

『本当に価値のあるもの』『大事なもの』。」


 話が節を迎える頃には、絵描きは指を青いボタンから放していました。

 目の前の彼が摘まむ赤いボタン、それが暗がりできらりと光って見えました。


「……案外『やつ』もこの辺りの村や町の生まれなのかも知れないね。そして、自らの……自らを取り巻く過ちに気付いて、それをどうにか訴えたかった。

 この場合、やつの持っていたものが絵筆でなく、鋭い爪や牙だった。」


 赤いボタンを絵描きの方に指で弾き、彼はひとつ大きなため息をつきました。


「君たちは、案外同じなのさ。

 ある種の『使命感』にあてられてしまったんだ。

 もう、選んでしまった道しか歩けないし、始めに手に取った道具しか知らないんだ。

 ひたすら進むしかないんだよ。そこに、間違いも正解も見出だせはしないんだ。」


 いつの間にか、小屋は静寂に包まれていました。

 屋根を叩く雨粒はおとなしくなり、戸を鳴らす風も息を潜めています。


 語り尽くしたとばかりに、彼はため息をつきました。


「さあ、雨は止んだようだ。

 ここにいてもつまらないだろう。町で体を温めてきたまえよ。」

「……はい」


 絵描きは短い支度を済ませると、閉じなくなった戸を潜りました。

 最後に小屋の中へ振りますと、深々と頭を下げました。


「どうも、お邪魔したした。」


 すると、小屋の闇の中からキラリと光る何かが転がって来ます。

 絵描きがそれを拾い上げると、二つの飾りボタンのようです。


「どちらも君に上げよう。それは記念だ。君と言う人間が、この偏屈な生き物とすれ違ったという記念。」

「ありがとう……ございます。」


 何の意味があるのか。

 さっぱり検討はつきませんが、それを握り絵描きは雨上がりの夜へと踵を返しました。


「こちらこそ、ありがとう。君と出会えてよかったよ。」





 雨露に濡れた木立を掻き分けると、やっと町へと続く道が現れました。

 ほっ、とため息をつき、絵描きは帽子のずれを正します。


 すると、その時でした。


「おい!」


 突然投げつけられた鋭い口調と、湿り気でパチパチと言う松明の群れに、絵描きは後ずさりました。

 見慣れない服を着た男たちが、手に手に斧や鎌や、手製の槍を握りながら絵描きを睨み付けていました。


「これはいったい、どういった訳でしょうか?」

「どうもこうもあるまい!こんな夜更けに、お前は何をしている!」


 突き付けられた炎と槍に、絵描きは泡を食って自らの身の上を語りました。


「絵描き?この町へ商売に寄ったと?」

「はい。途中で雨に降られまして……それで止んだ所を見計らい、急ぎでこの道まで降りてきました。」


 それを聞くと、男たちは安堵のため息をつきながら、各々武器を下ろしました。


「いったいぜんたい、何の騒ぎですか?」


 絵描きが尋ねると、戦闘の槍を手にした髭男が言いました。


「我々は教会の組んだ捜索隊だ。

 何でも今日の暮れ時に、町の若い衆二人が血の跡を残して消えたらしい。」

「それはなんとも……」


 絵描きが息を飲むと、髭男は絵描きの肩を叩き町の方を指差しました。


「我々はこれから、この先にある木こりの一家の小屋へ注意を促しに向かう予定だ。

 君も、町へ行くなら道を急ぎたまえ。教会へ行けば、一晩部屋を貸してくださるだろう。」

「あ……ありがとう、ございます」


 酷い胸騒ぎがします。

 絵描きは手の中のボタンを握り締めると、先へ向かう捜索隊の一人を呼び止めました。


「どうした、一人では不安か?なら護衛に一人を……」

「いいえ、その……なんというか……」


 青ざめた顔で言葉を濁す絵描きに、松明を掲げた男は首を傾げます。


「あの、木こりの小屋というのは……この、木立の先に?」

「ああ、その通りだが。」

「一家の構成は……三人。……子供が……ひとり、でしょうか?」


 それを聞くと、男は更に奇怪な顔をしました。


「その通りだ。……この先で何かあったのか?」


 その質問に、絵描きはボタンを握った拳を震わせました。

 そして、小声で答えました。


「いいえ……何も知りません。」


「そうか。なら、私は行こう。君も道には気を付けるように。」


 彼らを見送ると、絵描きは恐る恐る手の中を覗きました。

 きらりと光る二つのボタン。


 そして、そのうちの赤いボタン。


「……そんな」


 こびりついた血の落ちたそのボタンは、本来の青色に戻りつつありました。


 裏を返せば、みな同じ色に過ぎなかった


 とでも、言うのでしょうか。


 だとすれば、絵描きの見失った価値とはいったいなんなのでしょう。


「……。」


 彼は、途切れた雲の隙間を見上げました。


 大きく明るい満月が、小さな世界をただ見下ろしていました。

一応伏線を幾つかはってみたりしました。

不気味な空気や、対話の中での含みのある感じを重視してみました。


評価やダメだし、改善点、何でも迷わず叩きつけてください。

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