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桜風記  作者: 由唯
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伯父の正体 3




「私たち聖魔は、闇の気を見て感じ取り、それを払う力を持つ。あやかしと主従の契約を結び、使い魔としてその力を使役する。このタマがそうだ。タマを見つけたのは私ではない。美桜。おまえだ」


「わたし………?」

 かるく狼狽して美桜は身じろぎする。一匠は眼差しだけでうなずいた。


「聖魔には、互いの存在がわかる。見知らぬ者同士でも、逢えば同族がわかる。だが、おまえが小さな頃、遊び相手として逢っていたモノを見た時、私は仰天した。契約前のあやかしだったからだ。その時に気がついた。おまえには聖魔の力があるのだと」


「どういう………?」

 意味かと、困惑が深まる。一匠は少しく肩を落とした。自身の行いをあらためるように。


「ときおり───人の中に現れる。妖を見つけることができ、闇の気を目にすることができる者が。払う力を持つ者もいるが………私は、おまえがそういう種類の者だと思った。聖魔と呼ぶには微弱な力、人と呼んでも差し支えない存在感。いまなら………封じてしまえば、人としての一生を送れると」


 伯父の声には苦い悔恨がにじんでいた。驚く美桜の前で巽老人の深い声が一匠を問いつめた。


「それだけかね、一匠」

「いえ………」


 かるく瞑目して伯父は自身の内の悔恨をかみしめているようだった。開いた眸は自身の罪を認めた者のそれだった。


「美桜には、妖を見る目や、闇の気を見つける目がありながら、それらと対峙する力がなかった。聖魔には、必ずそなわった力です。それが私の判断を見誤らせた原因でもありますが。

 ───私は、姪を我々の因業に関わらせたくなかった。力も微弱ないまなら、私が封じてしまえば───あやかしを遠ざけ、私が関わらないようにすれば、美桜はふつうの人として一生を送れるはず。蓉子が、そう望んだように───」



 美桜は胸をつかれた。自分のあずかり知らぬところでからみ合った、むかしの出来事。

「蓉子おばさんは………知っていたの?おじさんたちのことを」


 伯父の眼差しはやさしく、苦かった。ああ、と答える声も。

「私たち聖魔も、長い時の中で人と心を通わせることがないわけではない。すべてを話すかどうかは相手にもよるが。───蓉子は、すべてを知って受け容れてくれた。私と、この一族を」


 美桜は少なくなく、息をのんだ。彼女には想像もつかない、その覚悟を。

「おばさんは………ふつうの、人間だったのよね………?」

 一匠はしっかりとうなずく。それをかみしめるように。


「ふつうの人間だ。寿命も力も人のそれと大差ない。………だからこそ、おまえが聖魔かもしれないという事実にはだれより驚愕し、私の提案に進んでのった。おまえから距離を置き、聖魔や妖魔といったものと隔絶できるように。二度と逢えないかも知れないという条件にも、ひるむことはなかった。───美桜。おまえが人としての生涯を歩むことを、だれより望んでいた」



 記憶にもおぼろげな伯母の存在がふいに身を包みこんで、美桜は言葉をつまらせた。

 自分が知らないところで───覚えていないだけで、美桜という人間はそんなに大事に思われていたのかと。


 ふむ、と考え深げな声は巽老人だった。

「それで、一族には報告せず、独断でその子を封じたのかね」

 伯父とはまた違った厳しさがその声音にはあった。返したのは一匠だった。

「はい。すべての責は、私にあります」


 巽老人の視線は美桜にそそがれていた。じっと、内面を見つめるような視線にさらされて、美桜は身がすくむ思いだった。


「………まあ、過ぎたことをいまさら言い立てても始まらぬ。それに、きみの気持ちもわからないでもない」


 しかし、と巽老人の視線は思案深げだった。

「聖魔と思って見れば、たしかに彼女には同族の気配がある。だが、あまりにかすかだ。彼女の力が微弱なことと、昨夜妖鬼将のひとり、閻鬼えんきが現れ彼女を狙った事実。そしてタマコの言う彼女の貞操と───それらはどう説明づけるのかね?一匠」


「………私も、確信があったわけではありません。しかし、皮肉にも昨夜閻鬼が現れたことで間違いはないかと。美桜は、刺国若比売命さしくにのわかひめです」



 巽老人に震撼とした緊張が走った。穏和な表情がかき消えて、怖いくらいの眼差しが美桜を射る。美桜は逃げ出したかった。


「───なにを言ったか、わかっているのかね。一匠」


「はい。証拠もあります。シュウ」

 呼ばれた青年が音もなく立ち上がり、美桜の後ろ横で膝をついた。

 美桜は思わず正座のままよけてしまう。かまわずにシュウと呼ばれた青年はその場で上着を脱いだ。


 冬の日中では暖房のきいた室内でも半裸は絶対に寒い。なのに彼は無表情にそれをしてのけた。

 彼の行動におどろいた美桜はマジマジとその鍛えられた半身を凝視してしまい、巽老人の息をのむ気配も聞いた。


「王印か───」

 巽老人が凝視しているものを美桜も見た。


 冬の乾いた日差しの中、日に焼けた肌のちょうど心臓の真上にあたる箇所に、氷の結晶があった。

 それは人の肌の上にあるせいか息衝くようにあざやかで、なにより強い存在感で彼の胸の上に刻まれていた。


 右腕の包帯の跡とを見てとって、美桜はあわてて目を伏せた。伯父の声が響いた。


「聖魔を使役できるのは、伝承にいう刺国若比売命さしくにのわかひめだけです。それは、妖魔と拮抗する力を持たず、代わりに聖魔を下僕しもべとする───。使い魔を身に棲まわせている我々では不安がありました。ですが、魔を身にまとわせない戦闘兵なら、可能性があった。これも独断でしたが。───シュウは、美桜の下僕しもべです」


「は………ぁ!?」

 美桜は今度こそ反発感情が高まった。いままでついていけない話の数々にも甘んじていたが、こればかりは聞き捨てならない。



 そこにタマがトコトコとやってきて美桜の足袋の足を踏んだ。声にならないしびれが全身をかけぬけて、美桜はもだえた。


「タマ………っ!」

「なれない正座してるからよ。おじじが楽にしろって言ってたでしょ。ああ。シュウに治してもらったら?」


 元のように上着を着直した青年に目を向けられて、美桜はしびれる足のまま後ずさった。いい!と声にならず首をふって。

 やわらかな笑い声が入って、場をなごめた。巽老人がもとの穏和な表情を浮かべて、やれやれ、と苦笑の息をはいた。


「とんだ爆弾を落としてくれる。一匠。少しは年寄りをいたわったらどうかね」

「肩でもお揉みしますか」

「よしてくれ。私の肩が破壊される。美桜さん。楽にしなさい。遠慮はいらない」


 巽老人の言葉に甘えて、美桜は膝をくずした。しびれが一気に逃げていった。

 それで、と巽老人が一匠をうながす。

「なぜ、刺国若比売命さしくにのわかひめとわかった」


「その前に───確認を取らせて下さい。美桜が刺国若比売命であることに異論はありませんか?白夜びゃくやおう


 伯父がだれに話しかけたのか、わからなかった。声は一拍置いて響いた。───応、と。

 深く響く重みのある声音に、美桜はドキリとして周囲を見回した。だれが口にしたのかわからなかった。


 一匠は少しく息をはいた。意識をあらためるように。

「三月ほど前から、都内の数ヵ所に目立って邪気がたまるようになりました。貫成さまにも報告は行っていたと思いますが」

 返された視線を巽老人は黙ってうなずいた。一匠はそのまま視線を美桜に返す。



「私たち聖魔は、自然界の精気を侵す妖魔の存在に無関心ではいられない。放置すれば、それは我々の死活問題になるからだ。不自然にたまっている闇の気があれば、大きくなる前に払う。それが───払っても払っても、邪気がたまる箇所に気がついた。美桜。おまえの生活圏内だ」


「え………!?」

「昨夜も聞いたな。おまえのまわりで、近頃妙なことは起こっていないかと」


 言われて美桜は思い返した。

 一月前に起こった会社近くの通り魔事件。自宅付近の痴漢や引ったくり事件の話。あらためると物騒な事柄に数えられるが、でも、大都市に住んでいるかぎり、それらは頻繁でなくとも身近な事件だ。


「あの、でも………」

「おまえは把握していないだろうが、おまえの勤め先近辺では交通事故や工事現場事故が多発していた。住まいの近くでも事件が多発していたな。───妖魔が好むのは、負のエネルギーだ。奴らは時として人に乗り移り、妖魔と化すことがある。私たちははじめ、妖魔が人の中にまぎれているのだと思った。だが、どう探しても原因が見つからない」


 一匠はかるく息をついた。

「場所か人に問題があるのかと、調査がされた。私がその一件を目にしたのは、本当に偶然だ。私は数年に一度、蓉子の墓参りに帰国する都度、美桜、おまえの身辺調査をしていた。妖が周辺に現れてはいないかと。結果はいつも問題ナシだった。それが───」


 苦い、かすかな悔恨が浮かんだ。

「日本の、都内で起きている案件に美桜、おまえのデータが乗っていた。驚愕したなんてものじゃない。急ぎ、シュウに都内の事案を引き継がせ、おまえの身辺を洗い直した。それで、もしや、という事実に行き着いた。───美桜。おまえは子どもができないことに悩んでいたな」



 血の気が引いた思いを味わったのは美桜だった。暖かい室内でも指先まで冷たくなったのがわかる。かろうじて声をつむいだ。


「それと………これと、なんの関係が」


 一匠の眸が少しく、いたわるようになった。

「ある。───聖魔には、繁殖能力がない。突然変異で生まれるのを待つばかりだ。蓉子も、私との間に子は望めないのをわかっていて、私の伴侶となった」


 言って、かるく伯父は首をふった。話を戻すように。

「私は当初、美桜の聖魔としての力がここに来て目覚め始めたのかと思った。三、四十代での発生は過去にも例がないわけではない。だが、美桜の調査はノーマルとして処理されるほど、ごくふつうの人間だった。偶然かとも思った。だが、思い出した。タマたちあやかしは、子どもだった美桜の前に姿を表わしながら、契約を結んでいなかった。そして、美桜の周りにはいやに邪気が現れやすかった───」



 美桜はただ理解できなくて首をふった。とほうにくれた気分だった。

 伯父の眼差しはどこか詫びるように、だが後戻りはしないもののそれだった。


「聖魔は妖魔と対峙するもの。それは、妖魔側にとっても同じ。だが、妖魔は敵対するはずの美桜に近付いた。払われても払われても───まるで、慕うように。昨夜、美桜の血に闇の気はあり得ないほど増大した。美桜の血と存在は、妖魔と───我々、聖魔を惹きつける。それは、美桜が命を生み育むもの、刺国若比売命だからだ」



 しん、とした沈黙が落ちた。

 美桜はまだ意味がわからなかった。だから訊き返した。自分でも困惑した声だと思った。


「それって、なんなの………?」

「聖魔に伝わる伝承だ。刺国若比売命は古事記にいう大国主命(おおくにぬしのみこと)を産み落とした母親であり、息子を蘇生させた存在でもある。同じように、刺国若比売命は繁殖能力のない聖魔を産める存在といわれている。その存在は聖魔に蘇りに等しい大いなる力を与える、と」


 美桜にはまだ理解できない。

「でも………わたし、子どもができなかったのよ」

 伯父は静かにうなずいた。

「ふつうの人間との間にはできない。聖魔との間にしか命が宿ることはない」


 美桜はぼうぜんとした。ふいに、伯父が昨夜、もっと早く逢いにくるべきだった、と言った意味がわかった気がした。

 自分があれほど悩んで、それこそ鬱になるくらい思い悩んでいたものすべて、時間ごと否定された気がして、でも、と美桜は反論した。


「じゃ、なんで………なんで、タマはわたしが小さい時にそのことを伯父さんに言わなかったの。あやかしがわたしに惹かれるなら、気がついたはずでしょう」


 一匠は詫びるように美桜を見、そっぽを向いて顔を洗う猫を見やった。

「美桜、彼らをあまり信用しすぎてはいけない。妖は主従契約を結んでも私たちに秘することはたくさんあるし、自分たちのことも話はしない」

 信を置きながら、どこか一線を画した口調だった。


 美桜は泣きそうになった。

「じゃ、なに………わたしは、聖魔と妖魔、両方を生みだせる人間だってこと?」


 伯父がなにか、大きな悪ふざけをしているだけだといい。足のしびれも、腕や肩の痛みも、悪い冗談としか思えない。


 伯父の眼差しは静かだった。

「人ではない。美桜。おまえはもう、聖魔としての力を示した」

「え………?」

 伯父の視線が静かに座した青年に向けられた。



「聖魔は妖と契約すると、身の内に妖を棲まわせ、それが刻印となって肌に表れる。心臓に近い妖ほど力が強い。そして、心臓に刻まれた妖は王手となって、生死を共にする。聖魔が死ねば、通常は解放される妖が共に死ぬ。───美桜、おまえは妖と契約する力はなかったが、聖魔と契約する能力があった。シュウに刻まれた王印は、そういう意味だ」


 え、え、と美桜の頭の中は混乱も極地だ。

「か、彼が死ぬと、………わたしも死んじゃうって、こと………?」

「逆だ。主人あるじはおまえだから、シュウになにかあっても、おまえの身に危険が及ぶことはない。だが、その反対はあり得る」


「なに、それ………」

 まるで呪いだ。美桜は頭がクラクラした。

 生死の話とか、刻印とか、子どもができない、でも、聖魔や妖魔との間ならできる………?



 ハ、とかわいた笑いが喉をついた。

 首をふって美桜は伯父を見返した。勘弁してよ、と言いたかった。彼女はもう、小さな子どもではない。これでも大人の分別もそなえた、酸いも甘いも経験した社会人だ。


「いまの話全部、信じろっていうの………?」

 伯父はかるく、眸を曇らせた。美桜がそういうのをわかっていたようだった。

「信じてもらうしかない。美桜───」

「もういいよ!」

 我慢も限界だった。悲鳴のように声を荒げた。


「もう、ホント………意味、わけわかんない。もういいよ。もうたくさんだよ。昨夜からいっぱい、変なことばっかり………。ホントに、もういいよ」


 なにかにしがみつきたくて、自分の腕をつかんだ。力をこめたら、子どもみたいにわめいている自分が少しだけ恥ずかしくなった。でも、泣きだしそうな気分を押さえるしかなかった。


「美桜」

 呼ばれても意地になって顔を上げなかった。それを一匠は厳しく強いた。


「美桜。私を見なさい」

 ほんとうに泣きそうになって、美桜は唇をかみ、イヤイヤ顔を上げた。伯父の眼差しは厳しく、それでも美桜をしゃんとさせる強さだった。


「私はおまえの伯父だ。………そうだな?」


 確認させる声だった。それに美桜は、ふいに小さな頃の記憶をよみがえらせた。

 抱き上げられた時の大きな手。肩車してもらって目にした景色。おぼれた時にたすけてもらった力強さ。伯父がいれば、怖いものなんてなかった。大好きだった、ヒゲのおじちゃん───。


 こぼれそうになったものをこらえて、美桜はうなずいた。

 一匠の声音はやさしく静かだった。

「これだけは心に留め置きなさい。私はおまえを決して裏切らない。そして───シュウの命をにぎっているのは、美桜。自分なのだと」

「………はい……」


 うなだれる思いで目元をこすった。しかし、と少し疲れたような吐息は巽老人だった。


「困ったことになったな。一匠」

「はい。私は昨夜───美桜に、闇の気を見る目をいまも持っているのか、払う力はあるか。それを見極めるつもりでいました。シュウを先行させたのは万が一のためです。しかし………閻鬼が現れるとは予想だにしていませんでした」


「うむ………。きみらが生きて彼女を奪われなかっただけでも上々だ。しかし、妖鬼将に彼女の存在を知られたか」

「彼らは競争意識が高い。美桜の存在をたやすく吹聴はしないでしょう。問題は───我らの方かと」

「わかっていて、シュウに契約を結ばせたのではないのかい?」

 ちらりと投げた視線はどこか愉快がる気色があった。それに一匠は微苦笑で視線を伏せた。


「お許しください。伯父として、姪に保険をかけたかったのです」

「どちらが狸か狐かわからないね」

 かるく笑って巽老人は美桜さん、と呼びかけた。目を上げた美桜にいたわるようにやさしくほほ笑みかける。


「混乱しているだろうが、聞いてもらいたい。きみは、妖魔に狙われる身の上となった。できれば、当家に住まいを移して身の安全をはかってもらいたいのだが、どうだろう?」


 美桜は思い惑った。蓉子伯母のようにこの屋敷に住むということか。でも、狙われているという言葉はピンとこない。

 しかし、自分の身の安全は、引いては如月シュウという青年の安全でもある───。


「あの………一度、とにかく家に帰りたいです」


 飼い猫がお腹を空かせて待っている。それに、やっぱりどうしても夢の中にいるようにフワフワとして落ち着かない。


 巽老人はやさしく笑った。

「少し、急ぎすぎたかね」

「貫成さま。美桜の護衛はシュウがいればさほど問題はないかと。いまのシュウと本気でやりあって、たやすく勝てる者は聖魔の中にもいません。もちろん、私も含めてですが」


「それが、刺国若比売命の力か………」

 大きなため息を巽老人はこぼした。

「わかった。一匠、きみの判断に任せよう」と。


 長い話し合いの場から解放される雰囲気に、美桜は心の底からホッとした。

 初春の日差しがかたむきはじめていた。






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