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桜風記  作者: 由唯
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暗闇の死闘 3




 目が覚めると、いつもの真っ暗闇。


 いや、今日は隙間から光がのぞいている。たぶん、日がある時間。

 お腹の空き具合からして、朝かな、と思う。外の向こうには、朝、昼、晩、と決まった時間があるらしい。その時間、っていう言葉と存在を知ったのも、つい最近のこと。


 壁の向こうから色々な言葉が聞こえる。この小さな中にいる子どもを罵る言葉。罵られている、なんて、はじめはわからなかったけれど。


 聞こえてくる言葉に耳を澄ませていればわかった。

 誰かに甘える声。媚びる声。しなだれかかる様子。喘ぐ声、鼻にかかった声、嬌声、おだてるような、そそのかすような声。


 反対に、逆立った憎悪の声。罵声、嘲り、嬌声、嘲笑、侮蔑。声には、人の感情、すべてがこもっていた。


 それを、子どもはどう受け止めればいいのかわからなかった。

 ただ毎日、壁の向こうで広げられる声の世界を聞いていた。与えられるものはなんであれ、子どもには唯一のものだったから。


 壁が開けられるその一時だけが、小さな世界のすべてだった。





 フッと目が覚めた時、自分は変わらないところにいるのだと思った。


 明るい。でも、少し日が傾いた時刻。夜になったら──たぶん、夜が更けてから、世界の壁が開けられて、食事が投げ入れられるのだろう。でも、その人はいつも帰って来るとは限らない。忘れられて、次の日か、そのまた次の日──または、数日後になる時がある。

 だから、その時を逃さないようにしないと。


 ぼんやりといつものように考えた時、横から呼び掛けてくる声があった。二十代半ばくらいの女性。顎先にかかる毛先にパーマをかけた薄い髪色と、小作りな顔立ち。その中に整った鼻梁。

 顔立ちの中を占める大きな眸が、いっぱいの感情を映して自分を見ていた。


「如月さん……!」


 誰だ、と一瞬浮かんだ思いも、次いで目まぐるしく駆け巡った記憶に飛び起きた。

 自身をのぞき込んだ彼女をさらうように胸元に抱えて確保し、同時に周囲に気配を走らせる。


 妖魔がいた。彼女と自身を害するものが。罠を張っていた大元は消した。あの者も今の彼女に生身では近付けなかった。本体ではなかった。だから、力が制限された状態でも精気を極限まで溜めた一発で撃退できた。しかし、小物は多数残っていた。


 守らなければ。彼女を。──美桜を。


 無意識に右手に銃を出し、左手で彼女を抱え込んで周囲の様子をあらためた。大きな和室。十五、六畳ほどはある清潔な、闇の気配は微塵もない、彼ら二人だけの祓われた部屋。


 どこだ、と記憶と現実の乖離に疑問を覚えると、胸元でフガフガと抗議の声を上げる彼女に気付いた。力をゆるめると、溺れる者の呼吸で胸元から顔を上げる。ちょっと……! と赤い顔はどうやら怒っているようだ。


「起き抜けになんなのよ! 怪我人なら怪我人らしくしてよ……!」


 怪我? と思った次には彼女の肩をつかんで食い入るようにその身を確かめた。

「怪我は!」


 彼女の服は最後に見たものと異なっていた。作務衣の上下に大きな男物の上着を羽織っている。誰のだ、と一瞬で沸騰しそうになったが、自分がうかうかと寝ている間に彼女の身に何かがあったのだとわかった。


 焼き付くような焦燥で彼女の身に気配を走らせ、強く見入った。すると、その身体がふるえた。響いたのは、大きな罵声だった。


「馬鹿……っ!」


 紅潮していた頬はさらに大きな感情でたかぶっていた。眸には紛れもない、怒りの色があった。それが真っ向から彼を突き刺した。


「怪我してるのは自分でしょう!? 人の心配してる場合!? 自分がどれだけ危ない状態だったか、わかってるの? ホントに、ほんとに危なかったんだから。血が止まらないし、全身傷だらけでどれだけ呼んでも意識がなくて、他の人も難しい顔するし、ほんとに、ホントほんと、に……っ」


 大きな眸が一瞬でいっぱいの感情を映し、見る間にそれをあふれさせた。彼が知らなかったもの。閉じ込められたあの小さな空間。その彼に向けられた、あふれるような感情。


「如月さん、し、死んじゃうか、思った……っ」


 大きな感情の塊がいくつもこぼれた。向けられたそれを、彼は──シュウは知らなかった。


 あふれだす感情。自分には受け止めきれないそれ。片手でどうにか感情の堰をこらえようとしながらも、彼女の手はシュウの胸元をつかんでいた。そこからたくさんの想いが伝わってきた。怖かった。彼が死んでしまうかもしれないと、とても、とても怖かった。でも、生きてる。


 ──生きてる。

 よかった、と。彼が──シュウが、生きていてくれて、よかった、と。


 なんだろう、この人物は。いや、自分が主と定め、自身の命に代えても守り抜く存在と決めた相手ではあるが。

 下僕、使い魔である自身の命にこうまで我が事のように思いを傾けるとは──。いや、と自身であらためた。


 それはもう、すでにわかっていたはずだ。先のお山でも、彼女は行きずりの得体の知れない妖魔を助けようとした。ただ一瞬知り合っただけの、彼女と相反する存在を。


 小さく息をついて、なだめるように彼女の肩から頭に手を置いた。記憶が定かではないが、現状から見るにだれか──一族の者か、類する者の救援が間に合ったのだろう。


 力が通常通り使えるし、損傷したはずの手足にも問題はない。自身をあらためるのと同時に、そばの彼女の容体にも意識をこらした。

 あの戦いの中で、邪気が付いていないか。その彼女が鼻をグズグズ言わせながら、事情を説明した。


「如月さん、ずっと闘おうとするから、駆け付けた人にも向かっていくから、だから、無理やり気絶させるしかなくて。如月さんの意識が消えないと、わたしもあのお社から出られなくて……なによ、あの術。下手したら、如月さんが死んでも結界は解けなかったかもとか言われて。わ、わけわかんない。如月さんは瀕死状態だし、ち、血が止まらなくて、どうしたらいいのか……。聖魔に現代医療の力はほとんど効かないとか前時代的すぎるし、やってみなきゃわかんないし、あんたがなんとかしろって意味わかんないし」


 どうやら、主である彼女に多大な迷惑と心配をかけたらしいと、シュウにもようやく理解が追い付く。


「申し訳ありません」


 いつもの通り謝ると、ふいにピタリと泣きじゃくる声が止み、キッと強い目が返された。対応を誤ったと、一瞬で理解した。


 自分が無意識に引き寄せたために、寝床で横になっていたシュウの膝上にいた彼女が、手を離して畳の上に戻った。おそらく、彼を看護していたのだろう位置に。

 近くのタオルで顔をぬぐって涙の跡を拭くと、しゃくり上げていた呼吸も抑えていた。そして続いた言葉は、彼が決して聞きたくないものだった。


「わたし、如月さんの護衛、外してもらう。もう、いや」

「……っ」


 世界から切り離された気がした。あの小さな壁──しかし、絶対の世界であった空間をなくした時よりも何よりも。

 感情を落ち着かせた彼女の言葉に、迷いはなかった。


「巽家に戻ったら、わたしからおじいさまにお願いする。一匠おじさんにも、ちゃんと説明するから。如月さんの責任にはしないから」


 とっさに彼女の腕をつかんでいた。それしか言葉にできなかった。


「……嫌です」

「イヤなのは、わたしのほうっ! いくら何にも執着しないからって、自分の命にまで無頓着になることないじゃない! 如月さんは自分の命をなんだと思ってるの? もうイヤ。自分の命を省みない人になんて、もう守ってもらいたくない。もうイヤ」


 もうイヤ、と彼女は──美桜は、もう一度つぶやいた。ひっしにこらえても、抑えた感情はすぐにふくれ上がって来る。



 昨日の未明。


 叫ぶ美桜の前で戦闘は続いた。咆哮の力を躱しきれず浴びたシュウは、すでに頭から血だらけだった。なのに、その眸だけが力を失わず、ともすれば妖魔の赤い目よりもぎらついた色を宿していた。シュウはもう、美桜がどんなに叫んでも、その名を呼んでも、ふり向きもしなかった。


 ただ、与えられた使命だけを全うする。彼女がいつか感じたように、任務だけを無機的にこなす、ひたすら忠実なロボットみたいに。


 壊れるまで。──その命が消えるまで。


 絶望に暮れたその時だった。未明の空に、周囲一帯を照らす赤光が瞬いた。とたんに、それが赤い矢に変じて降りそそいだ。激しい音と衝撃に、美桜はとっさに身を庇って顔を伏せた。


「──兄者!」


 鋭い人の声。それとともに、社の内にいる美桜にもわかる、周囲を焼き尽くす火炎が広がったのがわかった。降った赤い矢同士を結ぶように、螺旋のように渦を描き、その中にいる妖魔を瞬く間に消滅させた。


 それを、美桜は腕の中からのぞき見た。ぼうぜんとみはった視界に、火炎に呑まれなかったシュウがさらに身構えるのを見る。

 炎の向こうに新たに現れた、二人の人影があった。


(……お坊さん……?)


 あまりに場違いな人物に、張り詰めた気持ちもとまどった。

 一人は正真正銘、僧侶だ。剃髪に簡易な法衣。雪を考慮してか、足元だけが白祢と同じ藁沓。しかし、その面と眸には、人をくったような不敵さと傲慢さが覗く。肩に担いだ大きな薙刀。


 僧兵、という存在を美桜も歴史の一端から思い浮かべる。しかし、もう一人の人物は、僧侶の服を身に付けながら到底、そうとは呼び難い様相だった。


 風貌も知れぬその人物を判断する前に、再度それは起こった。炎は影の残滓と同じように、数秒もすれば消えて闇を戻した。そこに、新たな妖魔を芽生えさせて。


「なんだこりゃ……!?」


 仰天したのは、余裕綽々に構えていた僧兵だった。彼はおそらく、今の火炎でこの場を支配できないわけがないと高をくくっていたのだろう。予想外の光景に戦闘態勢を取りながら、事態を把握するための言葉を紡いでいた。


「兄者! どういうこった、こりゃ……!?」


 返答よりも早く、はじめに見た一つ目の大きな怪物が現れる。今度は小鬼と同じく、鎌のような鋭利な爪先を持って無数に。

 僧兵は手にした薙刀でそれらを相手取ったが、すぐに異変に気付いたようだった。


「なんだ? 力が思うように出ねえぞ!」


 一撃は怪物に弾かれ、暴力的な力が彼を襲う。シュウは変わらず、流れる血も気にした風もなく戦闘を続けている。だれか彼を止めて、と美桜は見えない壁を叩いた。


 その時、怪物たちの攻撃を幽鬼のように躱していたもう一人の僧侶──衣服だけがなんとかそれとわかる程度で、闇夜の中でも襤褸に近い有様なのがわかる。風貌のわからない伸び放題の蓬髪と髭。一見しただけでは妖魔の仲間に見えてしまう。


 その人物が、手にした身の丈ほどもある鎖鎌で、前動作なく、(おもり)のついた先を社の美桜へ向けた。

 見えない壁を叩いていた美桜もそれを見た。当たればきっと、彼女の脳天を砕くのだろう一撃を。


「……っ!」


 そこに割って入ったのは、やはりシュウだった。彼女の叫びも呼び掛けもまったく届いていなかったのに、インプットされた使命だけに忠実な動きで、鎖をつかみ取っていた。

 その次には、風貌の知れない僧侶へ飛びかかっていた。それに仰天したのは、薙刀の僧兵だ。


「てめえ、戦闘兵! トチ狂ってんじぇねえ! だれに歯向かってんだ!」


 鎖鎌の僧侶はシュウの攻撃も静かに避けた。表現しがたい、本当に空気のような、そこにいるのに触れられない幽鬼のような様子で。


 風貌は異様なのに、何か別格の存在感を感じた。と、その人物が美桜のほうに向かって言葉を発した。巨大な妖魔たちが吠え騒ぐ戦闘の場で、不思議と届く声音で。

 娘さん、と。


「あなたがいるそこに、閻鬼の術がある。それを破壊しなければ、あなたも我らも、ここから脱し得ない」


 え!? と美桜は新たな話に慄いた。


 彼らは──新たに現れた僧侶服の二人は、おそらく聖魔なのだろう。でなければ、妖魔を滅する力を要するわけがない。薙刀の僧兵がその言葉を耳にして、同じように驚愕の声を発していた。


「閻鬼!? 妖鬼将って、マジかよ兄者……!」


 先に言ってくれ! と言葉だけは現代の若者のように。どうりで雑魚には思えない威力があるわけだぜ、と舌打ちしそうな様で一頭を仕留める。


 その光景を視野に、美桜の混乱は極限値だった。意識したわけでもないのに、視線は自身の右足へ向く。噛まれた痕だけが残るブーツ。きっと、閻鬼が彼女をさらっていくために付けた印。


 美桜を核にした術だったから、だから、きっと彼は手出しができなかった。彼女を傷付けて術を解く手段を、彼は選択肢にも入れなかったのだろうから。


 これを消せば、術は消える。……シュウは、もう闘わなくて済む。

 彼が残した松明が目に映る。彼女が取れる手段はひとつだった。






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