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桜風記  作者: 由唯
30/61

山家の大老 1



 

 案内されて赴いたのは、美桜が与えられたのと同じような広い和室だった。それより調度品が整って四隅に置かれた行燈あんどんが、電気も通わない夜のお山の闇を払っていた。



 中央に敷かれた布団の上に半身起こした人影があり、セツが真っ先にかけよってその人物にあいさつした。尻尾をふっている様子からして、藤十郎本人に間違いはないだろう。


 近付くと、齢八、九十代ほどの、矍鑠かくしゃくとした老人が布団の上に座していた。

 美桜たちを見返した眸には生気が宿り、余命幾ばくもないようなやつれた雰囲気はない。髭もあててこざっぱりと身形を整え、凛と伸ばした背筋、端然としたそのさまには相対するものの背筋がしぜんと伸びる威厳があった。


 美桜は伯父に言われて火鉢近く、大老の真横に控え、その反対側、真向かいにセツがご機嫌で鼻を鳴らしていた。


 仁科のご大老は、整った面差しのどこか巽老人にも通じる、柔和な雰囲気だった。ただ、巽老人よりも重たい年輪を感じさせる空気が眼差しのひとつ、笑みの作り方に表れた。

 やわらかな雰囲気と甘い笑みは、若かりし頃はさぞかし女性にさわがれただろうと思える、そんな老人だった。

 美桜は年長者に対して頭を下げた。


「お加減がよろしくないところにお邪魔して、申し訳ありません。高城美桜といいます。仁科のご大老さま。はじめまして」


 スウェット姿のままお辞儀すると、彼女を見つめた藤十郎がその笑顔のまま沈黙した。美桜がなにか間違ったかとたじろいで、ふふ、と静かな声がもれた。


「いや───お楽に。仁科藤十郎と申します。美桜さん、と言ったね。お若い娘さんに逢うのは、久方ぶりのことだ」


 美桜はちょっと身じろぎした。老人にも言われたが、とうに娘と呼ばれる年代から過ぎているのだが、彼らからしたら美桜はまだ小娘程度にすぎないのだろうか。

 その眸が美桜の横に向けられて、伯父がかしこまった姿勢で頭を下げた。


「お初にお目にかかります。仁科のご大老。巽家の黒崎一匠と申します。巽家ご当主、巽 貫成やすなりさまより、くれぐれもよしなに、と言付かっております」

「きみが、音に聞く鷹衛の迅か」


 向けられた言葉に、伯父がこの上ない敬意と端麗な礼儀でもってさらに頭を下げた。それは巽老人に向けるものとも異なった、恭しいものだった。

 藤十郎はにこやかな微笑のまま、静かに笑みを深める。


「相模のぶきっちょ仔馬も、木曽の暴れん坊も、息災のようだね。堅苦しいあいさつは抜きにしよう。ここまで足を運んだ君らを歓迎する」


 その口調はあくまでやわらかく、他者をいさめたり指導するものとは席を異にしていた。まるで───遠くにいた孫を見ているような。

 なんだか時代の違和感を感じて美桜は知らず顎を引く。と、彼女に目を止めて藤十郎はやわらかく笑んだ。


「まずはなによりも───美桜さん。あなたに礼を言おう。私の最後の友人、セツの命を救ってくれたこと。心より御礼申し上げる。あなたがいなければ、セツにこうして逢うことはなかったかもしれない。………ほんとうに、ありがとう」


 伏して目と頭が下げられ、美桜はあわてた。

「いえ、あの………いいんです」

 正直、自分でもなにができたのかよくわからない。ただセツを守りたい気持ちで無我夢中だったのだ。

 寝たきりだった老人の無理をした姿勢に急いで気遣って、藤十郎にふと、手を取られた。


「聞いてもいいかな。なぜ、セツを救ってくれたんですか?」


 え、と思わず反対側のセツと目を交わした。美桜や藤十郎よりも大きな姿態。一見すると近寄りがたい、迫力ある風貌。

 老人が懸命だったのにほだされた思いもある。けれどきっと。


「あの、………………如月さんに、似てて」

 放っておけなくて。

 すると、戸口付近で膝をついていたシュウから抗議の声があがった。


「自分は犬ではありません」

「オレは狼だ。犬じゃない!」


 とたんにセツも反論し、向き合った双方からは剣呑な殺気が立ちのぼる。

 クッと笑いだしたのは、伯父と藤十郎だった。たしかにな、と伯父からは納得の声がもれ、藤十郎からはセツ、となだめる声がかけられている。シュウと同じように戸口付近で座した白祢からは、あきれたような嘆息がもれていた。


 なるほど、と藤十郎はつぶやき、ほほ笑みながら美桜を見つめ返した。

「あなたが妖魔に魅せられたわけではないのなら、よかった」


 見返した美桜も、訊きたかったことを聞いた。

「藤十郎さまは、なぜセツと契約を結ばなかったんですか?」

 そうしていれば、すべてが問題なかったはずなのに。藤十郎の眸がふと静かになり、一匠もなにか思うように沈思し、美桜はまずいことを言ってしまった気がした。

 かすかな吐息が藤十郎からもれた。


「美桜さん。聖魔には、個々の生まれ持った器がある。あやかしを従える数と同等の、おのれの許容量というものが。わたしにはすでに、セツと契約を結ぶだけの許容量がなかった」


 え、と反応する前で、伯父が静かに重ねた。

「聖魔がその生涯で契約できる妖の数はかぎられている。それは、妖と契約すればそれだけ、おのれの精気が削られるからだ。………失礼ながら、ご大老はお年を召していらっしゃる。新たに僕と契約するお力はなかったのだろう」

 なるほど、と納得する美桜の手をつかんだまま、藤十郎は静かに笑んだ。


「そういうことです。美桜さん、あなたにもそれは当てはまる」

 え、と返した彼女より、ハッとした様子で伯父が藤十郎から美桜の手を取り返していた。勢いにつられて美桜は姿勢をくずす。「おじさん?」とビックリするくらいのらしくなさだった。

 藤十郎がその前で面白そうに笑う。


「気付いたかね、黒崎どの。きみは彼女のしもべではないのだろうに」

「………お戯れがすぎます。ご大老」

「うん。彼女にも気付かせてあげようと思ったのだけれど………まだまだ、自覚が浅いようだね」


 意味がわからず、美桜はまたたいた。一匠が息を吐いて美桜を座りなおらせる。藤十郎のにこやかな声が出た。


「美桜さん。きみが刺国若比売命さしくにのわかひめなのは、だれに聞くまでもない。あなたにふれてみればわかる。その精気をもらえばね」


 美桜は首をかしげた。精気のやり取りをしているのはシュウだけで、タマは水や食べ物を摂取するように、口から分け与えるのだ、と言っていた。でも、シュウは先ほど、精気をむさぼられている、と言っていた。小梅にも似たようなことを言われた、と思い出していた。

 藤十郎が小さく笑って説明を足す。


「刺国若比売命。あなたは精気をしぜんとその身に移し替える。主従関係はまた別なはずだが、聖魔や妖魔、使い魔───あなたにふれるだけで、その恩恵を得る。かくいう私も、伏していた身とは思えぬほど活力を得ている」


 寝床にありながら、肩をまわしてその調子をたしかめる藤十郎に、大老さま、と冷ややかな声がかかった。

 すこしギクリとした様子で藤十郎が顔を引きつらせ、淡々とした声音と眼差しの白祢に、力関係はそれと知れた。


「おふざけも大概になされませ。美桜。男どもに惑わされるな。しゃんとしておれ。そなたがおのれを律し、付け入れられなければ精気を横取りされるなどあり得ぬ」


 凛と、背筋が通るさまだった。それに気圧されるように力づけられ、美桜は「はい」と答えていた。

 一匠が小さく息をつく。


「美桜。おまえには精気の存在をそれとつかんでほしかったので言わなかったが、ご大老の言う通りだ。それがおまえを刺国若比売命と確信させた理由でもある」


 そして真面目な視線を藤十郎へ上げた。

「ご大老。この度お加減がよろしくないところへお伺いしたのは、その刺国若比売命についてお訊きしたいことがあったからです。お教えいただけますか」

「セツを救ってもらった恩がある。答えられることは答えよう」

 伯父がつと、姿勢を正した。


「先の刺国若比売命のことを、お教えください」


 とたんに藤十郎が困った笑顔になった。

「黒崎どの。断っておこう。君らの目的がそれだというのは承知していたが、刺国若比売命に関して私が教えられることはとても少ない。四条家の文献の方が詳しいと思うよ」

 それでも、と一匠はひるまなかった。


「あなたがいまおられるご大老の中で唯一、先の刺国若比売命に逢われたお方であり、刺国若比売命が生んだ御子をご存知の最後の方だ」


 美桜もちょっとドキリとした。刺国若比売命が生んだ子ども───。

 藤十郎は少し眸を静かに、一匠を見返した。


「きみは、美桜さんの伯父にあたると聞いたが?」

「はい。亡き妻の姪ですので、私とは義理の間柄ですが。───美桜が幼い頃、聖魔としての素質があるのを知りながら、それを封じました。一度はそうして封じておきながら、今度は聖魔の世界に引きずり込んだ。私には、美桜に関して責任があります。知らなかったで済まされるようなことは、できません」


 少しく、美桜の胸には不安がしのび込んだ。義務とか責任で区切られてしまうと、伯父がとても遠い存在に感じられてしまう。

 それを見取ったように、藤十郎が涼やかに笑った。


「武人らしい物言いだね。ただ単に、大切な姪が心配なのだと、そう言えばよいだろうに」

 にこやかに美桜を見つめる眸にははげます暖かさがあった。美桜もちょっと笑う。そういえば、伯父には堅苦しい面があった。交わした信頼はちゃんと胸にある。


「一匠おじさんは、ちょっと過保護なんです」

 おや、と藤十郎が笑い、美桜もいたずらっぽく笑う。一匠からも張りつめたような気色が解かれた。

 藤十郎がさらに笑う。


「まあ多少、それもわからないでもない。いまさっきのように無警戒すぎるとね。それに、セツとのことを聞いた後では、伯父君の気持ちもわからないでもない。なにより───先から、あなたのしもべが怖い顔でずっと睨んでいるからね」


 それは彼の地顔です、と心でつぶやいて、美桜はふりむくのがおそろしくてならなかった。

 さんざん、無警戒だ無防備だと叱られたばかりなのに。


「えと………如月さんがわたしと契約を結んでいるって、わかるんですか?」


 うん?と藤十郎は返すと、かるく片手を上げた。ほのかな音をたててその手のひらに青白い蝶が現れる。

 見る間に、彼の周りに幾匹も。


「四条家に伝わる、古い術式でね。相手の能力を感知するのに長けている。戦闘兵でありながら、ありえないほど飛び抜けた力の持ち主。刺国若比売命の存在。とくれば、容易に推測はできるよ」


 藤十郎が手のひらを閉じると、蝶たちもかき消えた。一段と、室内の暗がりが目に付いた。


 少し、疲れたような息が藤十郎からはもれた。無理をさせてしまったかと、美桜は腰を浮かせたし、セツも案じるように鼻先を向けた。その彼をなでて、藤十郎は小さく笑った。


「まさか………───この歳になって、刺国若比売命にお目にかかるとはね」


 なにか因縁かいわくでもあるのだろうか。うかがう眼差しを向けたそこに、かすかな微笑が藤十郎には浮かんだ。

 美桜が姿勢をあらためると、目を伏せ、静かに気息を整え、藤十郎は口を開いた。






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