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桜風記  作者: 由唯
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過去との対峙 2




 三月の中旬過ぎ。天気はあいにくの小雨模様だった。


 蓉子伯母のお墓は巽家からそう遠くない、小ぢんまりとしたお寺の一角にあった。ここは、巽家に縁ある者たちが弔われる場所なのだという。定期的に手入れもされているようで、美桜や伯父も軽く掃除をするだけで事が足りた。


 伯母の墓前にいるのは、美桜と伯父の二人だけだ。


 彼女の耳には、傷口がふさがってから以前のようにピアスが戻された。血が流れるのでそれを行ったのはシュウだが、ピアスが戻るや、とたんに不機嫌そうな眉根だった。


 三日に一度、姿を見せた彼だが、毎回ひどく疲弊しきった様で、さらに血を流したような傷痕も多々あり、美桜もその都度あわてた。精気よりも、まずは休んで身体をいたわるほうが必須だろうと言い張ったが、美桜が拒むとそのまま特訓に戻ってしまうので、仕方なく分けていた。


 精気を分けるとシュウの怪我が癒えて、彼はまた無茶をしそうで心が痛んだ。だが、分けずに無茶をされるほうがもっとイヤだと天秤にかけて、その行為を行っていた。


 そのシュウは、少し離れた場所で二人を見守っていた。他の聖魔たちと一緒に。


 美桜があの時以来──はじめて巽家敷地内から出ること。あいにくの天候であること。それらを踏まえて、お墓参りには厳重な警戒が敷かれた。特訓を一時中断した、シュウを含めた十二節が四人に、木曽の宗興や六郎、そして隼人たち戦闘兵数人もそろっている。


 男性だらけに怖気づいてしまったが、伯父以外の皆は一定の距離を保ってくれていた。



 美桜は、はじめて伯母の墓石に手を合わせることになった。遠い異国で亡くなったと聞いたのは、小学校高学年の頃。その時には記憶もおぼろげで、親戚が亡くなったと聞いてもどこか他人事だった。


 葬儀等も異国で済まされて、親族が列席をしたり何かをすることもなかった。だから──黒田蓉子という人物は、美桜の中で名前だけの親戚だった。


 今は百八十度違う。


 伯父を思い出しはじめたのと同時に、伯母の思い出もよみがえりはじめた。夏の夕べに目の前で見せてくれた花火。美桜が手を伸ばすと、さらに遠くへ離されてしまって、泣きだした彼女を笑って抱きしめあやした。母は買ってくれないアイスを内緒だと、二人でこっそり食べた夏の日。春のお花見はいつも一緒だった。毛虫に驚く伯母の為に美桜がそれを追っ払うと、『──美桜。一匠さんよりカッコイイわ』と目を輝かせた。


 その伯母に、小さな彼女も自信満々に胸を張った。『ヨウちゃんはミオが守る!』と、どこか少女みたいな伯母を愛称で呼んで。

 美桜──美桜、と呼ばれたひとつひとつに、深い愛情がこもっていた。それが今ならわかる。その人を、こんなに長く忘れていたなんて──。


 お詫びの思いもあって、墓前での時間は長くかかった。交替した伯父も同じくらい時間をかけ、そして立ち上がると、彼女に向き直った。

 美桜、と口元が動いた。伯母の墓の前で伯父は口にした。自身の罪を。


『──蓉子を手にかけたのは、私だ』

「……っ」


 ザワリ、と周辺の空気が動く気配も感じて、美桜は傘を持つ手を堅くした。シュウたちが動く気配と同時に、伯父が小さく手を振って空気が変わったのがわかる。美桜と伯父、伯母の墓、その数メートル内だけ、外界から遮断されたような空気感だった。


 伯父はチラリと周辺を一瞥して、皆を目線でとどめたようだった。それを受けてシュウたちもわずかな闇を祓って下がる。

 伯父は静かに続けた。巽家の守りがない、外でその話をすることを決めていたように。


『──二十年前のことだ』




 当時、五大家のひとつ、四国の海棠家が妖鬼将の一人、閻鬼に集中して狙われていた。

 理由は、四国にある封印がゆるんでいたからだ。


 美桜も皐月から学んでいた。聖魔一族は、長い時の中で滅ぼすことができない妖魔を幾度も封じてきた。封じる、という手段しか取れなかったものほど、彼らの手にも余る大物である。


 昔──。妖鬼将と呼ばれる者たちは、その数を把握できないほど存在したのだという。それを歴代の聖魔一族がその身や命を賭して葬り、封じてきた。そして、五大家当主たちは、その封印の守りなのだという。


 五大家が位置する地には、強い妖魔が数多く封じられてきた。そして、その絶対の重石である存在が、五大家の当主なのだと。当主となる者は、一族内でも抜きんでた実力者である。そうでなければ、その地に封じた妖魔を抑えられない。


 そして、一族は長い年月をかけてその地を清浄なものにし、封じた妖魔を浄化してきた。ゆえに、五大家が位置する場所は聖魔にとっては安らぎの場であり、妖魔にとっては能力を発揮しにくい地となった。


 だが──。同時に、重石となる当主たちには枷もつけられた。要である当主がいなければ、長い年月をかけて清浄な地にならした土地が逆転するという仕組み。それは封じられた妖魔たちの、最後とも言える怨念だったのかも知れない。自分たちが封じられる代わりに、おまえもこの地にとどまれ、と。


 それゆえに、五大家当主は他家で何が起きていようと、別の地で自身の家の者が戦い傷付き、命を落とそうとも。──何もできない。そこから離れることはできない。


 それが聖魔一族、五大家の当主なのだと、皐月は話した。そして、それゆえに五大家当主はめったにその地を離れることがない。ただ──と話した。


 一条家にその条件は当てはまらず、また、今回の件だけは別なのだと。


 現代の機器を利用すれば、リモートで会合を行うことは可能だ。だが、刺国若比売命に関しては当主たちが直にその目で確認をし、判断をする必要がある。そしてさらに、下僕のシュウの件もある。そのために、当主たちが家を離れる調整と準備を整えている、と。


 そして二十年前──。四国の海棠家に闇が集りはじめた。


 海棠家内部の問題だったという。当主は健在だったが、次期当主の座をめぐって派閥が出来、内部抗争が起こっていた。まるで、たまにニュースで見る反社会勢力内の抗争のように。


 そしてそれを、海棠家当主は放置した。失意に沈んでいたのだという。自身の子のように慈しんだ、一族に連なる一家がいた。皆ノーマルだったが、ふとしたことから当主と知り合い、彼はその家族をとても可愛がったのだという。


 身内のように慈しんだ存在。その家族を、一度に失った。妖魔の手ではなかった。愛する者たちが亡くなったのは、殺人事件だった。強盗行為がエスカレートして、父親と母親と、そして二人の子どもを殺めるという残虐な事件。現代でもめったに起こらない事件の犯人は、獄中で自殺した。犯人はただの人間だった。それに海棠家当主はさらに絶望した。


 妖魔なら──それらの思惑があって狙われたのなら。それなら、まだ苦しくとも納得できる。一族に連なる者であったため、戦いに巻き込まれたのだと。そういったことは昔から繰り返されてきた。ならば、失意に沈んでも奮い立つことができる。聖魔の使命ゆえに。


 だが、そうではなかった。


 人の欲望に捉われた行為がエスカレートして、事件を引き起こした。それならば、おのれの喪失感は──苦しみや叫びは、どこへ向かえばいい。


 聖魔という、人より抜きんでた力と寿命を持つだけの存在。妖魔と対峙し、人が生む闇も祓う彼ら。なのに、彼らが慈しんだ存在をも無残に殺める人間。その彼らが生み出す闇を、なぜ自分たちが祓わなければならない。


 ……海棠家当主は、人に対して消しようのない憎悪を抱いたのだという。長い時の中で一度ならず起こった出来事に、いつしか倦んでしまったのかも知れない。

 そして、当主に忍び込んだ闇が重石にゆるみを生じさせた。そこからあふれ出した闇の気が周辺に影響を及ぼした。


 一匠は当時、今と変わらずに妖魔討伐の総指揮であり、その対処に追われていた。だが、それを邪魔に思う者がいた。海棠家次期当主の座を狙う派閥の一人だった。彼は他家の力を借りずに自身がその混乱を収め、当主の座を交代するよう、申し出るつもりだったという。そのために邪魔な一匠を排除しようとし──そして、そこを閻鬼につけ込まれた。


 巽家で一匠の帰りを待ちながら平穏な生活をしていた、彼の伴侶である蓉子。彼女を狙った。伴侶が危機に陥れば、一匠も海棠家どころではなくなるだろうという目論見で。


 蓉子伯母は、守りの固い巽家から外へ連れ出され、そこを今度は妖鬼将の一人、鬼沙羅が狙った。鬼沙羅は鬼沙羅で、一匠の存在を邪魔に思っていたのだという。闇の気や人を操って混乱を起こそうとする度、一匠率いる巽家十二節が阻む。先回りして目当てのものや人を消してしまう。──さらなる闇を生みだし、妖魔に力を与えるのを阻止するために。


 それは時には、非道なほどの容赦のなさだった。──だから、と。

 鬼沙羅は一匠が秘して隠し、厳重な守りの中に置いた蓉子を狙った。その身を乗っ取った。


 妖鬼将は何度も姿を変えて生まれ変わる。核となるものを滅ぼすか、封印するか。どちらかを成し遂げない限り、永遠に存在し続けるのだという。鬼沙羅は当時の容れ物を捨て、蓉子伯母に乗り移った。


 そして、若狭の地に陣取った。




 傘を叩く雨の振動がある。


 スマホを見続けた美桜は、どうしても目の前の人に目を上げることができなかった。自分の激しい心の動揺が闇を惹き付けているのもわかっていた。周辺の騒がしい気配も。


 音がしそうな動作で首を向け、周囲を固める聖魔たちの姿を見た。墓地という場所ではあるが、巽家縁の地である場所は、常に静謐に保たれている。闇の気は近付かない。


 事前にそう聞いていたはずなのに、警戒心をみなぎらせた面々。

 美桜が外にいるから。彼女が伯父への信頼を大きく揺るがせているから。心を静めなきゃ、と自身でも急かされる思いでひっしだった。


 しかし、聞かされた話は彼女にも衝撃的で、動揺は激しかった。視界の中に一歩を踏み出した伯父の足が見えて、美桜はどうしても口にしてしまっていた。


「……シュウ」と。


 彼が伯父側に行っても仕方ない。でも……。

 そっと、傘を上げて確認した。いつもと変わらずに傘を差さない、雨にぬれるのも構っていない男の人。美桜のすぐそば。少し後ろに強い気配。


 周囲を警戒する鋭い目付きだったのが、彼女の泣きそうな目に合って、それを内に収めた。気遣うように、怖い強さを消して。

 美桜も以前のように傘を差しだした。戦闘兵の彼らはだれも傘を差していない。美桜がぬれると思ったのか、シュウが傘を受け取って彼女に傾けた。身長差があるために視界が開ける。


 美桜も少し心を落ち着けて一匠を見返した。伯父は、二人の些細なやり取りにやわらかな眼差しだった。どこかほほ笑ましそうに。


 美桜、と口元が動いて、彼女ももう一度スマホに目を落とした。ここから先は悲しい話しかないとわかっていた。それでも、聞かなければならない。伯父と、蓉子伯母の身に起こったことを。

 彼らの歴史を。


『──妖鬼将と対峙することが明らかになり、戦力が募られた。各家の助力だ。海棠家ももちろん、戦場に駆り出された。派閥を作り、戦の切っ掛けになった者はすべて……当主を除いて。若狭での戦は十日近く続いた。その間に失った仲間は数えきれない。海棠家には、四条家の者が出向いて守りを強くしたため、閻鬼も手出しができずに、若狭の地へ追い込まれてきた。戦いはさらに激しさを増した。最終的に──海棠家の死者は三十七名、一条家は十名、本条家十一名、巽家は十二節の五名を含む六十三名の死者を出した。私もその時、使役していた使い魔を一頭失った。だが、閻鬼と鬼沙羅、二人の核を傷付け、容れ物を破壊することができた』


 その文字に、ぎゅうっと美桜は一度目をつぶった。妖鬼将の容れ物は──と伯父の説明が続く。


『相性の問題があるのだという。鬼沙羅に蓉子の身体は合わなかったのだろう。力も存分にはふるえていなかった。だからこそ、隙を突けたというのもある。妖鬼将は器を壊されると、十数年は姿を現わさない。今回、シュウが閻鬼の器を破壊した。……刺国若比売命の存在があるために、同じような年月とはいかないだろうが……閻鬼はおそらく、当分現れない』


 だから? と美桜は心中で反問した。だから、怖がらなくていい。外へ出ても平気だと、伯父はそう言いたいのだろうか。

 ふるえる感情をこらえて見返す美桜に、一匠の表情にも重い影が落ちた。私はあの時、と口元が動く。


『思い知った。どんなに奥深く、厳重な守りの中に大切な者を囲っても、失うことがあるのだと。この世に、絶対的に安全な場所などないのだと』


 固く握りしめた拳には、伯父の深い戒めがこもっているようだった。美桜も、自分の感情でいっぱいになっていた自身をあらためた。


 伯父はなぜ今、伯母の死の真相を話し出したのだろう。自身の罪を血縁者の美桜に告白するため? 聖魔一族の罪も明らかにするため? 聖魔と妖魔、戦いの歴史を教えるため?


 もし──美桜に怖がるなと言いたいのなら、逆効果だ。伯父は自ら口にした。絶対的に安全な場所などない、と。


 じゃあ、なぜ──? 疑問に思う美桜の前で、少し長い沈黙が続いた。そして、伯父の深く、長いため息が吐かれたようだった。眸を上げた時には、いつもの記憶にある伯父の眼差しだった。

 美桜、と彼女を呼ぶ眸。


『私は、蓉子から様々なものを奪った。可愛がったおまえとの接触も、親族との付き合いも、友人や世間との関わり──。夢も、彼女のやりたかったことも、蓉子をつくるすべてだ。籠の中に閉じ込めて、それで守り切ったつもりだった。……同じことは、もう二度と繰り返したくない』


 以前、諦めるな、と言った伯父の言葉と眼差しが浮かぶ。美桜はもう、この世界で生きていくことを決めた。そのために色々なものに蓋をするのは、当然のことなのだと。


 違う、と美桜は首をふった。伯父は静かに起こった出来事を話しているが、肝心なことを話していない。結果ではなく、結論ではなく。一匠という一人の思い。蓉子伯母に対してどうしたのか。肝心なところを。


 おじさん、と美桜も気持ちを強く見返した。これを聞くのは、伯父の傷口を抉る行為だろう。でも、ここまで来たら美桜はすべてを知らなければならない。伯父の思いを受け止めるために。

 話して、と口にした。


「おばさんは……ヨウちゃんは、どうなったの? 鬼沙羅に乗っ取られて、そこで亡くなったの? それとも……まだ意識はあったの……?」


 伯父の眸にさらに影が落ちた。いつか、美桜も見たあの眸。すぐに伏せられて隠されてしまう。美桜の胸も締め付けられたが、ひるまずに気持ちを強く持つと、周囲の気配も静かになったのがわかった。

 伯父はただ、静かに話した。ひどく、淡々とした言葉で。


『対峙した時、蓉子はもう私の知っている彼女ではなかった。呼び掛けても反応はなかった。鬼沙羅が高らかに笑っていただけだ。妖鬼将が姿を見せながらその器を入れ替える事例には、私もはじめて遭遇した。何かの間違いであればと何度も思った。だが……蓉子と親しくしていた十二節や仲間がその手で殺められていき、理解するしかなかった。蓉子はもう、どこにもいないと』

「……っ」


『私は、この手で蓉子の身体を貫いた。鬼沙羅の憎しみの目を覚えている。だが……鬼沙羅が消えた蓉子の顔は、私が知っている彼女のものだった。その身はすべて邪気にまみれていたが、いつもの……彼女のやわらかな顔だった』


 静かに話していた伯父の目が、美桜に上げられた。はじめに話し出した時のように。深く、罪を負った者の眼差しで。


『美桜。蓉子を手にかけたのは、私だ。蓉子だけではない。これまでにも妖魔化した者、そこへ踏み込んだ者、人も手にかけてきた。おまえは、命を軽んじる者に厳しいと聞いた。だが、私は命を奪ってきた者だ』


 突然、伯父が見知らぬ人に映った。美桜の知らぬ戦いや苦しみ、痛み、様々な経験と歴史。伯父からはじめに聞かされた、あの時にも感じたもの。

 聖魔と妖魔。彼らの業。


「……」


 違う、ともう一度美桜は感じた。伯父は起こった出来事を話してくれた。包み隠さずに。でも、伯父の思いが見えない。それらを話すことによって、美桜がどう思うか。伯父は美桜にどうしてほしいのか。


 なぜ……言葉にしないのか。思った時に回答も同時に浮かんだ。何かが氷解するような思いで。


 おじさんは、と口にしていた。小さな頃の彼女のヒーローで、憧れで、蓉子伯母と同じく親愛と信頼を傾けてきた人。その人だって、ただ強いだけじゃない。傷や闇も持っている。弱みだってある。


 普通に、他の人と──頼りない美桜とだって、変わらない部分があるのだと。


「……わたしに、断罪してほしかったの?」


 蓉子伯母を手にかけたことを。身内の美桜に。

 それで美桜が一匠に距離を置こうとも。信頼をなくそうとも。一匠は自身の犯した罪をゆるしていない。


 たぶん……周囲は容認したのだろう。一族の使命ゆえに。一匠の立場ゆえに。仕方なかった、と。それしか方法がなかった。一匠の責任ではない。すべては妖魔の存在ゆえだ。だから、罪悪感を持つ必要はない。おのれを責める必要はない。すべて、仕方がなかったのだ──。


 でも、伯父はそんな自分を絶対にゆるしていない。何年経とうと。だから、伯母の墓前ですべてを話した。身内の美桜に。


 彼女の問いに、伯父の返答はなかった。静かに微笑しただけ。どんなことになろうと、すべてを受け入れる者の眼差しで。

 でも……どこか寂しそうに。


 ずるい、と思った。言い訳ぐらいしてもいいのに。情に訴えるようなことは口にしない潔さ。それはきっと、伯父がだれよりも深く、命を奪ってきた行為を重く受け止めているから。


 美桜はもう、こらえきれずに涙をこぼした。そのまま、雨の中に踏み出して伯父の片腕にしがみついた。


 伯父が命を奪ってきた行為を、彼女が責めることなどできない。美桜は当事者じゃない。安易な言葉なんてかけられない。だから、蓉子伯母ならしてほしかっただろうことをするだけだ。


「……嫌いになったりなんかしない。おじさんは……わたしの大好きなおじさんだもの。だれが何を言ったって、ミオの、おじちゃんだもの」


 小さな頃の呼び方をして、おじさん、と気持ちを強く呼びかけた。これを確かめなければ、前に進めない。


「教えて。この前の戦いで……何人、亡くなったの……?」


 悲鳴や声がずっと耳に残っている。あの場にいた人たちの叫びやたすけを求める声が、今でもずっと。

 伯父が静かに言葉を紡ぐ雰囲気が伝わって、美桜もそっと身を起こし、伯父の傘の中で携帯を見た。二人だ、と書かれたその文字。


「……っ」

 どうしても、さらに涙がこぼれた。泣きじゃくりながら、さらにたずねた。


「おじさんは……それでも、わたしにあきらめるな、って言うの?」


 そうだ、というように頭に手が乗せられた。力強い暖かさ。でも、昔と変わらず、彼女をなぐさめる身内の暖かさ。


 他人の命を背負う覚悟。その強さを持ってほしい、と伯父は言っている。美桜は刺国若比売命。この先、どこにいても、何をしていても、彼女のために命を賭ける者がいる。命を落とす者がいる。


 それでも、負けるな、と。妖魔や他者の思惑、悪意に屈するなと。おのれの誇りを守れ。美桜が、美桜であることをあきらめるな──。

 重なる隼人の言葉とともに、泣き続ける彼女を、伯父の手が静かになぐさめ続けた。




 しばらく泣き続けて、ハンカチやティッシュで顔を整えた美桜は、亡くなった人たちの墓参りもさせてもらった。


 そうしてお彼岸の一日が終わった深夜。


 寝台の中で眠れずに考え事を続けていた。寝返りを何度も打って、自身でもあきらめて起きだす。眠れない。何かに呼ばれている気がする。聞こえないから、気のせいなのかも知れないけれど。


 一緒に寝ていた茶太郎は寝付けない美桜に見切りをつけて、別場所で丸まっている。タマだけはカーテンが引かれた窓枠で背筋を伸ばしていた。外に向かって姿勢を正して。


「……タマ」


 パジャマの上から上着を羽織って呼ぶと、窓枠から降りて足元へやって来た。


 ──使い魔の言葉は、現代機器に反映されない。彼らと会話することはできなかった。タマは、伯父の使い魔となってから、蓉子伯母のそばにずっと付いていたのだという。美桜の飼い猫、茶太郎のように。……伯母がここから連れ出された、あの時にも。


 言葉が通じれば──と、思った時があったのかも知れない。どんな風に過ごしてきたのだろう。それを聞いてみたい、と思った。

 手を伸ばしてタマを抱き上げ、美桜は履物を替えて外へ出た。


 雨はとうに上がって、しっとりと濡れた春の庭園。湿ったにおいと夜の気配。日が射さない時間帯は、草木も眠りについたような静けさ。整備をした月明かりの庭園に、見覚えのない桜の木があった。


 いつかにも見た、今にも花開きそうなほどパンパンに張った蕾。なんだか美桜の胸にも、小さなくすぐったさが込み上げてきてしまった。

 そうか、と。彼女を呼んでいたのは、この存在か、と。


 美桜が近付くと、タマは嫌がるように腕から逃げてしまう。妖と神霊は、また違う意識があるのかも知れない。


 皐月に聞いてみよう、と思いながら、片手で幹に触れた。ザラリとした、樹木独特の手触り。でも、暖かい。しぜんと、美桜の面にも笑みが浮かんでいた。前回の時のように、額を触れ合わせてたずねる。


「名前……教えて。わたしは、美桜よ」


 ザワリ、と枝や蕾、樹木全体がふるえた気がした。彼女がその存在を認識した、それだけで。


 身体中に染み渡っていく力があった。血管や脈筋、すべてに行き渡るあたたかさ。まるで、やわらかな温泉に浸かった時のような解放感。すべてを預けて浸り切る安心感。


 癒して、力を与えてくれる。美桜が好む、緑の香り。納得する思いもあった。彼女が好むものとこの神霊は、もともと似ているのだと。

 小さな笑いで美桜もその存在に心を傾けた。


「ありがとう……翠界」


 やわらかに花開いた夜桜と、そこに吹く風。


 緑のにおい。小さな虫の音。風の音。大気を渡る、空の音。耳を澄ませば、離れた場所で生活音を立てる人たちの会話や音も聞こえる。


 人や、緑や、大気に風の音。全部、聞こえる。

 フフ、と小さな笑いで──自分の声も久しぶりに耳にして、美桜はもう一度巽家の神霊に頬を寄せた。ありがとう、とお礼の気持ちも込めて。







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