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桜風記  作者: 由唯
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伯父の正体 2




 純和風造りの邸宅だった。


 似たような回廊と曲がり角、通り過ぎたいくつもの障子張りの部屋に、美桜は一人だと確実に迷うと心でうけ合った。


 途中、とても立派な日本庭園まであって、思わず目の前の女性にたずねた。ここって、旅館とかですか、と。

 返ってきたのは迷いのない足取りで歩をゆるめない女性の静かな声だった。


「巽さまのお屋敷です」と。


 やっぱりお屋敷なんだ………と心でつぶやいた美桜は、奥まった一室に案内された。


 ひときわ格調を感じさせる水墨画のような襖絵の前で、笹野は膝を折る。お連れしました、とかけた声に中からお入り、と老成した声が返る。



 ───静かに襖が開かれた。


 室内は明るかった。片面の雪見窓から冬の日差しが障子の白さを強調して差し込み、人工的な明かりを必要としない。

 それでもふわりと頬に感じた暖かさは暖房の息吹だった。


 部屋には二人の人物がいた。

 障子を背に伯父の一匠がいて、その隣、上座の席に和服姿の老人がいる。

 こちらはほんとうに還暦過ぎに見える年配者で、だが重厚そうな雰囲気とは席を異にして穏和な面差しの好々爺だった。

 伯父の強面顔を見てきた美桜にはなんだか意外でホッとしてしまった。


 笹野にうながされて室内に足を踏み入れ、襖のすぐはたにいた三人目の人物に気付いて、美桜はとっさに数歩あとずさった。


 昨夜見た青年だった。

 された行為をありありと思い出し、声を上げなかったのが精一杯だった。そのまま回れ右しそうになって、伯父の声がかかる。


「───美桜」


 逆らえず、美桜はしぶしぶ───そうっと、なるたけ彼から距離をおいて部屋に入った。

 背後で静かに襖が閉まり、伯父に示された席へ正座する。上座の正面だった。


 伯父は気にしたふうもなく紹介をはじめた。

「こちら、この屋敷のご当主で、巽貫成たつみやすなりさまというお方だ。───貫成やすなりさま。姪の高城美桜です」


 老人が鷹揚にうなずいた。

「楽にしなさい、美桜さん。怪我の具合はいかがか」


「あ、はい。大丈夫です。………あの、泊めていただいたり、色々とお世話になって、ありがとうございました」


 着物の所作はなれないながらも、どうにかお辞儀をした。ふっと、笑う気配がある。


「なるほど。たしかに蓉子さんの面影がある。一匠、狙ったのかい?」

「まさか。狙って生まれる存在ではありません」


 確かにそうだが、と答えるやりとりはどこか言葉遊びの気軽さがある。

 美桜が困惑に眸をゆらすと、一匠の視線が彼女に向けられた。


「美桜。笹野さんに着せられたのか?」

「あ、うん」


 目線でなでられて美桜はひるんだ。鏡を見る間もなく連れて来られて、ただでさえ自信がなかったのに、どんな風に人目に映っているのかを思うと裸足で逃げだしたかった。

 と、めずらしく伯父の目つきがやわらかくなった。


「蓉子がむかし、着ていた着物だ。………私が蓉子の姪だと口をすべらせたから、笹野さんが引っ張り出してきたんだろう」

「え………」


 そんな思惑がふくまれていたとは思わなかった。なおさら美桜はいたたまれなくなった。


「ごめんなさい。わたし、知らなくて………」


 いまからでも廃棄するしかない服に着替えてこようかと思った。伯父の口調は淡々と簡潔だった。


「よく似合っている。蓉子もおまえに着てもらえるなら、喜んでいるだろう」

 伯父はお世辞とかとは無縁な感じだったから、今度は面映ゆい気分で顔が上げづらかった。


「………あの、蓉子おばさんは、こちらに住んでいたの?」


 二人がどこに住んでいたとか、そういった話はほとんど聞いたことがなかった。伯父は少し、なつかしむような眸をした。


「むかし、一時期な」

 ほがらかな口振りで巽老人がそれに続く。

「蓉子さんがいた時は、この家もにぎやかだったね。あの人は見かけによらず料理下手で、いつもお膳には斬新な料理がのっていた。一匠がまた、文句も言わずそれを平らげるものだから、笹野たち家人の七不思議に数えられてね」

「貫成さま」

 伯父がいかめしく口をはさんだが、はじめて聞く逸話に美桜は思わず笑いをこらえた。



 伯母の蓉子は母方の親族の中では飛び抜けた美人で、写真などで見るかぎり、いかにも才色兼備の美女といった風情だ。だからこの老人も見かけによらず、と口にしたのだろう。強面の伯父との意外なエピソードに気分がやわらいだ。


 一匠は伯父の威厳を取り戻すように息をつく。そして美桜、と呼びかけた。


「はい」

「ほかに、私に聞きたいことはないのか」


 少しく、背筋がのびた。伯父の静かな眼差しにあって、ためらうように屋敷の主人である巽老人に視線が行って、一匠が言葉を添える。


「貫成さまなら心配ない。昨夜の出来事もすべてご承知だ」


 背筋にヒヤリと汗が伝った。昨夜の出来事から関連される、背後の人物の存在がずっと怖くて、気になってしかたなかった。

 気配を消したように静かで、身じろぎひとつ、物音ひとつ立てずに鎮座していたが、美桜にはありありとその存在感がわかった。


 鳥肌が立つほど。


「あの………」

 膝上の手をにぎりしめ、その手の甲からのぞくガーゼの跡に意を決した。


「おじさんたちは、だれなんですか」

 おびえを隠しながら真剣に問いかけた。



 言葉を選んだふうなのに、するりと出た彼女らしさに、一匠は掛け値なしに相好をくずした。

 思わずもれた笑い声に、美桜があぜんとした様子から頬を染めて唇をかみ、目を伏せた。


 ───ほんとうに、素直な娘だ。


 一匠は彼女を赤ん坊の頃から知っている。泣き虫で意地っ張りで、長じるにつれ年長者ゆえの意固地な面も見せたが、心をよせたものにはお人好しなほど無償の愛情をかたむけた。

 危なっかしいその愛情の振り幅に、蓉子は我が子のように可愛がり愛情をそそぎながら、ときおり心配そうな顔をした。いつか、悪い男に付け込まれそうだわ、と。


 美桜は、美しい女性に成長した。一匠の伴侶に似た面差しをしながらもどこか頼りなげな面を残し、しかして感情の起伏は豊かだ。ここ数年、彼女に身に起こったことは調べて知っていたし、蓉子の心配が当たってしまったことにはげしく怒りを覚え後悔したが、美桜の彼女らしさはなにもそこなわれてはいない。


 一匠と蓉子がいつくしんだ姪。


 何者なの、と隔絶するのではなく、だれなの、とあくまでも自分に近しいものとして捉える気質。それが一匠の眼差しをやわらかくした。


「私たちは、聖魔という種族だ」

「………せい、ま?」


 聞きなれない単語に美桜はきょとんとした。一匠はうなずく。


「美桜。私が何歳くらいに見える?」

「え………正直に?」

 言っていいのか、と顎を引くと、一匠はやはりうなずく。


 昨夜から思っていたことを美桜はおそるおそる口にした。

「四十代、ぐらい………」

 ふッと巽老人も笑った。

「白髪と白ヒゲもたいして効果はないようだね」


 伯父も苦笑するようにヒゲをなでた。日本なら大丈夫かと思ったんですが、と。


「美桜。私が蓉子と結婚したのは三十七年前、蓉子が二十六の歳だった。だから私も、本来なら還暦を越えている辺りの年齢のはずだ。だろう?」

「うん………」

「それが、おまえは四十代ぐらいに見えるという。なぜだと思う?」


 やっぱり美桜は困惑した。世の中には実年齢より若く見える人はいくらでもいる。でも伯父が聞いているのはそんな答えではないようだ。


 困り果てそうになったそこに、声が割って入った。まだるっこしいわね、と。


 ふいに、伯父の身体からぬけ出たようにタマが姿を見せた。美桜は思わず目をこすった。伯父の背後に隠れていたのがそう見えただけだろうか。


「一匠らしくもない。なによ。いまさら実年齢言って美桜にドン引きされるのが怖いわけ?」


「………タマ」

 やっぱり人前でもしゃべっている。美桜の幻覚や夢じゃないようだ。


 すると、キッと鋭い目が向けられた。

「タマって呼ぶなって言ったでしょーが!このおとぼけ娘!」

「とぼ………とぼけてなんかないわよ!」

「私にスッとぼけた呼び名つけておいて、いまさらバックレんじゃないわよ。このボケボケ娘」


 見るからにスラリと体型も貌立ちもよい美猫から出たとは思えない、はすっぱな言葉遣いだった。

 暴言を浴びた美桜はボケボケ………とショックを受ける。それはたしかに、ぼーっとしてると言われることはあるが。


「ホント、小さい時からちっとも成長してないんだから。そのぼうっとした性格。牧場の羊もいいとこよ。これからは改めなさいよね。自分の貞操の危機がかかってるんだから」

「は………?」

 なぜ猫に貞操の危機を心配されなければならないのだ。


「あんたもう、昨夜閻鬼に狙われたの忘れたの!?」

「忘れてないけど、覚えてるけど………でも!」


 タマの迫力に気圧されて美桜はタジタジとなる。あの子どもと貞操の危機となんの関係があるのか。

 あんたねえ、とタマが言いかけて、一匠のため息が落ちた。


「タマ。少し静かにしなさい。順繰りに話さないと、美桜だって混乱するだけだ」


 むうッとしたようにタマが黙りこんで、伯父にはそう呼ばれても怒らないんだ、と美桜は感心する。それに、と一匠は続ける。


「むかし、美桜にタマと名付けられて訂正しなかった時点で、おまえの負けだ。いまさら文句を言うのはやめなさい」

「あれは、美桜が子どもだったから………!」

「わたし、むかしにタマに逢ってるの?」

 キッと向けられた視線がボケナスッ!という罵りを連想させて、美桜はあわてて言いつのった。


「あ、あの、タマに見覚えはある………よーな、ない、ような………あれ。でも、なんでタマ?」

「私に聞くバカがどこにいんのよっ!」

 やっぱり怒られて美桜は首をすくめた。ほがらかな笑い声は巽老人だ。


「タマコがこんなに元気がいいのも、久しぶりだね。本当ならもう二度と逢うことはなかったはずの美桜さんに逢えて、それはうれしいと見える」

「おじじまで好き勝手なことを」

「おや。外れているかい?」


 フンッとタマはそっぽを向いた。美桜は自分がなぜこの猫をタマと呼ぶのか、ふしぎに思ったのを思い出していた。


「わたし、子どもの頃にタマに逢ってるんですね。で、タマって名付けた。………なんで、二度と逢うことはなかったはずなんですか?おじさんが外国に行っていたから?」


 タマの飼い主が一匠でいつ日本に戻ってくるかもわからず、美桜たち親族とも関わらなかったからか。


 一匠はふと眸を静かにした。

「いや、私が誓約させた。美桜には二度と近付いてはならない、と」

「え………なんで」


 一匠は眸を伏せる。タマのいうとおり、ここまできてなおためらう自身の迷いを知った。

 一匠と蓉子の可愛がった姪。人としての人生を歩んでほしかった。が、もう手遅れだ。


「───一匠。私から説明するかね?」

「いえ。貫成さま。私の責任です。私が話します」


 向きなおった眸の強さに美桜はひるんだ。タマが言語を話すめずらしい動物だから美桜から隠されたとか、話はそんな単純ではなさそうだ。

 なにより、伯父がここまで迷いの色を露呈する事実が美桜の不安を誘った。

 聞かされる話はきっと、彼女にとってよいものではない。



「美桜。私たちは聖魔という種族だ。私も、貫成さまも、───そこにいる如月シュウも。聖魔は突然変異で生まれ、個体差はあるが力に目覚めるのは十代から二十代。使い魔を使役し、人にはあらざる身体能力を有する。そのひとつが、寿命と老齢化の遅延だ」


 ぽかん、と美桜の唇が半開きになった。一匠はかまわず続ける。


「私の実年齢は百八十二歳。十二の年に力に目覚め、十八の頃から成長が遅くなりはじめた。現代の人の寿命が八十前後だとして、聖魔のそれは四百前後。約五倍だ。私の外見年齢はおまえの推測どおり、四十手前だな」


 言って、一匠はヒゲをなでる。これをそって証明するわけにもいかないが、と。


「出生記録を見せてもいいが───そんなものを見せても、信じる信じないはおまえ次第だ。美桜。おまえも私たちの仲間だ」


「は………ぃ?」

 半開きの唇から間抜けな声が出て、美桜は急いで口を閉じ息をのんだ。伯父はなにをいきなり、奇想天外な話をはじめたのか。



「私たち聖魔は、身体能力に秀でている。病気には罹りにくいし、怪我などもしにくい。よっぽどの大事故でもないかぎり、生死に関わる怪我は負わない。ただ、私たちもふつうに食べなければ飢えて死ぬし、酸素がないところでは生きていけない。弱点がないわけではない」


 伯父の口調は辛抱強く、美桜に言い聞かせるよう。

「そして、私たち聖魔が食物や酸素を供給するのと同じくらい、欠かせないエネルギーがある。大気と自然界にふくまれる精気だ。───それを、疫病のように汚す存在もある。人と、妖魔だ」


「あの………おじさん」

 美桜の困惑をわかっているように伯父は片手を上げて制す。どこまでも堅苦しく続けた。


「妖魔は、───異質なるものだ。人と異なる我々の異質さともまた違う。どこから生まれ出、どのような生態系があるのかもつまびらかではない。わかっているのは、我々が生きていく上で欠かせないものを侵すこと。我々が自然界の精気をエネルギーとするように、彼らは自然界や人の負のエネルギーを糧とする。ゆえに、いつからか私たちとは相反する存在、───敵対する立場をとって幾久しい」



 またもやぽかんとなりそうな美桜をおいて、一匠の話は進んでいった。


「昨夜、おまえを襲って怪我を負わせたモノがいたな。あれが妖魔だ。───怪我や病気をしにくい聖魔でも、対極のモノには弱い。手傷を負うこともあるし、死に至ることもある。両極には並び得ず、共存もできない以上、どちらかが滅するまで闘い続けなければならない。それが、我々の業だ」


 美桜は口をはさめなかった。

 あり得ない話の数々に頭の中は空回りして整理が追いつかないし、冗談に付したい気持ちが大きい。でも、伯父の口ぶりには笑ってはいけない重みがあった。


 それはきっと、美桜の知らない、伯父がおのれに課しているものだからだ。

 伯父の中に長い───長い、闘いの影を垣間見た気がして、それが美桜の言葉を失くした。






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