第七話『迷宮逃避行』
お待たせしました。
がすっ、ごすっ、といった音が時折聞こえる。最後にずしん、という重い音と共に着陸……もとい墜落したときに、俺は「この世界にHPの概念があってよかった」と心の底から思った。
地球だったら、山の上から谷底に放り投げられたなら、ほぼ100%死ぬだろう。いうまでもなく、抗うことのできない即死だ。しかしこの世界では、それは必ずしももたらされる事ではない。
HP。それは、この世界の人々を守る、いわば『生命力の鎧』だ。HPが0になるまでは、少なくとも『死なない』──この世界特有の現象だ。
もっとも、致命傷はさっくりHPごとその人物の命を奪っていくし、HPが0になればその先は地球と同じだ。ただ、どうやら山から落下の墜落ダメージは、『致命傷』には入らなかったらしい。
気がついたら、仰向けに大地に転がっていた。空は遥か彼方だ。どうあがいても届かないほどに。
「いてて……」
ずきずきと痛む手足を無視して起き上がる。横を見れば、完全に気絶してしまったのであろうエリーゼの姿。そのドレスは岩によってずたずたに引き裂かれ、ところどころ肌が露出している。痛々しい。
「クソが……ッ!」
思わず、悪態が口をついてでた。
あのとき。俺のアビリティが、彼女の人生を破壊したのだ、と悟ったときに抱いた怒りと同じだ。多分これに身を任せたら、俺はおかしくなるんじゃないか。気を付けなくては。
……さて。何はともあれ、これからどうすれば良いのだろうか。
取り合えず、死にたくはない。凄まじく難易度が高いことではあるが、この超上級迷宮を生き残り、ここから脱出しなくてはならない。
もしくは──このダンジョンを、攻略するか。Lv1の俺と、Lv10のエリーゼで、適正レベル200のダンジョンを攻略できるのかは死ぬほど怪しいが。というか生き残れるのかすら怪しい。
ヴォルフガング帝の口振りからすると、エリーゼの体に出現した紋様は、どうやら世間一般からは魔族の施す術であると認知されているらしい。即ち、どうにかしてカイーナを脱出できたとしても、エリーゼが迫害されることに代わりはない。どうにかして、彼女をこの呪縛から解き放つ方法を見つけ出さなければ。
ヴォルフガング帝は浄化の方法はないと言っていたが……。いや、探せば見つかるかもしれないからな。うん。諦めちゃダメだ。
……はぁ。前途多難だ……。
エリーゼの顔を見る。
綺麗な顔だな、と、今更ながらに思う。白磁のような肌は、普段からしっかり手入れされているのだろう。つやつやだ。髪の毛も同じ。純金の様に鮮やかだ。文句なしの美少女。何故だかは知らないけれど、地球人の美人からただようコレジャナイ感は感じられなかった。本当何でだろうな。
「……ごめん、俺のせいだな」
聞いちゃいないだろうが、彼女にむかって頭を下げ、謝る。俺は彼女の運命を破壊した事を、一生忘れずにいなければならないだろう。
そんな事を思った。
暫くしたのち。
「う、ぅん……」
「……っ!」
エリーゼが目を覚ました。苦しげに唸ったあと、目を開いた彼女は、身を起こすと周囲を見渡し、表情を暗くする。
「夢じゃないか、って思ってた。夢だったら良いのに、って願ってた。でも……現実、なのね」
「……ああ」
悲しげに笑う彼女に、俺はそう言うしか出来ない。俺の責任。俺の運命に巻き込んでしまった事は、もうどうしようもないのだから。
「……ねぇ、あなた……アシズ、って言ったかしら」
「おう。上式葦津だ。この世界風に言えばアシズ・カミノリだな。末長くよろしく頼むぜ」
精一杯おどけた調子で答えてみる。そうすることで、少しでもエリーゼの気が紛れればいい。そう思って。
果たして、エリーゼは少しだけ笑ってくれた。
「そう……どうするつもりなの? これから」
「お前を解放する」
俺がそう断言すると、びくり、とその小さな肩が跳ねた。信じられないものを見た、とでもいった顔で、俺を見るエリーゼ。
「嘘よ。だってパ……皇帝陛下は、解呪する手段はないって……だから私は追放されたのに……」
「見つける」
今度は、さっきよりも少し強く。
彼女に追わせてしまった運命を、俺がどうにかしなくてはならないのだ、という覚悟と共に。
「……バカね」
エリーゼは、そう言って、笑った。
それからは、二人、ずっと黙ったままだった。これからどうすればいいのか。どうしていくのが正解なのか。きっとそんなことを、エリーゼも考えていたに違いない。
だが、ずっとそうしているわけにはいかない。
エリーゼの起きる少し前辺りから、周囲に何やら集まってきているのは感じていた。一応俺でも、なまじレベルが低いのと、生来の気質で、注意さえすれば殺気とか気配とかそんなのを感じとることはできる。いや、レベル高いやつは余裕らしいんだけどさ。
兎に角。その気配に、強いものが加わったのだ。
「──ッ!」
俺でもわかる、重圧。
何かが、来る。それも、一つじゃない。
周囲を覆う岩肌。魔力を纏ったそれは、淡く発光していて。
それに照らされて輝く、瞳。一対、二対、三対──。
狼だ。漆黒の毛皮を持った、巨大な狼。その大きさは3メートル近い。明らかに、ただの狼じゃない。
魔獣……否、魔物。Lv200を超えた強者だけが戦うことを許された、最強クラスのバケモノ達。俺が到底敵う訳もない存在が、近づいてきている。
マズい。
俺に戦闘力はない。Lv1だし、戦闘経験は皆無だ。ダンジョンではずっと榊原に助けてもらっていたので、自らモンスターを殴ったこともない。
「……エリーゼ、お前、スキルとかアビリティとかあるのか?」
「…………無いわよ」
「そっか」
Lv10だっていうし、あの皇帝陛下の娘だから何かあるか、と思ったのだが。
彼女には一応あの身体能力があるから、それでどうにかするしかない。
選択肢は、二つ。
一つは逃げる。全速力で逃げる。俺は体力が無いので逃げ切れずに死ぬ可能性が高いが、皇帝譲りの身体能力を持つエリーゼは逃げ切れるかもしれない。しかし、確率は決して高くはないだろう。それだけレベルの差は絶望的なのだ。
もう一つは──戦う。
全力で。己の力のすべてを振り絞って。もし一体でも倒すことが出来れば、経験値が入る。エリーゼも俺も、レベルが低い。そしてレベルが上がれば……第一の選択肢である『逃げる』も視野の内に入る。
しかし、その『勝利』を得られる可能性は酷く低い。俺はLv1だし、エリーゼも10だ。そしてHPの概念があるこの世界では、圧倒的なHPを持つ高レベルモンスターを殺すことは非常に難しい。
ならば逃げるしか無いのだが、魔狼は既に俺達を取り囲んでいるようだ。どれだけ頑張っても、最低でもどれかの個体と一戦交えなければならない。
「……一匹だけ、何とかして突破しよう。殺さなくてもいい。どうにかしてこの包囲網から出られればそれでいいから」
「……わかったわ」
向こうが本気を出す前に、動きだそう。
正直な話、恐怖が無いわけがない。恐い。だって死ぬかもしれないんだぜ? というか九割がた死ぬぜ?
でも、俺は生き残る必要がある。エリーゼを呪縛から解放してやるためだ。そのエリーゼの事も、逃がさなくてはならない。
幸い、狼型モンスターとの交戦経験はある。帝都の修練用ダンジョンに出た。もちろん、このモンスター達は奴等と比べて絶望的なまでに強大なのだろうが。
「行くぞ」
「ええ」
思ったよりも確りとした返事が帰ってくる。走り出す俺達。魔狼が気がついた。ターゲットは……弱い俺の方か!
「全力で……走れぇッ!」
バァン! と、空気が弾ける音がした。次の瞬間には、エリーゼははるか前方にいる。速っ!
俺も、俺に出せる限りの全力で狼を突破するために走る。
「ガロォォォォンッ!!!」
魔狼が吠える。お前達は逃がさん、とばかりに。
凄まじいスピードで走り出したかと思えば、瞬く間に俺の目の前に。何だと!?
「ガロォォォォン!」
「くっ!?」
飛び退く。しかし敵もまた、飛び上がる。クソっ、ダメだ予想外だ、敵が速すぎる!
急ブレーキをかけて止まると、俺は思い切り右に飛んだ。しかし滞空していた筈の狼は、なんと空中で方向転換をして俺に向かって躍り掛かってきた。
何とかして狼を蹴り飛ばすが、しかしそれは一瞬の隙さえも産み出せない。寧ろ俺の体勢が崩れただけだ。
驚くべき速度でその前脚が振り上げられる。狼型に限らず、四足歩行モンスターに特有の、クロー攻撃。しかしその速度は、帝都のダンジョンで見た、あの亜地龍よりもなお速い。
「マジかよ……こんなの、白銀でも勝てねぇだろ……!」
甘かった──俺の脳裏に、その言葉が閃いた。
あっけない。数秒前の決意はどこへ行った。
エリーゼを解放するのでは無かったのか。そのために生き残るのでは無かったのか。
そのための力すら、無いのか。
「クソがッ!!」
怒りが、沸き上がる。理不尽な世界への怒りだ。弱肉強食よ法への怒りだ。そしてそれは同時に、無力な己への怒りでもある。
俺にもっと、力があれば。
例えばそう、このモンスターをテイミングできれば、話はもっと簡単になる。しかしそれは不可能だ。俺の【ディヴァイン・スレイヴ】は、条件こそ不明だが、エリーゼの様に特殊な存在しかテイミングできない。
現実は無情だ。俺に向かって降り下ろされた大爪は、弱者の体をバラバラに引き裂くだろう。終わりだ。チェックメイト。ジ・エンド。
ああクソっ。すまん、エリーゼ──……
「待ちな……さいよ……ッ!」
しかしその時。
魔狼に向かって、横から体当たりをかました影がひとつ。
黄金の髪を靡かせたその人影は、エリーゼ以外の誰でもない。
「お前……なんで戻ってきた!」
「馬鹿ね! 私のこと、解放するんでしょう!?」
俺の問いには答えず、エリーゼは聞き返した。
「勝手に諦めるなんて赦さないわよ……!」
エリーゼは綺麗に着地すると、そのまま獣のような身のこなしで、魔狼に向けて躍り掛かった。速い。本当にLv10なのか?
「ガロォォォォッ!!!」
「うるさいっ!」
エリーゼは魔狼のふところに飛び込み──
「──」
何事かを、唱える。
直後。
「ぎゃいいぃぃん!」
魔狼が情けない悲鳴を上げて仰け反った。なんだ!? エリーゼが攻撃したのか!?
「──!?」
「何ボケッとしてるの! 他の狼が来る前に逃げるわよ!」
「あ、ああ!」
エリーゼが全力で走る。再び空気が爆発した。俺も全力で逃げる。
「ぎゃいいぃぃん!」
背後を振り替えれば、狼は時折痙攣しながらいまだ悲鳴を上げていた。なんだなんだ、本当に何があったんだ?
兎に角、俺たちは他の狼達が来るのよりも速く、何とかしてその包囲網を突破することに成功した。
理由は良く分からないが──何にせよ、万々歳である。
エリーゼに感謝だ。
ただ願わくばもうちょっとゆっくり走ってくれ! 全く追い付けん! いや、急がなくちゃいけないのは分かるんだけとさ!
敏捷の低い自分を恨みたかった。
エリーゼが魔狼を倒せた理由は次回で明らかにする予定です。ちょっと予告しておくと、何の捻りもないです(
感想・ご指摘等ありましたらよろしくお願いいたします。
次話が投稿されたあかつきには、またお読みください。