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桜風記  作者: 由唯
20/61

週末の受難 3

 



 朝起きたら、胸元に変な痛みがあった。寝ぞうが悪かったかな、と思いながら朝風呂を使うことにした。

 昨日の一件でどうしても何度も身体を洗いたくなったし、いやに寝汗をかいていた。


 脱衣所で包帯と湿布をとり、浴衣を脱いだ美桜は洗面台の鏡に映った赤黒いシミにぎょっとした。あわてて見直すと、胸の谷間に赤黒いミミズ腫れのような跡が走っているのを認めた。


「なにこれ……」


 黒ずんで走った傷痕は、さわるともちろんだが痛い。

 昨夜お風呂に入った時にはなにもなかったはず、と思い、その跡は昨日、あの若者に乱暴された箇所と一緒だった。


 昨夜あれだけ泣いたのにまた泣きそうになって、美桜は急いでお風呂に入った。痛みをこらえて洗ってみたが、やはりそれは消えなかった。



 半泣きになりそうな気分でお風呂を出、そこに新しい着物用の下着と肌襦袢がそろえてあるのを認めた。


 自分の服は切り裂かれてしまったし、肌着と下着の替え以外は持っていなかったから、甘えるしかない。

 笹野がそろえてくれたのだろうそれを身につけて脱衣所を出ると、いつもと同じように寝床は上げられ、食事の準備ができていた。


 笹野に昨夜のように手当てをし直してもらい、食事をとる。

 タマにおじさんもどってきた?と聞くと、まだよとそっけない返事。なににかフンフンと猫くさいしぐさで美桜の周りをかぎ、食事を終えた彼女に、不審そうな目を向けた。


「あんた……邪気くさいんだけど、他にもどっか怪我してない?」


 ドキリと身体がこわばった。

 かすり傷から雑菌が入った程度に考えていたのだが、痛みがどんどんひどくなっているのにも気がついていた。こんなところの傷はちょっと人に言えない。


 タマの口調はお説教まじりだ。


「美桜。聖魔だって怪我したり傷ついたり、身体が弱ると邪気に襲われやすいのよ。あんたの場合は特に。普通は払う力があるけど、あんたにはない。そのために僕がいるのよ」


 知っている。注射の針の跡も、ぶつけたおでこの傷も、見る間に治った。


 でも、とためらう美桜の横で、片付けを終えた笹野さんが戸口でだれかと話していた。うなずいて彼女は部屋を後にし、やってきた人物を認めてタマも立ち上がった。


 シュウだった。


「タマ……!」


 いつかのように美桜はすがりついてしまう。シュウは怖くないとわかっているが、それでも。

 タマは無情に襖の向こうに消え、戸口を閉めたシュウが美桜の間近で膝を折った。


 怪我した足があるので横座りのまま美桜は身を引いてしまう。彼女を気遣って来たのだとわかっている。前回のように。

 シュウは淡々と必要なことだけを口にした。


「──手を、よろしいですか」


 視線の先は包帯を巻いた右手にそそがれていて、ためらったがおそるおそる差し出した。


 シュウの大きな手が美桜の右手をつかみ、包帯がほどかれて湿布がさらされる。それもはがされて、シュウの顔がそこに近付いた。


「……っ」


 手首の内側、鈍い痛みをあげていた骨と脈筋をたどるようにシュウの唇が動く。精気が吹き込まれているのがわかって、けれど這いのぼってきた熱は静かだった。


 ホッと美桜は息をつく。

 恥ずかしいことは恥ずかしいが、この行為なら怖くなかった。と、右手がつかまれたまま、シュウの鋭い眸が上げられた。


「ほかに、怪我をされていませんか」


 湿布を貼られた打ち身跡や、左足の包帯以外を指していた。彼にはそれがわかるのだと、美桜も理解した。


「あ……の」


 逃げ出したくて、けれどつかまれた右手はビクともしない。胸元はもうずっとズキズキ痛みを発している。

 美桜の身体の異変を、シュウは気がついているのだ。

 でも、どうしたらいい──……?


 シュウはかるく眉根をよせた。


「邪気が昨夜からずっと消えません。ほかに怪我をされているのなら、おっしゃってください」


 静かにひるまない態度で、シュウはどこまでも真摯だった。昨夜からずっと、美桜の様子に気を配っていたのだろうか。


 護衛だからあたりまえ、とタマなどは言うのだろうが、それじゃ、美桜が巽家に滞在している意味がない。週に一回、彼に休みを与えてくれ、と伯父や巽老人に言われ、美桜自身、そう感じるところがあったからお世話になっているのに。


 もっとも、その巽家であんなことが起こっては、護衛のシュウとしては休むどころの話ではなかったのかも知れない。

 思い悩む美桜にシュウの小さな息がつかれた。


「──では、自分は目を閉じていますので、傷口に導いていただけますか」

「え………」


 シュウの顔を自分の胸に導けと──?もしくは、目を閉じた彼の顔の前に、自分の胸を押し付けろと──?


「……っ!」


 頭の中が爆発しそうになって、美桜はつかまれた腕のままのけぞった。ムリ! という言葉が呪文のように思考を占め、パニックになりそうだった。

 のけぞったとたんに胸元が痛みを訴えて顔をしかめた。


 ──なんで、こんなことになったのか。

 考えても、もうすべてがいまさらだ。グルグル回る思考のなかで、思いがけず涙がこぼれた。美桜自身、ビックリしてあわててぬぐった。


 泣くことなんかじゃない。こんなの、たいしたことじゃない。


 乱暴され、美桜という人間を踏みにじられたショックはあるが、別に生娘でもあるまいし──。

 いつかにも思った自嘲的な考えが浮かぶ。へんに涙が次から次にこぼれて、美桜は自分に言い聞かせることもできずにそれをぬぐった。


 違う。……ちがう。


 美桜はもう、自分を粗末に扱うのはやめようと、あの時に誓ったのだ。


 子どもがほしくて、あの人と別れる数ヶ月前からはずっと、愛のない行為を繰り返した。美桜はただ、周囲への意地と見栄と、子どもが欲しくて。あの人はただ、おのれの快楽を満たすためだけの相手として。べつに相手が美桜でなくともよかった。おのれの欲求を満たせる女であれば、だれでもよかった。


 いつからか、美桜はもうそんな愛のない行為に嫌気がさした。それでイヤだと拒絶しても、彼は自分の思うとおりにした。……DVの一種だったと思う。そうやって身体を重ねるたび、心ではいつも、だれかたすけてと叫んでいた。自分が心のないモノのように扱われる夜。


 美桜はけれど、自身にもある負い目から彼をキッパリと拒絶できなかった。彼が自分をそう扱うのは仕方のないことだと、どこかであきらめていた。


 でも。


 ……もうやめようと、空虚に満ちたあの中で思ったのだ。


 あの人が大事にしてくれないのなら、自分の身は自分で守るしかない。美桜には、彼女のことを心配してくれる家族も親戚も友人も、いっぱいいる。彼らに大事にされる自分は、こんな、むげに扱われていい人間じゃない。ちゃんと、自分を大切にしなきゃ──と。


 だから、生娘でもあるまいし、とか、自業自得だから、とか、自分を卑下しておとしめるのはやめようと。


 たいしたことじゃないから、自分は泣いているのだと、美桜はようやく思い知った。


 そっと、彼女の手は離された。

 見上げたシュウにはとほうにくれたような、どうすべきか困りはてたような──それでも、無器用そうにいたわる眼差しがあった。


「……あなたのせいではありません」


 こんなことになったのは。邪気に狙われやすい身になってしまったのも、自分で払う力がないのも。


 シュウだって好きでやるわけじゃないのだと、美桜はあらためた。

 彼は護衛だから。乱暴な男の人とも、心ない仕打ちをする人とも違う。美桜を気遣ってくれているのだ。


 涙をふいて、美桜は腰紐をほどきはじめた。ゆるめて前身頃を開き、その下の下着をほどく。見せるのは、どうしても手がふるえた。


 もう一度目元をこすって、開いた。


 一瞬、間近のシュウからは剣呑な──殺気にも似たものが感じられた。それにちょっとふるえた。


 シュウはすぐに彼女の肩に手をまわした。逃げだすのをふさがれた気がして美桜はおびえる。と、彼女の視界はシュウの大きな手にふさがれた。


「──目を閉じて下さい」


 いつもの抑揚のない声なのに、へんに安心した。従うと手が離れ、シュウの顔がそこに近付くのがわかった。


「……っ」

 口を付けられた。どうしても大きく身体がはねた美桜の肩は、シュウの手につかまれて逃げられない。


「如月さん………」

 やっぱりイヤだ。


 美桜の身体がはねたことで精気を吹き込む前にシュウの唇も離れてしまった。シュウはすこし強引に傷口にふれた。美桜の声にならない悲鳴があがる。


 乱暴された行為を思い出すだろうとは思ったが、邪気は彼女の身を蝕み続ける。白い肌に残った跡がゆるせなかった。


 なにより──そんな傷が残っていることが。


 精気を吹き込んで邪気を払い、赤黒い跡が消え、傷口がうすくなったのを認める。鼻先と頬にふれた感触にはさすがに焦りが生じた。


 邪気を消して肌着をかき合わせ、荒く息を切らして力のぬけた彼女を引き寄せた。

 自身に寄りかからせ、ついでに肩口の衣服をずらして湿布をはがし、左肩の打ち身跡にも口をつける。


 精気を吹き込むと、んっ、と反応するさまがあった。

 シュウは内心ひっしで上がる鼓動を静め、息を押さえる。衣服をもどして、彼女の呼吸が落ち着くのを待った。




 心臓に近かったからだろうか、いつも以上に濃く熱い奔流にのまれて気が遠くなりそうだった。

 なのに、シュウの唇の形がはっきりわかった。彼の息遣いや、熱い舌先が傷口にふれるのも。痛みはすぐに熱にとって変わられ、自分の内が熱い息吹で清められていく気が、美桜にはした。


 イヤなものも、凝ったものも。


 昨日の人とそれは同じ行為なのに、なぜだか違った。いやに素直に身体は反応していた。


 彼の胸元で息を切らしているのが気恥ずかしくて、美桜はそろそろと身を起こした。心臓が胸の中央に移ったみたいに、存在感が強かった。


 彼から離れて適当に肌襦袢を合わせ、腰紐を結わえた。顔を上げられずに黙していると、シュウが淡々とうながした。


「──足を」と。

「……っ、いや。い、いです。大丈夫」


 とっさに畳の上をズリズリと下がっていった。

 この上足首にまで口付けられるなんて、恥ずかしすぎて憤死してしまう。

 シュウの怪しむような気配に美桜はひっしで言いつのった。


「精気をもらったから。痛みもほとんどなくなったし、ほんとうに大丈夫です。ホントです」


 それでもすこし不審そうにシュウは沈黙していたが、ややして小さく息をついた。彼が立ち上がる気配に、美桜はあっと顔を上げる。


 精気を返していない。

 でもやっぱり、まだ男の人にふれるのはためらいがあって、どうしよう、と思い迷った。


 シュウはそんな美桜の迷いを見越したように座り直すと、袖を引いて片手を差し出した。

「腕からでけっこうです」


 なにより主からもらわなきゃダメ、といつかのタマのセリフを思い出し、美桜はシュウの手をとると、そっと唇を落とした。


 さっき彼がやったように、脈打つ箇所に口をつけて、精気を吹き込む。

 この行為なら怖くないし、羞恥と毎回戦う必要もない。でも、精気の存在がそれとわかるようになってから、美桜にも相手に伝わる感覚が感じ取れるようになった。


 ……たぶん、これだとシュウの大きな身体には物足りていない。きっと。


 それでも、いまは彼の気遣いに甘えていた。シュウが立ち上がって部屋を後にすると、着替えを手に笹野が現れた。


 前回と同じ伯母の着物かしらと思っていると、美桜の顔をちょっとながめた笹野が、すこし苦笑するようにして洗面をすすめた。

 ハッと美桜もスッピンのまま泣きじゃくったのをあらためる。あわてて洗面台にかけ込み、顔を洗ってメイクをした。



 下着と肌襦袢も着付しなおして部屋にもどり、笹野に着替えをうながされる。

 前回のとは違う、黒地にピンクの江戸小紋が全体に散った、どちらかといえば可愛らしい印象の着物だった。


「これも、伯母さんの遺品ですか……?」

 美桜が袖を通すのは申し訳ない気がしてしまう。笹野は着付の作業を進めながらいいえ、と答えた。


「貫成さまにお勧めして、あなた用にあつらえていただきました」

「え!? わたしの……!?」


 ってことは、新品。

「普段着用にほかにもあつらえていただきましたので、その都度クリーニングなさる必要はありません」


 いや、問題はそこでなく。笹野は厳しそうな面差しを美桜に上げた。

「美桜さん。よろしければ、次回から着付をお教えいたします」


「え……あの、巽家では、着物が正装なんですか?」

「そのようなことはありません。ですが、知っておいて損はありません」

「……はい」


 たしかに毎回、笹野に着付をしてもらうのも申し訳ない。よろしくお願いします、と小さく頭を下げた。ここ最近、台無しになった衣服を思ってちょっと泣けた。



 着付が終わって、笹野はめずらしく美桜の髪に着物とおそろいの花のモチーフが乗ったピンを止めた。両サイドを上げられて顔まわりがスッキリする。


 出来栄えをながめて、厳しい面立ちも少しく笑んだ。お似合いです、と。


 お礼を言って、美桜は巽老人のもとへ案内してもらう。

 昨日はご挨拶もせずに休んでしまった。事が事だったとはいえ、人様のお屋敷で無礼なふるまいだった。


 部屋を出るとシュウが待っていて、案内役は彼に交替された。

 彼の後に続いて、左足がびっこ引くのを懸命に隠した。さっきシュウに言ったことはほんとうだったが、歩き出すとだんだんと鈍い痛みがもどってきてしまった。


 笹野にも、念のため今日一日は湿布をしておくように、と言われて手当てがし直されている。胸の傷はうっすら跡が残るだけで、赤黒いシミはきれいに消えた。

 シュウのおかげだと、わかっている。それでも、精気をもらい続けることにためらいがあった。






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