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桜風記  作者: 由唯
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使い魔 2




 強い圧迫感の中でシュウは抗っていた。


 自身の身が強制的に別場所へ移されているのはわかっていた。彼女のもとから──遠く離れた場所へ。


 ふざけるなと抗う彼に、術式の中で重圧が出た。屈服させ、意に従わせる強制力。反射的に反発する彼に、すさまじい重力がのしかかった。シュウをそのまま、押しつぶすかのような容赦のなさ。


 ぐうっ、と胃の腑がつぶされる圧迫と、頭から肩甲骨、全身に圧し掛かる力に思わず片膝をついた。万力に押しつぶされているようだった。


「……っ」


 息をつこうとしても、空気も薄い。通常の移動の術式とは異なっている。


 苦しい息の中でそれでも抗うと、今度は目に見えて、身体を殺傷する力も現れた。聖魔の肉体を傷付け、血を流させる力。とっさに視界だけを庇いながら、シュウも察した。これは、彼を排除する意志があると。


 如月シュウを排除する。巽家十二節、聖魔の力を削ぐものではない。如月シュウ──刺国若比売命の下僕である彼の存在を抹消したいのだと。彼を消すことによって、起こり得る事態。


 美桜の身が無防備になる。絶対的な守護がなくなる。



 つい先ほど。──他人が近くにいてもいいのか、と問う彼女に、少なからず腹が立った。他人ではない、自分は彼女の下僕だ。近しい者であると告げて、その言葉は彼女の気持ちを遠ざけたと次いで知った。心で一線を引くように、一歩下がられた感覚。


 口下手な自分が言葉選びを間違ったのはわかった。挽回のように言葉を重ねたら、彼女はきちんと受け止めてくれた。心をゆるめるように、シュウに対する変わらぬ信頼を。


 その彼女を、一条家が本家の影響力と意志のまま、支配下に置こうとしている。自分たちの意のままに。

 ふざけるな、と再度同じ怒りと、それよりも激しい思いで圧力に抗った。強制的な移動の術に力ずくでヒビが入ったのがわかる。もう少し、と思ったが、歯痒くて仕方がなかった。


 ──術式。

 それさえ学んでいれば、今この時にも──いや。そもそも、はじめから対処の仕様があっただろう。


 一匠でさえ、ぎりぎりで察知するほどの術式の使い手。あのまま、美桜一人がどこかへ飛ばされていた可能性があった。それを瀬戸際でとどめたのは、一匠の能力だ。下僕であるシュウのものではない。


 それが悔しかった。彼女の危機を一番に察知するのがおのれでなかったこと。何より──今この時、彼女のそばでその身を守れないことが。


「……っ!」


 感情の爆発が、彼の身を傷付ける意志を上回った。


 ヒビが入っていたそこから裂傷の音が響き、そして彼を害す術の中から別の場所へ解放した。


 絶え間ない荒い息をつき、雑木林のような風景を見たのは一瞬。そのまま主人の場所へ本能のまま跳ぼうとして──、彼を殺傷する刃をギリギリでかわした。喉元を狙った、大きなかまいたちのような水の刃。


 能力だけは仲間から聞いて知っていた。


 一条家。聖魔一族の生みの親と崇められる、絶対的な本家。その家は今も、彼ら一族に逆らいがたい影響力を広げている。その家に属する者がたとえ──他家の戦闘兵を手にかけようと、不問に付されてしまうくらいには。今もなお、絶対的な力を有する。


 それをシュウは耳にし、実際、十二節に選ばれた時から貴巳という一条家の聖魔に絡まれだした。戦闘兵が自分たち上級聖魔と並び立つなど、おこがましい──と幾度も。命を奪われるまでのことはなくとも、何度も傷付けられた。立場を思い知らされるように。


 しかし、その行為が公に咎められることはなかった。その影響力。それを有しているのが一条本家であり、その慣習を戴くのが、彼らの一族なのだと。


 だから──と同時に理解した。


 一条本家は今回、シュウを不要なものとして判断した。そのために、九重を遣わした。一条家の絶対的な指令を果たす者。聖魔一族の中で現在、最強の実力者──一匠に比肩するのでは、と噂される人物。


 冷たい真水のような男。二十歳前後の、酷薄な印象。その男が竹林の中から姿を現わした。片手にした長槍とともに。


 シュウを抹消する意志でもって。一振りされたその動きが、戦闘のはじまりだった。






 ~・~・~・~・~




 え、と美桜も驚いた。


 一条本家の九重。木曽の館にいた時に、霜月や皆が警戒していた相手。下総の絢音が、激しい憎しみと蔑みを向けていた、その人物。どうしても警戒は生まれたのだが……。


 現れた人物は、どう見ても十五、六の少年だった。大人のようで大人ではない。子どもだけれど、少しだけそこから踏み出した──そんな頃合い。


 ただ確かに、他者の思いも言葉も受け付けない酷薄さは、その年頃の少年に不釣り合いな印象があった。なにやら……外見通りには受け取ってはいけない、得体が知れない相手。


 呑気に判断していた美桜は、次いで後悔した。小さく口を動かした少年の手に、大きな長槍が現れた。身の丈以上のものが。


 宗興の時と同じ、と思った美桜の前で、瞬時に彼女を庇うように目前に動いた隼人が何かを唱え、周囲が分厚い壁に覆われた感覚があった。鋼鉄のような強く厚いもの。しかし──それは一瞬で砕けた。


 少年が距離を詰め、間近でふるった長槍でもって。

 同時に、目の前の隼人がその長槍に斬られ、血を吹き上げて倒れた。声もなく、一瞬で。


 美桜の喉から、遅れた悲鳴が上がった。

「隼人さん……!」


 急いで手を伸ばして、彼女の身体は少年の手に抱えられた。ゾクリとするほど冷たい、凍り付く氷点下の温度。一瞬ですぐそばに、衣服を隔てただけのそこに少年がいるのがわかった。


 少年は美桜の身を確保した瞬間──一言、不愉快そうにつぶやいた。臭い、と。


 え、と凍り付いたままの美桜に、さほど変わらない背丈の少年が首に口付けた。脈打つ箇所を探るように薄い唇がスッと動き、そしてそこから、冷たい真水が吹き込まれた。


 頸動脈から、美桜の身体の中に浸透するように。シュウの精気とはまったく異なる、冷たい真水で彼女を塗り替える、清冽なもの。


 一瞬で美桜は血の気が引き、そして心からの拒絶で悲鳴を上げた。


「いやぁ……っ!!」


 無我夢中で背後の少年を追い払った。異性に乱暴に肌に触れられた時よりも、自分が汚された気がした。美桜の中に無遠慮に踏み込んできた、見も知らぬ相手。彼女の内にあったものと反発するのがわかった。


 彼女の体内で。熱いものと冷たいものがぶつかり合う。それがわかった。同時に、身体が拒絶反応で吐き気をこみ上げさせた。


「シュウ……シュウ!」


 たすけて、と呼んだ。彼女を守ってくれる絶対の存在。でも、美桜にもわかっていた。シュウは一匠と共にこの場から飛ばされた。


 美桜も以前体感した、宗興の移動の術式。あれと同じ強い力を間近で感じた。そして、それを行ったのがこの少年だと。


「離して……っ!」


 暴れる力は簡単に封じられた。彼女の首筋に打ち据えられた手刀でもって。一瞬で美桜の意識は暗闇に落ちた。


 昏倒した彼女の身を脇に抱え、車が密集したその場から少年は一旦、距離を取ろうとした。術式を展開するには、周囲に邪魔なものが多かった。が──、それをとどめるものがあった。


 足元から、彼の片足を掴む者。斬り伏せたはずの男。


「美桜さんを……離せ」


 名は知らないが、実力的に巽家の戦闘兵をまとめる隊長格の一人だとわかった。血にまみれているのは、自身が傷付けたからだと知っている。邪魔だと判断したのだ。この男は刺国若比売命を守るように結界を張った。大型の妖獣でもはじき返す威力のものを。


 そして──彼はそれを、おのれの目的を阻害すると判断し、排除した。もうひとつの意識の向こう──そこでも邪魔な者を排除する行為が行われている。ふたつの行為。それをなしてこそ、彼の使命は果たされる。


 それ以外のものは些末事だ。

 ゆえに──彼の行為をとどめる者を排除するため、片手の長槍、その持ち手を変え、降り下ろす力を込めた。その時だった。長槍の柄が突然、あさってから出た幾本もの糸で絡め取られた。



 使い魔の力だと、一瞬で悟る。彼を制すほどの威力があるもの。訝しく思ったそこで、曲がり角の影から現れた男がいた。裸足。もっさりとした前髪で風貌を隠した同族──上級聖魔。


 あーあ、もう、と男がそれは面倒そうに口にした。


貫成(やすなり)さまにいきなり飛ばされて何かと思ったら……後方支援のボクを前線に出さないでよ」


 まったくもー、あのデータ、バックアップ大丈夫かなぁと場違いな言葉を口にした聖魔は、彼が止めを刺そうとした男へもあきれた目を向けた。


「隼人、なにそのザマ。一匠さんの顔に泥塗る気?」


 足元から苦しい息遣いとともに聖魔の名が呼ばれる。睦月、と。

 その名は巽家十二節のもの。しかし、彼の記憶にある人物は百年近く昔のもの。代替わり、と思い付く前で、睦月は近くで凍り付いていた仲間へも指示を出していた。結界、と。


 九重という、一条本家の存在と威圧に固まっていた者たち──十二節ではない聖魔と戦闘兵が、やっと我に返った様子だった。周囲に術式が展開されはじめる。


 日中の住宅街。そこでありながら、また空間を異にした場所へ。その中で紡がれる声は、腹立たしさと苛立ち混じり。まったくさぁ、と。


「言っても無駄だとは思うけど──九重。おまえ、真っ昼間の住宅街でこんな騒ぎ起こすって、どーゆう了見? 忘却術やらなんやら、後始末するこっちの身にもなれよ。しかも、うちの者に手をかけて命まで奪おうとするとかさ……おまえ、分別もなくなったの」


 長槍から伝わる威力に、本気の殺意があった。巽家十二節の存在は知っている。だが、すべての個別能力までは把握していない。特に、代替わりした者で後方支援など、()とは顔合わせ程度しかしていないはず。


 少し構えた前で、さらに新たな存在が割って入った。

 まあ、そう言わずに、と睦月を抑える声。彼と同じように道の死角、電柱の影から現れた男がいた。


「九重は眠って目覚める者。現世も二十年ぶりぐらいなのだから、多少は大目に見ましょう──と、思っていましたが。どうやら眠っている間に、鷹衛の迅の恐ろしさも忘れたらしい」


 住宅街が周囲に見えながら、そこから切り取られた、彼ら聖魔や妖魔が展開する別空間──結界が敷かれた中に平然と踏み込んできた男がいた。


 三十代半ばの怜悧な男。この聖魔は彼も知っていた。巽家十二節、皐月。十二節が二人。判断した彼は、他者の結界の中であろうとかまわず術式を展開しようとした。


 彼の力なら、それを破って術を使うのはたやすい。ただ──車が密集した周囲では結界を破って術を広げた瞬間、大きな被害が出るだろうことは予想できた。現代のものは色々と厄介だ。だが、彼の行為を妨げるものに躊躇する考えも、またなかった。


 その行為を行おうとした瞬間──。


 彼の近くに刹那に現れた気配に避けようとして間に合わず、右肩に何かを貼られた。それは強く、熱い激痛でもって彼を戒めた。


 とっさに上げた声の合間、抱えたものを奪われそうになって、長槍の戒めを破り、かろうじて振り払う。アレアレ、とどこか剽軽な印象の声が出た。


「使い魔のほうなら効くと思ったんだがな。意外にしぶとい」


 カンちゃん、と睦月の声が上がり、皐月の苛立たしそうな声も出る。人を隠れ蓑に近付いたんだから、一撃で抑えてください、と。ヘイヘイと気軽に答えたのは、四十代ぐらいの眼帯の男だった。神無月、と覚えのある聖魔に彼にも緊張が走る。


 とっさに距離を取り、なぜ十二節が見る間に集まりだしたのか、その事実に疑問を覚えた。同時に、自身を傷付けたものの存在を知る。呪符。妖魔を封じ、戒めるもの。


 それを自身に使われたことに、水面にさざ波が立つ思いが起こった。それで自身を清める術を使った瞬間、抱えていた存在が小さな声で正気付いた。触れていたために力が浸透してしまったらしい。


「いっ……た」、と痛みを覚えた声で目を開ける。周囲と、顔を上げて自身を捉えている相手を認識して、瞬時に声を上げかけた。昏倒する前と同じ、心からの拒絶で。


 それに再度、彼の内は傷付けられた。肩の痛みよりも、その存在に拒絶されることに。


 そして、再び攻撃を仕掛けてきた神無月の一撃を避け、間近に浴びた熱風に抱えた彼女が悲鳴を上げた。あさってから睦月と皐月の声も上がる。カンちゃん、神無月、このバカ! と非難の声で。


「姫さん傷付けたら、一匠さんのお仕置き……!!」


 おっとっと、とやはりおどけた様で神無月が力を抑える。いや、だってよ、と口にする様子からは大雑把な気質がのぞく。


「この状況なんだ。多少は大目に見ろ。っつか、おまえらも手伝えよ」


 ボクは後方支援担当―、と睦月が両手を上げ、皐月は倒れた隼人の具合を診ていた。手一杯です、と。おまえらなあ、と軽口を交わす十二節を悠長に相手している余裕はなかった。


 間断なく攻撃を仕掛けてくる神無月のそれを躱し、大きく距離を取ると同時に、長槍の穂先をその存在に据えた。


 息を呑んだ腕の中の彼女と、十二節、周囲の者たちの動きが止まる。それで充分だった。彼らの動きを少しでも止め、隙を作れればいい。足袋に草履、その足先を動かそうとした刹那──。


 神無月から放たれた力が、スパッと彼の頬を裂いていく。術式を使う素振りを少しでも見せれば、容赦はしない、と。今度は、彼をこの場にとどめる緊迫感で。


 頬から赤い血が流れるのは、人のそれと変わらない。息を呑んだのは、腕に抱えた彼女からだ。自身の顔をすぐにでも傷付ける刃が据えられているのに、九重が流した血に動揺した。


 愚かな、と思いながら、彼の刃は揺るがない。そして、それに緊張をはらんだ声を紡いだのは、神無月だった。


「……彼女を傷付け、その血を流せば、おまえもただでは済まない。それをわかっての行為か?」


 スッと、彼の眸に冷ややかな酷薄さが刷かれた。彼らの間に浸透している認識。それを嘲笑う思いで。我は──、と。年頃には不釣り合いなのは承知の上で、口を開いた。


「言ったか? ──この場にいる者が、使い魔のほうであると」

「なんだと……」


 一瞬の隙が神無月に生まれた。動揺という名で。そして、それを逃す彼ではなかった。術式を展開するための力が出る刹那──。


 彼の名が呼ばれた。腕に抱えた者から、とても静かに。


「──黒重(くろえ)」と。


 術式をふるう力も、刃を据えた力も消えた。その存在が無意識に身にまとった鎮める力で。


 彼女はそのまま、静かに束縛を解いて自身の足で地に着いた。さして変わらぬ背丈ゆえに、真っすぐに彼を見据えて。


「あなた、(あやかし)じゃない……神霊なのね」


 少年の眸がはっきりと強張って固まった。


 美桜にはわかった。自分には聖魔を見る力がない。これまで逢った人たちは、一目で聖魔とはわからなかった。けれど──今回の場合、使い魔なのはわかった。皮肉にも、彼が先に吹き込んできた精気によって。


 それは以前、白のお山でセツから分けられた精気と似ていた。ただ、そこから伝わる意志や冷たさは、彼を使役する主人のものだった。それにどうしても、嫌悪感はわいた。


 彼はその主人を移す分身であり、妖ではなく神霊なのだと。神霊の使い魔にははじめて逢ったが、その名を呼ぶ行為はひどく、彼の無防備なところを突いたのだとわかった。


 美桜がさらに言葉を紡ごうとして──三つぐらいの事変が立て続けに起こった。眼帯の男が動き、黒重という少年がハッと表情を一変させ、警戒をみなぎらせた。空へ向けて。


 同時に──闇が落ちた。


 視界が陰って、日が遮られたのだと気付く。太陽に大きな──それは禍々しいものがかぶさった。


 一瞬で、世界がまったき闇に落とされた。それは恐怖を感じさせる暗闇。次いで響いた、激しい雷の轟音。遅れて閃いたそれは、間近に落とされたとわかった。狙ったように停まった車に。


「……っ!」


 落雷に続いた車の爆発音に、美桜は悲鳴を上げた。

 場が一瞬でぬり変わった。聖魔が敷いた結界術から、大きな闇の支配で別の次元へ。その刹那に落ちた落雷が、現実世界で近くにあった車に被害を及ぼした。


 爆発に巻き込まれる、と頭の片隅で思ったのも一瞬──。


 うずくまろうとした彼女を、近くに来た眼帯の男が両脇をつかんで後方へ放り投げた。空中に放られて、美桜は恐怖と同時に、どう反応したらよいのかわからず、目が点になった。


 まるで猫の子を放る──いや、障害物を放り投げるような無造作な所作。そんな扱いははじめてだった。そして投げられた彼女の身体は、すぐに別の人に受け止められた。

 非難の声はその人物から上がった。


「神無月! 女性に対して乱暴過ぎますよ!」

「それどころじゃねえ! 結界が上書きされた……ヤツだ! 被害が出るぞ、気を配れ!」


 美桜にもわかった。周囲には、見る間に濃厚な闇の気が充満している。男はそれらに間断なく、警戒をみなぎらせていた。そしてまた、少年姿の使い魔──黒重も長槍を構えていた。


 美桜も息苦しさと恐怖にふるえ、これには覚えがあると感じた。その彼女の恐怖を感じ取ったように、抱えた人物が声をかけてくる。


「大丈夫ですか?」


 気遣う声に、動転しながら顔を上げた。

 怜悧そうな、三十代半ばの男性。少し長い髪を、きっちりひとつに結っている。警戒する美桜に、静かに眸をやわらげた。


「巽家十二節が一人、皐月と言います。このような御目通り、申し訳ありません。我々は一匠さん配下の者です」


 シュウや霜月と同じ、ということだろうか。把握しようとするところに、別の声が上がった。サッちゃん、と前にも聞いた声で。見ると、分厚い前髪で顔立ちもわからない男性が血まみれの隼人に肩を貸していた。


「ボクら、いったん離れるよ。いい?」


 そこには、隼人の流す血に闇の気がたかり出している光景があった。声にならない悲鳴を上げた美桜は、とっさに皐月という男性の腕から転がり落ちるようにして隼人にかけ寄った。


 わずかに目を上げた彼は、意識があるようだった。そして、その意志を確かめることもせずに、内心の罪悪感を殺して落ちた手からその脈筋に口を付けた。……ほんとうは、頸動脈とか、血管の太い箇所のほうがよいのだろうと思ったが、どうしてもひるむ思いがあった。


 男性に対する恐怖はもちろんあったが、それよりも──。他人が自身の中に踏み込んでくる感覚。それを美桜も自分で味わってしまって、精気を吹き込む行為に抵抗があった。

 しかし、今は生命優先、と思いっきり精気を吹き込んだ。


 大きな──、ため息のような息が吐かれた。意識が朦朧としかけていた隼人が、間近からはっきりと意志のある目で美桜を見返してきた。それは、数分前にはじめて対面した時と変わらない様子で。


「……姫さん──美桜さん」


 ありがとな、と恥じるような声音と礼に、美桜もボロボロと涙をこぼした。目の前で命が失われる光景は二度とごめんだった。そして、シュウを息子のように可愛がる人の命を守れたことに安堵して。


「すげ……」と、つぶやいたのは、隼人を抱えていた顔立ちのわからない男性だ。斬られた痕にまだ痛そうな様子を見せながら、それでも意識をクリアに自身の足で立った隼人に、驚愕の様子を見せた。

 美桜は色々な思いで感情の制御ができなかった。


「隼人さ……ごめ、なさ……」


 彼女を守ろうとして、こんな目に遭うなんて。シュウの時にも感じた思い。しかし、今回はその同族の手によって深く傷付けられた。聖魔ってなんなのだ、と前にも思った憤り。


 色々な思いと罪悪感で、苦しい空間に息が続かなかった。精気を分けたことで、さらに次の空気が足りなかった。闇の気が充満し、祓われず身近にあった中では特に。


 崩れる身体を、皐月と名乗った男性が受け止めた。再度抱え上げて、彼女にまとわりつく闇の気を祓いながら一旦空間から脱しようとし──濃厚な闇の気に彼らも息を呑んだ。


 すでに、世界は真っ黒に塗りつぶされている。もはや、壁一枚隔てた住宅街の景色も見えないほど異質な空間。そこは、彼らでさえもめったにお目にかかることがない、闇の空間だった。


 皐月も他の者たちも息を呑んだ時、その闇から声が出た。クスクス──、と場に反響する子どもの声で。

 姿を見せないまま、声は出る。ありがとう、と。


「ずっと、お姉さんの気配が見づらかったんだ。その上、いきなり綺麗に消えたからさ……下っ端に探らせてたら、突然、見えるようになった。何かと思っちゃった。でも、ありがとう。おかげでこんなにスムーズに事が運べたよ」


 ほんとうに、とそれは楽しそうな子どもの声。美桜はもう覚えてしまった──閻鬼と呼ばれる妖魔のもの。

 それは次いで、驚愕する言葉を紡いだ。美桜の中にも沁み込む毒で。


「きみらのほうでお姉さんの護衛を追っ払ってくれるんだもの。それも、最も厄介な鷹衛の迅に、刺国若比売命の下僕までね……!」


 アハハ、と高らかに笑声が上がった。それはほんとうに、おかしくてたまらない、という風に。


「聖魔ってさ、もしかして、ただ生き長らえることに固執するあまり、退化していってない? 刺国若比売命の下僕まで、きみらで始末してくれるって……もうホント、ボクらにとっては、どれだけお礼を言っても足りないぐらいだよ!」


 暗闇の中に、激しい轟音が響いた。地をふるわす威力のあるもの。悲鳴を上げそうな恐怖をこらえ、美桜はしかし、聞き捨てならない言葉に震撼とした。


 ──刺国若比売命の下僕を始末する。聖魔の手で……。


 なにそれ、と愕然とした思いで、自分を抱える存在にも恐怖に似た思いを抱いた。上級聖魔である彼らが、戦闘兵を下に見ている認識は、この短期間でいやと言うほど見てきた。戦闘兵の命は、彼らにとって雑兵、駒程度にしか捉えられない。それなのに。


 刺国若比売命の下僕であるシュウを、さらに始末する──? 戦闘兵だから。その命に重きを置かれないから、そんなことをしてもいい、と。


 それで? 美桜に次の下僕を作らせる? 彼らが選び、納得する上級聖魔で……?


「なに……それ」


 シュウがこの場から飛ばされたのは、九重が美桜の身を狙ったからではないのか。もっと違う、別の思惑があったのか。


 とっさに自分を抱えた皐月の腕を拒絶して転げ落ちた。彼からあせった様子は出たが、強くとどめられはしなかった。美桜さん、動くな、と隼人がすぐさま彼女を掴んでとどめる。

 落雷と同時に、前にも見た一つ目のバケモノが何頭も現れていた。


 隼人がはじめのように彼女の身を抱えていつでも動けるように構え、その前後を皐月と睦月が囲んだ。クスクスと響く闇の空間の中で、隼人が小さく口にする。──美桜さん、と。


「十二節は疑わなくていい。この人たちはシュウを仲間として扱っている。むしろ……疑惑を向けられるのは、俺ら戦闘兵のほうだ。おそらく、あんたの住まいを一条家にリークした者がうちにいる」


 え、と驚愕する美桜に、隼人の顔は苦々しそうだった。認めたくねえが、と腹立たしさと痛みをこらえたような表情。それを肯定したのは、風貌の知れない睦月という聖魔だった。

 だろうね、と口調はあっさりとしながら、的確に状況を分析する。


「お姫さんの情報はうちの中でもトップシークレットだ。護衛も厳選してた。隼人たち隊長格と副長、その他一部の者以外には……。ボクら十二節だって、五大家会合前に不用意に接触すると、貫成さまの落ち度になりかねなかったんだ。使い魔以外は遠慮してた」


 これでも、と口をとがらせた睦月は、いやそうに続けた。見えないキーボードを打って情報整理するように。


「刺国若比売命の下僕であるシュウを邪魔に思う者。其の一──妖魔と妖鬼将。其の二、刺国若比売命の下僕という立場を狙う他家の者。其の三、戦闘兵から逸脱した立場と能力、それを妬む同位の者。──今回の件は、其の三が一条家へ情報を漏らし、其の二である九重が動き、其の一である妖鬼将が隙を突いた」


 いやぁ、と睦月という聖魔の声は冷ややかな嘲笑を含んでいた。まったく、笑えないね、と。

 冷静な声は皐月という男性だった。情報分析は後にしましょう、と。


「来ます──」








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― 新着の感想 ―
[良い点] シュウが戦ってる方が九重本体ってことですかね? シュウがんばれ…!愛だ、愛だよー! てかミオの無効化ってコントロールできたら最強なんじゃ。。 [気になる点] えーっと十二節の中には聖魔も…
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