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桜風記  作者: 由唯
56/61

過去との対峙 1




 最後のパーツを組み終えて、やっとできた、と美桜も達成感に安堵した。


 懇切丁寧に教えてくれた職人へも、うれしい思いのままお礼を言う。美桜より少し年長の男性は笑顔でうなずく。木々の中に隠された巣箱の出来に、彼もうれしそうな顔を見せて。


 これなら、半月もすれば野鳥が居つくだろう、と。首から下げたスマホでその言葉を見、美桜も安堵した。間に合った、と。



 ──自宅近くで閻鬼に襲われた出来事から、十日近く。聴覚は依然として戻らないまま、美桜は巽家の昭和モダンテイストな建物とその近辺でお世話になっていた。


 ここはその昔、一匠と蓉子夫妻が暮らしていたエリアなのだと。聞いた時には、ずかずかと踏み込んでしまったことに蒼白になった。申し訳なさいっぱいで謝る美桜に、一匠は構わない、とあっさりしていた。


『建物も、人が住まないと傷む。ここが開放されて、新たに住まうのが美桜なら、蓉子もきっと喜ぶ』


 深い、やさしい微笑だった。

 伯父は、あの日から三日後に姿を見せた。朝、美桜の枕元で丸まっていたタマとともに。タマの憎まれ口やお説教が聞こえないことに、やはり泣きそうになった美桜に、タマがペロリと彼女の頬をなめた。

 馬鹿ね、大丈夫よ、と彼女を安心させてなぐさめるように。


 ぎゅっとその存在を抱きしめさせてもらって、そして起き出した美桜は、朝食の後片付けを手伝っているところで伯父に呼ばれたらしかった。しかし聞こえていない彼女を笹野がうながし、あっと美桜もあわてた。


「おじさん……!」


 伯父の表情は、はじめて見るものだった。

 何かの感情に捉われたかのような、ほんとうにめずらしい、むきだしの傷痕をのぞかせるそれ。一瞬で仕舞われて、後には何も残らない。目をしばたたく美桜に、いつもと変わらない微笑を見せた。


 口元が彼女の名を呼んだのがわかる。──美桜、と。

 美桜も急いで手を拭いて伯父のもとへかけよった。なぜだか、今伯父のそばを離れてはいけないと、変にそんな思いにかられていた。


 伯父とも、様々に話をした。


 まずは、これからのこと。聖魔一族やシュウのこともすべて置いておいて。美桜の生活から話ははじまった。日にちはすでに週の半ば。さすがにこれ以上休みを取るのは厳しい。派遣の立場では特に。

 状況を改めて、美桜も決断した。辞める、と。


『……いいのか?』


 伯父の気配は力強くて、彼女が無理を言えばそれを押し通してくれそうな雰囲気があった。それに苦笑した。


 美桜が勤めていたのは、旅行会社の下請け。二十代はじめに旅行関係の仕事に就きたいと思って、当時のコネを利用して大手の旅行会社で働きはじめた。やってみたいと思った仕事のために資格を取ろうと、就業後のスクールにも通っていた。あの頃の美桜は毎日クタクタだったけれど、……両親への負い目は変わらずあったけれど、やりたいことや将来への展望で充実した日々を過ごしていた。

 そんな時に、あの人に出逢った。


「……」


 自嘲するような思いで小さな笑いを落とす。広めのダイニングキッチン。話し合う美桜と伯父の前には暖かいお茶がある。

 その香りに癒される思いで、美桜も話した。


 美桜はもう、伯父がいる世界で──聖魔という、一族の中で生きることを決めた。自分の存在や、守られる身の上、そのために命を賭ける人、傷付く人、関わり合った人たちや生き物。


 もう──すべてをなかったことにはできない。


 そして、この先もきっと同じことは起こるだろう。美桜が外で働くことは、会社や同僚、周りに迷惑をかけてしまうことだ。それはしたくない。それに、と自身の状態にも冷静に判断しようとした。


 久子医師は、聴覚器官に損傷はない、と診断した。闇の気の影響はあるだろうが……おそらく、聴覚に障害が出ているのは、美桜の精神的なものが起因だろう、と。それなら、なおさら今まで通りの仕事なんてできない。聴覚がいつ正常に戻るか、だれにもわからないのだから。


 ぎゅっと唇をかんだ彼女に、伯父の強い眼差しがそそがれた。端末を見なくてもわかった。美桜、と口元が動いた。

 その眼差しに息を呑み、少し固まった。眸を惑わせながらそっと目を移して、その言葉に息が詰まる思いだった。


『──諦めるな』と。

「……っ」


 諦めるな? そんなことを言ったって、美桜の立場はもう伯父にだって取り消せない。妖魔に狙われ、守ってくれる聖魔たちも危険にさらす。彼らがいっそのこと、美桜を手にかけたってなんらおかしくないのに。──閻鬼が言ったように。


 その感情を見て取ったように、一匠が強い眼差しをゆるめ、静かな気配を見せた。美桜の手を軽くなだめるようにして。


 ひとまず、わかった、と。美桜が今の職場を辞めること。これから先のことは身体を休めながら、ゆっくり考えればいい、と。美桜の実家のほうへは、一匠の方で連絡をしている、と。


 少し目を上げ、聞きたいことがあった美桜だったが、小さくうなずいた。一匠も静かに目を返しながら、美桜の住まいの話をする。妖鬼将が現れた今までの居住区は彼女にとって危険なので、無断で申し訳なかったがアパートは解約し、荷物はいったん別場所へ移したこと。


 無断と勝手を謝られ、美桜も自分のプライベートな部分に触れられたことに青くなったり赤くなったりしたが、それよりもやはり、どうしても気にかかることがあった。


「おじさん……」


 美桜の住まいのすぐそこに妖魔が現れたこと。彼女の情報が漏らされたという話。それは……別の可能性も示唆している。


 美桜、と伯父の眸は一転して、いつもの揺るぎない強さをまとった。美桜がなにより信頼したもの。表情は少し自嘲混じりだった。これは、はじめに言わずにいた、私の狡さだが、と。


『おまえが刺国若比売命ではないかと疑いを持った時に、おまえの家族、近親者には調査の手が入っている。同時に、ノーマルだと確認した時点で巽家の庇護下に入っている。両親や妹の奈美一家、いずれにもガードがついている。妖魔に対して有効な、認識阻害の術もかかっている。おまえの家族や近親者に、他家や妖魔の手が及ぶことはない』


 彼らを盾に、何かを強要されることはない、と。


 伯父はすでにそこまで見越して手を打っていたらしい。いや、それが彼ら一族の常識なのだろう。はじめに言わなかったのはきっと、半信半疑だった当時の美桜を不用意におびえさせたくなかった。不信感が増すような真似はしたくなかったのだろう。


 伯父の配慮を察して美桜もうなずき、そしてホッと息をついた。心にかかっていた、最大の懸念。大きく息をつく美桜に、伯父の言葉は続いた。下総にあった、おまえの荷物だが、と。


 実は、と話された内容に美桜もびっくりした。あの後、そこで大きな妖魔退治が行われ、建物が半壊状態になったのだと。あせる美桜に伯父はなだめるような表情をする。由基と絢音夫妻に問題はない。ただ、美桜の私物が色々とダメになっていた。その補填や新しい携帯電話は後で届ける、と。


 美桜が木曽の香名子からもらった着物の話をすると、確認しておくと言われた。お礼状を書いておきなさい、と。



 気に掛かっていた様々な確認が終わって、『──シュウのことだが』と伯父は話し出した。


 シュウは昨日の話し合いの後、そうそうに場所を移して行った。ほんとうに彼の特訓が急務なのだろう。見送ってから今朝まで、美桜は久しぶりに一人っきりの空間を味わった。


 タマも茶太郎もいない。笹野は、家人としての立場から一線を越えてくることはない。久子医師も検査結果を病院のほうで確認したいと引き上げてしまっていた。夕食も朝食も一人。


 何も聞こえない状態がなおさら身に迫った。すぐそこに人の気配があるだけで、無の空間ではないと安心していたことを知った。でも、本来はそれが普通なのだと。


 隼人が言っていたように、美桜は特殊な環境に置かれて、通常ではない経験をして、そばにいた人への依存度が高くなった。だから、今までの自分をきちんと取り戻さなければ、と。


 でも……、と思う自分もいた。今までの自分を取り戻すことに、意味はあるのだろうかと。


 静かに見返す美桜に、伯父の表情も少し罪悪感混じりになる。隼人が話したと思うが、と。シュウの力を磨くことが急務であること。五大家の会合が四月初旬であること。そこでおそらく、美桜の伴侶を決める話し合いもされるだろう、と。


「……っ」


 どうしても強張ってふるえた美桜に、伯父も眉間を寄せながら告げた。さらに、美桜の引き渡しも求められる可能性が高い、と。


「え……」

『おまえの先祖を遡って調べたら、判明した。数世代前に高城家に嫁いだ女性が、当時の一条家当主の子孫にあたる人物だった。美桜。おまえは、一条家に連なる聖魔だ』


 愕然とした。

 いつか、タマが話してくれた言葉が思い浮かぶ。突然変異で生まれる聖魔だけれど、血筋を遡るとその先祖に聖魔がいる。そして彼らは血脈で寄り集まり、家を造った。それが聖魔一族の五大家である、と。


「いや……」


 いやだ、と強く思った。美桜が今、自分の意志を無視されずにいられるのは、きっと伯父の存在があるからだ。そこから離されたら、どうなるかわからない。


 しかも、彼女はすでに一条家に対して良い印象はない。はじめの貴巳の件や、下総の由基と絢音の件、そして──今回の九重の件。


 本家というだけでひどく横暴なふるまいをしているようなのは、美桜にもなんとなく感じ取れた。そんなところへ行くのは、恐怖しか浮かばない。


 自分でも、すがるような表情だと、伯父の目の中の自分を見取った。伯父の目付きはどこか痛ましそうに、一瞬歪む。が、すぐに強くあたたかい目で美桜の頭に手を置いた。

 いつもと変わらずに、大丈夫だ、と。


『これまでにも、在籍の在処を問われる者はいた。だが、本人の意志が一番に尊重されてきた。聖魔の中で、血筋は身分の証明でしかない。自分がどうあろうとし、どうあるべきか──それがその人の本質だ』


 なにより、と伯父の表情がやわらかくなる。


『おまえは私の姪だ。おまえを傷付けたり、理不尽な目に遭わせる所へなど、決して渡さん。美桜。私の言葉を忘れたのか?』


 小さな頃、美桜のヒーローだった存在。大好きな伯父。再会したあの時にも言われた。──私は決して、おまえを裏切らない。それだけは心に留めておきなさい、と。


 うん、とうなずいて、力付けられる思いでほほ笑んだ。伯父もうなずいて、表情を引き締め、言葉を続ける。刺国若比売命の下僕である、シュウの立場を。


『五大家会合時に、シュウと九重の手合わせを行う。これはおまえの……言い方が悪いのは承知の上で言うが。刺国若比売命の身柄をどの家が所有するか。それを他家に知らしめるためでもある』


 え、と美桜も驚いた。

「シュウが刺国若比売命の下僕であることを、みんなに知らしめるため、って聞いたけど……」


 彼女の言葉に一匠もうなずいた。厳しい顔付きで甘えをゆるさないように。


『美桜。おまえも薄々、気付いていたのではないか? 刺国若比売命は、我ら聖魔に甦りに等しい力を与える。その身や精気から、大いなる力を分け与える。下僕となったシュウ然り、おまえに呪いを解いてもらった宗興然りだ。……覚えがあるだろう?』


 ぞくりと悪寒が走って、思わず身震いした。伯父の言葉は、たぶん選ぶようなもので、気遣いがあった。伯父としての配慮なのだろう。


 美桜もわかっていた。彼女の肌に触れた時の男たちの言葉。思い出したくもない嫌悪、吐き気。しかし、たぶん……美桜と関係を持つ聖魔は、彼女が精気を吹き込むのと同等の力を得る。

 その身を蘇らせるような力を。


 おじさん、と思わず美桜は口にしていた。わたし、他の人にも精気を分ける、と。


「シュウにするように……他の人にも精気を分ければいいんでしょう? そうしたら平等だし、身柄の取り合いとか、だれかを伴侶に選ばなきゃならないとか、そんなことしなくても──」


 美桜、と伯父が口にしたのがわかった。声は聞こえなくても、その眼差しだけで。


『刺国若比売命には、次代の聖魔を宿し、命を繋ぐ役割がある。むしろ、それが一番に求められることだ』

「…………」


 タブレットの言葉を見て、美桜は泣きだしそうになった。


 半年と少し前までは、子どもができないことであれだけ悩み、苦しんでいた。そこからようやく抜け出したと思ったら、今度は子どもを宿し、生むことが使命だと言われる。この一族内では、彼女にしかできないのだと。……そのために、見も知らぬ相手に抱かれて子を成せと。


 フッと、泣くのか笑うのか──運命を呪うのか、境遇を嘲笑うのか。自分でもよくわからない感情に揺れ動いた。


 そこを、伯父の手が強く握りしめてきた。彼女の手から暖かく力付けるように。言葉は紡がれた。シュウを信じろ、と。


 シュウ? と瞬いた美桜に、伯父の眼差しは何よりも力強い覇気を宿していた。我ら聖魔は、と話し出す。


『妖魔と対峙し続ける業を負った一族だ。ゆえに──力が絶対な面がどうしてもある。刺国若比売命の下僕は、その伴侶となる者と同等の力を持つ。シュウが一条家に狙われたのは、そういった面もある』


 妖魔と対峙するため、何より強い力を得んとする。

 刺国若比売命は、そのための攻略アイテムだ。彼女を落とし、伴侶か下僕になれば、一族の中で比類ない力を得ることができる。そのために、彼女の意に添い、ご機嫌を取る。あくまで、他者より抜きんでるために。


 泣き笑いみたいな笑みを浮かべた美桜に、伯父の眼差しにはさらに強い力がこもった。美桜、と。


『おまえを物のような扱いにはさせない。シュウが刺国若比売命の下僕として力を示し、だれの目にも納得する力の持ち主だと認めさせる。これは、おまえの身を守ることに繋がる』


 瞬く美桜に、伯父の強さが彼女を奮い立たせるようだった。


『力を絶対とする一族の者は多い。シュウが今度の手合わせでその力を示せば、おまえに無闇に手を出してくる者はいない。おまえの意志を無視するようなことがあれば、下僕であるシュウがそれをゆるさないからだ。美桜。刺国若比売命はある意味、聖魔一族で最強だ。おまえがイヤだと言えば、意に添わないことは拒否できる。そして、それを押しとおすために下僕がいる』


 無体なことをされないために。彼女の意に反したことは行われないために。そのために下僕はいる。

 彼女がイヤだと言えば──。聖魔一族、五大家の決定にも逆らえると、そういうことだろうか。


 ふいに、美桜の目の前も晴れてきたような気分だった。美桜一人がイヤだと言っても、伯父の存在があっても──。五大家の決定には、逆らえないことが出てくるかも知れない。


 しかし。それを覆す力の主、下僕の存在がいれば。

 五大家の当主でさえも、美桜を意のままにはできない。彼女がイヤだと言えば、それを叶える力の主、シュウがいるから。


 シュウ……とその存在に心があたためられ、力付けられる思いで美桜も背筋が伸びた。同時に、心に靄は残る。力で従わせるのは、結局、妖魔たちの考えと同じではないかと。

 そしてどうしても、罪悪感はつのった。


「おじさん……。シュウに、負担がかかり過ぎてると思う……」


 そうだな、と伯父の返答はあっさりしていた。だが、とくったくない笑顔で言葉が続く。


『これぐらいは乗り越えてもらわなければ、私の大事な姪は預けられん』


 なぜだか赤面と動揺が走って、美桜はうろたえる。伯父は何をどこまで知っているのだろう。


 やわらかな気配を少し見せた伯父だったが、すぐにまた厳しい表情になった。今回の件だが、と。美桜をさらおうとした九重の行為は、彼の使い魔、独自の判断だと。


「え……?」

 明らかに訝しんだ美桜に、伯父の表情も怒りを抑えているようだった。


『ゆえに、今回の件は九重の使い魔に罰則を与えることで決着がついた。使い魔が制されれば、九重の力も抑えられる。シュウとの手合わせ時には解放されるが。──一条本家は、シュウとの手合わせ、使い魔への罰則。この二つを条件に今回の件を収めた』


 変、と内情を知らない美桜でも疑問を覚えた。

「おじさん。わたし、あの時、九重の意志を感じた。わたしを力ずくでさらって行こうとする意志。使い魔じゃない。だれかの命令を受けていた。使い魔も九重も、だれかに動かされていたよ」


 なんだ、この元凶を有耶無耶にされそうな雰囲気は。


 使い魔の精気から九重の意志を感じ取っただけだから、彼女の気のせいだと言われてしまえばそれまでだ。でも、使い魔一人の独断で決着つけるには、あまりに不自然過ぎる。


 美桜の疑念を理解しているように、伯父もうなずいた。九重の使い魔である神霊は、と説明が続く。


『一条本家が生まれた時より仕えてきた、特別な存在だ。もうひとつ、四条家に仕える美沙緒という妖もいる。この二人は使い魔、と呼ばれる存在ではあるが、特殊な立場にいる。有事には、五大家当主と同等の権限を持つことがある。その一人に罰則を与えるというのは、かなり重い処置でもある』


 だから収めろと、そういうことだろうか。シュウを狙った行為も?

 なおも眉間の皺を解かない美桜に、伯父の相好もフッと少しゆるんだ。美桜、と伯父から提案が出る。


『私たち、聖魔一族のことを学ぶ気はあるか?』


 瞬いて逡巡したが、答えは決まっていた。自分が生きていくと決めた世界のことだ。学んでおかねばならない。

 うなずいた彼女に、『後で教師役と逢わせよう』と伯父の返答は短かった。美桜もなんとなく察した。彼女が覚悟を決めて口にしたから、伯父も教師を付けることにしたのだろうと。


 ……覚悟のない者に、彼らの内情や歴史を説明しても、仕方がない。それで、タマやシュウもはじめ、あまり彼らのことを話してくれなかったのかなと、今さらながらに思い至った。でも、今は違うのだと。


 それでだ、美桜、と伯父の眼差しや表情は一転して明るい。彼女の置かれた状況や境遇は微塵も感じさせない力強さ。


『おまえは今日、これから何をしたい──?』


 彼女の行動や意志を後押ししてくれる強さ。それに美桜も力をもらって口にした。




 そうして庭いじりをはじめた美桜だったが、あくる日には新たな人物との再会に驚いた。


 衣類だけをとりあえず手元に運んでもらい、動きやすい服装で庭の草むしりをしていた。ツバの広い帽子をかぶせられたのは、笹野の配慮だ。実家の茶畑を小さな頃から手伝っていたから、土いじりは苦ではなかった。野草と言われてしまう春の花の名前も、幼い頃に教わった。


 美桜の両親はどちらも茶農家を営む家だ。妹の奈美一家もそこに携わっている。庭園の整備をはじめながら、美桜はもしかしたら、と思っていた。

 蓉子伯母は、自分の身近にあったものを再現したかったのかな、と。


 黙々と作業をしていた美桜だったが、周辺の騒がしい気配に気付いた。聴覚がきかなくなってから、気配に敏感になりはじめた。


 顔を上げると、庭園の向こうで周りに制されながら、ふり切ってかけ寄ってくる人の姿がある。あ、と美桜も立ち上がった。とたん──。


 立ち上がるか否かのところで、目前にやって来た男性が彼女を激しく抱きしめた。ワワ、と美桜もなんだかわからない声を上げる。痩身でも鍛えられた体躯と体温が伝わって、鼓動も激しく跳ね上がった。


「む、宗興さん! あの、ちょっと……!」


 美桜が抗議の声を上げても、さらに抱きしめる手に力がこもった。少し苦しいくらいに。何か言葉を落とされた気もしたが、ひっしに美桜の無事を確かめている感情は伝わった。自身を責めている悔恨とともに……あの時のシュウみたいに。


 落ち着いて、となだめようとして、宗興の片腕が別の手ではがされた。いつの間にかそばに来ていた皐月の手で。


 伯父があの後、教師役として紹介したのが、十二節の皐月だった。はじめの非礼などを詫びられ、美桜もとんでもないとひっしにお礼と謝罪を返した。彼らは美桜を守ってくれたのだから。


 にこやかな様子でそれに答える彼と、なぜか、『サッちゃん、抜け駆け!』と飛び込んできた十二節、睦月という彼とも再会を果たし、美桜はまず、その二人と関わり出した。別棟にいるという二人は、定められた時間と食事時には必ず現れ、美桜が一人にならないよう配慮してくれた。


 彼らの雑談を聞くに──一条家の九重が無体なふるまいをしたために、彼ら十二節との接触も解禁されたらしい。


『貫成さまにお咎めが行ったら、こっちも反論するだけだもんね。だれのせいで、うちや刺国若比売命に被害が出たんだって』


 フン、と鼻を鳴らす睦月に皐月が何かを言っていたが、美桜も内心納得していた。伯父が巽家の者たちを紹介しはじめた理由。


 そして、話題に出た巽家当主の貫成へも、伯父と話し合ったその日にあいさつをしていた。当面、お世話になることへのお礼。貫成もやはり、美桜の状態に痛ましい顔を見せたが、すぐにいつもの好々爺の様子で敷地内へ新築工事の提案をされた。美桜の好む物件を建てよう、と。


 え、とあわてる美桜に、すぐさま設計士を呼ぶ勢いだった。それを伯父がとどめ、不満げな貫成の様子、と変わらない面々が美桜の心もやわらげてくれた。



 そうして知り合った皐月が間近に現れ、理知的に制す様に宗興も静かに息を吐いた。そして腕が離される。


 どうしてもホッと息を吐いてしまった美桜に、どこか苦しそうな顔を見せながら、その場で片膝をついた。謝罪するように。あわてた美桜は急いで首から下げたスマホを確認する。伯父の言通り、補填された新しい機種だ。

 そこには宗興の言葉が様々に残っていた。


『……おそばを離れるのではなかった』と、悔恨からはじまり、美桜の名前や──名前。あなたがご無事で……っと、感情が詰まったようなそれ。なんだか、文字を見ただけで赤面してしまうそれら。


 魔性の僧侶、恐るべし、と美桜もあらためた。


 片膝ついてかしこまっている彼に困惑が増し、美桜は横の皐月に目を上げる。宗興の行動にも驚いたが、なぜ他家の聖魔が現れたのか。向けた問いを皐月も正確に受け取ってくれた。


『シュウの特訓のためです』と。


 瞬く彼女に説明をした。宗興は、聖魔一族内で上位に数えられる術式の使い手だと。今回の件で、一匠が木曽の当主へ助力を請い、それを受けて宗興がやって来た。彼はこれから、シュウの特訓に付き合う。


 少し驚いたが、それは確かに木曽の時の話し合い内容だと思い至った。それで宗興がわざわざ、ここまでやって来てくれたらしい。

 美桜も思わず、両膝を折って彼をのぞき込んだ。


「宗興さん……あの、ありがとうございます」


 眉根を寄せたまま目を上げた彼に、美桜もそっとほほ笑んだ。


 五大家会合前にシュウの特訓に付き合う行為は、きっと内部から反対も出ただろう。──シュウが刺国若比売命の下僕と認められなければ、その分、他の者にも機会や可能性が出るのだから。


 それでも来てくれた彼に、美桜の心もあたたかくなった。自分が言った言葉を覆すようなことはしない、誠実な人だと。


 しかし、宗興の表情は変わらず厳しい感情を宿したままだった。礼はいりません、ときっぱりした様子で返された。美桜どの、と言葉が続く。


『私がここへ来たのは、あなたの望まない結果をもたらすかも知れない』


 え……、と遅れて瞬く美桜に、宗興の眼差しは怖いくらい真剣だった。


『私は、如月にあなたを任せたことを後悔している。あなたを守りきる力のない者など、おそばにいる資格はありません。私は、如月を排除するかも知れません。……立場的には、九重と同じです』

「…………」


 美桜もとまどって沈黙を返してしまった。そこに皐月の手が肩にかけられる。大丈夫ですよ、と美桜を安心させるように。


『シュウの特訓には、十二節の者と隼人や他の戦闘兵も立ち会っています。それに……もう一人、オマケが付いてきたようですね』


 それに続く言葉が表記された。『オマケって言い方はねーだろ、皐月』と、顔見知りのような気安さで。

 顔を上げると、剃髪の僧侶、六郎と呼ばれていた彼までそこにそろっていた。少し目を丸くする美桜に、片手を上げてあいさつをする。


『オレも、アイツとは手合わせしてみたかったしなー』


 軽い口調には緊張感がない。大丈夫……なのかな、と困惑がちな彼女を皐月が手を貸して立ち上がらせた。宗興もそれに続き、正面から彼女を見つめてくる。今は少しだけ怖い、魔性の美貌。

 美桜どの、と口元が動いて、美桜もスマホと交互に確認をする。


『先に、私が宣言した思いに微塵も変わりはありません。あなたをお守りしたい。私の全霊を賭けて。そのために、下僕の修行が必要だと言うなら力を貸します。だが──私が力を貸すのは、あくまであなたを守るためだ。力を貸す相手が不適任だと判断したら、容赦なく排除します。これは、鷹衛の迅にも承知いただいた。それを……あらかじめ、ご承知いただきたい』


 宗興の表情には、怖いぐらいの厳しさがあった。しかし……隠し切れない、彼女を気遣う色もあった。


 美桜も宗興の思いを受けて、少し自身の内をながめるようにした。隼人や伯父の言葉。何より、彼が口にしてくれた思い。

 目を上げた時に、迷いはなかった。はい、と言葉にして返した。


「シュウを信じています」と。

 必ず戻る、と言った彼の言葉を。


 クッと強く眉根を寄せた宗興が、何かを口にした。スマホを見て美桜はちょっとおののく。


『……何がなんでも排除したくなった』と、冗談か本気かわからない言葉に。


 そんな美桜を置いて、宗興と六郎も早々にその場から移動していき、嵐のような再会に少し息をついた彼女も作業に戻った。


 シュウが自身を鍛えている間、美桜も何かしなきゃ、と思ったものの、シュウのように自身を強くする何かは思い付かない。刺国若比売命の能力を把握したいとも思ったが、皐月たち十二節にもその力は未知に近いものなのだという。彼らの中でも伝説と云われる存在ゆえに。


 ただ、五大家の会合時には何かしら明らかになるだろうという推測だった。それで、とりあえず庭の整備をしたいと伯父に申し出て今に至る。


 土いじりや小さな生命に触れながら、庭園の整備というひとつのことを成し遂げたら──。少しでも自信になるかなと思った。


 せっせと草むしりを続ける美桜に、伯父が助力を向けた。ノーマルである庭師の老人や、他の十二節の者にも引き合わせた。シュウの特訓に交替で付き合っているという彼ら。他にも、美桜と対面はしていないが、各地に散っている者たちが交互にシュウの特訓に付き合っているのだという。


 巽家十二節の思いが美桜にも感じ取れた。身近にいる皐月や睦月の言葉からも。


 シュウは、物心つくか否かの辺りで能力を発動し、巽家に引き取られた。そこから彼ら十二節や隼人たち、年長者に面倒を見られてきた。


 戦闘兵は通常──二十代前後か半ばぐらいで能力に目覚めるのだという。シュウは少し、特例だった。だから、十二節や隼人たち一部の古参戦闘兵はシュウを仲間として扱っている。……たぶん、我が子のように。


 外見年齢的には、睦月はシュウとさして歳の変わらない兄弟のようだし、皐月も年上の従兄のような親しさだ。しかし、実際はシュウを幼い頃から面倒見てきた人たちなのだと。


 その話に、美桜もあたたかい気分でほほ笑んだ。そして、よかったと思った。シュウは一匠伯父を絶対の存在にしているようだが、伯父以外にもきっと、心をゆるしている人たちがいる。彼らは、シュウの為に動いて力を貸している。彼は、そんな人たちに見守られて育ってきたのだと。


 それなら、なおさら美桜は自分のことをきちんとしなきゃ、と思い改めた。シュウの主人として彼らに認めてもらえるように、自身のことを。


 日課としては、朝の小一時間、庭の手入れをして朝食、その後伯父から紹介されたパソコンを使った在宅仕事を昼食をはさんでこなし、十五時から庭作業に戻る。夕食の後、二時間ほど皐月や睦月ら、十二節から聖魔の歴史や能力を学び、お風呂など寝支度をして眠りにつく。


 はじめは慣れないそれも、毎日同じルーティンをこなしていくと身に付いていく。そうしたある日、伯父から提案が出た。


『彼岸の日に、蓉子の墓参りに行こう』──と。


 美桜自身、ドキリとした。何かの節目──区切りのような気がした。


 それで、自身でも庭園の整備に懸命になった。とにかく、何かひとつでも伯母の墓前で報告ができるように、と。

 そうして出来上がった新しい巣箱。立ち上がって見渡せば、庭園は野趣の彩りを残しながら手入れが行き届いた、春の庭になっていた。


 庭園に残っていた植物を確かめて、緑を多めに。あまり花だらけにしない、自然に近い庭園。季節が変われば、新しい花や低木を植えられるように。四季で変わる秘密の花園。けれど、訪れた者を楽しませる、遊び心のある庭。


 それを庭師の人と話し合って目指した。用途をなさなくなっていた巣箱も造り直して、そしてようやく、それが出来上がった日。


 約束したお墓参りは翌日。

 美桜は巽家に運び込まれてからようやく、その敷地内から外に出る一歩を、踏み出すこととなった。








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― 新着の感想 ―
[良い点] 一匠おじさんの言葉が美桜を思うからこそ、厳しくもこれから起こるだろうこと、同時にシュウが美桜にとっての希望的な存在として語られるシーン。 拝読しながら、アクションシーンでないのに、ドキドキ…
[良い点] 年末のご多忙中更新ありがとうございます! ミオの身辺もやっと落ち着いて良かったです!少しだけでも仕事するのはいいよね!さすがおじさんわかってらっしゃる!! この平穏の前にたくさんの戦闘兵が…
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