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桜風記  作者: 由唯
29/61

白のお山 4




 その彼女を見下ろして、シュウが静かに口を開く。

「………俺を敬遠したのは、あなたのほうだと思いました」

「え………」

 目を上げて、彼の眼差しに逢う。迫力ある怖い双眸が、どこか翳りを帯びていた。

 内心首をかしげ、シュウを拒絶してしまったのはどこだっけ、と考えて思い当たったことがあった。


「………わたし、よく知らない人の言うことを真に受けるほど、考えなしじゃないです」

 それは気にならない………といえば、ウソだけれど。


 シュウの服の袖をそっとつかんだ。この期間中、自分には血のにおいがする不安は簡単に払拭されない。でも、シュウはしない、と言った。

 彼が向けてくれた思いなら、信じたい。そう思う。

 彼の過去になにがあったのだとしても、いま目の前にいる人を。真っすぐに向けてくれた言葉や態度を信じている。


「………わたしが知っているのは、いまここにいる、如月さんだもの」

 心をこめて返した。

 勇気をだして身を乗り出し、シュウの首筋に唇をつけて精気を分けた。

 約一週間ぶりのその行為が恥ずかしくてならない。それでも美桜は唇を離して、シュウにほほ笑みかけた。

 なんだかセツのように、よしよし、と頭をなでてやりたい雰囲気だった。



 いつものように感情が表に出ず、美桜と目を交わしていたシュウだったが、ワンコロ扱いを察したようにピクリと眉が動いた。スッと身を引くと、彼女の左足を捉えて厚手の靴下に指をかけた。


「はわ………ッ如月さん!」

 あわてて美桜は制止する。精気をもらったからヘイキ、と。シュウの鋭い眸が上げられた。

「あなたのその言葉は、信用なりません」

 力強い手はビクともせず、靴下が脱がされ、スウェットが上げられて痣になっていた跡があらわになった。


 シュウには肌を見せたこともある。もっと恥ずかしい行為をしたことも。それでも、足先に口をつけられる行為がこんなにも恥ずかしいものだなんて───。


 踝がシュウの口にふくまれる。自分の身体を作るそのひとつが、はっきりわかる。熱い息吹。痣と骨筋をたどるように息遣いが這って、ゾワゾワと、前にも感じた感覚が走って美桜をふるわせた。


「…………っ」

 息もふるえていた。心臓から、遠い場所だったのに。


 元のように靴下が履かされるのを見て、急いで手を出して奪った。美桜はお人形でもお姫様でもないのだから。

「如月さんって………」

 けっこう強引、と美桜は恥ずかしさをごまかしてふくれる。


 昨夜だって───彼を呼んでしまったのは彼女だが、意志を無視して危険なものから無闇に遠ざけようとし、強引に傷口にも口をつけた。………でも、それは美桜も一緒、とあらためる。

 シュウが僕だから、護衛だから、彼の意志などおかまいなしに呼び付けて危険に立ち向かわせた。それは、あの人が美桜にしていた行為と、どう違うのだろう。

 わからなくなって美桜は押し黙る。と、耳元に指がふれて、ビクリとした。


「お願いがあるのですが」


 お願い!?如月シュウの………!?

 仰天するほどの思いで目を見張った美桜の前で、シュウは相も変わらず淡々と告げた。

「月の障りが終わったら、これを外していただけますか。あなたの気配が視づらい」

 口調は淡々としていたが、眸が怖かった。タマが言っていたセリフも思い起こされ、いやでも、と美桜は思う。


「でも………これがあれば、夜も───雨の夜も、如月さん、家に帰って休めるし」

 目前の気配がなにより怖くなったのを感じて、急いで言いつのった。

「だから、あの!わたしも気にしないですむし!」

 なにか言葉を間違った気がした。シュウの眸が冷ややかなものに変じて、手が離された。それにとっさに、つかみ直していた。


「………そうじゃなくて、あの………」

 取り戻したい言葉を探して思考が空まわった。あの、と無意味に繰り返して、ふと気付いた。


「………如月さんがなにかずっと怒ってたのって、気配が視づらいから………とか?」


 シュウの鋭利な双眸に険が走った。口調ははじめて聞く、苛立たしそうなものだった。

「あなたが、無警戒すぎるからです」

「そ、そんなこと、ないと思うけど………」

 美桜だって、警戒する相手は選んでいる。

「無警戒です。無防備と言ってもいい。使い魔どころか、得体の知れない獣にまで精気を分けて。むさぼられているのがわからないんですか」

「え。いや、そんな………」

 なつかれはしたが、あれは精気をむさぼられていたのだろうか。


「もっと用心して下さい」

 ちょっとむうっとした。年下の彼にまで危機感が足りないとお説教されるなんて。

「セツのことで、如月さんにまで迷惑かけたのは謝ります。でも、あれは」

 つかんだ手を反対ににぎり返された。力を込めないようにしているふうなのに、なにより熱い痛みが伝わった。


「前にも言いました。もっと早く、呼んでくださいと。………どう言えば、あなたに伝わりますか。なにをすれば、あなたは理解するんですか」


 いつもの冷淡なシュウじゃなかった。はげしい感情を押し殺した声と眸だった。

 美桜はシュウを巻き込みたくなくて、危険に立ち向かわせたくなくて、ギリギリまで彼を呼ばなかった。でもそれは、とても独り善がりな考え方なのだと気付いた。ピアスをしたのも一方的で、主従関係にある彼の考えを聞きもしなかった。美桜が反対の立場だったら、やっぱりきっと、シュウのように怒っただろう。


 彼の怒りが理解できて、美桜は心から反省した。

「………ごめんなさい。もう、しない。ちゃんと、如月さんを呼びます。………約束、するから」

 上目遣いになってしまった先で、シュウの眸がはっきり動いた。つかまれた手に力がこもって引き寄せられかけ、ハッとしたように手が離された。


 片手で顔をおおうと、シュウは距離を置いて歯を食いしばった。美桜は首をかしげる。

「如月さん?」

 具合でもよくないのかと彼をのぞきこんだ。シュウはなにかをこらえて、あきらめたような吐息をついた。上げた表情はいつも通りで、美桜を有無を言わせず追い込む眼差しだった。



「それで、あなたがここ二三日、車の乗り降りの際、いやに周囲を警戒している理由はなんですか」

 ふいを突かれて美桜は固まった。それが答えを返したも同然だった。

「いや………あの」

 目が泳いでしまう。気付かれていたとは思わなかった。


 言うべき?でも、あれ以降、なにもないし。気のせいかもしれないし。なにより、シュウにもあのセリフを言われたら───。たったいま、無警戒だと叱られたばかりなのに。


 ジリジリと横伝いに逃げて、唐紙の向こうから声がかけられた。

「美桜、シュウ。いるか?入るぞ」

 一匠伯父だった。簡潔に断って障子が開けられ、部屋の様子を見て取って口にしかけた言葉が変じた。


「どうした?」

 なんでもない、と美桜が口にするより早く、シュウが厳しい眼差しで退避をゆるさなかった。

「話してください。何があったんですか」

 伯父も歩み寄ると膝をつき、彼女を見返した。美桜?と。


 なおさら逃げ場のない思いで美桜は視線をそらし、言い訳のように両手をいじった。

「その………………す、ストーカー?みたいな」

「───なに」

 伯父の顔つきまでも怖いものになった。シュウのほうはなおさら怖くて目を向けられなかった。


「詳しく話しなさい、美桜」

「いや、あの………ちょっと前に、知らない男の人から変なこと言われて………。でも、あの、気のせいかも知れないし」

「おまえはそうは思わなかったんだろう。………以前のストーカーと似た感じがしたのか?」


 ビクリと顔がこわばって伯父を見返した。そうだ。伯父は彼女のことを調べたから、知っているのだ。

 伯父にも言われるのだろうか。おまえの方に心当たりはないのか───と。

 伯父にもシュウにも、美桜がなにかしたと思われるのはイヤだった。また無警戒、と言われるのだろうか。


 自信がないまま、詳細を話した。その男に逢ったのは、ほんとうに偶然だったのだと。いまこうして話すと、彼女の空耳だった気がしてならない。でも、あの時見た気味の悪い微笑が脳裏から離れない。

 以前受けた被害のせいで、変に後遺症になっているのかも。


「───じゃあ、名前や会社名は覚えていないのか」

「うん………」

「まあ、日時と場所がわかれば調べはつく。シュウ。お山を降りたら、そちらは私が手配する。おまえは美桜の周辺に気を配れ」

「はい」

「あの、おじさん。でも、ほんとうに気のせいかも知れないし………」


 美桜、と伯父は彼女に正対すると、力強い眼差しで彼女を見返した。

「おまえは知らない人だったし、まったく心当たりもないんだろう?」

「………うん」

「ならば、堂々としていなさい。ストーカー被害のケアすべき部分は、被害者側の自分にも原因があるのではないかと自身を追い詰めるところだ。なにかあってからでは遅いんだ。気にかかることがあったのなら、すぐに言いなさい。おまえはなにも、悪くない」


 大きな暖かい手が頭に乗せられ、子ども時分となんら変わりないそのしぐさに、涙ぐみそうになった。

 あの時の自分も一緒になぐさめられた気がして、一所懸命またたいてこらえた。目を落としてうなずいた。


 伯父がいてくれるのなら、なにも怖くないのだと幼い頃にあらためた想いが胸にせまった。

「ありがと………。おじさん」

 伯父はやさしく美桜の頭をなでると、夕食の支度ができたそうだ、と彼らをうながした。



 伯父に付いて囲炉裏端へ向かいながら、仁科の大老さまが昼過ぎに一度目覚めたことを聞く。が、すぐに眠ってしまったらしく、セツのことを話すのが精一杯だったのだと。


「おまえと話がしたいと、言っていたそうだ」

「わたしと………?」


 それが目的なのだけれど。先の刺国若比売命を知っていた大老からは、どんな話が聞かされるのだろうと、いまさら緊張を覚えた。


 囲炉裏のある部屋に入ると、日の落ちた室内に煌々と照る火の灯りと、四方に点けられた灯りで安心する光源があった。囲炉裏端ですでに座していた白祢と、出迎えた昨夜の老人に、美桜はなにより驚き喜んだ。美桜にはわからないけれど、すぐそこにいた人が消されて、でもそれが飄々と変わりなく現れて、ともかく、よかった、と涙ぐんだ。

 老人はクツクツと笑うと、美桜に純心ですな、と笑みを向けた。そして彼女にさらに不可解な言葉を投げた。『心配いりませぬ。白祢さまに消されるのは、これで三度目のことですからの』と。

 なおさら首をかしげた美桜だった。



 鍋を囲んだ珍しい夕食を終えて、食後のお茶にゆるりと気がゆるんでいた。美桜は白祢の傍に呼ばれて服装に一々文句を言われていた。最近の娘子は身だしなみが云々かんぬん………。山伏装束の白祢に言われてもなあ、と美桜は内心思ったが、ヘタに反論すると長くなりそうなので黙って拝聴していた。


 セツは美桜の傍で丸くなり、彼女がその毛並みをなでると、気持ちよさそうに顎先を膝上に乗せてきた。

 シュウにはああ言われたが、やはり彼らが美桜の精気をむさぼっているようには思えない。しかしなぜか白祢もセツを忌々しそうに睥睨すると、一匠のほうに向きなおった。


「それで、黒崎。彼女を四条家へ引き渡すことに否やはないだろうな」

「え………」

 白祢の言葉にまたたいて見返したのは、美桜だけだった。伯父もシュウも静かに動じず、どうやら彼女が寝ていた間に話し合われた事案らしかった。


刺国若比売命さしくにのわかひめが現世に誕生した以上、俗世に捨て置くわけにはいかぬ。即刻、四条家奥にて守り参らせ、魔より隔絶すべきだ」


 おどろいた美桜のふるえを感じたように、セツが目を開けた。一匠はお茶をすすりながら、淡々と口を開く。


「白祢さま。何度も言いましたが、美桜の身柄は巽家ご当主、巽貫成さまが責を負っています。他家へ引き渡すことはありません」

「それはおまえと縁戚関係にあるがゆえであろう。他家が尊ぶような血脈など、刺国若比売命には通じぬ。だいたい、巽家のような戦闘を主とする武門に彼女の身柄を預けるなど、言語道断だ。即刻、清浄な四条家へ移すべきだ」

「巫女姫のご託宣もなしにですか?」

「知らせは飛ばしてある。刺国若比売命に関しては事後承諾で許される」

 ふっと伯父はなににか辛辣な笑みをのぞかせた。


「美桜を、次代の巫女姫にでもなさるおつもりですか」

「………そうは言ってはおらぬ。しかし、同然の扱いは受けて然るべきだ」

 拮抗する視線が交わされ、静かに一匠の口からは吐息がもれた。


「白祢さま。人材不足なのは、どこの家も同じ。それを美桜一人に埋めさせようとするなど、我らの責を押し付けているも同然でしょう。あなたらしくもない」


 白祢の双眸に険が走る。

「煙に巻くな、鷹衛の迅。私がいま取り沙汰しているのは、刺国若比売命の処遇だ」

 その眸のまま、ぼうぜんとやり取りを聞いていた美桜に視線が移された。


「美桜。四条家に来やれ。そなたの誕生の察知が遅れたのは、我が四条家の不徳のいたすところだ。謝罪しても足りぬ。が、そなたの存在が知れた以上、看過することは決してまかりならぬ。四条家に来やれ」

「いや………あの」

 こんな展開は予想していなかった美桜は、たじろいだ。白祢は容赦なく続ける。


「これ以上、そなたを俗世に置くことはまかりならぬ。そこな人狼にも聞いた。なぜ人の姿をとらぬのかと訊くと、そなたが、男を警戒するからだと。男で嫌な目に遇ったのだろう。そのようなところに留まる必要などない」


 白祢の言葉は直截的で誠実だった。トラウマになるほど、美桜を傷付けたあの人。いまも捕らわれたままの自分。同じように、美桜を見ているのかも知れないストーカーの目。怖くて………ほんとうは毎日、男の人の目にさらされるのが怖くて。


 白祢は、そんなところに留まる必要はない、と言う。四条家に行けばきっと、守られて隔絶されて、この傷の痛みもきっと───。


「───もし」

 かけられた声にハッとした。それは美桜だけだったらしく、セツも白祢も、伯父やシュウも端然と動じたさまもなく、唐紙を開けたそこに座る老婆の姿を見ていた。


 老婆は皆の視線を受けてにこりと笑んだ。

「藤十郎さまのお目が覚めました。皆様方を呼んでおられます」

 緊張の走る言葉だった。






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