呪いと甦り 2
シュウは室内を見渡して別室への扉を見、踏み込んだ先の洗面所で身繕いをした。包帯をすべて取り払ったが、身体のどこにもやはり損傷はない。そして、美桜の精気が身体の隅々にまで行き渡っているのを知る。
どうやら、主である彼女にかなり無茶をさせたらしい。小さく息をついて室内へ戻り、再度顔色を確かめたが、やはり疲労困憊な様子だけがあった。
迷ったが、これ以上精気を分けても、おそらく彼女の負担にしかならないだろう。もう一度息をつき、枕元の水差しから水を飲みほした。
そうして、改めて邸宅内に気配を配る。
慣れ親しんだ存在がいるのは、途中からわかっていた。もとより、その気配が近付いていたから、自分は戦闘に没頭してしまった。それが、妖魔との本格的な戦いをはじめて目にした彼女には、大きな衝撃だったのだろう。それで、全力で拒まれたらしい。
耳を澄ませると、音を立てて近付いてくる人物がいた。畳の先、廊下への障子がスパンッ、と明け放され、器用に片足でそれを行った人物が、「おう!」と行動のままの声を発した。
「起きたか、バーサーカー。まあ、気配でわかったけどな」
ほら、と男は自身の状態を示した。片手に湯気の立ったお膳、もう片手には大きなお櫃と、彼の食欲を示すものを提示してきた。
その存在を認めて、なるほど、と彼の中でも理解できた。巽家とは異なる、大きな杉の大木に囲まれた深緑の気配。──木曽の本条家。
ずかずかと歩み寄ってくる男に立ち上がって進み、廊下から二畳ほどの位置で止めた。お? と眉を上げた表情から、男がニヤリと笑う。
「おまえと交替に、今度はお怒りの姫様が倒れたか。まあ、昨日の朝からほとんど飲まず食わずの状態だったしな」
息を呑んで寝所に伏した彼女をふり返った。おまえに付きっきりだったんだぜ、感謝しな、と男は告げると、その場に腰を下ろした。
「まあ、今はとにかく寝かせてやれ。睡眠は何よりの回復剤だ。おまえはとりあえず、飯を食え」
激しい後悔と焦燥で身の内は荒れたが、すでに疲労困憊状態なのはわかっていた。男の言う通り、今はただ寝かせるしかないのだろう。
小さく苦い息をついて感情を逃し、進められたものへ向き直った。お膳を前に正座し、軽く頭を下げてから暖かい食事にありつく。
見る間にお櫃を空にする勢いのシュウをながめ、目前の聖魔──剃髪の僧侶が昨日未明の出来事を語った。おまえは知らないだろうから、と。
それで、彼にもようやく、彼女があそこまで頑なだった理由を知った。本当に、自分は危うかったのだと。だが、と剃髪の僧侶が片膝立てた砕けた姿勢で続ける。
「おまえは助かった。──つか」
男は自身の頭を一撫でして自省を示した。
「オレは気配とか、術式の類は不得手なんでな。おまえがあの制限された術の中で、どんだけ頑張ってたか知らなかった。……悪かった」
それは、男の実直さを示すものだった。戦闘兵相手に、聖魔である彼がその頑張りを認めるもの。
シュウにも少し意外な思いだった。本条家の聖魔の姿を見かけたことはあっても、言葉を交わすのはこれがはじめてだった。上級聖魔の中にも色々な者がいるのだと知った。
男は口にする。
「おまえ、すげーよ。閻鬼の術なんて、オレだって避けたくなる。おまえはその中で逃げずに戦った。たった一人で。そのお姫さんを守るために。──おまえのその戦闘兵にはあらざる力も、改めてわかったぜ」
ふいに、男の双眸が鋭く光を宿す。どこか面白そうに。
「──刺国若比売命」
小さく反応したが、シュウは強い眼差しのまま返した。静かな視線のあと、黙々と食事を続け、十数分足らずでそれらを完食した。箸を置き、頭を下げたシュウに、ククッと小さく笑った男が腰を上げた。
壁添いの区画から棚に同化した冷蔵庫を開け、そこからペットボトルを取り出す。一本をシュウに放り投げ、もう一本の封を切って口をつける。そして再度、彼の前へ戻った。
おまえ、と言葉と眸は愉快そうに彼を見ている。
「刺国若比売命の下僕だな」
静かに黙したまま答えないシュウに、男は自分から名乗りを上げた。その内の実直さを示すように、それはどこかあっさりと。
「オレは、木曽の本条家に籍を置く、上松條六郎之介宗近という。バーサーカー。おまえの名はなんと言う」
「巽家……十二節が一人、如月シュウです」
ふん、と剃髪の僧侶は自身のことを六郎でいいぜ、とくだけて話す。
「巽家は二十年前の若狭戦で多数の死傷者を出したな。十二節にも半数、欠員が出たと聞く。それで、おまえみたいな若手の戦闘兵がそれを名乗っていたのか。各家の人員不足は、ほんとうに深刻だな」
それは、シュウの知らぬ歴史だ。だが、彼の言う通り、その戦いがあったから、自分は補充されたのだと教えられた。戦闘兵の中から特例として。
それで、と六郎は面白そうな色を隠さない。
「おまえは、なぜ刺国若比売命の下僕に選ばれた?」
静かに黙する彼に、六郎はあっさり笑った。フェアじゃなかったな、と。大きく息をつくと、ペットボトルの水をもう一度強く飲み干して、呼吸を改めた。
そして告げた。彼らにとっては震撼とする出来事を。
「──昨日、鬼沙羅の奇襲があった」
「……っ!」
シュウに走った衝撃を彼も理解するようにうなずいた。
「昼日中、堂々と北門から来やがった。おそらく、兄者にかけた呪いが解かれたのを察知したんだろう。宗興を出せ、とそれはすげー剣幕だった。門前で相手取ったが──北棟一帯が吹き飛んだぜ」
とっさに寝所の彼女をふり返ったが、そこには──ここには、何も問題はなかった。守護の地盤を揺るがされた跡も、目に見える破壊の後も。
シュウの懸念を察したように六郎が失笑する。
「この部屋は本条家、奥だ。鬼沙羅なんかに踏み込ませやしねえよ」
それに、とその面が一転、うれしそうにほころんだ。
「兄者が相手をした。すごかったぜ。おまえにも見せたかった。妖鬼将相手に一歩も引かねえ。それどころか──以前と比べものにならねえ術力で鬼沙羅を圧倒した。あいつ、ここに来る前に一戦交えてたらしくてな、手傷を負ってた。それに、聖魔の本拠地に乗り込んできたのが馬鹿の見本だ。この地はオレらに有利だ。本条家の術者に加えて、ちょうどおまえんとこの聖魔も来てたからな。鬼沙羅に逃げ場はなかった」
それは、彼にも心沸き立つ瞬間だった。妖魔──それを統べる妖鬼将と呼ばれる、幾度も生まれ変わる彼らを仕留める、決定的瞬間。
久しくない興奮を覚えたその時、六郎の顔がそれは苦そうにゆがんだ。歯噛みをしそうな、内にたまった悔しさを。そして、室内全体が揺れるほど、強い拳が畳に打ち付けられた。
「あと……あと、一歩だった」
「……何があったのですか」
クッとゆがんだ面がふりしぼるような声を紡いだ。有り得ない一言を。
「王が現れた」
「…………」
シュウは一瞬、沈黙で返した。六郎はその前で自身の言葉を否定するように首をふった。いや、と。
「あれは王じゃない。王ではない……おそらく」
口にするのは自身でも信じられない響きがあった。
「聖魔だ」
眉宇が寄ったシュウの怪訝さを、六郎も察したようにため息で返した。そうとしか言いようがねえんだ、と。
「オレたちは同族がわかるだろ。あいつを見た瞬間に、聖魔だとわかった。だが、見たこともねえ奴だ。力が──異常だった。闇の気や妖魔を操った。妖鬼将みたいな半端ない威力でだ。さらに、オレたち聖魔が使う術式も使った。……もしかして、とは思った。文献にしか載ってねえ、妖鬼将の最後の一人、羅生鬼かと。しかし、名乗れと言っても一言もしゃべりやがらねえ。それに」
六郎は忌々しそうに顔をゆがめた。
「殺意がなかった。オレたちを殺す気は、微塵もないようだった。現に、だれも死んでねえしな。オレたちと敵対する妖魔、妖鬼将にはあり得ねえだろ。あいつは鬼沙羅を取り戻して、さっさと退散しちまった」
大きなため息で、六郎は片手で頭を抱えた。その袖口からは包帯がのぞき、彼らの戦闘の跡を垣間見せる。
シュウも少し考え込んだ。先のお山で耳にした、妖鬼将を統べる妖魔の王。それが現れたのかと思った。だが、六郎はあれは王ではないと言う。彼はその存在の生誕を知らないからだろうか。
もう一度大きな息をついて、六郎は気持ちを切り替えたようだった。顔を上げてシュウを見返す。
「ジジイたちは今、その事実と後始末でてんやわんやだ。加えて、おまえらの存在も知れ渡ったしな。それで……如月シュウ。刺国若比売命の下僕としてのおまえに、ひとつ詫びなきゃならねえことがある」
軽く目を細めた彼に、六郎は苦そうにそれを口にした。
「鬼沙羅が最後に、怨嗟の声を上げていた。──刺国若比売命、ゆるさない。絶対に殺してやる、と」
「……!」
息を呑んだ次には疑問の声が出ていた。なぜ、と。なぜ、鬼沙羅が美桜個人に狙いを定めるのだ。
六郎がニヤリと笑った。どこか詫びるように──だが、退かない者のように。
「言ってなかったな。兄者の術でおまえの命は繋ぎ止められたと言ったが、兄者は鬼沙羅の呪いで術式は使えなかった。兄者の呪いを解いたのは、刺国若比売命──そこのお姫さんだ」
大きく息を呑み、横たわった彼女をふり返った。自分を救うためになんてことをしたのだ、と彼女を責める思いと同時に、そうではない、と自身への激しい悔恨で焼き切れそうだった。
シュウがおのれを犠牲にする闘い方をしたから。それが何よりの原因であると、自身でわかっていた。
彼女は見捨てないのだ。自分が心にかけたものは決して。それが例え、妖魔であろうと、自身を傷付け、いまだにおびえている男という対象であっても。たすけようとする。絶対に見捨てない。
「……っ!」
クソッ、と血がにじむ思いでシュウは両手を握りしめた。おのれをこそ、殴り倒したい思いでいっぱいだった。
六郎は静かに問いかける。なあ、と。
「おまえとその姫さん、できてんのか?」
意味がわからず、抱えた感情のまま殺意に満ちた目を上げていた。六郎が半ば本気のように引きつった顔で身を引く。
「いや……お姫さんがなんか、すんげー必死だったからさ。お姫さんにおまえの百雷のにおいが染み付いてるし……おまえらできてて、それで下僕なのかな、と思ったんだよ」
今度はシュウが大きな息をついた。身体中から自身への殺意を逃がすように。
「そのような関係ではありません」
六郎が先に問うた、刺国若比売命の下僕になった理由は、という疑問がそれなのだろう。シュウと美桜が想い合う関係だからか、と。……自分はたまたま、あの時──あの場に居合わせただけだ。一匠に預けた命を、あの人が美桜のために使わせてもらう、と言った。
それに否やはない。むしろ、今はあの場に居合わせたのが自分でよかったと思っている。──先に、彼女に告げたままに。
苛立つ息をついたのは、自身の認識の甘さにだ。彼女は人が好すぎる。目の前で失われる命を見捨てることができない。それを自分はわかっていたはずなのに。
苛立つ思いで歯噛みすると、六郎がふーん、とあっさり返した。
「まぁ、それならそれでいいわ。つか、都合がいいな」
怪訝な思いで見返したシュウに、六郎はくったくなく言葉を紡いだ。
「そのお姫さん、兄者の嫁にくれよ」
瞬時に、紛れもない殺意が六郎に向かった。六郎もあわてたように足りない言葉を継ぎ足す。
「だからよ、お姫さんは鬼沙羅に狙われる身になった。オレらとしても責任は感じてる。兄者を救ってくれた恩もある。守ってやりてえ! ホントだ。だから、いっそのこと、兄者の嫁になって本条家の者になってくれたら、色々……一番、手っ取り早いと思ったんだ」
兄者の子ども、見てみてえし、と余計な一言がシュウの殺意をさらにつのらせる。いや! と六郎が本気の焦りでシュウに断った。
「姫さんの下僕であるおまえももちろん、うちで受け容れる。つか、おまえ、あとで手合わせしようぜ。おまえの力、すげーわ。なんか、オレら聖魔と対等──いや。もしかしたら、それ以上じゃね?」
六郎は、興味のある対象にはすぐに入れ込む性質なのだろう。シュウが殺意を押さえて再び息をつきそうになった、その時だった。
「──この、タコ坊主」
するりと影から姿を現わした使い魔がいた。シュウも目をみはった。一週間ほど姿を見せなかった真白な猫──一匠の使い魔。
その名を呼んでいいのかためらった刹那、鋭い目が彼ら二人に向けられた。
「医者と看護師を呼んで。今すぐ」
は? と少し抜けた返答をしたのは六郎だ。眉根を寄せたシュウにも、一匠の使い魔──タマは冷ややかな、怒りをはらんだ目を向けた。
「はじめに一匠が言ったわよね。美桜は、普通の人間と変わらないんだって。ここまで無理をさせて、さらに、鬼沙羅の呪いを解かせた──? あんたたち、美桜を殺したいの?」
いや、と思わず口にした六郎を射殺すような殺気が飛んだ。
「美桜を、あんたら体力馬鹿の聖魔と一緒にするなって言ってんのよ。医者と看護師。さっさと呼びなさい!」
逆らえない教官からの一喝を受けたように、直立不動した六郎が、次いで部屋の外へ飛び出していった。シュウはすぐさま彼女の枕元へ飛び、精気を分けるためにその身を抱えた。そこを、またも鋭い声が止めた。
「ダメよ」
一度ふり返ったシュウに、タマの強い目がその行為をとどめた。
「あんたもわかってるでしょ。穢れが祓われた場所での、傷付いているわけでもない身体に、過剰な精気は負担になる。今は、ただでさえ体力が落ちているし……。たぶん、これから熱が上がるわ。とにかく、滋養と体力を戻さないと」
少し、愕然とした思いがシュウにわき起こった。今の彼には美桜の精気が行き渡っている。なのに、自分はそれを返せない──?
疲労困憊の状態。だが、その疲労の元が原因なのだと使い魔は言う。自身に与え続けた精気。確かに無理をさせた。だが、もとはその前。──妖鬼将、鬼沙羅の呪いを解いたから。そこですでに負荷がかかっていた。
「……っ」
歯軋りをした彼に、まるで断罪するような声がかけられる。それはいっそ、無慈悲な様で──シュウ、と。
「あんたたち戦闘兵は、使命を果たすことを絶対と教え込まれた。その是非を問う権利も意義も、私にはない。でも──先のお山でわかったんじゃないの? 美桜は見捨てたりしないわ。あんたたちみたいなものを」
誰からも軽く扱われ、見放される存在を。
「…………」
「あんたが倒れたら、誰が美桜を守るの? さっきの、兄者の嫁とかほざいてた奴ら? 他の見も知らぬ相手? あんた、それでいいの?」
それは彼の培われた認識の根幹を揺さぶるようで、しかし、ともすればそこから逸脱することを唆してもいるようだった。
「ちゃんと、考えなさい、シュウ。一匠に言われるがまま、従っているだけじゃダメよ。あんたは美桜の下僕なの。美桜を守るためにどうすべきか。今までみたいな──戦闘兵の闘いを行ったらどうなるか、わかったでしょう? ちゃんと考えて。あんたが次に倒れたら、今度こそ美桜は──妖魔に殺さるか、彼女の望まない境遇に落とされかねない」
自分が絶対の砦なのだと。それが刺国若比売命の下僕として、あるべき立場なのだと。
使命、役割、役目、指令──。今まで培われた、様々な言葉と教えが自身の内を葛藤した。だが、使い魔の言葉は何よりもシュウの根底を改めるものだった。
自分が倒れたら──死んだら。美桜は、望まぬ境遇に追い込まれる。先の貴巳の時のような。一匠もタマも巽家もだれも止められない、彼がいない世界で。美桜はそのような境遇に落とされる。
「…………」
全身が燃え上がった気がした。荒ぶる呼気を静めるように目を閉じ、おのれの中を暴れ回る狂暴な感情を押さえた。
そんな事態はゆるさない。彼女を傷付けるものも事態も、なんであろうと──決して。
美桜を守るのだと。先に宣言した言葉のままに。
もしも──。それが敬愛する上官の意志に反するものになったとしても──。彼女が、美桜が望むのなら。従う。それが刺国若比売命の下僕だと。ようやく、自身で改めた。
大きな──全身から吐き出すような息をついて、再度、彼女をそこへ横たえた。容体も気配も依然として見づらい。彼女の身につけたピアスのせいだ。だが、そのためにきっと、鬼沙羅の奇襲時にも居場所を見破られなかった。そう察すると、歯軋りするような容認がある。
ただその身を案じるシュウに、近くに来たタマがやさしく笑った。シュウにとっても、はじめて気付かされる事実とともに。
「あんた──一匠の状態を聞かないのね」と。
震撼とした彼に、タマはそれ以上の追い打ちはかけなかった。一匠は無事よ、他のみんなも、と。
あわただしい足音が遠くの方でしていた。
~・~・~・~・~・~
子どもの時、美桜はいつも一緒に遊ぶ、一番仲のよかった友人にタマを紹介したことがあった。
でも、彼女にタマの姿は見えなかった。
ウソつき、と言われた。美桜ちゃんのウソつき……! と。
ウソじゃない。美桜はウソつきなんかじゃない。タマはちゃんとここにいる。ちゃんといる。美桜の名を呼んでくれる。なんで、ウソって決め付けるの? タマはちゃんと、実在するのに──。
「…………」
ぼんやりと視界を開けた中に、白い猫が映った。美桜はそのまま、その名を呼んだ。そこにいるものとして。
「タマ……」
口にしたら、ひどく喉がかすれていた。なんだろうと思うまま、だれかに少し上半身を上げられて小さな水差しの吸い口を付けられる。口内を湿らせるそれを飲んで、重たい気怠さに、ああ、熱があるのだなとわかる。
でも、なぜだろうと答えを求めて見つめた先で、タマが肉球を美桜の額に当てた。まるで、母親が子どもの熱を計るように少しなでて。
「ちょっと熱が出ただけよ。そばにいるから寝なさい。……美桜。あんたは、よく頑張ったわ。今は眠りなさい」
なぜだか涙がこぼれて、瞬いて、タマの姿を消してしまうのがいやで、ひっしに目をこらした。すると、タマがフッと笑った。馬鹿ね、と美桜のひっしさを理解したように。
「もう消えたりしないわ。ちゃんとあんたのそばにいる。大丈夫よ、美桜」
タマはある日突然、消えた。
いつもの遊び場に行っても、秘密の場所に行ってもお互いの好きな場所に行っても、どこにもいなかった。友だちの言うように、どこにも姿は見えなかった。はじめから、どこにもいなかったように。──でも。
美桜も忘れた。タマの存在を。
伯父に封じられたとかそんなことではなく。過ごしていく日々の中で記憶を忘却の海に沈めた。日常の様々な出来事に意識を奪われて。
でも、もうそれはイヤ、と言葉にできない思いを察したように、ポンポンと額があやすようになでられる。それは昔、美桜がだれかにいじめられた時や、失敗した時、母親に叱られた時、タマがしてくれる仕草のままだった。
「……タマ」
そばにいてね、絶対、とつぶやいて再び眠りに落ちた。




