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桜風記  作者: 由唯
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下総の罠 1




 ここ、美桜ちゃんの部屋や、と案内された室内はベッドと鏡面台のあるホテルのような一室だった。そのベッドの間近に置かれた見覚えのある自身の荷物に、美桜はかけ寄った。


 貴重品やその他、朝見たものと変わらないそれにホッと息をついた。何か入用なものはある? と絢音に聞かれて、美桜も可能性にかけて聞いてみた。


「スマホの充電器って……ありますか?」


 うん? と首を傾げた絢音が機種は? とくったくなく確かめてくる。その様子に、聖魔も現代で暮らす人たちなんだなとあらためさせられる。


 うちのと同じや、充電しといてあげるわ、と絢音に請け負われ、美桜もホッと安堵してお願いした。その間にお風呂に入っとき、とうながされ、先のお山で使用したスウェットと洗面具一式を持って絢音に続いた。


「うちのお着物、貸したげるのに」


 なぜか不服そうな絢音に、美桜も苦笑いでお礼を言うにとどめた。そろそろ、普段と同じ格好に戻りたい。

 絢音の横にはちょこんと先にも見かけた子どもがいて、彼らの養い子かな、と美桜は思う。その視線を受けて、絢音はくったくなく笑った。この子は、うちの式神や、と。


「え……」

「ここには、うちとユキさんしか住んどらん。手伝いのための式神はいるけどな。使える術式もちょっとだけや。美桜ちゃんたちは、久々のお客さまなんよ」


 目をしばたたく美桜に、絢音はおかしそうに笑った。やわらかに新人を受け容れるおおらかさで。


「美桜ちゃんはまだまだ、知らんことが多いんやな。式神は聖魔の術式のひとつや。元は四条家が生み出したもんでもある。四条家の者には、逢ったんやったか?」


 はい、と厳しくも美桜を気遣ってくれた白祢を思ってうなずいた。そう、と絢音は少しだけ困った顔をする。


「美桜ちゃん……四条家と一条本家には気い付け。四条家は、魔と男を隔絶する家や。あの家に行ったら、俗世とは隔離されて、現世には出て来れんようになる」


 え、と息を呑んだ美桜に、絢音はやはり困った顔のまま告げた。一条本家は、言わずもがなや、と。


「あの家は、はみ出る者を絶対にゆるさへん。汚点は何がなんでも消そうとする。うちのユキさんは、九重に殺されそうになったわ」


 鋭く反応した美桜に、絢音は当時の怒りを押し殺したような、複雑そうな顔を見せた。そして、堪忍な、と何も知らない美桜に先入観を与えてしまうことを詫びるように。

 うちは、とつぶやくそこには、何年経っても消せない、絢音の怒りがあるようだった。


「うちは、絶対、あの家だけはゆるさへん」


 驚きととまどいで揺れる美桜に少し息をついて感情を入れ替えると、はじめに見たやさしい笑みでにこりと告げた。


「まあ、うちらの歴史はおいおい学ぶといいわ。美桜ちゃんの伯父さんにやて、隠してることはあるようやしな。ひとまず、お湯に浸かってきなはれ」


 え、とさらに聞きたいことが増えた美桜だったが、案内された脱衣所で着物の始末の仕方などを説明され、式神という子どもと二人にされた。とまどったが、子どもに着脱を手伝ってもらいながら、広い湯殿に浸かった。


 お風呂を上がって、着物の後始末は式神とやらに滞りなく済まされていて、美桜はいたたまれなかった。


 木曽の香名子からもらい受けたお着物だから、丁重に扱ってもらえるのはありがたいのだが、至れり尽くせりもここまでくると、どうにも居心地が悪いというか……何か裏を疑ってしまうのは、美桜の小市民思考だろうか。


 湯冷ましをもらって部屋へ戻る途中、シュウと霜月に行き合った。話し合いはどうやら終わったらしい。タマは? と訊くと、伯父のところへ戻ったという。そのまま別室へ向かう二人に、美桜はあの、と呼び止めた。


「……如月さん。ちょっと、話、してもいい……?」


 感情の読めない眸で瞬いたシュウが霜月に目礼して、二人だけになった。とりあえず、美桜は廊下ではなんだし、と提供された自室に迎え入れる。応接セットはないので、自分はベッドに座ってシュウに鏡面用の椅子を勧めた。


 その椅子も手狭なように、シュウの長い手足がもてあますように目の前で組まれている。ちょっとほほ笑んだが、いつものような重苦しい沈黙に、美桜は意を決するように意識して息をついた。

 あのね、と朝の話し合いの時からずっと心苦しく思っていたことを。


「──ごめんなさい」

「…………」


 頭を下げた美桜に、シュウはやはり変わらぬ沈黙を返した。おそらく、美桜が謝っている内容が不明なように。彼は、そういう意識が染み付いているから、と美桜もあらためた。


 伯父に命じられた役目。戦闘兵としての使命。

 それらにほんとうにやるせない思いをしながら、言葉を紡いだ。これから、さらに彼に大変な思いと苦労をかけるのだろうと、彼女にも想像がついて。


「鬼沙羅って妖魔に、新たに狙われることになった、って。……わたしが、不用意なことをしたから──」


 宗興の呪いを解いたことに後悔はない。あの時は、ああするしかなかった。美桜は、シュウの命を留めたかった。けれど、そのために、シュウには新たな危険と苦労をかけることになった。おそらく──これまで以上の危機に。


 シュウはただ、伯父の命で美桜の下僕にされてしまっただけなのに。彼がいくら、今は自分の意志だと言ってくれても、あの時がなければ、彼はこんな大変な目に遭わずに済んだ、という思いが美桜にはどうしても消えない。


 だから、罪悪感いっぱいで頭を下げた。ごめんなさい、と。


 すると、目前の気配がふいに、今まで以上の怒気をあらわにした。おびえる美桜の前で、音を立てて椅子が倒される。あなたは……! と、強く肩がつかまれて、美桜は男性の力に恐怖した。


 それを見て、シュウにも自省する色が出る。手を引いて拳を握り、彼の内で渦巻く感情をどうにか制御しているようだった。


「……なぜ、あなたが謝るんです」

「だって……如月さんが」

「自分じゃない……!」


 強く返されて美桜も身を引いた。その彼女のおびえを感じたように、シュウも一歩を下がった。まるで、彼女をおびえさせないように。美桜の内にある、男性への恐怖を慮っているように。

 大きな息で感情を殺しながら、言葉を口にした。


「狙われているのは、あなただ。あなたは、俺や妖魔の命は気に掛けるのに、自身の命は気に掛けないのですか。それは、矛盾していませんか」


 うん……? と、美桜もちょっとあらためた。


 自分が行った行為に後悔はない。その結果、下僕であるシュウに多大なる危険を背負わせることになった。──けれど。もともと、美桜は狙われていて、そこに新たな妖魔が加わった。シュウは護衛だから、狙ってくる妖魔が増えようとなんだろうと、彼女を守るだけ。


 それよりも、自分の身を考えろと、シュウはそう言いたいのだろうか。色々と煩悶しながら、美桜は申し訳なくシュウに目を上げ、もう一度謝った。


「あの……ごめんなさい。……じゃなくて、あの……」


 美桜を守るために闘ってくれる彼に返せる言葉はどれだろう、と探して、それを口にした。少しでも、思いが伝わるように。


「あの……ありがとう」


 すると、シュウからは突如として大きな息が吐かれた。まるで、彼の身体の半分の空気が抜けたような。

 そして、そのままそこに片膝ついてしまって、美桜もビックリして立ち上がり、彼の向かいに膝をついた。如月さん? と。すると、鋭い目が上がった。はじめの時にも見た、大型の肉食獣のような鋭く圧倒的な眸。


 射貫いた相手を捕食する目。逃げ場なくとどめる強さ。それが、何かをつぶやいた。

 ……え? と呑まれたまま聞き返す美桜に、どこか苛立ちもひそませて口にした。


「如月は、巽家の役職名です」


 ああ、と思い出して口にしかけて、……え? ともう一度彼を見返した。そこにある強い眸を見て、怖さを感じるはずなのに、なぜだか可愛らしい思いで笑いが込み上げてしまった。


 その思いのまま、「──シュウ」と口にしたのが、たぶんいけなかった。


 左腕が彼女の腰をさらって、肉食獣が首筋に噛み付いた。ひゃっ、と反応した美桜にお構いもせず、頸動脈から精気が吹き込まれる。シュウ独自の、熱く体内を駆け巡って絶頂に追い上げるもの。


「……っ」


 声にならない声でそれに酔わされた美桜は、いつもの通り息切れを起こした。くたりと力が抜ける身体も思うままにならない。

 そして、そんな彼女をシュウが抱えて元のベッドに座らせ、彼女の息が落ち着くまで支えているのも。


 呼吸と思考が戻ってきて、美桜はやっぱり羞恥心で物申したくて仕方ない。でもきっと、彼は聞き入れてくれないとわかる。でも言いたい。精気を分ける時は、事前申告を──! と。


 はぁ、と大きな息をつく美桜から手を離して、シュウは目前に片膝をついた。いやにかしこまっているな、と思うと、彼の面は深刻だった。


「お聞きしてもいいですか」


 うん、と美桜もその深刻さに呑まれると、シュウは少しためらいを見せたが、それでもたずねてきた。


「──新たな下僕を、作られるのですか」


 ん? 美桜は二回目の答えに瞬きした。美桜はシュウ以外に下僕を作れないとタマが言っていたはずなのだが。

 シュウの怖いぐらいの目に美桜もとまどった。宗興さんのことかな、と。えーと、となんと答えたものやら、美桜も迷いながら返した。


「あの人は……きさ……シュウに、術式を教えるから、その間だけ近くにいる、って言ってたの。守りたいとは言われたけど……あの人はたぶん、自分を縛ってきたものが大きくて、それから解放されて、今色々と目新しくなってる……んじゃないかな。これからたくさん、いろんな人と出逢って素敵なものを目にすれば、下僕なんて忘れると思うし……それが一番いいって、思う」


 だいたい、下僕なんて関係、対等じゃない。シュウに対してだって心苦しい思いがあるのに、他の人を受け容れるなんて、美桜には到底無理だ。タマが無理と言わなくても、美桜はこれ以上、そんな関係の人を作る気はなかった。


 すると、シュウが目の前で大きな息をついた。


「あなたは……」


 そうつぶやく声にはタマみたいなあきれた様子が込められていて、美桜も少なからずショックを受ける。年下の青年にもあきれられるほど、自分はダメダメなのだろうか。

 もう一度息をついたシュウが、眸に強い悔恨を込めて見上げてきた。


「自分のほうこそ、詫びなければと思っていました。自分があの時、もっと違う戦い方をしていれば、あなたに無理をさせることはなかった。……鬼沙羅に、目を付けられることもなかった」


 でも、と美桜は思う。伯父が本条家と取引をしていたのなら、結局美桜は狙われることになっただろう。遅いか早いかの違いだけ。


 シュウもそれはわかっているのだろうが、護衛としての彼には悔いがあるようだった。あなたは……と強い悔いを見せるように眸を伏せて唇を噛み、ややしてそれを解いて言葉にした。


「俺が未熟で頼りないから……不安になられたのかと、思いました」


 だから、他の下僕を作ろうとしたのかと。言葉にしない声が聞こえて、美桜はえ、とビックリして思わず彼の間近に膝を折った。


「きさ……シュウ?」


 堅い殻に閉じこもってしまったような様子を見て、美桜もちょっと困った。


 聖魔は長命の種。他の聖魔から見たら、二十年ちょっとしか生きていないシュウは、未熟にしか見えないのだろう。今朝の会談でも散々言われたことを、もしかしたら美桜がいない間にも言われていたのかも知れない。

 あの、と美桜もそっと口にした。


「き……シュウの戦い方は、正直、わたしもイヤだけど。でも、あの、シュウ以外がよかったなんて、思ったことないよ」


 かすかに反応した眉宇はひそめられていて、美桜も正確にその反問を理解した。


「そりゃ、一度護衛を外してもらうとは言ったけど! あの時はホントに怖くて……シュウが、死んじゃうって思ったから。もうイヤだって……」


 美桜は口にしながら、自分の中で踏み込んではならない箇所に触れた気がした。それで、その先には蓋をした。

 息をついて意識を切り替え、あのね……、とまだ迷っていたもうひとつの事案を思い切って口にする。


「あの……相談というか、提案というか──あの、シュウがよければ、なんだけど」


 その言葉に訝しそうに目が上げられる。恥ずかしさをこらえながら、美桜は考えていたことを口にした。


「シェアハウスの家を探して、あの、一緒に住まない……?」


 シュウの目がめずらしく大きく開いた。美桜も恥ずかしさと自身の内にある恐怖を乗り越えるように、考えを伝えた。あの新幹線の夜から様々に思っていたこと。


「わたしも、今回のことでこのままじゃいけないんだな、って実感したの。でも……やっぱり、仕事をやめる踏ん切りはつかない。おじさんや巽家に、何から何までお世話になるのは、違うと思うし。だから、シュウにはやっぱり、苦労や面倒をかける……のは、変わらない。それでも、あの、シェアハウスなら、って思ったの。……シュウがよければだけど」


 自信なく見返すと、静かに聞いていたシュウが口を開いた。


「苦労や、面倒だと思ったことはありません」


 ……命じられてるもんね、と美桜は小さく悲しい思いで息をつく。すると、あなたは、とシュウが案じるような目で美桜にたずねてきた。


「本当にいいのですか? ……ご自分の生活を、変えても」


 伯父が守ってくれている日常を変えてもいいのか、と。美桜にも苦い笑みが浮かんだ。この一週間足らずの間に起こったことを思えば、住まいを変えるぐらいのこと、なんてことない。

 うん、とうなずくと、シュウの片手が美桜の腕をつかんできた。


「自分は男です。それをわかっていますか」


 ドキリと鼓動が跳ねた。なんでかあせる気持ちを抑え込んで、美桜もためらっていたそれに向き合った。


 美桜はまだ、やっぱり男の人は怖い。なるべくなら関わり合いたくない。だから、そういう状況はできるかぎり避ける。自身の生活圏に入れるなんて、もっての外だ。シュウはそれを察しているから、本当にいいのか、と言っているのだろう。でも、と美桜も改めたのだ。


 自分が狙われる身なのは、嫌というほど理解した。そのために、シュウをあれだけ危険な目に遭わせた。嫌だとか怖いとか、そういう自分一人の思いに縛られていてはいけないのだ、と。


 うん、ともう一度うなずいた。逃げてばかりじゃなくて、ちゃんと克服していかなきゃ、と。


「シュウなら、いいよ」


 鋭く強い眸が、はっきりと揺れた。驚きと、なにかわからない強い感情が眸の奥に見えて、美桜がそれに瞬きすると、再び首筋に噛み付かれた。きゃっ、と美桜はさすがに抵抗した。

 こんな短時間で二回も必要ない! と。


「シュウ……!」


 ちょっと! と抗議しても、頸動脈からゆるやかに熱は上がってきた。力が抜けるほどではなかったが、美桜がもう一度怒ろうとすると、その彼女の肩口にシュウの額があった。


 なんとなく……どこか、甘えるように。気をゆるしたように。しかし、紡がれた言葉は彼女を咎めるものだった。


「あなたは、無防備過ぎる」


 は!? と美桜も恥ずかしさのあまり感情がせり上がった。自分からやっておいて! と。

 すると、肩口からは苦しそうな声も紡がれた。


「無闇に精気をふりまかないでください。……お願いします」


 ひどく真摯な響きがあって、美桜もせり上がった感情が消えた。ふりまいたりしたっけ……? と自身の行動をふり返る。

 その前で静かに顔を上げたシュウはいつも通りの強面で、ほんとうに今そのセリフを言った人かと空耳を疑ってしまう。けれど、返してきた言葉は今までの内容だった。


「一匠さんの手が空いたら話をして、土地を探します」


 土地? 物件じゃなくて? と美桜は目をしばたたかせたが、伯父の名前で思い出すものがあった。


「シュウもこの後、妖魔退治……に、行くの?」

「はい」


 迷いない言葉が美桜にはやはり怖い。霜月からは、美桜はこの家から出るなと言われている。シュウがどんな無茶をしても、彼女にはわからない。

 霜月が一緒なら大丈夫だろうとその言動から信頼があるが、それでも美桜はぎゅっと唇を結んだ。その彼女に、大丈夫です、とシュウが告げる。でも美桜は、彼のその言葉はもう信じられない。


 頑なな様子に間近のシュウも少しためらう様を見せ、そして息をついた。本当です、と。


「自分が無茶をすれば、あなたも同じことをする。それが、よくわかりましたから」


 なぜだか赤面する思いで、落とした目を上げた。そこにめずらしくやわらかな表情のシュウを見て、美桜もちょっとその言葉を信じる気になった。


「……絶対?」


 シュウも静かにうなずいた。はい、と。


 その彼に、美桜は膝を乗り上げて肩に手をつき、首筋に口付けた。頸動脈から精気を分けて、唇を離す。

 どこか苦しそうな、まぶしいものを見る目で見つめてくる眸に、美桜も懇願するように返した。


「無茶しない。絶対、約束ね」──とひたむきな思いで。







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